小泉進次郎の話す力
年齢で期待されるもの以上を背負う若者たち②
-最終更新日:2010年12月16日(木)-
同じ若者として年齢以上に正解で期待されているのが自民党の小泉進次郎氏である。麻生太郎元首相は進次郎氏をこのように評している。
「お父さんと違って普通の人」「政界の石川遼。爽やかであいさつもきちんとしている。出来すぎ」
このような評価がなされると父親である純一郎氏がどのように普通の人ではないのかが気になるのだが、昨年の衆議院選挙から大車輪の活躍をしているのが小泉進次郎氏である。一見華やかで表参道をまっしぐらに進んでおり、時には嫉妬を買ってしまいそうな氏だが、筆者は実際はこうだと思っている。「小泉家において一家の浮沈を一身に受けることになってしまった若者」である。
政治の世界はそれほど甘くない。進次郎氏も、世の中にアウトプットするきれいな情報とは違う場所でもがいているはずである。父親が華やかな首相として一世を風靡して以降、退陣すればとたんに一家は苦しくなる。純一郎氏が自らのカリスマ性に限界を感じて引退を表明する中、政治家一家として体裁を保つには進次郎氏に一手に託すしかないのである。
その中でよくこれだけの働きができるなと筆者は思ってしまう。通常の若者なら逃げてしまう重責を軽々とこなしているようにも見える。実際はかなり辛い思いをしているに違いない。当初は親の七光りのようなフィルターを通じて見られた進次郎氏、私はここにきてかなりの能力を有していると感じた次第である。
その理由の一つに、行動の安定感。司会をやってもマスコミに対するコメントも一流。ブレることがない。その二に、その胆力。誰に対しても忌憚ない表情で接することである。そのさまに次第に評価を変えていった人も多いのではないだろうか。筆者は進次郎氏は小泉家ではいわゆる麒麟児と呼べる人物だと思っている。激動の乱世で、息子まで卓越した能力を持っていた中国三国志時代のの司馬懿仲達と司馬師・司馬昭親子を髣髴させるのである。
個人的に、進次郎氏はその学歴の高さから高度な政治主要著書を早めに執筆したらもっと箔がつくのではないかと考えている。恐らく、これからの日本の政治を担って変えていくであろう若者。父親の純一郎氏が「苦労をかけてすまない」という思いを抱いているだろうことを肌に感じながら今後の活躍に期待する。読者の皆さんはどう思われるだろうか。
-最終更新日:2010年12月16日(木)-
小泉進次郎の話す力 (2010/12/16) 佐藤綾子 商品詳細を見る |
同じ若者として年齢以上に正解で期待されているのが自民党の小泉進次郎氏である。麻生太郎元首相は進次郎氏をこのように評している。
「お父さんと違って普通の人」「政界の石川遼。爽やかであいさつもきちんとしている。出来すぎ」
このような評価がなされると父親である純一郎氏がどのように普通の人ではないのかが気になるのだが、昨年の衆議院選挙から大車輪の活躍をしているのが小泉進次郎氏である。一見華やかで表参道をまっしぐらに進んでおり、時には嫉妬を買ってしまいそうな氏だが、筆者は実際はこうだと思っている。「小泉家において一家の浮沈を一身に受けることになってしまった若者」である。
政治の世界はそれほど甘くない。進次郎氏も、世の中にアウトプットするきれいな情報とは違う場所でもがいているはずである。父親が華やかな首相として一世を風靡して以降、退陣すればとたんに一家は苦しくなる。純一郎氏が自らのカリスマ性に限界を感じて引退を表明する中、政治家一家として体裁を保つには進次郎氏に一手に託すしかないのである。
その中でよくこれだけの働きができるなと筆者は思ってしまう。通常の若者なら逃げてしまう重責を軽々とこなしているようにも見える。実際はかなり辛い思いをしているに違いない。当初は親の七光りのようなフィルターを通じて見られた進次郎氏、私はここにきてかなりの能力を有していると感じた次第である。
その理由の一つに、行動の安定感。司会をやってもマスコミに対するコメントも一流。ブレることがない。その二に、その胆力。誰に対しても忌憚ない表情で接することである。そのさまに次第に評価を変えていった人も多いのではないだろうか。筆者は進次郎氏は小泉家ではいわゆる麒麟児と呼べる人物だと思っている。激動の乱世で、息子まで卓越した能力を持っていた中国三国志時代のの司馬懿仲達と司馬師・司馬昭親子を髣髴させるのである。
個人的に、進次郎氏はその学歴の高さから高度な政治主要著書を早めに執筆したらもっと箔がつくのではないかと考えている。恐らく、これからの日本の政治を担って変えていくであろう若者。父親の純一郎氏が「苦労をかけてすまない」という思いを抱いているだろうことを肌に感じながら今後の活躍に期待する。読者の皆さんはどう思われるだろうか。
覚悟。
年齢で期待されるもの以上を背負う若者たち①
-最終更新日:2010年12月16日(木)-
今回は昨年の衆議院選挙で肝炎問題の原告でリーダーシップをとった福田衣里子さんの書籍を紹介する。
彼女は、長崎生まれで大学時代には私の実家のある広島県の大学に通っていた。その時医者に告げられる。「あなたはC型肝炎です」。それから彼女の闘病生活が始まった。筆者の指導教官の一人だった小山静子氏は学生生活に学生の「先生の20代はどうでしたか?」という質問にこう答えている。「(教授を目指したので)青春なんて一つもなかったわよ」。
福田衣里子さんも同じである。闘病生活ばかりで自宅から満足に外出もできずに毎日を過ごし、それが終わったら肝炎訴訟に身を投じたからである。彼女はC型肝炎のインターフェロン治療を開始した。それも治る確率は非常に低いものだった。このC型肝炎、幼いころの予防接種で注射器を使いまわしたことが原因であり、国に責任があることは明確である。彼女は幼いころから若くして発症することが決まっていたのだ。
彼女は奇跡的に2回にわたるインターフェロン治療で完治することになる。それが決意で政治家に立候補したという。彼女は政権交代のうねりを受けて同じ選挙区の強豪を打ち破って当選する。そして、議員生活が始まった。この闘病から議員生活で肝炎対策基本法が成立するまでの彼女の動きを彼女自身が執筆したのが本書である。
福田衣里子氏の立候補の裏を推察すると、恐らく闘病生活などで落ちた体力を回復するために相当無理をして運動を行ったはずである。また、彼女が立候補するということは、肝炎問題解決のプレッシャーを一手に背負うものである。その年齢で期待されるもの以上を背負う福田衣里子氏の心境はいかばかりだろう。1回生議員でなかなか表に出てくることはないが、今でもなお世間の温かい目が注がれるべき存在であると筆者は思うのである。どのような時代においても彼女のような理不尽な問題の被害者が救済されるべきだと思ったので今回は彼女の記事を書くことにした。読者の皆さんはどう思われるだろうか。真剣にお考えになってほしい。
-最終更新日:2010年12月16日(木)-
覚悟。 (2009/12/23) 福田衣里子 写真・初沢亜利 商品詳細を見る |
今回は昨年の衆議院選挙で肝炎問題の原告でリーダーシップをとった福田衣里子さんの書籍を紹介する。
彼女は、長崎生まれで大学時代には私の実家のある広島県の大学に通っていた。その時医者に告げられる。「あなたはC型肝炎です」。それから彼女の闘病生活が始まった。筆者の指導教官の一人だった小山静子氏は学生生活に学生の「先生の20代はどうでしたか?」という質問にこう答えている。「(教授を目指したので)青春なんて一つもなかったわよ」。
福田衣里子さんも同じである。闘病生活ばかりで自宅から満足に外出もできずに毎日を過ごし、それが終わったら肝炎訴訟に身を投じたからである。彼女はC型肝炎のインターフェロン治療を開始した。それも治る確率は非常に低いものだった。このC型肝炎、幼いころの予防接種で注射器を使いまわしたことが原因であり、国に責任があることは明確である。彼女は幼いころから若くして発症することが決まっていたのだ。
彼女は奇跡的に2回にわたるインターフェロン治療で完治することになる。それが決意で政治家に立候補したという。彼女は政権交代のうねりを受けて同じ選挙区の強豪を打ち破って当選する。そして、議員生活が始まった。この闘病から議員生活で肝炎対策基本法が成立するまでの彼女の動きを彼女自身が執筆したのが本書である。
福田衣里子氏の立候補の裏を推察すると、恐らく闘病生活などで落ちた体力を回復するために相当無理をして運動を行ったはずである。また、彼女が立候補するということは、肝炎問題解決のプレッシャーを一手に背負うものである。その年齢で期待されるもの以上を背負う福田衣里子氏の心境はいかばかりだろう。1回生議員でなかなか表に出てくることはないが、今でもなお世間の温かい目が注がれるべき存在であると筆者は思うのである。どのような時代においても彼女のような理不尽な問題の被害者が救済されるべきだと思ったので今回は彼女の記事を書くことにした。読者の皆さんはどう思われるだろうか。真剣にお考えになってほしい。
川田龍平 いのちを語る
薬害エイズ問題という高いハードルを克服した日本
-最終更新日:2010年12月10日(金)-
筆者が青年時代に社会問題となった「薬害エイズ問題」。先天的な疾患である血友病とは、血が出たときに瘡蓋(かさぶた)が形成されない病気であり、輸血が必要となる。しかし、その輸血製剤がHIVウイルスに汚染されていたらどうだろう。生後間もなくこの投与を受けたために一章HIVポジティブとして生きていかざるを得なくなってしまうのである。
川田龍平さんはそのような中で、筆者と同年代でありながら大学生の時代に原告団のリーダー的存在として活躍された。そして大学の講師となり、現在ではみんなの党から立候補して参議院議員となられている。裏には多量の抗HIVウイルス剤のカクテル投与を受けなければならず、過酷な闘病生活のなかで議員生活を送られている筈である。上記の著書はそのような川田さんのご活動がわかりやすくまとめられた書籍である。ぜひご覧になっていただきたい。
前回の参議院選挙ではみんなの党が躍進した。川田龍平さんもみんなの党に所属して立候補された。党首の渡辺喜美氏の政治的主張が一読で分かる書籍である。江田氏との共著などもある。これらの書籍をぜひご覧になっていただきたい。
筆者の「新自由主義」に関する所感を述べさせていただくと、現在は苦難の状況に置かれているが、かならず必要な思潮であるということである。新自由主義とはひとことでいえば小さな政府を志向するということである。日本では小泉首相の政治的スタンスとして有名である。しかし、リーマンショックによりこの政治形態に疑問符が打たれ、一時期かなり落ち込んだ。それでも参議院選挙で躍進したのは、日本の財政再建のためにもっとも効率の良い考えであり、庶民がそれを見抜いたからだろう。
現状に至った経緯は、新自由主義の想定した、あるいは意図したところではないというのが私の考えである。私の学生時代から、次世代の思潮として最も優秀な人が所属する考えだという通念があった。世界の民主主義の回復のためには彼らの実力が必要である。新自由主義による小さな政府の成功例として、レーガン元大統領やサッチャー元首相の業績が疑いようのないものとして存在しているからだ。
前回記事にした日本の人事制度のように、ノーベル賞を受賞したパデュー大学の根岸教授や北海道大学の鈴木名誉教授のような人材をもし日本にとどめておくには不可欠な考え方なのである。また、この記事のように日本企業の硬直化した人事制度において、輸出部門における海外企業と折衝を行うトッププレイヤーや、優秀な技術者を引きとどめておくには不可欠なセクションとなることに間違いないと筆者は考えている。
薬害エイズ問題の時に大車輪の活躍をしたのが現首相の菅直人氏である。当時、さきがけの一議員であった枝野氏とともにこの問題に奮迅した様子が描かれている。この書籍、私は今年7月ごろの就任当初に購入したが、増補版であるにもかかわらず、政治家の著書としてはかなりの売れ行きだったのを覚えている。読んでみると、氏の思想的背景が一読で分かるようになっている。お勧めの書籍である。
菅氏には、これまで国民主権とは言えなかった政治形態を、政治主導により実現するという考えが中枢にある。そして、そのためには首相が師とあおぐ松下圭一氏の「国会内閣制」の実現が必要だというのである。これまで先進国の中で政治的に停滞した日本にあっては非常にインパクトのある理論である。にもかかわらず停滞する議会の進行、めまぐるしく変化する思潮のなかで、ねじれ状態で胃の痛い思いをされているのだろう。苦渋の国会運営をせざるを得ない状況が続いている。
私の政治における考えは前回の記事で述べたとおりである。このコラムには考え方の違うスタンスが複眼的に掲載されている。プライドをもってこれらの調和を保つとき、日本は先進諸国のなかで先駆的な政治形態を実現することができる。いま、菅首相を先頭にそのような動きが加速していると考えられる。日本の政治のプライドの見せ所である。
そして、この問題の解決と被害者の救済のために早急な対処が必要な状態にある。同じ被害者のブログで知ったのだが、自殺された被害者のことを思うと胸が痛い思いをする。このことを日本のすべての政治家にご理解いただき、早急に対処して欲しいというのが筆者の本音である。
-最終更新日:2010年12月10日(金)-
川田龍平いのちを語る (2007/06/01) 川田 龍平、志葉 玲 他 商品詳細を見る |
筆者が青年時代に社会問題となった「薬害エイズ問題」。先天的な疾患である血友病とは、血が出たときに瘡蓋(かさぶた)が形成されない病気であり、輸血が必要となる。しかし、その輸血製剤がHIVウイルスに汚染されていたらどうだろう。生後間もなくこの投与を受けたために一章HIVポジティブとして生きていかざるを得なくなってしまうのである。
川田龍平さんはそのような中で、筆者と同年代でありながら大学生の時代に原告団のリーダー的存在として活躍された。そして大学の講師となり、現在ではみんなの党から立候補して参議院議員となられている。裏には多量の抗HIVウイルス剤のカクテル投与を受けなければならず、過酷な闘病生活のなかで議員生活を送られている筈である。上記の著書はそのような川田さんのご活動がわかりやすくまとめられた書籍である。ぜひご覧になっていただきたい。
「みんな」の力 ―小さな政府で日本は飛躍する! (宝島社新書314) (宝島社新書 314) (2010/06/10) 渡辺 喜美 商品詳細を見る |
前回の参議院選挙ではみんなの党が躍進した。川田龍平さんもみんなの党に所属して立候補された。党首の渡辺喜美氏の政治的主張が一読で分かる書籍である。江田氏との共著などもある。これらの書籍をぜひご覧になっていただきたい。
筆者の「新自由主義」に関する所感を述べさせていただくと、現在は苦難の状況に置かれているが、かならず必要な思潮であるということである。新自由主義とはひとことでいえば小さな政府を志向するということである。日本では小泉首相の政治的スタンスとして有名である。しかし、リーマンショックによりこの政治形態に疑問符が打たれ、一時期かなり落ち込んだ。それでも参議院選挙で躍進したのは、日本の財政再建のためにもっとも効率の良い考えであり、庶民がそれを見抜いたからだろう。
現状に至った経緯は、新自由主義の想定した、あるいは意図したところではないというのが私の考えである。私の学生時代から、次世代の思潮として最も優秀な人が所属する考えだという通念があった。世界の民主主義の回復のためには彼らの実力が必要である。新自由主義による小さな政府の成功例として、レーガン元大統領やサッチャー元首相の業績が疑いようのないものとして存在しているからだ。
前回記事にした日本の人事制度のように、ノーベル賞を受賞したパデュー大学の根岸教授や北海道大学の鈴木名誉教授のような人材をもし日本にとどめておくには不可欠な考え方なのである。また、この記事のように日本企業の硬直化した人事制度において、輸出部門における海外企業と折衝を行うトッププレイヤーや、優秀な技術者を引きとどめておくには不可欠なセクションとなることに間違いないと筆者は考えている。
大臣 増補版 (岩波新書) (2009/12/18) 菅 直人 商品詳細を見る |
薬害エイズ問題の時に大車輪の活躍をしたのが現首相の菅直人氏である。当時、さきがけの一議員であった枝野氏とともにこの問題に奮迅した様子が描かれている。この書籍、私は今年7月ごろの就任当初に購入したが、増補版であるにもかかわらず、政治家の著書としてはかなりの売れ行きだったのを覚えている。読んでみると、氏の思想的背景が一読で分かるようになっている。お勧めの書籍である。
菅氏には、これまで国民主権とは言えなかった政治形態を、政治主導により実現するという考えが中枢にある。そして、そのためには首相が師とあおぐ松下圭一氏の「国会内閣制」の実現が必要だというのである。これまで先進国の中で政治的に停滞した日本にあっては非常にインパクトのある理論である。にもかかわらず停滞する議会の進行、めまぐるしく変化する思潮のなかで、ねじれ状態で胃の痛い思いをされているのだろう。苦渋の国会運営をせざるを得ない状況が続いている。
私の政治における考えは前回の記事で述べたとおりである。このコラムには考え方の違うスタンスが複眼的に掲載されている。プライドをもってこれらの調和を保つとき、日本は先進諸国のなかで先駆的な政治形態を実現することができる。いま、菅首相を先頭にそのような動きが加速していると考えられる。日本の政治のプライドの見せ所である。
そして、この問題の解決と被害者の救済のために早急な対処が必要な状態にある。同じ被害者のブログで知ったのだが、自殺された被害者のことを思うと胸が痛い思いをする。このことを日本のすべての政治家にご理解いただき、早急に対処して欲しいというのが筆者の本音である。
五体不満足
-最終更新日:2010年11月6日(土)-
最後に、本日の読売新聞の34面に乙武洋匡さんのインタビューがありましたので、これについて最後に記事を書きたいと思います。
筆者が大学のころに出版された「五体不満足」は、当時大きなセンセーショナルを日本に巻き起こしました。筆者も全文読んだのを覚えています。乙武さんは今日の読売新聞のインタビューでこう述べています。「僕は両親や学校、近所に恵まれていた」。確かにそうかもしれません。しかし、私にはそれ以上に明るさを世間にふるまう乙武さんの精神的な強さがあるのではないかと思います。
私も自身の家族の闇から福祉の世界を志しましたが、一般に世間にアウトプットされている情報というのは「きれいな情報」で、何らかの問題を抱えた本人やその家族の実際の苦労というものはなかなかアウトプットされません。そして、それがどれだけ辛くこらえなければならないものであるかも私なりに知っています。
乙武さんも、通常の人が経験しない苦労を人一倍経験されているはずです。それを表に出さないで笑顔で人々に希望をもたらす存在がどれだけ大変か。乙武さんの話をこの問題に転嫁して非常に申し訳ないですが、「集団ストーカー」の被害者も同じ苦しみを抱えています。そして、私なりにそれをできるだけ社会に訴えていかなければならないと思っています。
最後に、乙武さんが教師になるまでの胸の内を書いた著書を紹介して末尾とさせていただきたいと思います。
五体不満足 完全版 (講談社文庫) (2001/04/04) 乙武 洋匡 商品詳細を見る |
最後に、本日の読売新聞の34面に乙武洋匡さんのインタビューがありましたので、これについて最後に記事を書きたいと思います。
筆者が大学のころに出版された「五体不満足」は、当時大きなセンセーショナルを日本に巻き起こしました。筆者も全文読んだのを覚えています。乙武さんは今日の読売新聞のインタビューでこう述べています。「僕は両親や学校、近所に恵まれていた」。確かにそうかもしれません。しかし、私にはそれ以上に明るさを世間にふるまう乙武さんの精神的な強さがあるのではないかと思います。
私も自身の家族の闇から福祉の世界を志しましたが、一般に世間にアウトプットされている情報というのは「きれいな情報」で、何らかの問題を抱えた本人やその家族の実際の苦労というものはなかなかアウトプットされません。そして、それがどれだけ辛くこらえなければならないものであるかも私なりに知っています。
乙武さんも、通常の人が経験しない苦労を人一倍経験されているはずです。それを表に出さないで笑顔で人々に希望をもたらす存在がどれだけ大変か。乙武さんの話をこの問題に転嫁して非常に申し訳ないですが、「集団ストーカー」の被害者も同じ苦しみを抱えています。そして、私なりにそれをできるだけ社会に訴えていかなければならないと思っています。
最後に、乙武さんが教師になるまでの胸の内を書いた著書を紹介して末尾とさせていただきたいと思います。
だから、僕は学校へ行く! (2007/03/27) 乙武 洋匡 商品詳細を見る |
自由と繁栄の弧
麻生太郎氏、「自由と繁栄の弧」一考
-最終更新日:2010年11月5日(金)-
この書籍、私がサラリーマン時代に出会ったIBM系のコンサルティングに勧められた書籍である。当時、麻生太郎氏の総理大臣就任が確実視されていたころだったと思う。筆者は早速本屋に出向いて購入した。読んでみて、氏の外務大臣時代の豊富な経験から日本のあるべき外交戦略を導き出しておられ、非常に読みごたえがあったのを覚えている。麻生氏の独特の言葉遣いが文章に反映されており、親しみをもって読める内容になっている。
このような言い方をすると麻生氏に失礼なのだが、麻生氏は私のようなオタクにとって神様のような存在なのである。筆者にかなり深刻なオタ属性があるのはこれまでに読んで薄々感づかれているのではないかと思う。筆者は、これだけサブカルチャーに良質なコンテンツがたくさんある日本において、なぜその輸出がうまくいかないのかもどかしいのである。
日本はほかにも一流の技術をもちながら輸出がうまくいかないケースが多い。前回触れたように、技術はあるのだが世界標準がなかなか作れないのである。これは理系の方にはほとんど責任がない。コンテンツ輸出における戦略性に乏しいのである。そのために国際特許の取得という意味においても出遅れている。
例を挙げてみよう。初期型プレイステーション3 60Gバージョンである。これには目玉のSACD機能がついている。これを侮ることなかれ、CELLの圧倒的な処理能力で出力されるデジタルアウトの音質は下手なピュアCDプレイヤーを凌駕するのである。しかし、結局普及化のためにこの機能が削られた。何とも惜しいとしか言いようがないのである。(筆者は必ず将来この技術をソニーが生かす時が来ると思っています!!)
このように、日本はコンテンツ輸出に弱みを持っている。そのためにはどうすればいいか。「日本企業のガラパゴス化」において触れたように、トッププレイヤーに破格の待遇で企業内において処遇するほかないのである。例えば特許の面においては弁理士が活躍するだろう。海外戦略のためには英語も不可欠である。楽天の社内における英語標準語化はその先駆的な試みだろう。このように、日本に様々な人事制度の特色をもった企業が共存しなければならないのである。世界標準が生みだす土壌はここにあるのである。
最後に、上の広告はハードカバー版で定価が高いものである。装飾が美しいのと筆者が購入したのがこちらなので、ハードカバー版を持ってきた。今では、下記のような文庫版もある。ぜひご覧になって頂ければと思う。
【2010年11月4日(木)】
日本のコンテンツ輸出として近年もっとも成功しているのがプロ野球選手のメジャーリーグ移籍である。すでに国内のプロの実績がメジャーリーグの登竜門になりつつある。当然、選手にとってはできるだけ国内で実績をあげて、早くに移籍したいという気持ちに駆られるだろう。
たとえば巨人の上原投手も移籍したのが晩年になってからである。これは巨人でこれだけ活躍したことに対する温情という意味合いが強かった。それがいざ移籍してみると今年は大活躍だ。上原投手にとってはこの上ない気持ちだろう。
同様に、メジャーリーグに挑戦する実力があるのになかなか行けない選手もいる。ダルビッシュ投手がそうだろう。若くして将来を有望され、非常に堅苦しい生活を送らざるを得なかったに違いない。ワールド・ベースボール・クラシックでも大きな活躍をした彼に、日本人を上げてメジャーリーグに挑戦することを応援してほしいと筆者は願うのである。
-最終更新日:2010年11月5日(金)-
自由と繁栄の弧 (2007/06) 麻生 太郎 商品詳細を見る |
この書籍、私がサラリーマン時代に出会ったIBM系のコンサルティングに勧められた書籍である。当時、麻生太郎氏の総理大臣就任が確実視されていたころだったと思う。筆者は早速本屋に出向いて購入した。読んでみて、氏の外務大臣時代の豊富な経験から日本のあるべき外交戦略を導き出しておられ、非常に読みごたえがあったのを覚えている。麻生氏の独特の言葉遣いが文章に反映されており、親しみをもって読める内容になっている。
このような言い方をすると麻生氏に失礼なのだが、麻生氏は私のようなオタクにとって神様のような存在なのである。筆者にかなり深刻なオタ属性があるのはこれまでに読んで薄々感づかれているのではないかと思う。筆者は、これだけサブカルチャーに良質なコンテンツがたくさんある日本において、なぜその輸出がうまくいかないのかもどかしいのである。
日本はほかにも一流の技術をもちながら輸出がうまくいかないケースが多い。前回触れたように、技術はあるのだが世界標準がなかなか作れないのである。これは理系の方にはほとんど責任がない。コンテンツ輸出における戦略性に乏しいのである。そのために国際特許の取得という意味においても出遅れている。
例を挙げてみよう。初期型プレイステーション3 60Gバージョンである。これには目玉のSACD機能がついている。これを侮ることなかれ、CELLの圧倒的な処理能力で出力されるデジタルアウトの音質は下手なピュアCDプレイヤーを凌駕するのである。しかし、結局普及化のためにこの機能が削られた。何とも惜しいとしか言いようがないのである。(筆者は必ず将来この技術をソニーが生かす時が来ると思っています!!)
このように、日本はコンテンツ輸出に弱みを持っている。そのためにはどうすればいいか。「日本企業のガラパゴス化」において触れたように、トッププレイヤーに破格の待遇で企業内において処遇するほかないのである。例えば特許の面においては弁理士が活躍するだろう。海外戦略のためには英語も不可欠である。楽天の社内における英語標準語化はその先駆的な試みだろう。このように、日本に様々な人事制度の特色をもった企業が共存しなければならないのである。世界標準が生みだす土壌はここにあるのである。
最後に、上の広告はハードカバー版で定価が高いものである。装飾が美しいのと筆者が購入したのがこちらなので、ハードカバー版を持ってきた。今では、下記のような文庫版もある。ぜひご覧になって頂ければと思う。
自由と繁栄の弧 (幻冬舎文庫) (2008/09) 麻生 太郎 商品詳細を見る |
【2010年11月4日(木)】
日本のコンテンツ輸出として近年もっとも成功しているのがプロ野球選手のメジャーリーグ移籍である。すでに国内のプロの実績がメジャーリーグの登竜門になりつつある。当然、選手にとってはできるだけ国内で実績をあげて、早くに移籍したいという気持ちに駆られるだろう。
たとえば巨人の上原投手も移籍したのが晩年になってからである。これは巨人でこれだけ活躍したことに対する温情という意味合いが強かった。それがいざ移籍してみると今年は大活躍だ。上原投手にとってはこの上ない気持ちだろう。
同様に、メジャーリーグに挑戦する実力があるのになかなか行けない選手もいる。ダルビッシュ投手がそうだろう。若くして将来を有望され、非常に堅苦しい生活を送らざるを得なかったに違いない。ワールド・ベースボール・クラシックでも大きな活躍をした彼に、日本人を上げてメジャーリーグに挑戦することを応援してほしいと筆者は願うのである。
いじめの政治学
~中井久夫 「アリアドネからの糸」より~
-最終更新日:2010年10月29日(金)-
この中井久夫氏の「アリアドネからの糸」に収録されている「いじめの政治学」もかなりいじめ現象に深く斬りこんだ名著です。あまりに生々しい「いじめ行為」の分析がされています。
氏は、いじめの過程を「孤立化」「無力化」「透明化」と三段階に分けて説明しています。
簡略に説明すると、まず、ターゲットは、グループ内で最も権威がある人間に巧妙かつ意図的に、お互い示し合わせて「孤立化」させられます。そして抵抗することができないように暴力を含めたあらゆる方法で「無力化」されます。これは初期に激化します。当初逆らえないようにしておけば、後は脅しだけで済むようになるわけです。そして「透明化」です。一度無力化されて逆らえないようになったら、それが当たり前の状態になります。この段階では、いじめがエスカレートしない日が「幸運な日だった」と感じてしまう息を殺した状態になってしまいます。
この「いじめの政治学」では、古今東西のあらゆる歴史における専制者の支配の事例などから考察が行われているところが凄いところです。
そもそも自由意志によって自発的に自由を完全に放棄することなどありえない。エーリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」の誘惑は隷属へのほんの入り口まで魅力的であるにすぎない。そこを過ぎれば「しまった、こんなはずではなかった」と後悔するがたいていは晩い。一部は加害者の手下になるが「こんなはずではなかった」と言いつづけるはずだ。(同著 p.14)
「いじめ」に安易に迎合してしまうことによって「主犯格」に自由をからめ取られてしまうパラドクスをこの文章は端的に表現しています。ヒトラーをドイツ社会が受け入れたとき、当初は甘美な言葉で魅力的だったでしょうが、その安易な迎合がホロコーストを生んだという訳です。
氏はまたこのように述べています。
外でのいじめられっこは時には内では暴君になる。しかし、最後の誇りとして家族の前では「いい子」でありつづけようとする場合も多い。最後の誇りが失われそうになった時に行われるのが自殺である。自殺による解放幻想はすでに「無力化」の段階からはぐくまれているが、自殺幻想は自殺を一時延期する効果もある。自分が自殺することによって加害者を告発するという幻想である。家族が初めてわかってくれ、級友や教師が「しまった」と思い「申しわけない」と言ってくれるという幻想もある。実際、自殺幻想が、極度に狭まった世界の唯一の「外」への通路ということがある。(同著 p.19)
これはいじめられっこの絶望的な心境をずばり言い当てています。告発する手段が未熟な子どもにとって、周囲が自殺をしたら気づいてくれるといった心境です。自分もいじめられていた当時、このような自殺念慮がありました。同じような心境の生徒が一体この国に何人いて、何人気づいてもらってないのでしょうか。本当に自殺をしてしまっては遅いのだという悲劇が、また新聞の一面を飾ることになりました。
最後に、自分の経験から、いじめられっこはどうすればいいかを真剣に書いてみたいと思います。いじめを受けている学生の方々も、自殺をするくらいならせめてこれだけのことをしてください。
①周囲にわめき散らす
筆者も経験していますが、長い間周囲は気づいてくれません。卒業とともに終わるとわかっていても、1年や2年という期間が永遠のように感じられます。ひとことで言えば、「いじめられっこ」は悪くないということです。グループの中ではいろいろな理由をつけて悪者にされて周囲に言えない環境を作り上げられます。ここはひとつ勇気をもって誰かに相談してください。自分の経験上、わかってくれる人は10人に1人もいません。誰彼かまわず相談してください。泣き寝入りするだけ損です。
②ネットの掲示板やブログで告発
今のいじめは筆者の学生時代よりさらに陰湿化しています。学校裏サイトなどが典型的なものです。インターネットを利用して一人の学生だけアクセスできないようにします。そして、そこでは次の日にどのようないじめをするかいじめっ子が裏取引しているようなケースもあります。残念ながら、世の中は自発的に気付いてくれるようにはなかなかできていません。筆者の時代にはなかった方法ですが、同じインターネットで訴えるという方法も効果的です。それで学校で問題になればしめたものです。自分も一回、インターネットの掲示板である学生さんがいじめを訴えており、それを他の人が相談に乗っているシチュエーションに出会いました。これからの時代はこのような手段も必要ではないかと思います。
③学校はやめてもいい。命にかえられない
上にもありますように、いじめられっこの皆さんは、いじめられているうえにさらに「よい子」を演じようとします。自分のケースもそうでした。自分も「親から見捨てられる」と感じて親に相談できない状態が2年続きました。自殺してしまうくらいなら、学校に行かなくていいのです。命にはかえられません。このようなときでも学校が悪いということになりますから安心してください。筆者の場合は教師が適切に対処してくれましたが、そうではないケースが多いと思います。それでも、高校を中退して大検で京都大学に合格した人も知っています。学校に行かなければならないという思いつめをやめてみてください。
④いじめられている人間関係を依存を含めて断ち切る
「いじめ」は、いったん受け入れるとその状態が続いてしまいます。人間関係など一旦固定していしまってはパターン化するだけだからです。たとえいじめがひどい状態でなくても、そのような人間関係は断ち切ってください。そして、できるだけいい人間関係を作り直してください。別のグループに移ったりすることもいいことでしょう。余裕ができてきたら、自由に友達をえらんで学生生活を楽しんでください。
これだけ書いても、失われた命は戻ってくるわけではありません。個人的に「いじめ撲滅」などということは歴史的にありえないわけで、いじめが発生した時にどれだけ早く介入して深刻化の芽を摘み取るかが先生方の役割だと思っています。自分の場合は本当に母校に感謝しています。できるだけ多くのいじめを受けている学生が同様に対処されるようお願い申し上げます。また一人の子が成長するには1000人の力が必要だと言われています。1000人にちなんで、ショルティのマーラー交響曲第8番「1000人の交響曲」を掲載して末尾とさせていただきたいと思います。
-最終更新日:2010年10月29日(金)-
アリアドネからの糸 (1997/08/08) 中井 久夫 商品詳細を見る |
この中井久夫氏の「アリアドネからの糸」に収録されている「いじめの政治学」もかなりいじめ現象に深く斬りこんだ名著です。あまりに生々しい「いじめ行為」の分析がされています。
氏は、いじめの過程を「孤立化」「無力化」「透明化」と三段階に分けて説明しています。
簡略に説明すると、まず、ターゲットは、グループ内で最も権威がある人間に巧妙かつ意図的に、お互い示し合わせて「孤立化」させられます。そして抵抗することができないように暴力を含めたあらゆる方法で「無力化」されます。これは初期に激化します。当初逆らえないようにしておけば、後は脅しだけで済むようになるわけです。そして「透明化」です。一度無力化されて逆らえないようになったら、それが当たり前の状態になります。この段階では、いじめがエスカレートしない日が「幸運な日だった」と感じてしまう息を殺した状態になってしまいます。
この「いじめの政治学」では、古今東西のあらゆる歴史における専制者の支配の事例などから考察が行われているところが凄いところです。
そもそも自由意志によって自発的に自由を完全に放棄することなどありえない。エーリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」の誘惑は隷属へのほんの入り口まで魅力的であるにすぎない。そこを過ぎれば「しまった、こんなはずではなかった」と後悔するがたいていは晩い。一部は加害者の手下になるが「こんなはずではなかった」と言いつづけるはずだ。(同著 p.14)
「いじめ」に安易に迎合してしまうことによって「主犯格」に自由をからめ取られてしまうパラドクスをこの文章は端的に表現しています。ヒトラーをドイツ社会が受け入れたとき、当初は甘美な言葉で魅力的だったでしょうが、その安易な迎合がホロコーストを生んだという訳です。
氏はまたこのように述べています。
外でのいじめられっこは時には内では暴君になる。しかし、最後の誇りとして家族の前では「いい子」でありつづけようとする場合も多い。最後の誇りが失われそうになった時に行われるのが自殺である。自殺による解放幻想はすでに「無力化」の段階からはぐくまれているが、自殺幻想は自殺を一時延期する効果もある。自分が自殺することによって加害者を告発するという幻想である。家族が初めてわかってくれ、級友や教師が「しまった」と思い「申しわけない」と言ってくれるという幻想もある。実際、自殺幻想が、極度に狭まった世界の唯一の「外」への通路ということがある。(同著 p.19)
これはいじめられっこの絶望的な心境をずばり言い当てています。告発する手段が未熟な子どもにとって、周囲が自殺をしたら気づいてくれるといった心境です。自分もいじめられていた当時、このような自殺念慮がありました。同じような心境の生徒が一体この国に何人いて、何人気づいてもらってないのでしょうか。本当に自殺をしてしまっては遅いのだという悲劇が、また新聞の一面を飾ることになりました。
最後に、自分の経験から、いじめられっこはどうすればいいかを真剣に書いてみたいと思います。いじめを受けている学生の方々も、自殺をするくらいならせめてこれだけのことをしてください。
①周囲にわめき散らす
筆者も経験していますが、長い間周囲は気づいてくれません。卒業とともに終わるとわかっていても、1年や2年という期間が永遠のように感じられます。ひとことで言えば、「いじめられっこ」は悪くないということです。グループの中ではいろいろな理由をつけて悪者にされて周囲に言えない環境を作り上げられます。ここはひとつ勇気をもって誰かに相談してください。自分の経験上、わかってくれる人は10人に1人もいません。誰彼かまわず相談してください。泣き寝入りするだけ損です。
②ネットの掲示板やブログで告発
今のいじめは筆者の学生時代よりさらに陰湿化しています。学校裏サイトなどが典型的なものです。インターネットを利用して一人の学生だけアクセスできないようにします。そして、そこでは次の日にどのようないじめをするかいじめっ子が裏取引しているようなケースもあります。残念ながら、世の中は自発的に気付いてくれるようにはなかなかできていません。筆者の時代にはなかった方法ですが、同じインターネットで訴えるという方法も効果的です。それで学校で問題になればしめたものです。自分も一回、インターネットの掲示板である学生さんがいじめを訴えており、それを他の人が相談に乗っているシチュエーションに出会いました。これからの時代はこのような手段も必要ではないかと思います。
③学校はやめてもいい。命にかえられない
上にもありますように、いじめられっこの皆さんは、いじめられているうえにさらに「よい子」を演じようとします。自分のケースもそうでした。自分も「親から見捨てられる」と感じて親に相談できない状態が2年続きました。自殺してしまうくらいなら、学校に行かなくていいのです。命にはかえられません。このようなときでも学校が悪いということになりますから安心してください。筆者の場合は教師が適切に対処してくれましたが、そうではないケースが多いと思います。それでも、高校を中退して大検で京都大学に合格した人も知っています。学校に行かなければならないという思いつめをやめてみてください。
④いじめられている人間関係を依存を含めて断ち切る
「いじめ」は、いったん受け入れるとその状態が続いてしまいます。人間関係など一旦固定していしまってはパターン化するだけだからです。たとえいじめがひどい状態でなくても、そのような人間関係は断ち切ってください。そして、できるだけいい人間関係を作り直してください。別のグループに移ったりすることもいいことでしょう。余裕ができてきたら、自由に友達をえらんで学生生活を楽しんでください。
これだけ書いても、失われた命は戻ってくるわけではありません。個人的に「いじめ撲滅」などということは歴史的にありえないわけで、いじめが発生した時にどれだけ早く介入して深刻化の芽を摘み取るかが先生方の役割だと思っています。自分の場合は本当に母校に感謝しています。できるだけ多くのいじめを受けている学生が同様に対処されるようお願い申し上げます。また一人の子が成長するには1000人の力が必要だと言われています。1000人にちなんで、ショルティのマーラー交響曲第8番「1000人の交響曲」を掲載して末尾とさせていただきたいと思います。
マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」 (2008/10/08) シカゴ交響楽団 ショルティ(サー・ゲオルグ)ハーパー(ヘザー) 商品詳細を見る |
地域福祉論と社会福祉援助技術
平野隆之先生と成田光江さんには大学院在学時はお世話になりました
-最終更新日:2010年8月29日(日)-
題名の通り、以前掲載した公的機関と専門領域の被害者に対する援助について考えを進めてみたいと思います。ただし、これらを扱う領域は広大であるために、一度の掲載ではすべてを論述できません。今回は、社会福祉学のなかでも「社会福祉援助技術」という領域で考察してみたいと思います。
社会福祉学を学んだことがない方は、「社会福祉援助技術」っていったい何だろう、と思われるかもしれません。端的にいえば、受験の科目のなかに「国語」があるのと同じように、人を援助する仕事の資格試験の受験科目のひとつです。例えば、社会福祉士や介護福祉士などです。
内容はといえば、文字通り、「社会福祉学の観点で人を援助する専門技術」ということになります。ただし、社会福祉学固有の内容というわけではなく、人を助けるさまざまな学術領域と範疇がかさなります。例をあげるなら、教育学、精神医学、心理学、看護学などです。何が違うのかといえば、人を助けることにおいて何を重視するかです。例えば心理学は、人の心の働きにおいて困難を抱えている人を助ける学術モデルです。一方で社会福祉学は、社会と人のかかわりを重視します。社会の中でどのように自立して充実した生活を送れるかなどを追求します。だからといって、それぞれの学術領域がお互いのことを排除しあうのではありません。どの領域でも人を助けるためにはさまざまな方法が用いられます。腕のいい心療内科が、薬物療法だけでなく生活のアドバイスや心理カウンセリングなどさまざまな方法でクライアントを回復させようとするのと同じです。社会福祉学では、人を助けるにあたっては、「ジェネラリスト・アプローチ」と呼ばれるように、狭い専門性に閉じこもるのではなく、さまざまなアプローチを駆使して人を援助する専門家がよいとされます。
ここでは、その人と社会の関係を重視する学術領域である「社会福祉援助技術」において、この問題を抱えた被害者に対して何ができるかを考察してみたいと思います。
高齢者介護における地域包括支援センターの取り組み
「地域包括支援センター」という言葉は、この記事をご覧のみなさんも聞いたことがあるかもしれません。高齢者の方を介護されているご家庭ならなおさらでしょう。この高齢者介護を例に考えてみたいと思います。
私の家庭には、この「地域包括支援センター」のお世話になっている祖母がいます。具体的には、月に一度程度「地域包括支援センター」のスタッフの方が来られて、父と祖母を交えて話をします。祖母は要介護認定です。これは、通常の社会生活を自分ひとりで送ることが困難であるために、国から支援を受けているということです。
高齢者の方は、円滑な社会生活を行うための身体能力などが失われてしまっているケースが多い現状があります。その程度は人それぞれで、元気な高齢者もいれば、歩くことが困難な高齢者もいます。一人で社会生活が行うことが困難で、しかも一人暮らしの高齢者は、重点的なケアが必要です。このように、暮らしにくさを抱えた程度によって、どのように支援するかを「地域包括支援センター」のソーシャルワーカーがヒアリングしながら決定して、ケアスタッフがチームになって必要なサービスを提供します。
この「地域包括支援センター」は、前身は「在宅介護支援センター」です。2005年2月に制度が施行されました。高齢者が自立して生活できないことによる病気の悪化を防ぐための、「予防介護」という考え方に基づいたものです。これは、以前に申し上げた遠隔予防医療と同じで、社会保障費や医療費を削減するといった目的のものです。
例えば、私の家の祖母は、父が健康で十分介護することができているので、行政による介入の必要はあまりありません。それでも、孤独になりがちであることや、歩行が困難であることなどから、月に数回デイケアに行っています。どの程度利用する必要があるかは人それぞれです。
では、必要なサービスはどのように決定されるのでしょうか。話が長くなりましたが、ここで「社会福祉援助技術」という考え方を持ち出してみたいと思います。
これらの援助は、単純にワーカーの恣意によって決定されるわけではありません。根本的な理念として、高齢者が自立(自律)した生活が行われること、人間らしい生活ができることなどがまず中心に存在します。そして、そのためには何が必要かを計画的に考えます。クライアントの社会環境を調査するアセスメントから始まり、具体的な介入が計画的に行われます。長期にわたるものも存在します。
以下は、架空の事例ですが、ワーカーが当事者をアセスメントして作成するエコマップと呼ばれるものです。
【エコマップ(社会福祉援助技術の教科書から作成)】
このように、家族関係の調査から、当事者だけでなく家族の誰に支援が必要か、またどのインフラが利用できるかをマッピングして、援助計画を作成します。支援に効果があるものはあらゆるものを利用するのが社会福祉援助技術の基本です。援助の方法論は、伝統的に、①ケースワーク、②グループワーク、③コミュニティワークという区分がされますが、これらをすべて駆使するということです。
このエコマップにもある「地域包括支援センター」は、現在では高齢者だけでなく、DV問題を抱えた家庭に対する介入なども行っています。地域の福祉の総合拠点のという位置づけです。
このように、社会福祉学を学んだことのない方はなかなか知らない世界ですが、アセスメントを行って援助計画を立てるだけでも、経験がかなり必要な高度な作業です。この方法論が、このブログで扱っている問題の被害者にも応用できないかというのが、今回の記事のねらいです。
この問題の架空の事例から考察
では、この問題の被害者の架空の事例を作ってみます。自分の被害の経験から作成するという要素が強いですが、このようなものだと思ってください。
太郎さん(仮名) 37歳・男性
【加害の状況】
数年前から、人による付きまといやほのめかしが始まった。当初にたたみ掛けるように行われたせいで、強い心的外傷を受ける。以後、外出時に必ず加害行為が行われることから、外出が困難になる。
そのような中でも何とか正社員として働いてきたが、職場での加害行為も含めたストレスの過多のために3ヵ月後に退職。閉じこもりがちな生活になる。
このままではいけないと思い、精神的に持ち直したあとに就職活動を再開。しかし、就職妨害を受け、どの面接も通過しない。何とか日雇いの仕事に就いている。年収は100万円程度。家族を養っていける状態ではないため、結婚を諦めている。
加害行為が始まってから数年後、テクノロジーによる加害行為が被害の中心になる。ここで再び精神的な危機が訪れる。これを境に、身体的な不調も顕著になってきた。しかし、現段階では加害行為をやめさせる法的手段が存在しないため、状況の改善はありえないと考え、ほとんど外出することもなく暮らしている。
【家族の状況】
自宅での家族構成は、父(62)、母(64)、祖母(83)である。親戚が近隣に住んでいるが、この件では相談したことがない。両親には何度も説明したが、ようやく少し理解されるまで1年を要した。その間、父親には、就業が無理な状態で何とか働きに出ろと急かされる。理解がないため、誤解が生じて、家庭内が不和となる。自分以外の家族は加害行為をほとんど受けていない。
【加害までの生育暦】
少年時代、青年時代は何のトラブルもなく平凡にすごしてきた。周囲と協調的な性格という評判で、成績も上位であった。何の苦もなく私立上位大学に合格。エンジニアを志して、企業研究職に内定。企業での働きぶりも周囲に評されるほどであった。
ところが、何の前触れもなく加害行為が発生。その後、企業での成績は大きく落ち込む。周囲には誤解されてはならないために相談していない。むしろ、企業のなかのだれが加害者であるか猜疑心におちいる。それまで親しかった同僚が加害行為に及んだためである。結果、精神的に破綻を来たしたために退職を余儀なくされる。
これはあくまで架空の事例です。(自分のケースでもありません)被害者によっては子どもの頃から被害を受けていたり、高齢者になって受けたり、さまざまです。また、人による嫌がらせが中心であるか、テクノロジーによる加害が中心であるかも個人差があるようです。
これを、この問題の専門援助職がアセスメントをしたと仮定します。その結果、下記のような社会生活上の困難が抽出されたとしましょう。
カテゴライズされた被害者の社会生活上の困難(あくまで架空の事例です)
【身体的影響】
1-1 睡眠妨害による不眠
1-2 身体への痛みの送信など、苦痛と不快感
1-3 数年にわたる電磁波の集中的な照射で右ひざが弱体化
1-4 常時の電磁波の照射で、知的能力や記憶力が低下
1-5 皮膚に赤い斑点や小さな傷が発生
【心理的影響】
2-1 外出時に強いストレスがかかるために外出が困難
2-2 携帯を向けてくる人間に恐怖感を感じる
2-3 クラクションが鳴ったら恐怖感を感じる
2-4 ぞろ目のナンバーの車を見ると恐怖感を感じる
2-5 誰が加害者かわからないことによる人間不信
2-6 他の人には聞こえない音が聞こえても、平静を装わなければならないつらさ
【仕事に対する妨害】
3-1 意識への介入で仕事に対するやりがいが失われる
3-2 PCに対する介入で作業妨害
3-3 PCに対する介入でデータを失う
3-4 仕事中に外部からの罵声で妨害される
【人間関係の操作】
4-1 親しかった人が急に疎遠になる
4-2 旧友からの手紙が届かなくなった
4-3 近所の目がなぜかすべて自分に対する不審者扱いへと変化
4-4 数少ない友人と会話しているときに威圧的な妨害がある
【社会資源のアクセシビリティからの疎外】
5-1 就職妨害による就業困難 それによる経済的困窮
5-2 図書館での加害行為が激しいため、行けない
5-3 公共交通機関は逃れ場所がないので乗れない
5-4 加害行為をたたみ掛けられたときの避難場所がない
【差別などの社会的抑圧】
6-1 同級生の和からの疎外
6-2 公的機関が被害についてまともに聞いてくれないどころか、加害行為を行ってくる
6-3 両親以外の理解者がまったくない
【家族への影響】
7-1 両親の精神的負荷の増大
7-2 家族内の不和
7-3 兄弟の結婚に悪影響が生じる
7-4 両親の社会的地位の低下
7-5 母親の鬱
思いつくままに羅列してみました。被害者の置かれた状況がこのようなものであると考えると、相当の苦痛のなかで社会生活を行っていることが想像していただけると思います。この上に、加害行為がエスカレートしたときは、主観的に拷問を受けているかのような感覚におちいります。このような被害事例に、専門領域や公的機関は何ができるのでしょうか。
上記の介護高齢者に対するエコマップを見てください。医師、看護師、リハビリを担当するPT、ケア・マネジャー、訪問介護員、近隣の住民、セルフヘルプグループの当事者たちが、一人の高齢者のために支援を提供しています。ここで、ソーシャルワーカーがこれらの総合的なバランスをコーディネートする役割を担います。あらゆる方法を駆使してというのはこういうことです。注)
このブログの問題も同様です。必要なのは、被害者一人に対してさまざまな立場の人が支援を行わなければ、解決も社会生活への復帰もありえません。ここで、表にしてどのような対処が可能かを考えてみます。
これはあくまでも自分が試しに作ってみたものにしか過ぎません。当事者や専門家の協働によって、さらによい被害者の救済のための計画が作成される時代が来ることを願ってやみません。
注) PTとは理学療法士(Physical Therapist)。また、OTと呼ばれる作業療法士(Occupational Therapist)も高齢者の社会生活上の機能維持のために欠かせません。
また、セルフヘルプグループ(self-help group)とは、「自助グループ」のことです。例をあげると、難病を抱えた子どもの親の会、アルコール依存症当事者の会、などが挙げられます。当事者が専門家にたよらず、自分たちで社会生活の改善を行うために(self-help:自ら助ける)と呼ばれています。
(今回は社会福祉学をベースに考えてみましたが、今後さまざまな学術フィールドで、自分のできる範囲で集団ストーカー問題を考えてみたいと思います。長期掲載の予定です。)
寄り添って
-最終更新日:2010年10月27日(水)-
この書籍をとりあげたのは、大学院生時代にお世話になった方の著書だからです。大学院生といっても、通信制で、それも社会人が中心の講座でした。まずはなぜ自分がこのキャリアを選んだかをご説明します。
私の大学在学時からの研究テーマは「セルフヘルプグループ」であることは前に申し上げました。なぜそのようになったかというと、学生時代に心理的に何らかの困難をきたしている学生同士の会話の場を設ける活動をしたからです。その形態が自助グループ、つまりセルフヘルプグループの形をとっていました。
とは言っても、しょせん学生が作ったものですから、運営形態もあまりよくありませんでしたし、人もあまり集まりませんでした。ただし、本当に心の闇を抱えて参加している方もおり、その型にとっては重要な一部を占めていたようです。その時には、今は教授になっておられる京都大学カウンセリングセンターの杉原保史先生にかなりお世話になりました。将来の自分を決定づけるいい体験をさせていただき、感謝の言葉もありません。
自分がなぜこのような活動をしたかというと、私の家も闇に包まれた家だったからです。私自身も学生生活を円滑に進めない何かを抱えていました。これは、社会人になっても続きます。そこで、私は福祉専門学校の教員を目指すことにしました。学校教職員として働く傍ら、社会人大学院で修士論文を書いて講師になろうとしたのです。
その時出会ったのが、「寄り添って」の成田光江さんでした。この方は、40代になって同大学の通信制大学を終了しています。そこでの成績が優秀だったために通信制大学院に進学することになりました。自分と同じ平野隆之先生に指導を仰ぐことになり、さまざまなインフォーマルな助言をいただきました。もちろん、自分がこのような家族の闇を抱えていることを動機として社会人大学院という進路を選んだということも含めてです。
この通信制大学院、相当レベルが高かったのを覚えています。私が教職員をしている隣の学校の副校長も、講師の資格要件を満たすために通っていましたし、現役の家庭裁判所調査官の方も受講されていました。かなりハードな日程の講義を組んであり、論文は通学生と同等のものを求めていました。結果、成田さんは卒業後、すぐにこの大学の実習教員として就任されています。
私はというと、結局この大学院を中退しました。教職員として勤めていた学校で、極めて理不尽な辞めさせられ方をしたからです。今でも、この理不尽が無ければ、福祉の分野あるいは学術の分野を志していたと思います。
その後、私はプログラマの派遣の後に、企業人事の正社員として実家に帰ります。やるせない思いで全く別の進路を目指すことになります。それでも大学院を続けようと思えば続けられたと思います。しかし、大学院で家族の闇がほぼ解消されて脱力感に包まれていました。続ける理由が見つからなくなったのです。
その理不尽な辞めさせられ方が今ようやく認められようとしていますが、これなどまさにハリソンフォードがDr.キンブルを演じた「逃亡者」になった気分です。正しいことはいつか認められる。早く民主主義がきちんと機能する社会になってほしいとしか言いようがありません。
自分のルーツをご説明しましたが、本題のこのブログの問題に戻ります。私の場合は教職員をやめたあたりから加害者に目をつけられて「集団ストーカー」の被害を受けることになりました。被害者の多くは、同様に職を転々とせざるを得ない社会生活を強要されます。場合によっては就業すら困難で、経済難と加害行為による苦しみで命を絶たれた方も少なくないと推察します。
一刻も早くこの問題に光が当てられ、被害者が救済されることを願って本日の最後とさせていただきたいと思います。
-最終更新日:2010年8月29日(日)-
社会福祉キーワード (有斐閣双書KEYWORD SERIES) (2002/03) 平野隆之 平岡 公一 ほか 商品詳細を見る |
題名の通り、以前掲載した公的機関と専門領域の被害者に対する援助について考えを進めてみたいと思います。ただし、これらを扱う領域は広大であるために、一度の掲載ではすべてを論述できません。今回は、社会福祉学のなかでも「社会福祉援助技術」という領域で考察してみたいと思います。
社会福祉学を学んだことがない方は、「社会福祉援助技術」っていったい何だろう、と思われるかもしれません。端的にいえば、受験の科目のなかに「国語」があるのと同じように、人を援助する仕事の資格試験の受験科目のひとつです。例えば、社会福祉士や介護福祉士などです。
内容はといえば、文字通り、「社会福祉学の観点で人を援助する専門技術」ということになります。ただし、社会福祉学固有の内容というわけではなく、人を助けるさまざまな学術領域と範疇がかさなります。例をあげるなら、教育学、精神医学、心理学、看護学などです。何が違うのかといえば、人を助けることにおいて何を重視するかです。例えば心理学は、人の心の働きにおいて困難を抱えている人を助ける学術モデルです。一方で社会福祉学は、社会と人のかかわりを重視します。社会の中でどのように自立して充実した生活を送れるかなどを追求します。だからといって、それぞれの学術領域がお互いのことを排除しあうのではありません。どの領域でも人を助けるためにはさまざまな方法が用いられます。腕のいい心療内科が、薬物療法だけでなく生活のアドバイスや心理カウンセリングなどさまざまな方法でクライアントを回復させようとするのと同じです。社会福祉学では、人を助けるにあたっては、「ジェネラリスト・アプローチ」と呼ばれるように、狭い専門性に閉じこもるのではなく、さまざまなアプローチを駆使して人を援助する専門家がよいとされます。
ここでは、その人と社会の関係を重視する学術領域である「社会福祉援助技術」において、この問題を抱えた被害者に対して何ができるかを考察してみたいと思います。
高齢者介護における地域包括支援センターの取り組み
「地域包括支援センター」という言葉は、この記事をご覧のみなさんも聞いたことがあるかもしれません。高齢者の方を介護されているご家庭ならなおさらでしょう。この高齢者介護を例に考えてみたいと思います。
私の家庭には、この「地域包括支援センター」のお世話になっている祖母がいます。具体的には、月に一度程度「地域包括支援センター」のスタッフの方が来られて、父と祖母を交えて話をします。祖母は要介護認定です。これは、通常の社会生活を自分ひとりで送ることが困難であるために、国から支援を受けているということです。
高齢者の方は、円滑な社会生活を行うための身体能力などが失われてしまっているケースが多い現状があります。その程度は人それぞれで、元気な高齢者もいれば、歩くことが困難な高齢者もいます。一人で社会生活が行うことが困難で、しかも一人暮らしの高齢者は、重点的なケアが必要です。このように、暮らしにくさを抱えた程度によって、どのように支援するかを「地域包括支援センター」のソーシャルワーカーがヒアリングしながら決定して、ケアスタッフがチームになって必要なサービスを提供します。
この「地域包括支援センター」は、前身は「在宅介護支援センター」です。2005年2月に制度が施行されました。高齢者が自立して生活できないことによる病気の悪化を防ぐための、「予防介護」という考え方に基づいたものです。これは、以前に申し上げた遠隔予防医療と同じで、社会保障費や医療費を削減するといった目的のものです。
例えば、私の家の祖母は、父が健康で十分介護することができているので、行政による介入の必要はあまりありません。それでも、孤独になりがちであることや、歩行が困難であることなどから、月に数回デイケアに行っています。どの程度利用する必要があるかは人それぞれです。
では、必要なサービスはどのように決定されるのでしょうか。話が長くなりましたが、ここで「社会福祉援助技術」という考え方を持ち出してみたいと思います。
これらの援助は、単純にワーカーの恣意によって決定されるわけではありません。根本的な理念として、高齢者が自立(自律)した生活が行われること、人間らしい生活ができることなどがまず中心に存在します。そして、そのためには何が必要かを計画的に考えます。クライアントの社会環境を調査するアセスメントから始まり、具体的な介入が計画的に行われます。長期にわたるものも存在します。
以下は、架空の事例ですが、ワーカーが当事者をアセスメントして作成するエコマップと呼ばれるものです。
【エコマップ(社会福祉援助技術の教科書から作成)】
このように、家族関係の調査から、当事者だけでなく家族の誰に支援が必要か、またどのインフラが利用できるかをマッピングして、援助計画を作成します。支援に効果があるものはあらゆるものを利用するのが社会福祉援助技術の基本です。援助の方法論は、伝統的に、①ケースワーク、②グループワーク、③コミュニティワークという区分がされますが、これらをすべて駆使するということです。
このエコマップにもある「地域包括支援センター」は、現在では高齢者だけでなく、DV問題を抱えた家庭に対する介入なども行っています。地域の福祉の総合拠点のという位置づけです。
このように、社会福祉学を学んだことのない方はなかなか知らない世界ですが、アセスメントを行って援助計画を立てるだけでも、経験がかなり必要な高度な作業です。この方法論が、このブログで扱っている問題の被害者にも応用できないかというのが、今回の記事のねらいです。
この問題の架空の事例から考察
では、この問題の被害者の架空の事例を作ってみます。自分の被害の経験から作成するという要素が強いですが、このようなものだと思ってください。
太郎さん(仮名) 37歳・男性
【加害の状況】
数年前から、人による付きまといやほのめかしが始まった。当初にたたみ掛けるように行われたせいで、強い心的外傷を受ける。以後、外出時に必ず加害行為が行われることから、外出が困難になる。
そのような中でも何とか正社員として働いてきたが、職場での加害行為も含めたストレスの過多のために3ヵ月後に退職。閉じこもりがちな生活になる。
このままではいけないと思い、精神的に持ち直したあとに就職活動を再開。しかし、就職妨害を受け、どの面接も通過しない。何とか日雇いの仕事に就いている。年収は100万円程度。家族を養っていける状態ではないため、結婚を諦めている。
加害行為が始まってから数年後、テクノロジーによる加害行為が被害の中心になる。ここで再び精神的な危機が訪れる。これを境に、身体的な不調も顕著になってきた。しかし、現段階では加害行為をやめさせる法的手段が存在しないため、状況の改善はありえないと考え、ほとんど外出することもなく暮らしている。
【家族の状況】
自宅での家族構成は、父(62)、母(64)、祖母(83)である。親戚が近隣に住んでいるが、この件では相談したことがない。両親には何度も説明したが、ようやく少し理解されるまで1年を要した。その間、父親には、就業が無理な状態で何とか働きに出ろと急かされる。理解がないため、誤解が生じて、家庭内が不和となる。自分以外の家族は加害行為をほとんど受けていない。
【加害までの生育暦】
少年時代、青年時代は何のトラブルもなく平凡にすごしてきた。周囲と協調的な性格という評判で、成績も上位であった。何の苦もなく私立上位大学に合格。エンジニアを志して、企業研究職に内定。企業での働きぶりも周囲に評されるほどであった。
ところが、何の前触れもなく加害行為が発生。その後、企業での成績は大きく落ち込む。周囲には誤解されてはならないために相談していない。むしろ、企業のなかのだれが加害者であるか猜疑心におちいる。それまで親しかった同僚が加害行為に及んだためである。結果、精神的に破綻を来たしたために退職を余儀なくされる。
これはあくまで架空の事例です。(自分のケースでもありません)被害者によっては子どもの頃から被害を受けていたり、高齢者になって受けたり、さまざまです。また、人による嫌がらせが中心であるか、テクノロジーによる加害が中心であるかも個人差があるようです。
これを、この問題の専門援助職がアセスメントをしたと仮定します。その結果、下記のような社会生活上の困難が抽出されたとしましょう。
カテゴライズされた被害者の社会生活上の困難(あくまで架空の事例です)
【身体的影響】
1-1 睡眠妨害による不眠
1-2 身体への痛みの送信など、苦痛と不快感
1-3 数年にわたる電磁波の集中的な照射で右ひざが弱体化
1-4 常時の電磁波の照射で、知的能力や記憶力が低下
1-5 皮膚に赤い斑点や小さな傷が発生
【心理的影響】
2-1 外出時に強いストレスがかかるために外出が困難
2-2 携帯を向けてくる人間に恐怖感を感じる
2-3 クラクションが鳴ったら恐怖感を感じる
2-4 ぞろ目のナンバーの車を見ると恐怖感を感じる
2-5 誰が加害者かわからないことによる人間不信
2-6 他の人には聞こえない音が聞こえても、平静を装わなければならないつらさ
【仕事に対する妨害】
3-1 意識への介入で仕事に対するやりがいが失われる
3-2 PCに対する介入で作業妨害
3-3 PCに対する介入でデータを失う
3-4 仕事中に外部からの罵声で妨害される
【人間関係の操作】
4-1 親しかった人が急に疎遠になる
4-2 旧友からの手紙が届かなくなった
4-3 近所の目がなぜかすべて自分に対する不審者扱いへと変化
4-4 数少ない友人と会話しているときに威圧的な妨害がある
【社会資源のアクセシビリティからの疎外】
5-1 就職妨害による就業困難 それによる経済的困窮
5-2 図書館での加害行為が激しいため、行けない
5-3 公共交通機関は逃れ場所がないので乗れない
5-4 加害行為をたたみ掛けられたときの避難場所がない
【差別などの社会的抑圧】
6-1 同級生の和からの疎外
6-2 公的機関が被害についてまともに聞いてくれないどころか、加害行為を行ってくる
6-3 両親以外の理解者がまったくない
【家族への影響】
7-1 両親の精神的負荷の増大
7-2 家族内の不和
7-3 兄弟の結婚に悪影響が生じる
7-4 両親の社会的地位の低下
7-5 母親の鬱
思いつくままに羅列してみました。被害者の置かれた状況がこのようなものであると考えると、相当の苦痛のなかで社会生活を行っていることが想像していただけると思います。この上に、加害行為がエスカレートしたときは、主観的に拷問を受けているかのような感覚におちいります。このような被害事例に、専門領域や公的機関は何ができるのでしょうか。
上記の介護高齢者に対するエコマップを見てください。医師、看護師、リハビリを担当するPT、ケア・マネジャー、訪問介護員、近隣の住民、セルフヘルプグループの当事者たちが、一人の高齢者のために支援を提供しています。ここで、ソーシャルワーカーがこれらの総合的なバランスをコーディネートする役割を担います。あらゆる方法を駆使してというのはこういうことです。注)
このブログの問題も同様です。必要なのは、被害者一人に対してさまざまな立場の人が支援を行わなければ、解決も社会生活への復帰もありえません。ここで、表にしてどのような対処が可能かを考えてみます。
これはあくまでも自分が試しに作ってみたものにしか過ぎません。当事者や専門家の協働によって、さらによい被害者の救済のための計画が作成される時代が来ることを願ってやみません。
注) PTとは理学療法士(Physical Therapist)。また、OTと呼ばれる作業療法士(Occupational Therapist)も高齢者の社会生活上の機能維持のために欠かせません。
また、セルフヘルプグループ(self-help group)とは、「自助グループ」のことです。例をあげると、難病を抱えた子どもの親の会、アルコール依存症当事者の会、などが挙げられます。当事者が専門家にたよらず、自分たちで社会生活の改善を行うために(self-help:自ら助ける)と呼ばれています。
(今回は社会福祉学をベースに考えてみましたが、今後さまざまな学術フィールドで、自分のできる範囲で集団ストーカー問題を考えてみたいと思います。長期掲載の予定です。)
寄り添って
-最終更新日:2010年10月27日(水)-
寄り添って (2004/09) 成田 光江 商品詳細を見る |
この書籍をとりあげたのは、大学院生時代にお世話になった方の著書だからです。大学院生といっても、通信制で、それも社会人が中心の講座でした。まずはなぜ自分がこのキャリアを選んだかをご説明します。
私の大学在学時からの研究テーマは「セルフヘルプグループ」であることは前に申し上げました。なぜそのようになったかというと、学生時代に心理的に何らかの困難をきたしている学生同士の会話の場を設ける活動をしたからです。その形態が自助グループ、つまりセルフヘルプグループの形をとっていました。
とは言っても、しょせん学生が作ったものですから、運営形態もあまりよくありませんでしたし、人もあまり集まりませんでした。ただし、本当に心の闇を抱えて参加している方もおり、その型にとっては重要な一部を占めていたようです。その時には、今は教授になっておられる京都大学カウンセリングセンターの杉原保史先生にかなりお世話になりました。将来の自分を決定づけるいい体験をさせていただき、感謝の言葉もありません。
自分がなぜこのような活動をしたかというと、私の家も闇に包まれた家だったからです。私自身も学生生活を円滑に進めない何かを抱えていました。これは、社会人になっても続きます。そこで、私は福祉専門学校の教員を目指すことにしました。学校教職員として働く傍ら、社会人大学院で修士論文を書いて講師になろうとしたのです。
その時出会ったのが、「寄り添って」の成田光江さんでした。この方は、40代になって同大学の通信制大学を終了しています。そこでの成績が優秀だったために通信制大学院に進学することになりました。自分と同じ平野隆之先生に指導を仰ぐことになり、さまざまなインフォーマルな助言をいただきました。もちろん、自分がこのような家族の闇を抱えていることを動機として社会人大学院という進路を選んだということも含めてです。
この通信制大学院、相当レベルが高かったのを覚えています。私が教職員をしている隣の学校の副校長も、講師の資格要件を満たすために通っていましたし、現役の家庭裁判所調査官の方も受講されていました。かなりハードな日程の講義を組んであり、論文は通学生と同等のものを求めていました。結果、成田さんは卒業後、すぐにこの大学の実習教員として就任されています。
社会福祉キーワード (有斐閣双書KEYWORD SERIES) (2002/03) 平岡 公一 平野隆之 ほか 商品詳細を見る |
私はというと、結局この大学院を中退しました。教職員として勤めていた学校で、極めて理不尽な辞めさせられ方をしたからです。今でも、この理不尽が無ければ、福祉の分野あるいは学術の分野を志していたと思います。
その後、私はプログラマの派遣の後に、企業人事の正社員として実家に帰ります。やるせない思いで全く別の進路を目指すことになります。それでも大学院を続けようと思えば続けられたと思います。しかし、大学院で家族の闇がほぼ解消されて脱力感に包まれていました。続ける理由が見つからなくなったのです。
その理不尽な辞めさせられ方が今ようやく認められようとしていますが、これなどまさにハリソンフォードがDr.キンブルを演じた「逃亡者」になった気分です。正しいことはいつか認められる。早く民主主義がきちんと機能する社会になってほしいとしか言いようがありません。
逃亡者 [DVD] (2010/04/21) ハリソン・フォード トミー・リー・ジョーンズ 商品詳細を見る |
自分のルーツをご説明しましたが、本題のこのブログの問題に戻ります。私の場合は教職員をやめたあたりから加害者に目をつけられて「集団ストーカー」の被害を受けることになりました。被害者の多くは、同様に職を転々とせざるを得ない社会生活を強要されます。場合によっては就業すら困難で、経済難と加害行為による苦しみで命を絶たれた方も少なくないと推察します。
一刻も早くこの問題に光が当てられ、被害者が救済されることを願って本日の最後とさせていただきたいと思います。
テクノロジー犯罪被害者による被害報告集
~遠隔技術悪用を告発する33名による実態報告~
-最終更新日:2010年10月20日(水)-
今回とりあげる書籍は、この問題の核心をついた書籍です。このブログで何度も取りあげてきましたが、重要な項目なので、カテゴリ「書籍・参考図書の紹介」でもご紹介させていただきます。
この書籍、初版が今年の5月に出版されましたが、売れ行きが好調であるために来春には遅くとも売り切れになるそうです。しかし、費用が掛かるために重版が難しいという現状があります。
この書籍は、①当初に理事長の石橋氏のまとめ、②次に行政ウォッチャーの山本節子氏のコラム、③メインコンテンツとして被害者33名の証言集、④最後に副理事長の内山氏のあとがき、という構成となっています。③のメインコンテンツが膨大で、①~④全体の総ページ数は600ページ近くにわたります。これだけの厚みの本が上記のように品薄になるという事態は、通常では想定できないそうです。いかに世の中の潜在的なニーズが多いかを物語っています。
なお、この書籍には、「集団ストーカー」という単語がたくさん出てきます。恐らく公的な出版物として被害者の状況を正しく表現したのは日本初でしょう。内容は過去にたくさん触れてきましたので、ここでは歴史的意義について述べてみようと思います。
この被害の被害者は、長年精神疾患であると誤認されてきました。それがこの本の出版によって公的な権威を付与されたに等しい状態となりました。これが最もインパクトのある意義でしょう。容易なことではなく、出版する立場の方が危険な状況にさらされることすら意味します。この本が出版されたとき、私はウェブをチェックしていましたが、紀伊国屋書店は当初からちゃんと掲載していました。しかし、別のブックストアでは検索に出てこなかったりするなど、書店によってはタブー性が極めて強いために掲載を控えるところもあったようです。これは、極めて重い社会問題だということを間接的に意味しています。
ここでは、「あとがき」の内山氏の文章を抜粋したいと思います。(同著p.590~)
「被害者はこういう事実に対し、絶えず捨て身で立ち向かわなければならないというのが実情です。」
「(集団)ストーキングという悪行は被害を被る者を孤立無援にさせる傾向がありますが、それはこのハイテクを利用した悪行についても当てはまることです。孤立は加害者の思う壺。被害者を孤立させるためには加害者はどんな汚いことでも平然と行います。その最悪の状態から何としても一段安全な場所に被害者を誘導したいという一心でこの被害者団体は存在しております。」
「新聞を始めとするメディア方面もそろそろ受け入れを窺わせてくれています。そういう雰囲気からこの事態が世に認知されるのは時間の問題だと私は思っています。」
我々被害者は、一刻も早くこの問題が世間に認知され、救済されることを心より願っています。政府関係者の皆様、マスコミ関係者の皆様、大変な問題でありますが、何卒よろしく申し上げます。
【内山氏作成の書籍のポスターです。ぜひご覧になってください。】
この書籍の内容について触れた記事としては以下のものがあります。
被害について(1)~ブログをはじめるにあたって~
被害について(2)~被害の概要(前半)~
被害について(3)~被害の概要(後半)~
ほかにも、この被害の基礎的な記事の延長線上に考察しています。右のプラグイン、カテゴリ一覧などからご覧になって頂ければ幸いです。
(▼続きを読む▼に8月10日・11日の被害記録を掲載いたします。ぜひご覧になってください。)
-最終更新日:2010年10月20日(水)-
テクノロジー犯罪被害者による被害報告集 遠隔技術悪用を告発する33名の被害者自身による被害実態報告 (2010/05) 内山 治樹 商品詳細を見る |
今回とりあげる書籍は、この問題の核心をついた書籍です。このブログで何度も取りあげてきましたが、重要な項目なので、カテゴリ「書籍・参考図書の紹介」でもご紹介させていただきます。
この書籍、初版が今年の5月に出版されましたが、売れ行きが好調であるために来春には遅くとも売り切れになるそうです。しかし、費用が掛かるために重版が難しいという現状があります。
この書籍は、①当初に理事長の石橋氏のまとめ、②次に行政ウォッチャーの山本節子氏のコラム、③メインコンテンツとして被害者33名の証言集、④最後に副理事長の内山氏のあとがき、という構成となっています。③のメインコンテンツが膨大で、①~④全体の総ページ数は600ページ近くにわたります。これだけの厚みの本が上記のように品薄になるという事態は、通常では想定できないそうです。いかに世の中の潜在的なニーズが多いかを物語っています。
なお、この書籍には、「集団ストーカー」という単語がたくさん出てきます。恐らく公的な出版物として被害者の状況を正しく表現したのは日本初でしょう。内容は過去にたくさん触れてきましたので、ここでは歴史的意義について述べてみようと思います。
この被害の被害者は、長年精神疾患であると誤認されてきました。それがこの本の出版によって公的な権威を付与されたに等しい状態となりました。これが最もインパクトのある意義でしょう。容易なことではなく、出版する立場の方が危険な状況にさらされることすら意味します。この本が出版されたとき、私はウェブをチェックしていましたが、紀伊国屋書店は当初からちゃんと掲載していました。しかし、別のブックストアでは検索に出てこなかったりするなど、書店によってはタブー性が極めて強いために掲載を控えるところもあったようです。これは、極めて重い社会問題だということを間接的に意味しています。
ここでは、「あとがき」の内山氏の文章を抜粋したいと思います。(同著p.590~)
「被害者はこういう事実に対し、絶えず捨て身で立ち向かわなければならないというのが実情です。」
「(集団)ストーキングという悪行は被害を被る者を孤立無援にさせる傾向がありますが、それはこのハイテクを利用した悪行についても当てはまることです。孤立は加害者の思う壺。被害者を孤立させるためには加害者はどんな汚いことでも平然と行います。その最悪の状態から何としても一段安全な場所に被害者を誘導したいという一心でこの被害者団体は存在しております。」
「新聞を始めとするメディア方面もそろそろ受け入れを窺わせてくれています。そういう雰囲気からこの事態が世に認知されるのは時間の問題だと私は思っています。」
我々被害者は、一刻も早くこの問題が世間に認知され、救済されることを心より願っています。政府関係者の皆様、マスコミ関係者の皆様、大変な問題でありますが、何卒よろしく申し上げます。
【内山氏作成の書籍のポスターです。ぜひご覧になってください。】
この書籍の内容について触れた記事としては以下のものがあります。
被害について(1)~ブログをはじめるにあたって~
被害について(2)~被害の概要(前半)~
被害について(3)~被害の概要(後半)~
ほかにも、この被害の基礎的な記事の延長線上に考察しています。右のプラグイン、カテゴリ一覧などからご覧になって頂ければ幸いです。
(▼続きを読む▼に8月10日・11日の被害記録を掲載いたします。ぜひご覧になってください。)
民主主義における自由とは何か
-最終更新日:2010年8月7日(土)-
民主主義社会でこのような被害が起きた。それを民主主義社会はどのように乗り越えなければならないかということを考える必要があります。それには、民主主義が内包する「自由」という考え方を確かめておく必要があります。ここでは、自由主義について考えてみたいと思います。
自由という概念が政治においてはじめて考えられたのが、17世紀、イギリスのジョン・ロックの思想といわれています。自由主義とは、当時の専制国家の権力を抑制して個人の権利を認めようという動きから始まった思想であり、例えば現在の日本であれば基本的人権の尊重などがこれにあたります。ジョン・ロックの思想は後の市民革命につながったといわれています。
その後、経済活動についても自由主義が持ち込まれました。18世紀のアダム・スミスです。これは産業革命のときの自由主義経済を支える考えを示したもので、現在に至るまで自由主義経済の考え方の基本となっています。
また、一方で国が経済にあまり介入しない自由主義経済に対して、大きく介入して経済を立て直すような場合を計画経済などと呼んでいます。歴史はこの繰り返しで、自由主義で経済がうまくいかないときは国家の経済介入のニーズが発生しますし、国家の計画性が失敗したときには経済の自由主義にニーズが発生します。
1929年の世界恐慌の後には、計画経済的な考え方(ケインズ主義)が主流になりました。また、計画経済的な政策によって財政危機に陥ったら、サッチャー政権やレーガン政権のように自由主義経済の考え方が主流となりました。考え方によっては、現在はこの二つの考え方の両方が必要な時代といえるかもしれません。
そして、最後にこの被害について述べるなら、世界的な競争がエスカレートしたという社会の流れ、そして何よりも恐ろしい技術がこの暴走に寄与してきたのではないでしょうか。そこには、特定の考え方は関係なかったのではないかと思います。
理論上ではどちらの傾向が強い民主主義社会でもこのような現象が生じる可能性を理論的に排除できません。ですから、考え方は関係ないという結論に達ました。
この問題と、その恐ろしいまでのマインドコントロールに打ち勝つには、民主主義を信じる強い精神が必要です。それをこのような方法によってコントロールすることは民主主義の理念に大きく反するものです。それによって、個人の人格や精神が破壊されてしまったり、人生が損なわれてしまってはなりません。この技術によってもたらされる被害は、個人と社会の自由を求める強い意志によって打破されなければなりません。
また、安易に社会や個人がこのような加害行為に迎合することも、再びこの被害を暴走させてしまうことになります。社会全体がこの問題に危機意識を持ち、再発と被害の深刻化を防ぐという意識を常に持つ必要があると思います。
この被害は、被害者の「自由」を大きく侵害するものであり、これを私は民主主義の衰退と表現しました。上記で考えた「自由」という権利を獲得して進化させるのに、人類がどれだけ苦労したかを改めて考えなければなりません。
再度申し上げますが、このように恐ろしい技術と加害行為を加速させる社会の流れが悪い。そこに考え方は関係ない。これを強調してブログを再開させていただきたいと思います。
【記事の参考図書を追記 2010年10月7日(木)】
民主主義社会でこのような被害が起きた。それを民主主義社会はどのように乗り越えなければならないかということを考える必要があります。それには、民主主義が内包する「自由」という考え方を確かめておく必要があります。ここでは、自由主義について考えてみたいと思います。
自由という概念が政治においてはじめて考えられたのが、17世紀、イギリスのジョン・ロックの思想といわれています。自由主義とは、当時の専制国家の権力を抑制して個人の権利を認めようという動きから始まった思想であり、例えば現在の日本であれば基本的人権の尊重などがこれにあたります。ジョン・ロックの思想は後の市民革命につながったといわれています。
その後、経済活動についても自由主義が持ち込まれました。18世紀のアダム・スミスです。これは産業革命のときの自由主義経済を支える考えを示したもので、現在に至るまで自由主義経済の考え方の基本となっています。
また、一方で国が経済にあまり介入しない自由主義経済に対して、大きく介入して経済を立て直すような場合を計画経済などと呼んでいます。歴史はこの繰り返しで、自由主義で経済がうまくいかないときは国家の経済介入のニーズが発生しますし、国家の計画性が失敗したときには経済の自由主義にニーズが発生します。
1929年の世界恐慌の後には、計画経済的な考え方(ケインズ主義)が主流になりました。また、計画経済的な政策によって財政危機に陥ったら、サッチャー政権やレーガン政権のように自由主義経済の考え方が主流となりました。考え方によっては、現在はこの二つの考え方の両方が必要な時代といえるかもしれません。
そして、最後にこの被害について述べるなら、世界的な競争がエスカレートしたという社会の流れ、そして何よりも恐ろしい技術がこの暴走に寄与してきたのではないでしょうか。そこには、特定の考え方は関係なかったのではないかと思います。
理論上ではどちらの傾向が強い民主主義社会でもこのような現象が生じる可能性を理論的に排除できません。ですから、考え方は関係ないという結論に達ました。
この問題と、その恐ろしいまでのマインドコントロールに打ち勝つには、民主主義を信じる強い精神が必要です。それをこのような方法によってコントロールすることは民主主義の理念に大きく反するものです。それによって、個人の人格や精神が破壊されてしまったり、人生が損なわれてしまってはなりません。この技術によってもたらされる被害は、個人と社会の自由を求める強い意志によって打破されなければなりません。
また、安易に社会や個人がこのような加害行為に迎合することも、再びこの被害を暴走させてしまうことになります。社会全体がこの問題に危機意識を持ち、再発と被害の深刻化を防ぐという意識を常に持つ必要があると思います。
この被害は、被害者の「自由」を大きく侵害するものであり、これを私は民主主義の衰退と表現しました。上記で考えた「自由」という権利を獲得して進化させるのに、人類がどれだけ苦労したかを改めて考えなければなりません。
再度申し上げますが、このように恐ろしい技術と加害行為を加速させる社会の流れが悪い。そこに考え方は関係ない。これを強調してブログを再開させていただきたいと思います。
【記事の参考図書を追記 2010年10月7日(木)】
国富論〈1〉 (岩波文庫) (2000/05) アダム スミス 商品詳細を見る |
国富論
アダム・スミス著
-最終更新日:2010年10月8日(金)-
おなじみ自由主義経済思想の原点となるアダム・スミスの代表作。「神の見えざる手」であまりにも有名である。これは、自由意志を持った国民の総体で形成された市場こそが、国家に効用最大化をもたらすという意味で使われる。
政治的自由を最初に訴えたジョン・ロックから、専制国家によって恣意的に左右されてしまいがちな市場を民主主義的主体である市民に取り戻すという強い意味合いが込められているのだろう。
系譜的に、自由主義経済の思想は、現在ではハイエクやフリードマンに受け継がれ、世界的な政治家としてはアメリカのロナルド・レーガン大統領やイギリスのマーガレット・サッチャー首相が有名である。
また、現在の国家の多様性は、自由主義経済かケインズ主義かの二元論でくくれないほど複雑になっていることについても付言しておく。例えば、グローバリズム時代において「北欧型福祉国家」が一つの成功モデルだといわれたが、こちらはより計画経済的な考え方が強い政治形態である。何が国家にとって最も良いかが、端的に語れなくなった時代に突入したということである。
しかし、経済的自由は民主主義社会の市民の基本理念の一つであり、民主主義社会とは基本的に自由主義経済社会であることにはこれからも変わりはないだろう。
下記は、このような考えをもとに書いた記事です。過去の記事ですが、よろしければぜひご覧になってください。
-最終更新日:2010年10月8日(金)-
国富論〈1〉 (岩波文庫) (2000/05) アダム スミス 商品詳細を見る |
おなじみ自由主義経済思想の原点となるアダム・スミスの代表作。「神の見えざる手」であまりにも有名である。これは、自由意志を持った国民の総体で形成された市場こそが、国家に効用最大化をもたらすという意味で使われる。
政治的自由を最初に訴えたジョン・ロックから、専制国家によって恣意的に左右されてしまいがちな市場を民主主義的主体である市民に取り戻すという強い意味合いが込められているのだろう。
系譜的に、自由主義経済の思想は、現在ではハイエクやフリードマンに受け継がれ、世界的な政治家としてはアメリカのロナルド・レーガン大統領やイギリスのマーガレット・サッチャー首相が有名である。
また、現在の国家の多様性は、自由主義経済かケインズ主義かの二元論でくくれないほど複雑になっていることについても付言しておく。例えば、グローバリズム時代において「北欧型福祉国家」が一つの成功モデルだといわれたが、こちらはより計画経済的な考え方が強い政治形態である。何が国家にとって最も良いかが、端的に語れなくなった時代に突入したということである。
しかし、経済的自由は民主主義社会の市民の基本理念の一つであり、民主主義社会とは基本的に自由主義経済社会であることにはこれからも変わりはないだろう。
下記は、このような考えをもとに書いた記事です。過去の記事ですが、よろしければぜひご覧になってください。