- 2010/10/29 いじめの政治学
- 2010/10/28 フィル・アルデン・ロビンソン監督「フィール・オブ・ドリームス」
- 2010/10/27 地域福祉論と社会福祉援助技術
- 2010/10/25 スティーブン・スピルバーグ監督「シンドラーのリスト」
- 2010/10/22 民主主義の高度化が先進主要国にもたらすもの
- 2010/10/20 テクノロジー犯罪被害者による被害報告集
- 2010/10/18 Overcoming Organized Stalking and Electronic Harassment
- 2010/10/17 エンティン・タランティーノ監督「パルプ・フィクション」
- 2010/10/14 この問題において被害者は何を目的とすべきか 2
- 2010/10/14 この問題において被害者は何を目的とすべきか 1
いじめの政治学
~中井久夫 「アリアドネからの糸」より~
-最終更新日:2010年10月29日(金)-
この中井久夫氏の「アリアドネからの糸」に収録されている「いじめの政治学」もかなりいじめ現象に深く斬りこんだ名著です。あまりに生々しい「いじめ行為」の分析がされています。
氏は、いじめの過程を「孤立化」「無力化」「透明化」と三段階に分けて説明しています。
簡略に説明すると、まず、ターゲットは、グループ内で最も権威がある人間に巧妙かつ意図的に、お互い示し合わせて「孤立化」させられます。そして抵抗することができないように暴力を含めたあらゆる方法で「無力化」されます。これは初期に激化します。当初逆らえないようにしておけば、後は脅しだけで済むようになるわけです。そして「透明化」です。一度無力化されて逆らえないようになったら、それが当たり前の状態になります。この段階では、いじめがエスカレートしない日が「幸運な日だった」と感じてしまう息を殺した状態になってしまいます。
この「いじめの政治学」では、古今東西のあらゆる歴史における専制者の支配の事例などから考察が行われているところが凄いところです。
そもそも自由意志によって自発的に自由を完全に放棄することなどありえない。エーリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」の誘惑は隷属へのほんの入り口まで魅力的であるにすぎない。そこを過ぎれば「しまった、こんなはずではなかった」と後悔するがたいていは晩い。一部は加害者の手下になるが「こんなはずではなかった」と言いつづけるはずだ。(同著 p.14)
「いじめ」に安易に迎合してしまうことによって「主犯格」に自由をからめ取られてしまうパラドクスをこの文章は端的に表現しています。ヒトラーをドイツ社会が受け入れたとき、当初は甘美な言葉で魅力的だったでしょうが、その安易な迎合がホロコーストを生んだという訳です。
氏はまたこのように述べています。
外でのいじめられっこは時には内では暴君になる。しかし、最後の誇りとして家族の前では「いい子」でありつづけようとする場合も多い。最後の誇りが失われそうになった時に行われるのが自殺である。自殺による解放幻想はすでに「無力化」の段階からはぐくまれているが、自殺幻想は自殺を一時延期する効果もある。自分が自殺することによって加害者を告発するという幻想である。家族が初めてわかってくれ、級友や教師が「しまった」と思い「申しわけない」と言ってくれるという幻想もある。実際、自殺幻想が、極度に狭まった世界の唯一の「外」への通路ということがある。(同著 p.19)
これはいじめられっこの絶望的な心境をずばり言い当てています。告発する手段が未熟な子どもにとって、周囲が自殺をしたら気づいてくれるといった心境です。自分もいじめられていた当時、このような自殺念慮がありました。同じような心境の生徒が一体この国に何人いて、何人気づいてもらってないのでしょうか。本当に自殺をしてしまっては遅いのだという悲劇が、また新聞の一面を飾ることになりました。
最後に、自分の経験から、いじめられっこはどうすればいいかを真剣に書いてみたいと思います。いじめを受けている学生の方々も、自殺をするくらいならせめてこれだけのことをしてください。
①周囲にわめき散らす
筆者も経験していますが、長い間周囲は気づいてくれません。卒業とともに終わるとわかっていても、1年や2年という期間が永遠のように感じられます。ひとことで言えば、「いじめられっこ」は悪くないということです。グループの中ではいろいろな理由をつけて悪者にされて周囲に言えない環境を作り上げられます。ここはひとつ勇気をもって誰かに相談してください。自分の経験上、わかってくれる人は10人に1人もいません。誰彼かまわず相談してください。泣き寝入りするだけ損です。
②ネットの掲示板やブログで告発
今のいじめは筆者の学生時代よりさらに陰湿化しています。学校裏サイトなどが典型的なものです。インターネットを利用して一人の学生だけアクセスできないようにします。そして、そこでは次の日にどのようないじめをするかいじめっ子が裏取引しているようなケースもあります。残念ながら、世の中は自発的に気付いてくれるようにはなかなかできていません。筆者の時代にはなかった方法ですが、同じインターネットで訴えるという方法も効果的です。それで学校で問題になればしめたものです。自分も一回、インターネットの掲示板である学生さんがいじめを訴えており、それを他の人が相談に乗っているシチュエーションに出会いました。これからの時代はこのような手段も必要ではないかと思います。
③学校はやめてもいい。命にかえられない
上にもありますように、いじめられっこの皆さんは、いじめられているうえにさらに「よい子」を演じようとします。自分のケースもそうでした。自分も「親から見捨てられる」と感じて親に相談できない状態が2年続きました。自殺してしまうくらいなら、学校に行かなくていいのです。命にはかえられません。このようなときでも学校が悪いということになりますから安心してください。筆者の場合は教師が適切に対処してくれましたが、そうではないケースが多いと思います。それでも、高校を中退して大検で京都大学に合格した人も知っています。学校に行かなければならないという思いつめをやめてみてください。
④いじめられている人間関係を依存を含めて断ち切る
「いじめ」は、いったん受け入れるとその状態が続いてしまいます。人間関係など一旦固定していしまってはパターン化するだけだからです。たとえいじめがひどい状態でなくても、そのような人間関係は断ち切ってください。そして、できるだけいい人間関係を作り直してください。別のグループに移ったりすることもいいことでしょう。余裕ができてきたら、自由に友達をえらんで学生生活を楽しんでください。
これだけ書いても、失われた命は戻ってくるわけではありません。個人的に「いじめ撲滅」などということは歴史的にありえないわけで、いじめが発生した時にどれだけ早く介入して深刻化の芽を摘み取るかが先生方の役割だと思っています。自分の場合は本当に母校に感謝しています。できるだけ多くのいじめを受けている学生が同様に対処されるようお願い申し上げます。また一人の子が成長するには1000人の力が必要だと言われています。1000人にちなんで、ショルティのマーラー交響曲第8番「1000人の交響曲」を掲載して末尾とさせていただきたいと思います。
-最終更新日:2010年10月29日(金)-
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この中井久夫氏の「アリアドネからの糸」に収録されている「いじめの政治学」もかなりいじめ現象に深く斬りこんだ名著です。あまりに生々しい「いじめ行為」の分析がされています。
氏は、いじめの過程を「孤立化」「無力化」「透明化」と三段階に分けて説明しています。
簡略に説明すると、まず、ターゲットは、グループ内で最も権威がある人間に巧妙かつ意図的に、お互い示し合わせて「孤立化」させられます。そして抵抗することができないように暴力を含めたあらゆる方法で「無力化」されます。これは初期に激化します。当初逆らえないようにしておけば、後は脅しだけで済むようになるわけです。そして「透明化」です。一度無力化されて逆らえないようになったら、それが当たり前の状態になります。この段階では、いじめがエスカレートしない日が「幸運な日だった」と感じてしまう息を殺した状態になってしまいます。
この「いじめの政治学」では、古今東西のあらゆる歴史における専制者の支配の事例などから考察が行われているところが凄いところです。
そもそも自由意志によって自発的に自由を完全に放棄することなどありえない。エーリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」の誘惑は隷属へのほんの入り口まで魅力的であるにすぎない。そこを過ぎれば「しまった、こんなはずではなかった」と後悔するがたいていは晩い。一部は加害者の手下になるが「こんなはずではなかった」と言いつづけるはずだ。(同著 p.14)
「いじめ」に安易に迎合してしまうことによって「主犯格」に自由をからめ取られてしまうパラドクスをこの文章は端的に表現しています。ヒトラーをドイツ社会が受け入れたとき、当初は甘美な言葉で魅力的だったでしょうが、その安易な迎合がホロコーストを生んだという訳です。
氏はまたこのように述べています。
外でのいじめられっこは時には内では暴君になる。しかし、最後の誇りとして家族の前では「いい子」でありつづけようとする場合も多い。最後の誇りが失われそうになった時に行われるのが自殺である。自殺による解放幻想はすでに「無力化」の段階からはぐくまれているが、自殺幻想は自殺を一時延期する効果もある。自分が自殺することによって加害者を告発するという幻想である。家族が初めてわかってくれ、級友や教師が「しまった」と思い「申しわけない」と言ってくれるという幻想もある。実際、自殺幻想が、極度に狭まった世界の唯一の「外」への通路ということがある。(同著 p.19)
これはいじめられっこの絶望的な心境をずばり言い当てています。告発する手段が未熟な子どもにとって、周囲が自殺をしたら気づいてくれるといった心境です。自分もいじめられていた当時、このような自殺念慮がありました。同じような心境の生徒が一体この国に何人いて、何人気づいてもらってないのでしょうか。本当に自殺をしてしまっては遅いのだという悲劇が、また新聞の一面を飾ることになりました。
最後に、自分の経験から、いじめられっこはどうすればいいかを真剣に書いてみたいと思います。いじめを受けている学生の方々も、自殺をするくらいならせめてこれだけのことをしてください。
①周囲にわめき散らす
筆者も経験していますが、長い間周囲は気づいてくれません。卒業とともに終わるとわかっていても、1年や2年という期間が永遠のように感じられます。ひとことで言えば、「いじめられっこ」は悪くないということです。グループの中ではいろいろな理由をつけて悪者にされて周囲に言えない環境を作り上げられます。ここはひとつ勇気をもって誰かに相談してください。自分の経験上、わかってくれる人は10人に1人もいません。誰彼かまわず相談してください。泣き寝入りするだけ損です。
②ネットの掲示板やブログで告発
今のいじめは筆者の学生時代よりさらに陰湿化しています。学校裏サイトなどが典型的なものです。インターネットを利用して一人の学生だけアクセスできないようにします。そして、そこでは次の日にどのようないじめをするかいじめっ子が裏取引しているようなケースもあります。残念ながら、世の中は自発的に気付いてくれるようにはなかなかできていません。筆者の時代にはなかった方法ですが、同じインターネットで訴えるという方法も効果的です。それで学校で問題になればしめたものです。自分も一回、インターネットの掲示板である学生さんがいじめを訴えており、それを他の人が相談に乗っているシチュエーションに出会いました。これからの時代はこのような手段も必要ではないかと思います。
③学校はやめてもいい。命にかえられない
上にもありますように、いじめられっこの皆さんは、いじめられているうえにさらに「よい子」を演じようとします。自分のケースもそうでした。自分も「親から見捨てられる」と感じて親に相談できない状態が2年続きました。自殺してしまうくらいなら、学校に行かなくていいのです。命にはかえられません。このようなときでも学校が悪いということになりますから安心してください。筆者の場合は教師が適切に対処してくれましたが、そうではないケースが多いと思います。それでも、高校を中退して大検で京都大学に合格した人も知っています。学校に行かなければならないという思いつめをやめてみてください。
④いじめられている人間関係を依存を含めて断ち切る
「いじめ」は、いったん受け入れるとその状態が続いてしまいます。人間関係など一旦固定していしまってはパターン化するだけだからです。たとえいじめがひどい状態でなくても、そのような人間関係は断ち切ってください。そして、できるだけいい人間関係を作り直してください。別のグループに移ったりすることもいいことでしょう。余裕ができてきたら、自由に友達をえらんで学生生活を楽しんでください。
これだけ書いても、失われた命は戻ってくるわけではありません。個人的に「いじめ撲滅」などということは歴史的にありえないわけで、いじめが発生した時にどれだけ早く介入して深刻化の芽を摘み取るかが先生方の役割だと思っています。自分の場合は本当に母校に感謝しています。できるだけ多くのいじめを受けている学生が同様に対処されるようお願い申し上げます。また一人の子が成長するには1000人の力が必要だと言われています。1000人にちなんで、ショルティのマーラー交響曲第8番「1000人の交響曲」を掲載して末尾とさせていただきたいと思います。
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フィル・アルデン・ロビンソン監督「フィール・オブ・ドリームス」
監督:フィル・アルデン・ロビンソン
出演:ケビン・コスナ― ほか(1989年 米国)
-最終更新日:2010年10月28日(木)-
この映画も筆者が中学生のころに見ただろうか。アメリカの根源的な野球への郷愁が描かれた名作だったのを覚えている。主役はケビン・コスナ―。当時もっとも社会派映画に出演していた俳優の一人だったのを覚えている。有名な他の映画だと、オリバー・ストーン監督の「JFK」などがあるだろうか。同監督は、チャーリー・シーン主演の「プラトーン」、トム・クルーズ主演の「7月4日に生まれて」、そして「天と地」がベトナム3部作として有名である。正確に覚えていないが、いくつかが筆者の高校の読書感想文指定図書にも選ばれていた。
さて、この「フィールド・オブ・ドリームス」であるが、重いテーマを内包している。シューレス・ジャクソンと呼ばれた伝説的な選手がフィールドに時を超えて現れるという設定である。しかし、それは賭博という黒い霧事件によって永久追放を受けた選手に対する最大の報いなのである。非業の最期を遂げた選手を時を経てこのように映画によみがえらせる設定などは、アメリカ式の最大の名誉回復なのだろう。このような文化性は日本人からするとうらやましい限りなのである。
なお、この映画は野球映画のバイブルという位置づけであるが、やはり野球文化が浸透している国で受け入れられやすいようだ。8つの映画祭にノミネートされ、うち5つで受賞しているが、そのうち4つが日本である。筆者がこの映画を見たときはまだ日本選手がメジャーリーグで通用しないといわれている時代だった。受験のころには毎朝新聞を読んでいたが、アメリカの野茂選手と日本のイチロー選手の活躍を読むことだけが唯一の娯楽だった。今年のドラフトも157キロの剛速球を投げる沢村拓一投手とハンカチ王子の名前で親しまれた斎藤佑樹投手が沸かせそうである。
なお、私の受験勉強時代の話だが、この時の勉強法として、「パッヘルベルのカノン」を勉強前に聞き、「アルビノーニのアダージョ」を睡眠前に聞く習慣をとっていた。カノンの多重奏を頭の中で分析しながら聞くと、頭が冴えていたものだ。下記に、その時聞いていたイ・ムジチ合奏団のCDと、最近ハマっているカラヤンのアダージョ入りのCDを紹介する。
さて、子ども時代に見た映画ばかり取りあげているのだが、やはり忘れられないのはアーノルド・シュワルツェネッガーのターミネーター2である。「I'll be back」で有名な映画は、日本の多くのファンを虜にしただろう。
アメリカでは、映画俳優が政治家になるケースが多いみたいだ。あのロナルド・レーガン元大統領ももとはといえば映画俳優なのだ。まさに夢のような国とはこのことである。シュワルツェネッガー氏がウィスコンシン大学で経営学と国際経済学の学位を取得し、IQが高いというのは聞いたことがあったが、カリフォルニア州知事に選ばれたときは多くの日本人が驚いたのではないだろうか。
なお、日本でも驚かせたのが俳優から知事になったケースである。大阪府の橋下知事と宮崎県の東国原知事である。橋下知事はもともと弁護士なのではるかに頭のいい人だというイメージが先行していたが、東国原氏が早稲田の政経に合格したというニュースにはビックリした。芸能界時代はそのギャップに苦しまれたのではないだろうか。最近、ダンカン氏が政治家になるかという噂が流れているが、恐らくたけし軍団の方は皆想像以上に頭がいいものと推察される。
沢村投手がドラフト前の取材で「信じて待つ」と答えたことに際し、「集団ストーカー」の被害者としても同じような精神性で待っていたいと思う今日この頃である。アメリカ含め、プロ野球選手のタフさ、精神力の強さには脱帽なのである。
【2010年10月28日追記】
最近政治家の話になることが多かったので追記します。
いま旬の若い政治家といえば、自民党の小泉進次郎さんや民主党横粂勝仁さん、肝炎訴訟の原告団から立候補した福田衣里子さんが有名である。昨日のニュースで、閣議において両党の「花」の進次郎氏と蓮舫氏がバトルを繰り広げたようだ。国会中継を見ることができなかったが、弁のたつ両者の質疑応答は今秋の政治の最大の見せ所だっただろう。
個人的に考えるところなのだが、小泉家はいわゆる「華麗なる一族」である。しかし、我々庶民と同じ家であることには変わらず、進次郎氏は相当重いものを背負っていると考えられるのである。20代ですでに自民党の「花」になるということは、それだけプレッシャーを背負わされているということに他ならない。政治家になる以上さまざまな批判にさらされるが、20代の平凡な人間に耐えられるものではない。まさに、この3人を日本の若者は見習うべきだろう。
読者の皆さんも、最先端で日本を背負うという若者の苦労と活躍に思いを馳せていただきたい。並大抵の、本来ならその年齢で背負うべきでない重みを背負っているということを。
出演:ケビン・コスナ― ほか(1989年 米国)
-最終更新日:2010年10月28日(木)-
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この映画も筆者が中学生のころに見ただろうか。アメリカの根源的な野球への郷愁が描かれた名作だったのを覚えている。主役はケビン・コスナ―。当時もっとも社会派映画に出演していた俳優の一人だったのを覚えている。有名な他の映画だと、オリバー・ストーン監督の「JFK」などがあるだろうか。同監督は、チャーリー・シーン主演の「プラトーン」、トム・クルーズ主演の「7月4日に生まれて」、そして「天と地」がベトナム3部作として有名である。正確に覚えていないが、いくつかが筆者の高校の読書感想文指定図書にも選ばれていた。
さて、この「フィールド・オブ・ドリームス」であるが、重いテーマを内包している。シューレス・ジャクソンと呼ばれた伝説的な選手がフィールドに時を超えて現れるという設定である。しかし、それは賭博という黒い霧事件によって永久追放を受けた選手に対する最大の報いなのである。非業の最期を遂げた選手を時を経てこのように映画によみがえらせる設定などは、アメリカ式の最大の名誉回復なのだろう。このような文化性は日本人からするとうらやましい限りなのである。
なお、この映画は野球映画のバイブルという位置づけであるが、やはり野球文化が浸透している国で受け入れられやすいようだ。8つの映画祭にノミネートされ、うち5つで受賞しているが、そのうち4つが日本である。筆者がこの映画を見たときはまだ日本選手がメジャーリーグで通用しないといわれている時代だった。受験のころには毎朝新聞を読んでいたが、アメリカの野茂選手と日本のイチロー選手の活躍を読むことだけが唯一の娯楽だった。今年のドラフトも157キロの剛速球を投げる沢村拓一投手とハンカチ王子の名前で親しまれた斎藤佑樹投手が沸かせそうである。
なお、私の受験勉強時代の話だが、この時の勉強法として、「パッヘルベルのカノン」を勉強前に聞き、「アルビノーニのアダージョ」を睡眠前に聞く習慣をとっていた。カノンの多重奏を頭の中で分析しながら聞くと、頭が冴えていたものだ。下記に、その時聞いていたイ・ムジチ合奏団のCDと、最近ハマっているカラヤンのアダージョ入りのCDを紹介する。
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さて、子ども時代に見た映画ばかり取りあげているのだが、やはり忘れられないのはアーノルド・シュワルツェネッガーのターミネーター2である。「I'll be back」で有名な映画は、日本の多くのファンを虜にしただろう。
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アメリカでは、映画俳優が政治家になるケースが多いみたいだ。あのロナルド・レーガン元大統領ももとはといえば映画俳優なのだ。まさに夢のような国とはこのことである。シュワルツェネッガー氏がウィスコンシン大学で経営学と国際経済学の学位を取得し、IQが高いというのは聞いたことがあったが、カリフォルニア州知事に選ばれたときは多くの日本人が驚いたのではないだろうか。
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なお、日本でも驚かせたのが俳優から知事になったケースである。大阪府の橋下知事と宮崎県の東国原知事である。橋下知事はもともと弁護士なのではるかに頭のいい人だというイメージが先行していたが、東国原氏が早稲田の政経に合格したというニュースにはビックリした。芸能界時代はそのギャップに苦しまれたのではないだろうか。最近、ダンカン氏が政治家になるかという噂が流れているが、恐らくたけし軍団の方は皆想像以上に頭がいいものと推察される。
沢村投手がドラフト前の取材で「信じて待つ」と答えたことに際し、「集団ストーカー」の被害者としても同じような精神性で待っていたいと思う今日この頃である。アメリカ含め、プロ野球選手のタフさ、精神力の強さには脱帽なのである。
【2010年10月28日追記】
最近政治家の話になることが多かったので追記します。
いま旬の若い政治家といえば、自民党の小泉進次郎さんや民主党横粂勝仁さん、肝炎訴訟の原告団から立候補した福田衣里子さんが有名である。昨日のニュースで、閣議において両党の「花」の進次郎氏と蓮舫氏がバトルを繰り広げたようだ。国会中継を見ることができなかったが、弁のたつ両者の質疑応答は今秋の政治の最大の見せ所だっただろう。
個人的に考えるところなのだが、小泉家はいわゆる「華麗なる一族」である。しかし、我々庶民と同じ家であることには変わらず、進次郎氏は相当重いものを背負っていると考えられるのである。20代ですでに自民党の「花」になるということは、それだけプレッシャーを背負わされているということに他ならない。政治家になる以上さまざまな批判にさらされるが、20代の平凡な人間に耐えられるものではない。まさに、この3人を日本の若者は見習うべきだろう。
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読者の皆さんも、最先端で日本を背負うという若者の苦労と活躍に思いを馳せていただきたい。並大抵の、本来ならその年齢で背負うべきでない重みを背負っているということを。
地域福祉論と社会福祉援助技術
平野隆之先生と成田光江さんには大学院在学時はお世話になりました
-最終更新日:2010年8月29日(日)-
題名の通り、以前掲載した公的機関と専門領域の被害者に対する援助について考えを進めてみたいと思います。ただし、これらを扱う領域は広大であるために、一度の掲載ではすべてを論述できません。今回は、社会福祉学のなかでも「社会福祉援助技術」という領域で考察してみたいと思います。
社会福祉学を学んだことがない方は、「社会福祉援助技術」っていったい何だろう、と思われるかもしれません。端的にいえば、受験の科目のなかに「国語」があるのと同じように、人を援助する仕事の資格試験の受験科目のひとつです。例えば、社会福祉士や介護福祉士などです。
内容はといえば、文字通り、「社会福祉学の観点で人を援助する専門技術」ということになります。ただし、社会福祉学固有の内容というわけではなく、人を助けるさまざまな学術領域と範疇がかさなります。例をあげるなら、教育学、精神医学、心理学、看護学などです。何が違うのかといえば、人を助けることにおいて何を重視するかです。例えば心理学は、人の心の働きにおいて困難を抱えている人を助ける学術モデルです。一方で社会福祉学は、社会と人のかかわりを重視します。社会の中でどのように自立して充実した生活を送れるかなどを追求します。だからといって、それぞれの学術領域がお互いのことを排除しあうのではありません。どの領域でも人を助けるためにはさまざまな方法が用いられます。腕のいい心療内科が、薬物療法だけでなく生活のアドバイスや心理カウンセリングなどさまざまな方法でクライアントを回復させようとするのと同じです。社会福祉学では、人を助けるにあたっては、「ジェネラリスト・アプローチ」と呼ばれるように、狭い専門性に閉じこもるのではなく、さまざまなアプローチを駆使して人を援助する専門家がよいとされます。
ここでは、その人と社会の関係を重視する学術領域である「社会福祉援助技術」において、この問題を抱えた被害者に対して何ができるかを考察してみたいと思います。
高齢者介護における地域包括支援センターの取り組み
「地域包括支援センター」という言葉は、この記事をご覧のみなさんも聞いたことがあるかもしれません。高齢者の方を介護されているご家庭ならなおさらでしょう。この高齢者介護を例に考えてみたいと思います。
私の家庭には、この「地域包括支援センター」のお世話になっている祖母がいます。具体的には、月に一度程度「地域包括支援センター」のスタッフの方が来られて、父と祖母を交えて話をします。祖母は要介護認定です。これは、通常の社会生活を自分ひとりで送ることが困難であるために、国から支援を受けているということです。
高齢者の方は、円滑な社会生活を行うための身体能力などが失われてしまっているケースが多い現状があります。その程度は人それぞれで、元気な高齢者もいれば、歩くことが困難な高齢者もいます。一人で社会生活が行うことが困難で、しかも一人暮らしの高齢者は、重点的なケアが必要です。このように、暮らしにくさを抱えた程度によって、どのように支援するかを「地域包括支援センター」のソーシャルワーカーがヒアリングしながら決定して、ケアスタッフがチームになって必要なサービスを提供します。
この「地域包括支援センター」は、前身は「在宅介護支援センター」です。2005年2月に制度が施行されました。高齢者が自立して生活できないことによる病気の悪化を防ぐための、「予防介護」という考え方に基づいたものです。これは、以前に申し上げた遠隔予防医療と同じで、社会保障費や医療費を削減するといった目的のものです。
例えば、私の家の祖母は、父が健康で十分介護することができているので、行政による介入の必要はあまりありません。それでも、孤独になりがちであることや、歩行が困難であることなどから、月に数回デイケアに行っています。どの程度利用する必要があるかは人それぞれです。
では、必要なサービスはどのように決定されるのでしょうか。話が長くなりましたが、ここで「社会福祉援助技術」という考え方を持ち出してみたいと思います。
これらの援助は、単純にワーカーの恣意によって決定されるわけではありません。根本的な理念として、高齢者が自立(自律)した生活が行われること、人間らしい生活ができることなどがまず中心に存在します。そして、そのためには何が必要かを計画的に考えます。クライアントの社会環境を調査するアセスメントから始まり、具体的な介入が計画的に行われます。長期にわたるものも存在します。
以下は、架空の事例ですが、ワーカーが当事者をアセスメントして作成するエコマップと呼ばれるものです。

【エコマップ(社会福祉援助技術の教科書から作成)】
このように、家族関係の調査から、当事者だけでなく家族の誰に支援が必要か、またどのインフラが利用できるかをマッピングして、援助計画を作成します。支援に効果があるものはあらゆるものを利用するのが社会福祉援助技術の基本です。援助の方法論は、伝統的に、①ケースワーク、②グループワーク、③コミュニティワークという区分がされますが、これらをすべて駆使するということです。
このエコマップにもある「地域包括支援センター」は、現在では高齢者だけでなく、DV問題を抱えた家庭に対する介入なども行っています。地域の福祉の総合拠点のという位置づけです。
このように、社会福祉学を学んだことのない方はなかなか知らない世界ですが、アセスメントを行って援助計画を立てるだけでも、経験がかなり必要な高度な作業です。この方法論が、このブログで扱っている問題の被害者にも応用できないかというのが、今回の記事のねらいです。
この問題の架空の事例から考察
では、この問題の被害者の架空の事例を作ってみます。自分の被害の経験から作成するという要素が強いですが、このようなものだと思ってください。
太郎さん(仮名) 37歳・男性
【加害の状況】
数年前から、人による付きまといやほのめかしが始まった。当初にたたみ掛けるように行われたせいで、強い心的外傷を受ける。以後、外出時に必ず加害行為が行われることから、外出が困難になる。
そのような中でも何とか正社員として働いてきたが、職場での加害行為も含めたストレスの過多のために3ヵ月後に退職。閉じこもりがちな生活になる。
このままではいけないと思い、精神的に持ち直したあとに就職活動を再開。しかし、就職妨害を受け、どの面接も通過しない。何とか日雇いの仕事に就いている。年収は100万円程度。家族を養っていける状態ではないため、結婚を諦めている。
加害行為が始まってから数年後、テクノロジーによる加害行為が被害の中心になる。ここで再び精神的な危機が訪れる。これを境に、身体的な不調も顕著になってきた。しかし、現段階では加害行為をやめさせる法的手段が存在しないため、状況の改善はありえないと考え、ほとんど外出することもなく暮らしている。
【家族の状況】
自宅での家族構成は、父(62)、母(64)、祖母(83)である。親戚が近隣に住んでいるが、この件では相談したことがない。両親には何度も説明したが、ようやく少し理解されるまで1年を要した。その間、父親には、就業が無理な状態で何とか働きに出ろと急かされる。理解がないため、誤解が生じて、家庭内が不和となる。自分以外の家族は加害行為をほとんど受けていない。
【加害までの生育暦】
少年時代、青年時代は何のトラブルもなく平凡にすごしてきた。周囲と協調的な性格という評判で、成績も上位であった。何の苦もなく私立上位大学に合格。エンジニアを志して、企業研究職に内定。企業での働きぶりも周囲に評されるほどであった。
ところが、何の前触れもなく加害行為が発生。その後、企業での成績は大きく落ち込む。周囲には誤解されてはならないために相談していない。むしろ、企業のなかのだれが加害者であるか猜疑心におちいる。それまで親しかった同僚が加害行為に及んだためである。結果、精神的に破綻を来たしたために退職を余儀なくされる。
これはあくまで架空の事例です。(自分のケースでもありません)被害者によっては子どもの頃から被害を受けていたり、高齢者になって受けたり、さまざまです。また、人による嫌がらせが中心であるか、テクノロジーによる加害が中心であるかも個人差があるようです。
これを、この問題の専門援助職がアセスメントをしたと仮定します。その結果、下記のような社会生活上の困難が抽出されたとしましょう。
カテゴライズされた被害者の社会生活上の困難(あくまで架空の事例です)
【身体的影響】
1-1 睡眠妨害による不眠
1-2 身体への痛みの送信など、苦痛と不快感
1-3 数年にわたる電磁波の集中的な照射で右ひざが弱体化
1-4 常時の電磁波の照射で、知的能力や記憶力が低下
1-5 皮膚に赤い斑点や小さな傷が発生
【心理的影響】
2-1 外出時に強いストレスがかかるために外出が困難
2-2 携帯を向けてくる人間に恐怖感を感じる
2-3 クラクションが鳴ったら恐怖感を感じる
2-4 ぞろ目のナンバーの車を見ると恐怖感を感じる
2-5 誰が加害者かわからないことによる人間不信
2-6 他の人には聞こえない音が聞こえても、平静を装わなければならないつらさ
【仕事に対する妨害】
3-1 意識への介入で仕事に対するやりがいが失われる
3-2 PCに対する介入で作業妨害
3-3 PCに対する介入でデータを失う
3-4 仕事中に外部からの罵声で妨害される
【人間関係の操作】
4-1 親しかった人が急に疎遠になる
4-2 旧友からの手紙が届かなくなった
4-3 近所の目がなぜかすべて自分に対する不審者扱いへと変化
4-4 数少ない友人と会話しているときに威圧的な妨害がある
【社会資源のアクセシビリティからの疎外】
5-1 就職妨害による就業困難 それによる経済的困窮
5-2 図書館での加害行為が激しいため、行けない
5-3 公共交通機関は逃れ場所がないので乗れない
5-4 加害行為をたたみ掛けられたときの避難場所がない
【差別などの社会的抑圧】
6-1 同級生の和からの疎外
6-2 公的機関が被害についてまともに聞いてくれないどころか、加害行為を行ってくる
6-3 両親以外の理解者がまったくない
【家族への影響】
7-1 両親の精神的負荷の増大
7-2 家族内の不和
7-3 兄弟の結婚に悪影響が生じる
7-4 両親の社会的地位の低下
7-5 母親の鬱
思いつくままに羅列してみました。被害者の置かれた状況がこのようなものであると考えると、相当の苦痛のなかで社会生活を行っていることが想像していただけると思います。この上に、加害行為がエスカレートしたときは、主観的に拷問を受けているかのような感覚におちいります。このような被害事例に、専門領域や公的機関は何ができるのでしょうか。
上記の介護高齢者に対するエコマップを見てください。医師、看護師、リハビリを担当するPT、ケア・マネジャー、訪問介護員、近隣の住民、セルフヘルプグループの当事者たちが、一人の高齢者のために支援を提供しています。ここで、ソーシャルワーカーがこれらの総合的なバランスをコーディネートする役割を担います。あらゆる方法を駆使してというのはこういうことです。注)
このブログの問題も同様です。必要なのは、被害者一人に対してさまざまな立場の人が支援を行わなければ、解決も社会生活への復帰もありえません。ここで、表にしてどのような対処が可能かを考えてみます。

これはあくまでも自分が試しに作ってみたものにしか過ぎません。当事者や専門家の協働によって、さらによい被害者の救済のための計画が作成される時代が来ることを願ってやみません。
注) PTとは理学療法士(Physical Therapist)。また、OTと呼ばれる作業療法士(Occupational Therapist)も高齢者の社会生活上の機能維持のために欠かせません。
また、セルフヘルプグループ(self-help group)とは、「自助グループ」のことです。例をあげると、難病を抱えた子どもの親の会、アルコール依存症当事者の会、などが挙げられます。当事者が専門家にたよらず、自分たちで社会生活の改善を行うために(self-help:自ら助ける)と呼ばれています。
(今回は社会福祉学をベースに考えてみましたが、今後さまざまな学術フィールドで、自分のできる範囲で集団ストーカー問題を考えてみたいと思います。長期掲載の予定です。)
寄り添って
-最終更新日:2010年10月27日(水)-
この書籍をとりあげたのは、大学院生時代にお世話になった方の著書だからです。大学院生といっても、通信制で、それも社会人が中心の講座でした。まずはなぜ自分がこのキャリアを選んだかをご説明します。
私の大学在学時からの研究テーマは「セルフヘルプグループ」であることは前に申し上げました。なぜそのようになったかというと、学生時代に心理的に何らかの困難をきたしている学生同士の会話の場を設ける活動をしたからです。その形態が自助グループ、つまりセルフヘルプグループの形をとっていました。
とは言っても、しょせん学生が作ったものですから、運営形態もあまりよくありませんでしたし、人もあまり集まりませんでした。ただし、本当に心の闇を抱えて参加している方もおり、その型にとっては重要な一部を占めていたようです。その時には、今は教授になっておられる京都大学カウンセリングセンターの杉原保史先生にかなりお世話になりました。将来の自分を決定づけるいい体験をさせていただき、感謝の言葉もありません。
自分がなぜこのような活動をしたかというと、私の家も闇に包まれた家だったからです。私自身も学生生活を円滑に進めない何かを抱えていました。これは、社会人になっても続きます。そこで、私は福祉専門学校の教員を目指すことにしました。学校教職員として働く傍ら、社会人大学院で修士論文を書いて講師になろうとしたのです。
その時出会ったのが、「寄り添って」の成田光江さんでした。この方は、40代になって同大学の通信制大学を終了しています。そこでの成績が優秀だったために通信制大学院に進学することになりました。自分と同じ平野隆之先生に指導を仰ぐことになり、さまざまなインフォーマルな助言をいただきました。もちろん、自分がこのような家族の闇を抱えていることを動機として社会人大学院という進路を選んだということも含めてです。
この通信制大学院、相当レベルが高かったのを覚えています。私が教職員をしている隣の学校の副校長も、講師の資格要件を満たすために通っていましたし、現役の家庭裁判所調査官の方も受講されていました。かなりハードな日程の講義を組んであり、論文は通学生と同等のものを求めていました。結果、成田さんは卒業後、すぐにこの大学の実習教員として就任されています。
自分のルーツをご説明しましたが、本題のこのブログの問題に戻ります。私の場合は教職員をやめたあたりから加害者に目をつけられて「集団ストーカー」の被害を受けることになりました。被害者の多くは、同様に職を転々とせざるを得ない社会生活を強要されます。場合によっては就業すら困難で、経済難と加害行為による苦しみで命を絶たれた方も少なくないと推察します。
一刻も早くこの問題に光が当てられ、被害者が救済されることを願って本日の最後とさせていただきたいと思います。
-最終更新日:2010年8月29日(日)-
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題名の通り、以前掲載した公的機関と専門領域の被害者に対する援助について考えを進めてみたいと思います。ただし、これらを扱う領域は広大であるために、一度の掲載ではすべてを論述できません。今回は、社会福祉学のなかでも「社会福祉援助技術」という領域で考察してみたいと思います。
社会福祉学を学んだことがない方は、「社会福祉援助技術」っていったい何だろう、と思われるかもしれません。端的にいえば、受験の科目のなかに「国語」があるのと同じように、人を援助する仕事の資格試験の受験科目のひとつです。例えば、社会福祉士や介護福祉士などです。
内容はといえば、文字通り、「社会福祉学の観点で人を援助する専門技術」ということになります。ただし、社会福祉学固有の内容というわけではなく、人を助けるさまざまな学術領域と範疇がかさなります。例をあげるなら、教育学、精神医学、心理学、看護学などです。何が違うのかといえば、人を助けることにおいて何を重視するかです。例えば心理学は、人の心の働きにおいて困難を抱えている人を助ける学術モデルです。一方で社会福祉学は、社会と人のかかわりを重視します。社会の中でどのように自立して充実した生活を送れるかなどを追求します。だからといって、それぞれの学術領域がお互いのことを排除しあうのではありません。どの領域でも人を助けるためにはさまざまな方法が用いられます。腕のいい心療内科が、薬物療法だけでなく生活のアドバイスや心理カウンセリングなどさまざまな方法でクライアントを回復させようとするのと同じです。社会福祉学では、人を助けるにあたっては、「ジェネラリスト・アプローチ」と呼ばれるように、狭い専門性に閉じこもるのではなく、さまざまなアプローチを駆使して人を援助する専門家がよいとされます。
ここでは、その人と社会の関係を重視する学術領域である「社会福祉援助技術」において、この問題を抱えた被害者に対して何ができるかを考察してみたいと思います。
高齢者介護における地域包括支援センターの取り組み
「地域包括支援センター」という言葉は、この記事をご覧のみなさんも聞いたことがあるかもしれません。高齢者の方を介護されているご家庭ならなおさらでしょう。この高齢者介護を例に考えてみたいと思います。
私の家庭には、この「地域包括支援センター」のお世話になっている祖母がいます。具体的には、月に一度程度「地域包括支援センター」のスタッフの方が来られて、父と祖母を交えて話をします。祖母は要介護認定です。これは、通常の社会生活を自分ひとりで送ることが困難であるために、国から支援を受けているということです。
高齢者の方は、円滑な社会生活を行うための身体能力などが失われてしまっているケースが多い現状があります。その程度は人それぞれで、元気な高齢者もいれば、歩くことが困難な高齢者もいます。一人で社会生活が行うことが困難で、しかも一人暮らしの高齢者は、重点的なケアが必要です。このように、暮らしにくさを抱えた程度によって、どのように支援するかを「地域包括支援センター」のソーシャルワーカーがヒアリングしながら決定して、ケアスタッフがチームになって必要なサービスを提供します。
この「地域包括支援センター」は、前身は「在宅介護支援センター」です。2005年2月に制度が施行されました。高齢者が自立して生活できないことによる病気の悪化を防ぐための、「予防介護」という考え方に基づいたものです。これは、以前に申し上げた遠隔予防医療と同じで、社会保障費や医療費を削減するといった目的のものです。
例えば、私の家の祖母は、父が健康で十分介護することができているので、行政による介入の必要はあまりありません。それでも、孤独になりがちであることや、歩行が困難であることなどから、月に数回デイケアに行っています。どの程度利用する必要があるかは人それぞれです。
では、必要なサービスはどのように決定されるのでしょうか。話が長くなりましたが、ここで「社会福祉援助技術」という考え方を持ち出してみたいと思います。
これらの援助は、単純にワーカーの恣意によって決定されるわけではありません。根本的な理念として、高齢者が自立(自律)した生活が行われること、人間らしい生活ができることなどがまず中心に存在します。そして、そのためには何が必要かを計画的に考えます。クライアントの社会環境を調査するアセスメントから始まり、具体的な介入が計画的に行われます。長期にわたるものも存在します。
以下は、架空の事例ですが、ワーカーが当事者をアセスメントして作成するエコマップと呼ばれるものです。

【エコマップ(社会福祉援助技術の教科書から作成)】
このように、家族関係の調査から、当事者だけでなく家族の誰に支援が必要か、またどのインフラが利用できるかをマッピングして、援助計画を作成します。支援に効果があるものはあらゆるものを利用するのが社会福祉援助技術の基本です。援助の方法論は、伝統的に、①ケースワーク、②グループワーク、③コミュニティワークという区分がされますが、これらをすべて駆使するということです。
このエコマップにもある「地域包括支援センター」は、現在では高齢者だけでなく、DV問題を抱えた家庭に対する介入なども行っています。地域の福祉の総合拠点のという位置づけです。
このように、社会福祉学を学んだことのない方はなかなか知らない世界ですが、アセスメントを行って援助計画を立てるだけでも、経験がかなり必要な高度な作業です。この方法論が、このブログで扱っている問題の被害者にも応用できないかというのが、今回の記事のねらいです。
この問題の架空の事例から考察
では、この問題の被害者の架空の事例を作ってみます。自分の被害の経験から作成するという要素が強いですが、このようなものだと思ってください。
太郎さん(仮名) 37歳・男性
【加害の状況】
数年前から、人による付きまといやほのめかしが始まった。当初にたたみ掛けるように行われたせいで、強い心的外傷を受ける。以後、外出時に必ず加害行為が行われることから、外出が困難になる。
そのような中でも何とか正社員として働いてきたが、職場での加害行為も含めたストレスの過多のために3ヵ月後に退職。閉じこもりがちな生活になる。
このままではいけないと思い、精神的に持ち直したあとに就職活動を再開。しかし、就職妨害を受け、どの面接も通過しない。何とか日雇いの仕事に就いている。年収は100万円程度。家族を養っていける状態ではないため、結婚を諦めている。
加害行為が始まってから数年後、テクノロジーによる加害行為が被害の中心になる。ここで再び精神的な危機が訪れる。これを境に、身体的な不調も顕著になってきた。しかし、現段階では加害行為をやめさせる法的手段が存在しないため、状況の改善はありえないと考え、ほとんど外出することもなく暮らしている。
【家族の状況】
自宅での家族構成は、父(62)、母(64)、祖母(83)である。親戚が近隣に住んでいるが、この件では相談したことがない。両親には何度も説明したが、ようやく少し理解されるまで1年を要した。その間、父親には、就業が無理な状態で何とか働きに出ろと急かされる。理解がないため、誤解が生じて、家庭内が不和となる。自分以外の家族は加害行為をほとんど受けていない。
【加害までの生育暦】
少年時代、青年時代は何のトラブルもなく平凡にすごしてきた。周囲と協調的な性格という評判で、成績も上位であった。何の苦もなく私立上位大学に合格。エンジニアを志して、企業研究職に内定。企業での働きぶりも周囲に評されるほどであった。
ところが、何の前触れもなく加害行為が発生。その後、企業での成績は大きく落ち込む。周囲には誤解されてはならないために相談していない。むしろ、企業のなかのだれが加害者であるか猜疑心におちいる。それまで親しかった同僚が加害行為に及んだためである。結果、精神的に破綻を来たしたために退職を余儀なくされる。
これはあくまで架空の事例です。(自分のケースでもありません)被害者によっては子どもの頃から被害を受けていたり、高齢者になって受けたり、さまざまです。また、人による嫌がらせが中心であるか、テクノロジーによる加害が中心であるかも個人差があるようです。
これを、この問題の専門援助職がアセスメントをしたと仮定します。その結果、下記のような社会生活上の困難が抽出されたとしましょう。
カテゴライズされた被害者の社会生活上の困難(あくまで架空の事例です)
【身体的影響】
1-1 睡眠妨害による不眠
1-2 身体への痛みの送信など、苦痛と不快感
1-3 数年にわたる電磁波の集中的な照射で右ひざが弱体化
1-4 常時の電磁波の照射で、知的能力や記憶力が低下
1-5 皮膚に赤い斑点や小さな傷が発生
【心理的影響】
2-1 外出時に強いストレスがかかるために外出が困難
2-2 携帯を向けてくる人間に恐怖感を感じる
2-3 クラクションが鳴ったら恐怖感を感じる
2-4 ぞろ目のナンバーの車を見ると恐怖感を感じる
2-5 誰が加害者かわからないことによる人間不信
2-6 他の人には聞こえない音が聞こえても、平静を装わなければならないつらさ
【仕事に対する妨害】
3-1 意識への介入で仕事に対するやりがいが失われる
3-2 PCに対する介入で作業妨害
3-3 PCに対する介入でデータを失う
3-4 仕事中に外部からの罵声で妨害される
【人間関係の操作】
4-1 親しかった人が急に疎遠になる
4-2 旧友からの手紙が届かなくなった
4-3 近所の目がなぜかすべて自分に対する不審者扱いへと変化
4-4 数少ない友人と会話しているときに威圧的な妨害がある
【社会資源のアクセシビリティからの疎外】
5-1 就職妨害による就業困難 それによる経済的困窮
5-2 図書館での加害行為が激しいため、行けない
5-3 公共交通機関は逃れ場所がないので乗れない
5-4 加害行為をたたみ掛けられたときの避難場所がない
【差別などの社会的抑圧】
6-1 同級生の和からの疎外
6-2 公的機関が被害についてまともに聞いてくれないどころか、加害行為を行ってくる
6-3 両親以外の理解者がまったくない
【家族への影響】
7-1 両親の精神的負荷の増大
7-2 家族内の不和
7-3 兄弟の結婚に悪影響が生じる
7-4 両親の社会的地位の低下
7-5 母親の鬱
思いつくままに羅列してみました。被害者の置かれた状況がこのようなものであると考えると、相当の苦痛のなかで社会生活を行っていることが想像していただけると思います。この上に、加害行為がエスカレートしたときは、主観的に拷問を受けているかのような感覚におちいります。このような被害事例に、専門領域や公的機関は何ができるのでしょうか。
上記の介護高齢者に対するエコマップを見てください。医師、看護師、リハビリを担当するPT、ケア・マネジャー、訪問介護員、近隣の住民、セルフヘルプグループの当事者たちが、一人の高齢者のために支援を提供しています。ここで、ソーシャルワーカーがこれらの総合的なバランスをコーディネートする役割を担います。あらゆる方法を駆使してというのはこういうことです。注)
このブログの問題も同様です。必要なのは、被害者一人に対してさまざまな立場の人が支援を行わなければ、解決も社会生活への復帰もありえません。ここで、表にしてどのような対処が可能かを考えてみます。

これはあくまでも自分が試しに作ってみたものにしか過ぎません。当事者や専門家の協働によって、さらによい被害者の救済のための計画が作成される時代が来ることを願ってやみません。
注) PTとは理学療法士(Physical Therapist)。また、OTと呼ばれる作業療法士(Occupational Therapist)も高齢者の社会生活上の機能維持のために欠かせません。
また、セルフヘルプグループ(self-help group)とは、「自助グループ」のことです。例をあげると、難病を抱えた子どもの親の会、アルコール依存症当事者の会、などが挙げられます。当事者が専門家にたよらず、自分たちで社会生活の改善を行うために(self-help:自ら助ける)と呼ばれています。
(今回は社会福祉学をベースに考えてみましたが、今後さまざまな学術フィールドで、自分のできる範囲で集団ストーカー問題を考えてみたいと思います。長期掲載の予定です。)
寄り添って
-最終更新日:2010年10月27日(水)-
![]() | 寄り添って (2004/09) 成田 光江 商品詳細を見る |
この書籍をとりあげたのは、大学院生時代にお世話になった方の著書だからです。大学院生といっても、通信制で、それも社会人が中心の講座でした。まずはなぜ自分がこのキャリアを選んだかをご説明します。
私の大学在学時からの研究テーマは「セルフヘルプグループ」であることは前に申し上げました。なぜそのようになったかというと、学生時代に心理的に何らかの困難をきたしている学生同士の会話の場を設ける活動をしたからです。その形態が自助グループ、つまりセルフヘルプグループの形をとっていました。
とは言っても、しょせん学生が作ったものですから、運営形態もあまりよくありませんでしたし、人もあまり集まりませんでした。ただし、本当に心の闇を抱えて参加している方もおり、その型にとっては重要な一部を占めていたようです。その時には、今は教授になっておられる京都大学カウンセリングセンターの杉原保史先生にかなりお世話になりました。将来の自分を決定づけるいい体験をさせていただき、感謝の言葉もありません。
自分がなぜこのような活動をしたかというと、私の家も闇に包まれた家だったからです。私自身も学生生活を円滑に進めない何かを抱えていました。これは、社会人になっても続きます。そこで、私は福祉専門学校の教員を目指すことにしました。学校教職員として働く傍ら、社会人大学院で修士論文を書いて講師になろうとしたのです。
その時出会ったのが、「寄り添って」の成田光江さんでした。この方は、40代になって同大学の通信制大学を終了しています。そこでの成績が優秀だったために通信制大学院に進学することになりました。自分と同じ平野隆之先生に指導を仰ぐことになり、さまざまなインフォーマルな助言をいただきました。もちろん、自分がこのような家族の闇を抱えていることを動機として社会人大学院という進路を選んだということも含めてです。
この通信制大学院、相当レベルが高かったのを覚えています。私が教職員をしている隣の学校の副校長も、講師の資格要件を満たすために通っていましたし、現役の家庭裁判所調査官の方も受講されていました。かなりハードな日程の講義を組んであり、論文は通学生と同等のものを求めていました。結果、成田さんは卒業後、すぐにこの大学の実習教員として就任されています。
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自分のルーツをご説明しましたが、本題のこのブログの問題に戻ります。私の場合は教職員をやめたあたりから加害者に目をつけられて「集団ストーカー」の被害を受けることになりました。被害者の多くは、同様に職を転々とせざるを得ない社会生活を強要されます。場合によっては就業すら困難で、経済難と加害行為による苦しみで命を絶たれた方も少なくないと推察します。
一刻も早くこの問題に光が当てられ、被害者が救済されることを願って本日の最後とさせていただきたいと思います。
スティーブン・スピルバーグ監督「シンドラーのリスト」
監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:リーアム・ニーソン レイフ・ファインズ ベン・キングスレー 他
(1993年 米国)
-最終更新日:2010年10月25日(月)-
本日の読売新聞の「編集手帳」でドイツの戦前のホロコースト(大量虐殺)について触れています。あまりに大きな問題であるがゆえ、このブログの問題と重ね合わせて取りあげるのをためらいます。しかし、同様の性質を含んでいますので、目を背けるわけにはいきません。
ヒトラーによる大量虐殺を描いた有名な映画として「シンドラーのリスト」があります。これは、筆者が高校生時代に学校の指定図書として書籍版を読みました。その後、スピルバーグ監督の同作をレンタルショップで借りてみました。原題の映画としては異例なモノクロという構成を含んでおり、歴史の残虐性をより効果的に浮かび上がらせています。
なぜ、ドイツの国民はヒトラーを受け入れたのでしょうか。そのプロセスを克明に著した有名な書物に、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」があります。
この書籍では、国民が「自由であること」から逃げるように全体主義へと陥っていくメカニズムが詳細に記述されています。自由こそが人類の悲願であるにもかかわらず、なぜ自らを縛り付ける独裁制を受け入れたのでしょうか。人類の永遠の課題でしょう。
これは現代社会にも言えることです。自由であり、民主主義体制であることを維持するのは、実はかなり労力を要することです。少なくとも、腐敗を見逃さない権力機構への不断の監視が必要でしょう。それを放棄してしまうことは簡単です。しかし、その怠惰こそが、このブログで取りあげている「集団ストーカー」のような非民主主義的な加害行為を横行させることにつながります。
いったんそのように社会が変質してしまっては、そこから健全な状態に戻すのがどれだけ難しいかをドイツ国民は経験しています。1951年に、バイロイト音楽祭でフルトヴェングラーがベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」を演奏しましたが、それまで中止されていました。この音楽祭が戦後のドイツ社会の再出発の象徴となるまで、暗黒のトンネルと潜り抜けてきました。光明を思わせるこの演奏は、今でも歴史上最高の歓喜の歌の演奏として語り継がれています。
また、喜劇王のC.チャップリンも「独裁者」でファシズムを批判しました。当時としては恐ろしいほどの勇気が必要だったことでしょう。松本人志氏をはじめ、今の時代のお笑い芸人が気骨の人だと見えるのは自分だけでしょうか。
ヒトラーの時代には戦意の高揚のためにワーグナーの曲が悪用されてきました。もともと壮大なワーグナーの音楽が忌々しい存在になってしまうのです。それは、ベトナム戦争を描いたフランシス・F・コッポラ監督の「地獄の黙示録」で使用されていることからも明らかです。昨日の朝日新聞に、米軍従事者が社会への就職などの受け入れで差別的な扱いを受けていることが記事にされています。ドイツ社会は現在でも映画の中に描かれたヒトラーの寛容な像を受け入れることができないと「編集手帳」で指摘しています。今なお戦争の闇は人類を覆っているといえるでしょう。私としては、戦争によって起きる不幸を最小限にするのが先進民主主義国家の役割だと思っています。
ここで話を「集団ストーカー問題」に戻します。この問題は一言でいうと、「民主主義社会の中にそうではない存在がローカルに生まれ、民主主義を蝕む病理」と表現することができます。民主主義の制度設計の裏を突いた犯罪群であり、これに対する処方箋をいまだ民主主義社会は見出すことができていません。歴史的に人類が経験してこなかったことでもあります。あまりにタブー性の強いホロコースト問題を、これだけの映画に昇華させたスピルバーグ監督を見習わなければならないでしょう。
最後に一言申し上げます。昨日の北海道5区補選は、民主主義的に選ばれた、大きな差を開かせての町村さんの勝利と見て間違いないでしょう。日本をはじめ、先進諸国が民主主義の黄金時代を取り戻し、護るという役割を遂行されることを心の底よりお願い申し上げ、末尾とさせていただきます。
【2010年10月25日追記】
スポーツも政治に大きく巻き込まれます。時代によってはオリンピックの開催を拒否されます。チャップリンの曲を使っているフィギュアスケートの織田信成選手や高橋大輔選手には苦境の中でお疲れさまですと申し上げたいです。両選手とも選手生命の危うい状況を乗り越えて選手を続けられています。高橋選手は大けがの後に復帰されて世界でトップのステップを獲得されました。両選手とも、頑張ってほしいの一言です。
出演:リーアム・ニーソン レイフ・ファインズ ベン・キングスレー 他
(1993年 米国)
-最終更新日:2010年10月25日(月)-
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本日の読売新聞の「編集手帳」でドイツの戦前のホロコースト(大量虐殺)について触れています。あまりに大きな問題であるがゆえ、このブログの問題と重ね合わせて取りあげるのをためらいます。しかし、同様の性質を含んでいますので、目を背けるわけにはいきません。
ヒトラーによる大量虐殺を描いた有名な映画として「シンドラーのリスト」があります。これは、筆者が高校生時代に学校の指定図書として書籍版を読みました。その後、スピルバーグ監督の同作をレンタルショップで借りてみました。原題の映画としては異例なモノクロという構成を含んでおり、歴史の残虐性をより効果的に浮かび上がらせています。
なぜ、ドイツの国民はヒトラーを受け入れたのでしょうか。そのプロセスを克明に著した有名な書物に、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」があります。
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この書籍では、国民が「自由であること」から逃げるように全体主義へと陥っていくメカニズムが詳細に記述されています。自由こそが人類の悲願であるにもかかわらず、なぜ自らを縛り付ける独裁制を受け入れたのでしょうか。人類の永遠の課題でしょう。
これは現代社会にも言えることです。自由であり、民主主義体制であることを維持するのは、実はかなり労力を要することです。少なくとも、腐敗を見逃さない権力機構への不断の監視が必要でしょう。それを放棄してしまうことは簡単です。しかし、その怠惰こそが、このブログで取りあげている「集団ストーカー」のような非民主主義的な加害行為を横行させることにつながります。
![]() | もうひとつの「バイロイトの第9」 (2008/06/25) フルトヴェングラー(ヴィルヘルム) シュヴァルツコップ(エリーザベト) 商品詳細を見る |
いったんそのように社会が変質してしまっては、そこから健全な状態に戻すのがどれだけ難しいかをドイツ国民は経験しています。1951年に、バイロイト音楽祭でフルトヴェングラーがベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」を演奏しましたが、それまで中止されていました。この音楽祭が戦後のドイツ社会の再出発の象徴となるまで、暗黒のトンネルと潜り抜けてきました。光明を思わせるこの演奏は、今でも歴史上最高の歓喜の歌の演奏として語り継がれています。
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また、喜劇王のC.チャップリンも「独裁者」でファシズムを批判しました。当時としては恐ろしいほどの勇気が必要だったことでしょう。松本人志氏をはじめ、今の時代のお笑い芸人が気骨の人だと見えるのは自分だけでしょうか。
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ヒトラーの時代には戦意の高揚のためにワーグナーの曲が悪用されてきました。もともと壮大なワーグナーの音楽が忌々しい存在になってしまうのです。それは、ベトナム戦争を描いたフランシス・F・コッポラ監督の「地獄の黙示録」で使用されていることからも明らかです。昨日の朝日新聞に、米軍従事者が社会への就職などの受け入れで差別的な扱いを受けていることが記事にされています。ドイツ社会は現在でも映画の中に描かれたヒトラーの寛容な像を受け入れることができないと「編集手帳」で指摘しています。今なお戦争の闇は人類を覆っているといえるでしょう。私としては、戦争によって起きる不幸を最小限にするのが先進民主主義国家の役割だと思っています。
ここで話を「集団ストーカー問題」に戻します。この問題は一言でいうと、「民主主義社会の中にそうではない存在がローカルに生まれ、民主主義を蝕む病理」と表現することができます。民主主義の制度設計の裏を突いた犯罪群であり、これに対する処方箋をいまだ民主主義社会は見出すことができていません。歴史的に人類が経験してこなかったことでもあります。あまりにタブー性の強いホロコースト問題を、これだけの映画に昇華させたスピルバーグ監督を見習わなければならないでしょう。
最後に一言申し上げます。昨日の北海道5区補選は、民主主義的に選ばれた、大きな差を開かせての町村さんの勝利と見て間違いないでしょう。日本をはじめ、先進諸国が民主主義の黄金時代を取り戻し、護るという役割を遂行されることを心の底よりお願い申し上げ、末尾とさせていただきます。
【2010年10月25日追記】
スポーツも政治に大きく巻き込まれます。時代によってはオリンピックの開催を拒否されます。チャップリンの曲を使っているフィギュアスケートの織田信成選手や高橋大輔選手には苦境の中でお疲れさまですと申し上げたいです。両選手とも選手生命の危うい状況を乗り越えて選手を続けられています。高橋選手は大けがの後に復帰されて世界でトップのステップを獲得されました。両選手とも、頑張ってほしいの一言です。
民主主義の高度化が先進主要国にもたらすもの
~民主主義の黄金時代をもう一度取り戻すためには~
-最終更新日:2010年10月11日(木)-
民主党が4月ごろに私の立候補を匂わせて以降、この問題の恐らくもっともきつい被害に巻き込まれてきました。さらにその上にブログ作業を強要されて、限界に達してきました。この3カ月で5回しか外出していません。もともとこの被害者でしたが、立候補の話がなければこんなにひどい被害はなかったでしょう。
ただし、読んでいただいた方にはお伝えします。すでに日本社会で政治レベルで公表寸前までいっています。被害者の皆様にはご希望の念を抱いていただけますと幸いです。(2010年10月23日土曜日)
(10月24日に下に追記をしました。ぜひご覧になってください。)
これまで、さまざまな視点から考察してきました。そこで得られた私の結論は、「民主主義を高度化することによって、社会の理不尽を解消し、より円滑に社会が推進される民主主義先進国」を目指す。それによって、社会の無駄な対立によるコストを低減させ、その余剰分で国が栄えることができるというものです。
もう少し簡単にご説明します。以前、民族紛争から考察したことがありました。この問題も、一種の民族間の対立です。では、その民族紛争が起きている国家はどうでしょうか。対立が対立を生み、暴力の連鎖によって国が破壊されます。場合によっては民主主義制度すら失われます。それによって受ける損失は、極めて高コストで取り返しがつきません。それどころか、民族同士の対立感情が長年固着し、解消できなくなります。
こうなってしまってはその国は終わりです。負のコストが積み重なっていくのを防ぐことはできません。従って、レベルの高い民主主義国家は、強い意志によってその対立を克服します。このブログでは、このような状態を乗り越えるメタメッセージをさまざまな場所に配置してきました。鋭い方はお分かりかと思いますが、さまざまな立場や考え方を、その形が失われることなく、対立しないようにブログの各所に配置してきました。考え方が違うものは、同一化できません。しかし、対立を防ぐようにうまく配置させてやれば、逆に社会を円滑に進めることができます。これは、以前申し上げた「対話」による関係によって慎重に維持されるものであり、これこそ真の共生社会です。この極めて危うい緊張によって維持される平和が、真の民主主義の平和です。腐敗しないためには不断の努力でしか維持できません。
なぜ、民主主義が衰退したか。これをもう一度ご説明します。端的にいうと、国際的なグローバル化の推進のためには、必ずしも民主主義である必要がなかったからです。北海道大学教授、山口二郎氏の対談・コラム集で、外岡秀俊氏はこのように述べています。
裏を返せば、彼が言おうとしているのは、いまのグローバル化した社会が必ずしも民主主義とセットにはならない、ということです。あるいはアメリカや日本であっても、必ずしも経済的豊かさ、国際経済化が、民主主義と結びつかない、そういうパラダイムの時代に私たちはいるんだ、というふうに言い換えてもいいと思うんですね。つまり、極端なことを言うと、独裁制あるいは専制社会とグローバル経済が一体化する国が出現してもおかしくない、という大変怖い指摘でもあると思うんです。(注1)p83~121抜粋
この指摘は、外岡さんが対話したスラヴォイ・ジジェク氏が述べたことです。冷戦後のパラダイムは、「民主主義の勝利」でした。それは政治的自由をうたう民主主義国家において、経済的自由に基づいた市場原理主義経済の勝利でもありました。しかし民主主義国家は、一転、資本主義が過熱してエスカレートした際、国際競争に勝ち抜くために今度は民主主義を度外視した社会体制をとるようになりました。その闇の一部がこのブログで提起している問題というわけです。一つの極端な考えが、そうでない考えを押しやる。あるいは、社会への見せしめとしてこのような力を使ってきた。最後にはそれが暴走して歯止めがきかなくなった。不要な対立を生み、利益が利益を生む過程で、さらなる生贄を求める。こうなると、「新自由主義」がその本来の理念としたものを超えて暴走したといわざるを得ないでしょう。この数年は世界的に民主主義国家にとって暗黒の時代だったのではないでしょうか。その清算がいま求められていると思うのです。
このように一つの国家が二つの考えに分断されてしまうという現象。これは多くの先進主義国家で生じていることです。ベルリンの壁以前に東ドイツでシュタージという秘密警察問題が発生していたことを述べましたが、一転して昨年2009年9月のドイツ総選挙では、その社会主義体制を支えた党が躍進しました。これは「オスタルギー(東への郷愁)」という社会現象として世界で報道されました。また、日本を含め多くの国が政権交代や第三政党の躍進を経験しています。
ここで訂正しなければならないのは、そこからすでに世界はもう一歩動いているということです。どの国家も、現在の厳しい財政状況の中で、リベラル的な考えばかりしていられない。そのなかで保守勢力が巻き返しています。今度のアメリカの中間選挙もどうなるか分からない状態です。あまりに世界の揺れ動きが多く、不安定な状況が続いています。そのなかで、多くの先進主要国で相対する勢力の分断・対立が先鋭化しています。アメリカの「ティー・パーティ」という言葉を多くの人がニュースで聞いたはずです。
さらに、どの国も財政再建が難しい状況です。これはこの前のカナダG7で財政再建が主要な話題となったことから明らかです。日本が最も深刻です。このような状態の時に、国内で争っている余裕がありますか? 答えはどのような国もNOでしょう。どの国も悩みの種の国内の亀裂を解消したい。しかし、なかなかうまくいかない。これがうまくいけば、対立による国内のロスが解消されます。そして、関係を適正化することによって国内浮揚を行いたいはずです。
また、次の命題も、先進主要国が民主主義を健全化しなければならないという事態を突き付けています。今年のノーベル平和賞を受賞した劉暁波さんの受賞理由とされているものです。いま、世界は新たなパラダイムに突入しています。それは「民主主義とそうでないものの戦い」です。これは、当初の方に書いた、「グローバリズムによって国家が世界で金儲けをするには主義主張は何でもかまわなくなってしまった」という事態に由来しています。つまり、これから新興国が民主主義を度外視させてまで経済発展を国際的に求めていく可能性があるわけです。それを、民主主義先進国がどこまで人道主義によって防ぐことができるか。しばらくはこの緊張状態が続くでしょう。今回は中国の政治的圧力にスウェーデンが真っ向から立ち向かったということになります。昨年のオバマ大統領の受賞も、コーポラティズム的ヨーロッパ社会のアメリカへの社会適正化の突きつけでした。今、未曽有の「民主主義の衰退」という事態を先進主要国は乗り越えなければならないのです。
となると、日本の状況も待ったなしです。まずは国内で生じている対立をうまく「対話」によって乗り越えなければなりません。結果、対立によるコストの低減を行うことができれば、その余剰分で財政再建を果たす目途もたちます。場合によっては、高度化された民主主義の制度設計を後進国に輸出できるかもしれません。
ブログでとりあげるには長い理論の展開でしたが、「民主主義の高度化によって財政再建を果たすという理論」とはこのようなものです。まだ抽象的なものでしかありませんが、この意識を心がければ、日本の未来は明るいだろうというのが自分の持論です。
(注1)「民主政治の始まり 政権交代を起点に世界を視る」山口二郎編著 2010 七つ森書館
【2010年10月24日(日)追記】
・メディアの権能の復活について
この記事では、先進国がいかに民主主義を復活させ高度化させるかについての序論を展開してきました。ここでは、後に取りあげることになるテーマについて少し追記します。
近年では、インターネットの発達とともに既存メディアの権威性や力が低下しています。それとともに、メディアが民主主義を担保する機能が低下しているとよく言われる時代になりました。
昭和の時代は、メディアに民主主義のチェック機能がありました。庶民が今のインターネット時代ほど発言できる公的な領域がなかったために、一流のメディア人がプライドをかけて民主主義を守っていました。それがそのまま民主主義の黄金時代を作り上げていました。
インターネットが発達して情報革命が起きた今、筑紫哲也さんのいう「第四の権力」と呼ばれた旧来の権力構造には戻らないでしょう。しかし、それでもメディアは日本で最も一流の人が集まる就職先の一つです。特にテレビキャスターは報道の内容によっては慎重さが強く求められるプレッシャーの高い仕事です。
また、人並み外れた正義感も求められます。ミャンマーの暴動を写真に収めながら凶弾に倒れた故長井健司さんが正義の塊のような存在であるように、メディアに属する人にはそのような正義感が求められます。筆者の知人のフジテレビに勤めたADは、30歳になる前に辞めて弁護士になる道を歩み始めました。このように、正義と現実のダブルバインドに葛藤するキャスターの方は多いのではないかと推察します。
ここ10年ほどは既存のメディアの逆境と呼べる時代でした。お金をもらってプロの仕事をしているメディアに、もっと権威性が復活してよいのではないかと思います。情報が氾濫する社会の中で、人は情報のよりどころとするものを失っています。それはすなわち規範の画一性の衰退であり、今の世の中の人が心の底から求めているものだと思います。
今は正義感を体現しながら報道される方も多くなってきました。芸能人の方々も含めてメディアに倫理性が戻りつあると感じる昨今です。筆者は最近テレビを見ることが多いですが、暖かい報道が多くなったなと痛感しています。メディアの方々には大変なお仕事ですが、民主主義を守る存在です。頑張って頂けますと幸いです。私もこのブログを通じて頑張っていきたいと思っています。
・アメリカの自由のルーツとは -マイケル・サンデル氏の著書より-
このブログで申し上げている民主主義には多様な形があります。アメリカでは自己決定を個人にゆだねる自由主義が称揚されがちなのはみなさんご存知だと思います。ところが、共同体的自己決定が行われる共和主義こそが、アメリカ的なリバタリアニズムのルーツであるとハーバード大学のマイケル・サンデル教授は指摘しています。空虚な自己の決定はともすればヴィトゲンシュタイン的な独我論に陥ってしまうように、共同体という他者が決定した方が倫理にかなうことの方が多いことを昭和の民主主義黄金時代は物語っています。
マイケル・サンデル氏の主張著書で、講義がNHK教育テレビでも放送された「これから『正義』の話をしよう」は個人的に生の講義を一度は受けてみたいと願っています。ハーバード大学の大講義室を見たときは驚きました。一度あのような講義室で講義を受けてみたいというのが勉強好きな人の夢だと思います。まだ読みかけですが、相対的に物事を考える哲学的な視点を素養するには最良の書物です。ぜひご覧になって頂ければ幸いです。
-最終更新日:2010年10月11日(木)-
民主党が4月ごろに私の立候補を匂わせて以降、この問題の恐らくもっともきつい被害に巻き込まれてきました。さらにその上にブログ作業を強要されて、限界に達してきました。この3カ月で5回しか外出していません。もともとこの被害者でしたが、立候補の話がなければこんなにひどい被害はなかったでしょう。
ただし、読んでいただいた方にはお伝えします。すでに日本社会で政治レベルで公表寸前までいっています。被害者の皆様にはご希望の念を抱いていただけますと幸いです。(2010年10月23日土曜日)
(10月24日に下に追記をしました。ぜひご覧になってください。)
これまで、さまざまな視点から考察してきました。そこで得られた私の結論は、「民主主義を高度化することによって、社会の理不尽を解消し、より円滑に社会が推進される民主主義先進国」を目指す。それによって、社会の無駄な対立によるコストを低減させ、その余剰分で国が栄えることができるというものです。
もう少し簡単にご説明します。以前、民族紛争から考察したことがありました。この問題も、一種の民族間の対立です。では、その民族紛争が起きている国家はどうでしょうか。対立が対立を生み、暴力の連鎖によって国が破壊されます。場合によっては民主主義制度すら失われます。それによって受ける損失は、極めて高コストで取り返しがつきません。それどころか、民族同士の対立感情が長年固着し、解消できなくなります。
こうなってしまってはその国は終わりです。負のコストが積み重なっていくのを防ぐことはできません。従って、レベルの高い民主主義国家は、強い意志によってその対立を克服します。このブログでは、このような状態を乗り越えるメタメッセージをさまざまな場所に配置してきました。鋭い方はお分かりかと思いますが、さまざまな立場や考え方を、その形が失われることなく、対立しないようにブログの各所に配置してきました。考え方が違うものは、同一化できません。しかし、対立を防ぐようにうまく配置させてやれば、逆に社会を円滑に進めることができます。これは、以前申し上げた「対話」による関係によって慎重に維持されるものであり、これこそ真の共生社会です。この極めて危うい緊張によって維持される平和が、真の民主主義の平和です。腐敗しないためには不断の努力でしか維持できません。
なぜ、民主主義が衰退したか。これをもう一度ご説明します。端的にいうと、国際的なグローバル化の推進のためには、必ずしも民主主義である必要がなかったからです。北海道大学教授、山口二郎氏の対談・コラム集で、外岡秀俊氏はこのように述べています。
裏を返せば、彼が言おうとしているのは、いまのグローバル化した社会が必ずしも民主主義とセットにはならない、ということです。あるいはアメリカや日本であっても、必ずしも経済的豊かさ、国際経済化が、民主主義と結びつかない、そういうパラダイムの時代に私たちはいるんだ、というふうに言い換えてもいいと思うんですね。つまり、極端なことを言うと、独裁制あるいは専制社会とグローバル経済が一体化する国が出現してもおかしくない、という大変怖い指摘でもあると思うんです。(注1)p83~121抜粋
この指摘は、外岡さんが対話したスラヴォイ・ジジェク氏が述べたことです。冷戦後のパラダイムは、「民主主義の勝利」でした。それは政治的自由をうたう民主主義国家において、経済的自由に基づいた市場原理主義経済の勝利でもありました。しかし民主主義国家は、一転、資本主義が過熱してエスカレートした際、国際競争に勝ち抜くために今度は民主主義を度外視した社会体制をとるようになりました。その闇の一部がこのブログで提起している問題というわけです。一つの極端な考えが、そうでない考えを押しやる。あるいは、社会への見せしめとしてこのような力を使ってきた。最後にはそれが暴走して歯止めがきかなくなった。不要な対立を生み、利益が利益を生む過程で、さらなる生贄を求める。こうなると、「新自由主義」がその本来の理念としたものを超えて暴走したといわざるを得ないでしょう。この数年は世界的に民主主義国家にとって暗黒の時代だったのではないでしょうか。その清算がいま求められていると思うのです。
このように一つの国家が二つの考えに分断されてしまうという現象。これは多くの先進主義国家で生じていることです。ベルリンの壁以前に東ドイツでシュタージという秘密警察問題が発生していたことを述べましたが、一転して昨年2009年9月のドイツ総選挙では、その社会主義体制を支えた党が躍進しました。これは「オスタルギー(東への郷愁)」という社会現象として世界で報道されました。また、日本を含め多くの国が政権交代や第三政党の躍進を経験しています。
ここで訂正しなければならないのは、そこからすでに世界はもう一歩動いているということです。どの国家も、現在の厳しい財政状況の中で、リベラル的な考えばかりしていられない。そのなかで保守勢力が巻き返しています。今度のアメリカの中間選挙もどうなるか分からない状態です。あまりに世界の揺れ動きが多く、不安定な状況が続いています。そのなかで、多くの先進主要国で相対する勢力の分断・対立が先鋭化しています。アメリカの「ティー・パーティ」という言葉を多くの人がニュースで聞いたはずです。
さらに、どの国も財政再建が難しい状況です。これはこの前のカナダG7で財政再建が主要な話題となったことから明らかです。日本が最も深刻です。このような状態の時に、国内で争っている余裕がありますか? 答えはどのような国もNOでしょう。どの国も悩みの種の国内の亀裂を解消したい。しかし、なかなかうまくいかない。これがうまくいけば、対立による国内のロスが解消されます。そして、関係を適正化することによって国内浮揚を行いたいはずです。
また、次の命題も、先進主要国が民主主義を健全化しなければならないという事態を突き付けています。今年のノーベル平和賞を受賞した劉暁波さんの受賞理由とされているものです。いま、世界は新たなパラダイムに突入しています。それは「民主主義とそうでないものの戦い」です。これは、当初の方に書いた、「グローバリズムによって国家が世界で金儲けをするには主義主張は何でもかまわなくなってしまった」という事態に由来しています。つまり、これから新興国が民主主義を度外視させてまで経済発展を国際的に求めていく可能性があるわけです。それを、民主主義先進国がどこまで人道主義によって防ぐことができるか。しばらくはこの緊張状態が続くでしょう。今回は中国の政治的圧力にスウェーデンが真っ向から立ち向かったということになります。昨年のオバマ大統領の受賞も、コーポラティズム的ヨーロッパ社会のアメリカへの社会適正化の突きつけでした。今、未曽有の「民主主義の衰退」という事態を先進主要国は乗り越えなければならないのです。
となると、日本の状況も待ったなしです。まずは国内で生じている対立をうまく「対話」によって乗り越えなければなりません。結果、対立によるコストの低減を行うことができれば、その余剰分で財政再建を果たす目途もたちます。場合によっては、高度化された民主主義の制度設計を後進国に輸出できるかもしれません。
ブログでとりあげるには長い理論の展開でしたが、「民主主義の高度化によって財政再建を果たすという理論」とはこのようなものです。まだ抽象的なものでしかありませんが、この意識を心がければ、日本の未来は明るいだろうというのが自分の持論です。
(注1)「民主政治の始まり 政権交代を起点に世界を視る」山口二郎編著 2010 七つ森書館
【2010年10月24日(日)追記】
・メディアの権能の復活について
この記事では、先進国がいかに民主主義を復活させ高度化させるかについての序論を展開してきました。ここでは、後に取りあげることになるテーマについて少し追記します。
近年では、インターネットの発達とともに既存メディアの権威性や力が低下しています。それとともに、メディアが民主主義を担保する機能が低下しているとよく言われる時代になりました。
昭和の時代は、メディアに民主主義のチェック機能がありました。庶民が今のインターネット時代ほど発言できる公的な領域がなかったために、一流のメディア人がプライドをかけて民主主義を守っていました。それがそのまま民主主義の黄金時代を作り上げていました。
インターネットが発達して情報革命が起きた今、筑紫哲也さんのいう「第四の権力」と呼ばれた旧来の権力構造には戻らないでしょう。しかし、それでもメディアは日本で最も一流の人が集まる就職先の一つです。特にテレビキャスターは報道の内容によっては慎重さが強く求められるプレッシャーの高い仕事です。
また、人並み外れた正義感も求められます。ミャンマーの暴動を写真に収めながら凶弾に倒れた故長井健司さんが正義の塊のような存在であるように、メディアに属する人にはそのような正義感が求められます。筆者の知人のフジテレビに勤めたADは、30歳になる前に辞めて弁護士になる道を歩み始めました。このように、正義と現実のダブルバインドに葛藤するキャスターの方は多いのではないかと推察します。
ここ10年ほどは既存のメディアの逆境と呼べる時代でした。お金をもらってプロの仕事をしているメディアに、もっと権威性が復活してよいのではないかと思います。情報が氾濫する社会の中で、人は情報のよりどころとするものを失っています。それはすなわち規範の画一性の衰退であり、今の世の中の人が心の底から求めているものだと思います。
今は正義感を体現しながら報道される方も多くなってきました。芸能人の方々も含めてメディアに倫理性が戻りつあると感じる昨今です。筆者は最近テレビを見ることが多いですが、暖かい報道が多くなったなと痛感しています。メディアの方々には大変なお仕事ですが、民主主義を守る存在です。頑張って頂けますと幸いです。私もこのブログを通じて頑張っていきたいと思っています。
・アメリカの自由のルーツとは -マイケル・サンデル氏の著書より-
![]() | これからの「正義」の話をしよう -いまを生き延びるための哲学- (2010/05/22) マイケル・サンデル Michael J. Sandel 商品詳細を見る |
このブログで申し上げている民主主義には多様な形があります。アメリカでは自己決定を個人にゆだねる自由主義が称揚されがちなのはみなさんご存知だと思います。ところが、共同体的自己決定が行われる共和主義こそが、アメリカ的なリバタリアニズムのルーツであるとハーバード大学のマイケル・サンデル教授は指摘しています。空虚な自己の決定はともすればヴィトゲンシュタイン的な独我論に陥ってしまうように、共同体という他者が決定した方が倫理にかなうことの方が多いことを昭和の民主主義黄金時代は物語っています。
マイケル・サンデル氏の主張著書で、講義がNHK教育テレビでも放送された「これから『正義』の話をしよう」は個人的に生の講義を一度は受けてみたいと願っています。ハーバード大学の大講義室を見たときは驚きました。一度あのような講義室で講義を受けてみたいというのが勉強好きな人の夢だと思います。まだ読みかけですが、相対的に物事を考える哲学的な視点を素養するには最良の書物です。ぜひご覧になって頂ければ幸いです。
テクノロジー犯罪被害者による被害報告集
~遠隔技術悪用を告発する33名による実態報告~
-最終更新日:2010年10月20日(水)-
今回とりあげる書籍は、この問題の核心をついた書籍です。このブログで何度も取りあげてきましたが、重要な項目なので、カテゴリ「書籍・参考図書の紹介」でもご紹介させていただきます。
この書籍、初版が今年の5月に出版されましたが、売れ行きが好調であるために来春には遅くとも売り切れになるそうです。しかし、費用が掛かるために重版が難しいという現状があります。
この書籍は、①当初に理事長の石橋氏のまとめ、②次に行政ウォッチャーの山本節子氏のコラム、③メインコンテンツとして被害者33名の証言集、④最後に副理事長の内山氏のあとがき、という構成となっています。③のメインコンテンツが膨大で、①~④全体の総ページ数は600ページ近くにわたります。これだけの厚みの本が上記のように品薄になるという事態は、通常では想定できないそうです。いかに世の中の潜在的なニーズが多いかを物語っています。
なお、この書籍には、「集団ストーカー」という単語がたくさん出てきます。恐らく公的な出版物として被害者の状況を正しく表現したのは日本初でしょう。内容は過去にたくさん触れてきましたので、ここでは歴史的意義について述べてみようと思います。
この被害の被害者は、長年精神疾患であると誤認されてきました。それがこの本の出版によって公的な権威を付与されたに等しい状態となりました。これが最もインパクトのある意義でしょう。容易なことではなく、出版する立場の方が危険な状況にさらされることすら意味します。この本が出版されたとき、私はウェブをチェックしていましたが、紀伊国屋書店は当初からちゃんと掲載していました。しかし、別のブックストアでは検索に出てこなかったりするなど、書店によってはタブー性が極めて強いために掲載を控えるところもあったようです。これは、極めて重い社会問題だということを間接的に意味しています。
ここでは、「あとがき」の内山氏の文章を抜粋したいと思います。(同著p.590~)
「被害者はこういう事実に対し、絶えず捨て身で立ち向かわなければならないというのが実情です。」
「(集団)ストーキングという悪行は被害を被る者を孤立無援にさせる傾向がありますが、それはこのハイテクを利用した悪行についても当てはまることです。孤立は加害者の思う壺。被害者を孤立させるためには加害者はどんな汚いことでも平然と行います。その最悪の状態から何としても一段安全な場所に被害者を誘導したいという一心でこの被害者団体は存在しております。」
「新聞を始めとするメディア方面もそろそろ受け入れを窺わせてくれています。そういう雰囲気からこの事態が世に認知されるのは時間の問題だと私は思っています。」
我々被害者は、一刻も早くこの問題が世間に認知され、救済されることを心より願っています。政府関係者の皆様、マスコミ関係者の皆様、大変な問題でありますが、何卒よろしく申し上げます。

【内山氏作成の書籍のポスターです。ぜひご覧になってください。】
この書籍の内容について触れた記事としては以下のものがあります。
被害について(1)~ブログをはじめるにあたって~
被害について(2)~被害の概要(前半)~
被害について(3)~被害の概要(後半)~
ほかにも、この被害の基礎的な記事の延長線上に考察しています。右のプラグイン、カテゴリ一覧などからご覧になって頂ければ幸いです。
(▼続きを読む▼に8月10日・11日の被害記録を掲載いたします。ぜひご覧になってください。)
-最終更新日:2010年10月20日(水)-
![]() | テクノロジー犯罪被害者による被害報告集 遠隔技術悪用を告発する33名の被害者自身による被害実態報告 (2010/05) 内山 治樹 商品詳細を見る |
今回とりあげる書籍は、この問題の核心をついた書籍です。このブログで何度も取りあげてきましたが、重要な項目なので、カテゴリ「書籍・参考図書の紹介」でもご紹介させていただきます。
この書籍、初版が今年の5月に出版されましたが、売れ行きが好調であるために来春には遅くとも売り切れになるそうです。しかし、費用が掛かるために重版が難しいという現状があります。
この書籍は、①当初に理事長の石橋氏のまとめ、②次に行政ウォッチャーの山本節子氏のコラム、③メインコンテンツとして被害者33名の証言集、④最後に副理事長の内山氏のあとがき、という構成となっています。③のメインコンテンツが膨大で、①~④全体の総ページ数は600ページ近くにわたります。これだけの厚みの本が上記のように品薄になるという事態は、通常では想定できないそうです。いかに世の中の潜在的なニーズが多いかを物語っています。
なお、この書籍には、「集団ストーカー」という単語がたくさん出てきます。恐らく公的な出版物として被害者の状況を正しく表現したのは日本初でしょう。内容は過去にたくさん触れてきましたので、ここでは歴史的意義について述べてみようと思います。
この被害の被害者は、長年精神疾患であると誤認されてきました。それがこの本の出版によって公的な権威を付与されたに等しい状態となりました。これが最もインパクトのある意義でしょう。容易なことではなく、出版する立場の方が危険な状況にさらされることすら意味します。この本が出版されたとき、私はウェブをチェックしていましたが、紀伊国屋書店は当初からちゃんと掲載していました。しかし、別のブックストアでは検索に出てこなかったりするなど、書店によってはタブー性が極めて強いために掲載を控えるところもあったようです。これは、極めて重い社会問題だということを間接的に意味しています。
ここでは、「あとがき」の内山氏の文章を抜粋したいと思います。(同著p.590~)
「被害者はこういう事実に対し、絶えず捨て身で立ち向かわなければならないというのが実情です。」
「(集団)ストーキングという悪行は被害を被る者を孤立無援にさせる傾向がありますが、それはこのハイテクを利用した悪行についても当てはまることです。孤立は加害者の思う壺。被害者を孤立させるためには加害者はどんな汚いことでも平然と行います。その最悪の状態から何としても一段安全な場所に被害者を誘導したいという一心でこの被害者団体は存在しております。」
「新聞を始めとするメディア方面もそろそろ受け入れを窺わせてくれています。そういう雰囲気からこの事態が世に認知されるのは時間の問題だと私は思っています。」
我々被害者は、一刻も早くこの問題が世間に認知され、救済されることを心より願っています。政府関係者の皆様、マスコミ関係者の皆様、大変な問題でありますが、何卒よろしく申し上げます。


【内山氏作成の書籍のポスターです。ぜひご覧になってください。】
この書籍の内容について触れた記事としては以下のものがあります。
被害について(1)~ブログをはじめるにあたって~
被害について(2)~被害の概要(前半)~
被害について(3)~被害の概要(後半)~
ほかにも、この被害の基礎的な記事の延長線上に考察しています。右のプラグイン、カテゴリ一覧などからご覧になって頂ければ幸いです。
(▼続きを読む▼に8月10日・11日の被害記録を掲載いたします。ぜひご覧になってください。)
Overcoming Organized Stalking and Electronic Harassment
- English introduction to this blog -
-Last update Monday, October 18, 2010-
This is one of the blogs created by the victims of "Organized Stalking" and "Electronic Harassment". The blog name is "集団ストーカー問題を克服する" in Japanese. This name means that endurance and patience is necessary to overcome this problem by people in democratic countries.
"Organized Stalking" and "Electronic Harassment" is a serious human rights violation that should not exist in the democratic societies. Many victims find it impossible to live ordinary lives for long periods of time. In extreme cases, this has led to the suicide of the victim. But, Japanese society has been unable to solve this problem. I hope it will be solved in all countries facing this problem.
This blog contains articles "about the damage" "coping with the damage" "consideration from a social problem" etc... I write these from various viewpoints.
The following poster is an introduction to the book, and contains reports of 33 victims

and the following, the Japanese amazon web shop link
-Last update Monday, October 18, 2010-
This is one of the blogs created by the victims of "Organized Stalking" and "Electronic Harassment". The blog name is "集団ストーカー問題を克服する" in Japanese. This name means that endurance and patience is necessary to overcome this problem by people in democratic countries.
"Organized Stalking" and "Electronic Harassment" is a serious human rights violation that should not exist in the democratic societies. Many victims find it impossible to live ordinary lives for long periods of time. In extreme cases, this has led to the suicide of the victim. But, Japanese society has been unable to solve this problem. I hope it will be solved in all countries facing this problem.
This blog contains articles "about the damage" "coping with the damage" "consideration from a social problem" etc... I write these from various viewpoints.
The following poster is an introduction to the book, and contains reports of 33 victims

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![]() | テクノロジー犯罪被害者による被害報告集―遠隔技術悪用を告発する33名の被害者自身による被害実態報告 (2010/05) 内山 治樹 商品詳細を見る |
この英文記事は翻訳者に著作権が帰属します。無断使用を禁じます。
エンティン・タランティーノ監督「パルプ・フィクション」
監督:クエンティン・タランティーノ
出演:ジョン・トラボルタ ユマ・サーマン サミュエル・ジャクソン ブルース・ウィリス 他 (1994年 アメリカ)
-最終更新日:2010年10月14日(木)-
おなじみ、クエンティン・タランティーノ監督の出世作「パルプ・フィクション」です。カンヌ映画祭のパルムドールを獲得しているので、説明が不要なくらい有名な映画です。他にもアカデミー脚本賞を獲得しています。緻密な構成の時系列を組み替えたストーリー展開が観客を惹き込みます。
この映画、大学に入学した直後に見てハマりました。英語の台本を購入したくらいです。また、最高に音楽がイケてます。映画の冒頭では、チンピラが強盗の脅し文句を客にかけた直後にディック・デイルの"misirlou"が流れます。ここからして観客をひきつけます。映画中にはさまざまなサーフミュージックなどアメリカのメジャー曲が流れますが、タランティーノ監督の選曲が素晴らし過ぎます。10年以上たってもサントラを車のCDに入れています。他にもキルビルやデス・プルーフのサントラなども大抵車のディスクチェンジャーの中に入っています。(ただし、これら3つの映画は18歳以上になってご覧くださいね。)
タランティーノ監督は日本と縁が深い側面があります。柳楽優弥さんが是枝裕和監督の「誰も知らない」でカンヌの主演男優賞を獲得した時の審査委員長がクエンティン・タランティーノ氏です。また、この映画や後の「キルビル」には「仁義なき戦い」の深作欣二に対するオマージュがふんだんにこめられています。
「パルプ・フィクション」の映画のなかにも様々なオマージュがあります。サミュエル・ジャクソンが演じるウィンフィールドの殺し文句「エゼキエル書25:17」は実は後半部分しかあってなく、前半部分の由来は千葉真一の映画セリフだと言われています。また、梶芽衣子主演の「修羅雪姫」なども好きだそうで、「キルビル」のラストのエンドロールに演歌「恨み節」が流れます。まさかハリウッド映画に演歌が流れるとは演歌の大御所、北島三郎氏もビックリでしょう(笑)。
そのタランティーノ監督、スタイルである過激な描写と饒舌なせりふ回しで当初に注目されたのは「レザボア・ドッグス」という映画です。これは、スタンリー・キューブリック監督の「現金に体を張れ」に触発されて作ったものだと言われています。私が幸運なのは、通常では入荷しない「現金に体を張れ」を店頭に並べるほど名作をたくさん入荷していたレンタルショップが、学生時代に下宿のすぐ近くにあったことです。今ではなかなか手に入らないビデオも借りることができました。タランティーノ監督も、デビューする前にあさるほど映画を借りてみたと言われています。B級ホラーなどあらゆる映画のボキャブラリーを駆使して映画を作成するスタンスのルーツはここにあるのでしょう。
なお、「パルプ・フィクション」はジョン・トラボルタが主演ですが、ブルース・ウィリスも出演しています。半分友情出演ですが、スポーツ賭博を請け負ううらぶれたボクサーを好演しています。ブルース・ウィリスは「ダイ・ハード」シリーズや「アルマゲドン」などで有名ですが、異色のキャリアとしか言いようがありません。それでも、作品に面白いスパイスを振りまく演技力を発揮しています。
ボクサーといえば、「ロッキー」シリーズのシルベスタ・スタローンも思い入れがあります。自分の中高生時代に、おそらくシリーズ全てを鑑賞しています。シンプルながらも、「ランボー」同様に感動をもたらしてくれる存在でした。このシルベスタ・スタローン氏が監督・主演をつとめ、ブルースウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガーが友情出演する映画「エクスペンダブルズ」が日本で昨日公開されました。アクションマニアとしては溜飲ものとしか言いようがありません。
⇒ 【エクスペンダブルズ公式HPへのリンク】
映画は、かなりの部分において筆者の成長に影響を及ぼしています。小さいころは分かりやすいストーリーで感動できる「ロッキー」など民放で放送される映画はほとんど見ていました。自分は大学を卒業するまで映画をよく見ましたが、社会人になってほとんど鑑賞する暇がなくなりました。このブログの作成を機に、さまざまな名作をもう一度見てみたくなった今日この頃です。
出演:ジョン・トラボルタ ユマ・サーマン サミュエル・ジャクソン ブルース・ウィリス 他 (1994年 アメリカ)
-最終更新日:2010年10月14日(木)-
![]() | パルプ・フィクション [DVD] (2006/06/23) ブルース・ウィリス ジョン・トラボルタ 商品詳細を見る |
おなじみ、クエンティン・タランティーノ監督の出世作「パルプ・フィクション」です。カンヌ映画祭のパルムドールを獲得しているので、説明が不要なくらい有名な映画です。他にもアカデミー脚本賞を獲得しています。緻密な構成の時系列を組み替えたストーリー展開が観客を惹き込みます。
この映画、大学に入学した直後に見てハマりました。英語の台本を購入したくらいです。また、最高に音楽がイケてます。映画の冒頭では、チンピラが強盗の脅し文句を客にかけた直後にディック・デイルの"misirlou"が流れます。ここからして観客をひきつけます。映画中にはさまざまなサーフミュージックなどアメリカのメジャー曲が流れますが、タランティーノ監督の選曲が素晴らし過ぎます。10年以上たってもサントラを車のCDに入れています。他にもキルビルやデス・プルーフのサントラなども大抵車のディスクチェンジャーの中に入っています。(ただし、これら3つの映画は18歳以上になってご覧くださいね。)
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タランティーノ監督は日本と縁が深い側面があります。柳楽優弥さんが是枝裕和監督の「誰も知らない」でカンヌの主演男優賞を獲得した時の審査委員長がクエンティン・タランティーノ氏です。また、この映画や後の「キルビル」には「仁義なき戦い」の深作欣二に対するオマージュがふんだんにこめられています。
「パルプ・フィクション」の映画のなかにも様々なオマージュがあります。サミュエル・ジャクソンが演じるウィンフィールドの殺し文句「エゼキエル書25:17」は実は後半部分しかあってなく、前半部分の由来は千葉真一の映画セリフだと言われています。また、梶芽衣子主演の「修羅雪姫」なども好きだそうで、「キルビル」のラストのエンドロールに演歌「恨み節」が流れます。まさかハリウッド映画に演歌が流れるとは演歌の大御所、北島三郎氏もビックリでしょう(笑)。
そのタランティーノ監督、スタイルである過激な描写と饒舌なせりふ回しで当初に注目されたのは「レザボア・ドッグス」という映画です。これは、スタンリー・キューブリック監督の「現金に体を張れ」に触発されて作ったものだと言われています。私が幸運なのは、通常では入荷しない「現金に体を張れ」を店頭に並べるほど名作をたくさん入荷していたレンタルショップが、学生時代に下宿のすぐ近くにあったことです。今ではなかなか手に入らないビデオも借りることができました。タランティーノ監督も、デビューする前にあさるほど映画を借りてみたと言われています。B級ホラーなどあらゆる映画のボキャブラリーを駆使して映画を作成するスタンスのルーツはここにあるのでしょう。
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なお、「パルプ・フィクション」はジョン・トラボルタが主演ですが、ブルース・ウィリスも出演しています。半分友情出演ですが、スポーツ賭博を請け負ううらぶれたボクサーを好演しています。ブルース・ウィリスは「ダイ・ハード」シリーズや「アルマゲドン」などで有名ですが、異色のキャリアとしか言いようがありません。それでも、作品に面白いスパイスを振りまく演技力を発揮しています。
ボクサーといえば、「ロッキー」シリーズのシルベスタ・スタローンも思い入れがあります。自分の中高生時代に、おそらくシリーズ全てを鑑賞しています。シンプルながらも、「ランボー」同様に感動をもたらしてくれる存在でした。このシルベスタ・スタローン氏が監督・主演をつとめ、ブルースウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガーが友情出演する映画「エクスペンダブルズ」が日本で昨日公開されました。アクションマニアとしては溜飲ものとしか言いようがありません。
⇒ 【エクスペンダブルズ公式HPへのリンク】
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映画は、かなりの部分において筆者の成長に影響を及ぼしています。小さいころは分かりやすいストーリーで感動できる「ロッキー」など民放で放送される映画はほとんど見ていました。自分は大学を卒業するまで映画をよく見ましたが、社会人になってほとんど鑑賞する暇がなくなりました。このブログの作成を機に、さまざまな名作をもう一度見てみたくなった今日この頃です。
この問題において被害者は何を目的とすべきか 2
~集団ストーカー問題を未然に防ぐ制度設計の試論1~
-最終更新日:2010年10月15日(金)-
<はじめに>
前回、迷惑防止条例に焦点を当てて被害を防止する法整備がなされないことについて述べました。今回は、被害者が二度とこの国で被害を繰り返さないようにするために、どのように法整備を進めていかなければならないかについて述べていきたいと思います。
具体的には、被害者が被害の実態を一番よく知っているということです。従って、被害者が法律案を作るのが一番手っ取り早いでしょう。今回は、この制度設計について試論を展開してみようと思います。もちろん抜け穴だらけでしょうから、被害者の皆さんがお考えになっていただいて、訂正するなり新しい方法を考えるなりしていただけたらと思います。法整備には、①法改正と②新しい法律の制定があります。これらを駆使していかなければならないと思います。
今回は「ストーカー規制法」の改正について述べていきたいと思います。数回にわたって掲載する予定です。
「ストーカー規制法」の改定案について
まずは、「ストーカー規制法」の改正について述べたいと思います。法律に詳しい方ならご存知かと思いますが、「迷惑防止条例」で定められている「嫌がらせ行為」(広島県条例の場合第4条)と、「ストーカー規制法」で定められている「嫌がらせ行為」はまったく同一です。違うのは、条例か刑法であるかの違いだけです。
「ストーカー規制法」が制定された理由は「桶川ストーカー事件」にあるとされています。何度通報しても捜査も介入もしてくれなかった警察の瑕疵によって、若い少女の命が奪われました。社会的に許せないという風潮が強まり、事件が起きる前に強く介入できる「ストーカー規制法」が制定されました。
これと同じように、集団ストーカーについても、刑法による処罰と事前介入が行われれば、世の中の被害がかなり軽減します。この観点から、「ストーカー規制法」の改定案を作成してみたいと思います。
【ストーカー行為等の規制等に関する法律】
(平成十二年五月二十四日法律第八十一号)
【改正前】
(定義)
第二条
この法律において「つきまとい等」とは、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
一
つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。
二
その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
三
面会、交際その他の義務のないことを行うことを要求すること。
四
著しく粗野又は乱暴な言動をすること。
五
電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ若しくはファクシミリ装置を用いて送信すること。
六
汚物、動物の死体その他の著しく不快又は嫌悪の情を催させるような物を送付し、又はその知り得る状態に置くこと。
七
その名誉を害する事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
八
その性的羞恥心を害する事項を告げ若しくはその知り得る状態に置き、又はその性的羞恥心を害する文書、図画その他の物を送付し若しくはその知り得る状態に置くこと。
2
この法律において「ストーカー行為」とは、同一の者に対し、つきまとい等(前項第一号から第四号までに掲げる行為については、身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる場合に限る。)を反復してすることをいう。
(罰則)
第十三条
ストーカー行為をした者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2
前項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
【改正後】
(定義)
第二条
この法律において「つきまとい等」とは、恋愛感情等に限らずいかなる目的であっても、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
一
二
・
・
・
八
九
別の施行規則に定める方法によって行われる、見えないテクノロジーによる加害行為によって個人の生活を脅かすこと
(一号~八号は略します。ただし、集団ストーカーの加害行為を取り締まれるよう具体的な加害行為を施行規則に追加する必要があります。)
2
この法律において「ストーカー行為」とは、同一の者に対し、特定個人または不特定多数の者が、つきまとい等嫌がらせ行為を反復してすることをいう。
(罰則)
第十三条
ストーカー行為をした者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。また、これにより被害者が疾患に陥るか、自ら命を絶った場合は、これらの行為に因果関係があるものとして、別の傷害罪や殺人罪によるものとする。
2
前項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
この改正の要点をまとめてみたいと思います。
①恋愛感情に限定されている目的をあらゆる目的に拡大する
現在の「ストーカー規制法」は恋愛感情に限られています。それ以外は「迷惑防止条例」が適用されます。集団ストーカー問題も、刑法で対処されるようになるためには、ストーカー行為の目的があらゆる目的に拡大されなければなりません。加害者は巧妙で、生活に恐怖感を与える目的ではなく、教育目的であるとか更生のためだと嘘をつきます。そのためには、このような行為それ自体が人権を侵害するものとして、あらゆる目的に定義が拡大されなければなりません。
②施行規則に集団ストーカーの嫌がらせの手口を追加する
まずは下記のホームページをご覧ください。
⇒ NPO法人テクノロジー犯罪被害ネットワーク アンケート統計 人的被害
⇒ NPO法人テクノロジー犯罪被害ネットワーク アンケート統計 見えないテクノロジーによる被害
このように、加害行為には多種多様の方法があります。特にテクノロジーによる被害は実態解明が必要でしょうが、それとともに施行規則にこれらの加害類型を追記する必要があります。そうでなければ取り締まれないからです。
③不特定多数による加害行為にも対処できるようにする
現在の「ストーカー規制法」は、特定個人が特定個人を恋愛感情に基づいてストーカーすることを前提に制度設計されています。集団ストーカーはこの前提を覆すもので、殆どが不特定多数によって被害者の社会的失墜を目的として行われます。不特定多数のただ一人を罰していたは埒があきません。加害集団全体に法が適用されなければ意味がありません。
④罰則の改定
以前にも述べましたが、これによってうつ病などの精神疾患に陥ったり、テクノロジーによる加害によって身体疾患に陥った場合には傷害罪が適用されなければならないでしょう。また、苦しみにより自殺してしまったら、その因果関係が認められて殺人罪が適用されなければならないでしょう。これについては、法律に追記する形をとりましたが、判例が出てこないと次につながりません。これについては、別の記事にて詳しく述べる予定です。
(なお、第十三条2号は親告罪であることを意味しています。親告罪とは、本人が告訴しなければ公訴の要件を満たさないことです。ほかの人が警察に言っても意味がないということです。これについても議論を要するところです。)
この法律の改正による被害の防止は、数回に分けて掲載する予定です。また、▼続きを読む▼ には前回の続きの被害記録を掲載します。よろしければご覧になってください。
最後に、被害者の方のご意見を募集しております。被害者と思われる方のコメントは、内容がよいものを中身を伏せた形で記事に反映させます。被害者にしか分からない体験をされている強みをもとに、日本社会がこの被害を法的にどう防ぐかについてご意見をいただけますと幸いです。
-最終更新日:2010年10月15日(金)-
<はじめに>
前回、迷惑防止条例に焦点を当てて被害を防止する法整備がなされないことについて述べました。今回は、被害者が二度とこの国で被害を繰り返さないようにするために、どのように法整備を進めていかなければならないかについて述べていきたいと思います。
具体的には、被害者が被害の実態を一番よく知っているということです。従って、被害者が法律案を作るのが一番手っ取り早いでしょう。今回は、この制度設計について試論を展開してみようと思います。もちろん抜け穴だらけでしょうから、被害者の皆さんがお考えになっていただいて、訂正するなり新しい方法を考えるなりしていただけたらと思います。法整備には、①法改正と②新しい法律の制定があります。これらを駆使していかなければならないと思います。
今回は「ストーカー規制法」の改正について述べていきたいと思います。数回にわたって掲載する予定です。
「ストーカー規制法」の改定案について
まずは、「ストーカー規制法」の改正について述べたいと思います。法律に詳しい方ならご存知かと思いますが、「迷惑防止条例」で定められている「嫌がらせ行為」(広島県条例の場合第4条)と、「ストーカー規制法」で定められている「嫌がらせ行為」はまったく同一です。違うのは、条例か刑法であるかの違いだけです。
「ストーカー規制法」が制定された理由は「桶川ストーカー事件」にあるとされています。何度通報しても捜査も介入もしてくれなかった警察の瑕疵によって、若い少女の命が奪われました。社会的に許せないという風潮が強まり、事件が起きる前に強く介入できる「ストーカー規制法」が制定されました。
これと同じように、集団ストーカーについても、刑法による処罰と事前介入が行われれば、世の中の被害がかなり軽減します。この観点から、「ストーカー規制法」の改定案を作成してみたいと思います。
【ストーカー行為等の規制等に関する法律】
(平成十二年五月二十四日法律第八十一号)
【改正前】
(定義)
第二条
この法律において「つきまとい等」とは、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
一
つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。
二
その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
三
面会、交際その他の義務のないことを行うことを要求すること。
四
著しく粗野又は乱暴な言動をすること。
五
電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ若しくはファクシミリ装置を用いて送信すること。
六
汚物、動物の死体その他の著しく不快又は嫌悪の情を催させるような物を送付し、又はその知り得る状態に置くこと。
七
その名誉を害する事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
八
その性的羞恥心を害する事項を告げ若しくはその知り得る状態に置き、又はその性的羞恥心を害する文書、図画その他の物を送付し若しくはその知り得る状態に置くこと。
2
この法律において「ストーカー行為」とは、同一の者に対し、つきまとい等(前項第一号から第四号までに掲げる行為については、身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる場合に限る。)を反復してすることをいう。
(罰則)
第十三条
ストーカー行為をした者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
2
前項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
【改正後】
(定義)
第二条
この法律において「つきまとい等」とは、恋愛感情等に限らずいかなる目的であっても、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
一
二
・
・
・
八
九
別の施行規則に定める方法によって行われる、見えないテクノロジーによる加害行為によって個人の生活を脅かすこと
(一号~八号は略します。ただし、集団ストーカーの加害行為を取り締まれるよう具体的な加害行為を施行規則に追加する必要があります。)
2
この法律において「ストーカー行為」とは、同一の者に対し、特定個人または不特定多数の者が、つきまとい等嫌がらせ行為を反復してすることをいう。
(罰則)
第十三条
ストーカー行為をした者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。また、これにより被害者が疾患に陥るか、自ら命を絶った場合は、これらの行為に因果関係があるものとして、別の傷害罪や殺人罪によるものとする。
2
前項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
この改正の要点をまとめてみたいと思います。
①恋愛感情に限定されている目的をあらゆる目的に拡大する
現在の「ストーカー規制法」は恋愛感情に限られています。それ以外は「迷惑防止条例」が適用されます。集団ストーカー問題も、刑法で対処されるようになるためには、ストーカー行為の目的があらゆる目的に拡大されなければなりません。加害者は巧妙で、生活に恐怖感を与える目的ではなく、教育目的であるとか更生のためだと嘘をつきます。そのためには、このような行為それ自体が人権を侵害するものとして、あらゆる目的に定義が拡大されなければなりません。
②施行規則に集団ストーカーの嫌がらせの手口を追加する
まずは下記のホームページをご覧ください。
⇒ NPO法人テクノロジー犯罪被害ネットワーク アンケート統計 人的被害
⇒ NPO法人テクノロジー犯罪被害ネットワーク アンケート統計 見えないテクノロジーによる被害
このように、加害行為には多種多様の方法があります。特にテクノロジーによる被害は実態解明が必要でしょうが、それとともに施行規則にこれらの加害類型を追記する必要があります。そうでなければ取り締まれないからです。
③不特定多数による加害行為にも対処できるようにする
現在の「ストーカー規制法」は、特定個人が特定個人を恋愛感情に基づいてストーカーすることを前提に制度設計されています。集団ストーカーはこの前提を覆すもので、殆どが不特定多数によって被害者の社会的失墜を目的として行われます。不特定多数のただ一人を罰していたは埒があきません。加害集団全体に法が適用されなければ意味がありません。
④罰則の改定
以前にも述べましたが、これによってうつ病などの精神疾患に陥ったり、テクノロジーによる加害によって身体疾患に陥った場合には傷害罪が適用されなければならないでしょう。また、苦しみにより自殺してしまったら、その因果関係が認められて殺人罪が適用されなければならないでしょう。これについては、法律に追記する形をとりましたが、判例が出てこないと次につながりません。これについては、別の記事にて詳しく述べる予定です。
(なお、第十三条2号は親告罪であることを意味しています。親告罪とは、本人が告訴しなければ公訴の要件を満たさないことです。ほかの人が警察に言っても意味がないということです。これについても議論を要するところです。)
この法律の改正による被害の防止は、数回に分けて掲載する予定です。また、▼続きを読む▼ には前回の続きの被害記録を掲載します。よろしければご覧になってください。
最後に、被害者の方のご意見を募集しております。被害者と思われる方のコメントは、内容がよいものを中身を伏せた形で記事に反映させます。被害者にしか分からない体験をされている強みをもとに、日本社会がこの被害を法的にどう防ぐかについてご意見をいただけますと幸いです。
この問題において被害者は何を目的とすべきか 1
~現行法の対処では限界がある加害行為について~
-最終更新日:2010年10月14日(木)-
<はじめに>
前回の記事で、解決のためには罪刑法定主義による加害行為の処罰が必要であると述べました。現行の被害では、たとえこの問題が原因で自殺したとしても、法的に因果関係があるものとして取り扱われません。したがって、加害行為に抑止力を働きかける法が未整備であるため、野放しになっているのが現状です。
「この問題において被害者は何を目的とするか」では、3回に分けて、被害者が何を目的とすればいいのかについて試論を展開します。今回は被害者が現行法にて対処するケース、すなわち各都道府県で制定されている「迷惑防止条例」への訴えかけについて述べようと思います。
(被害者の方の要望がございましたので、巻末の ▼続きを読む▼ に8月第一週の被害記録を掲載しました。ご参考頂けますと幸いです。)
【迷惑防止条例とは】
まずは、下記の条文をご覧ください。広島県の迷惑防止条例の第四条の抜粋です。
----------------------------------------
○公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例
昭和三十八年七月一日
条例第十五号
(嫌がらせ行為の禁止)
第四条 何人も、特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情(ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成十二年法律第八十一号)第二条第一項に規定する怨えん恨の感情を除く。)を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号に掲げる行為を反復して行い、著しい不安を覚えさせてはならない。
一 つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。
二 その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
三 面会その他の義務のないことを行うことを要求すること。
四 著しく粗野又は乱暴な言動をすること。
五 電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ若しくはファクシミリ装置を用いて送信すること。
六 汚物、動物の死体その他の著しく不快又は嫌悪の情を催させるような物を送付し、又はその知り得る状態に置くこと。
七 その性的羞しゆう恥心を害する事項を告げ若しくはその知り得る状態に置き、又はその性的羞しゆう恥心を害する文書、図画その他の物を送付し若しくはその知り得る状態に置くこと。
----------------------------------------
これを見ていただいたらお分かりのように、すでに集団ストーカーの加害行為の一部は各都道府県で個別に制定されている「迷惑防止条例」である程度対処が可能です。各都道府県の条例名と概要のリンクは以下の通りです。
⇒ リンク「迷惑防止条例」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
このように、ある程度集団ストーカー行為には現行法の対処ができます。しかし、現状はまったく野放しになっており、日本社会はこの問題に対処できていません。これについて原因を箇条書きにして述べていきます。
①罰則が軽すぎるために、犯罪抑止の効果がない
この条例違反による処罰は、「6か月以下の懲役または50万円以下の罰金」であり、実質的に犯罪抑止効果がありません。
②実質的には被害者が難しい証拠取得を行わなければならない
軽微な犯罪であるために、警察が捜査をすることはほとんどありません。被害者が一生懸命証拠を取得する必要があります。警察にとっては迷惑行為であるかどうかの判別もつきにくいうえに、条例での対処となるため、まともに相手をしません。
③捜査に対してより訴求能力のある刑法ではない
刑法の「ストーカー規制法」の場合は相談体制もしっかりとしており、年間10,000件を超える相談を警察は受理しています。しかし、これは「恋愛感情がある個人の嫌がらせ」に限られます。「集団ストーカー」は現状では刑法の適用除外となります。たとえ被害者がその苦しみで自殺したとしてもです。
④上記の条例の定義では、集団ストーカーの人的嫌がらせすべてに対応できない
集団ストーカーの嫌がらせは偶然を装って行われます。加害行為と被害者のダメージに法的に因果関係が成立しない方法を意図的にとります。例えば「ほのめかし」では、「偶然を装って通りがかった2者が、自分としか思えない人物に対して恫喝的なメッセージを込めた会話をしている。」「電車で隣に座った男が携帯電話で被害者の個人情報としか思えないことを遠回しに会話する。」などといった方法がとられます。他にもたくさんありますが、上記の広島県迷惑防止条例の第4条にはない加害方法が多くあります。
⑤テクノロジーによる加害行為に全く対応できない
最も恐ろしいのが加害行為へのテクノロジーの応用です。自宅の内部で食事を始めたら「痛みの送信」を行なったり、風呂に入ると猥褻な印象を与える「感覚の送信」を行ったりなど、このような加害行為に対して迷惑防止条例は完全に無力です。また、電磁波はどちらかといえば総務省の管轄範囲です。警察では対処がしにくいといった現実があります。
このように、現行法では各都道府県で制定された迷惑防止条例によってある程度対処が可能にもかかわらず、実効性が全くない状態が続いています。現状では、加害行為に参加している加害者のうち一人が被害者に対してこれらの「嫌がらせ行為」に抵触したとき、その人物だけに条例を適用させて処罰するのが精いっぱいです。不特定多数、おびただしい数の加害者の悪意には全く太刀打ちができません。結果、十年以上も泣き寝入りするような被害者を出しておきながら、法治国家として何の対処もできない状況が続いているという訳です。
なお、この今回の「この問題に対して被害者は何を目的とすべきか 1~3」においては、広く被害者の方のご意見を賜りたいと思っております。記事を書く前にも書いた後にも、ご自由にコメントして頂けたらと思います。守秘義務は必ず守りますので、さまざまなご意見をお待ちしております。
最後に、下の ▼続きを読む▼ は私の2010年8月1日から一週間程度の被害記録です。皆様が考察して頂ける一助となるよう掲載させていただきます。メモの羅列で読みにくいですからご注意ください。同じ被害者の方、宜しくお願い致します。
-最終更新日:2010年10月14日(木)-
<はじめに>
前回の記事で、解決のためには罪刑法定主義による加害行為の処罰が必要であると述べました。現行の被害では、たとえこの問題が原因で自殺したとしても、法的に因果関係があるものとして取り扱われません。したがって、加害行為に抑止力を働きかける法が未整備であるため、野放しになっているのが現状です。
「この問題において被害者は何を目的とするか」では、3回に分けて、被害者が何を目的とすればいいのかについて試論を展開します。今回は被害者が現行法にて対処するケース、すなわち各都道府県で制定されている「迷惑防止条例」への訴えかけについて述べようと思います。
(被害者の方の要望がございましたので、巻末の ▼続きを読む▼ に8月第一週の被害記録を掲載しました。ご参考頂けますと幸いです。)
【迷惑防止条例とは】
まずは、下記の条文をご覧ください。広島県の迷惑防止条例の第四条の抜粋です。
----------------------------------------
○公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例
昭和三十八年七月一日
条例第十五号
(嫌がらせ行為の禁止)
第四条 何人も、特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情(ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成十二年法律第八十一号)第二条第一項に規定する怨えん恨の感情を除く。)を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号に掲げる行為を反復して行い、著しい不安を覚えさせてはならない。
一 つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。
二 その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。
三 面会その他の義務のないことを行うことを要求すること。
四 著しく粗野又は乱暴な言動をすること。
五 電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ若しくはファクシミリ装置を用いて送信すること。
六 汚物、動物の死体その他の著しく不快又は嫌悪の情を催させるような物を送付し、又はその知り得る状態に置くこと。
七 その性的羞しゆう恥心を害する事項を告げ若しくはその知り得る状態に置き、又はその性的羞しゆう恥心を害する文書、図画その他の物を送付し若しくはその知り得る状態に置くこと。
----------------------------------------
これを見ていただいたらお分かりのように、すでに集団ストーカーの加害行為の一部は各都道府県で個別に制定されている「迷惑防止条例」である程度対処が可能です。各都道府県の条例名と概要のリンクは以下の通りです。
⇒ リンク「迷惑防止条例」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
このように、ある程度集団ストーカー行為には現行法の対処ができます。しかし、現状はまったく野放しになっており、日本社会はこの問題に対処できていません。これについて原因を箇条書きにして述べていきます。
①罰則が軽すぎるために、犯罪抑止の効果がない
この条例違反による処罰は、「6か月以下の懲役または50万円以下の罰金」であり、実質的に犯罪抑止効果がありません。
②実質的には被害者が難しい証拠取得を行わなければならない
軽微な犯罪であるために、警察が捜査をすることはほとんどありません。被害者が一生懸命証拠を取得する必要があります。警察にとっては迷惑行為であるかどうかの判別もつきにくいうえに、条例での対処となるため、まともに相手をしません。
③捜査に対してより訴求能力のある刑法ではない
刑法の「ストーカー規制法」の場合は相談体制もしっかりとしており、年間10,000件を超える相談を警察は受理しています。しかし、これは「恋愛感情がある個人の嫌がらせ」に限られます。「集団ストーカー」は現状では刑法の適用除外となります。たとえ被害者がその苦しみで自殺したとしてもです。
④上記の条例の定義では、集団ストーカーの人的嫌がらせすべてに対応できない
集団ストーカーの嫌がらせは偶然を装って行われます。加害行為と被害者のダメージに法的に因果関係が成立しない方法を意図的にとります。例えば「ほのめかし」では、「偶然を装って通りがかった2者が、自分としか思えない人物に対して恫喝的なメッセージを込めた会話をしている。」「電車で隣に座った男が携帯電話で被害者の個人情報としか思えないことを遠回しに会話する。」などといった方法がとられます。他にもたくさんありますが、上記の広島県迷惑防止条例の第4条にはない加害方法が多くあります。
⑤テクノロジーによる加害行為に全く対応できない
最も恐ろしいのが加害行為へのテクノロジーの応用です。自宅の内部で食事を始めたら「痛みの送信」を行なったり、風呂に入ると猥褻な印象を与える「感覚の送信」を行ったりなど、このような加害行為に対して迷惑防止条例は完全に無力です。また、電磁波はどちらかといえば総務省の管轄範囲です。警察では対処がしにくいといった現実があります。
このように、現行法では各都道府県で制定された迷惑防止条例によってある程度対処が可能にもかかわらず、実効性が全くない状態が続いています。現状では、加害行為に参加している加害者のうち一人が被害者に対してこれらの「嫌がらせ行為」に抵触したとき、その人物だけに条例を適用させて処罰するのが精いっぱいです。不特定多数、おびただしい数の加害者の悪意には全く太刀打ちができません。結果、十年以上も泣き寝入りするような被害者を出しておきながら、法治国家として何の対処もできない状況が続いているという訳です。
なお、この今回の「この問題に対して被害者は何を目的とすべきか 1~3」においては、広く被害者の方のご意見を賜りたいと思っております。記事を書く前にも書いた後にも、ご自由にコメントして頂けたらと思います。守秘義務は必ず守りますので、さまざまなご意見をお待ちしております。
最後に、下の ▼続きを読む▼ は私の2010年8月1日から一週間程度の被害記録です。皆様が考察して頂ける一助となるよう掲載させていただきます。メモの羅列で読みにくいですからご注意ください。同じ被害者の方、宜しくお願い致します。