二大政党制の定着について
~早期に作られなければならない二大政党制の文化と慣例~
-最終更新日: 2011年10月30日 (日) -
本日は変わった商品を冒頭にもってきた。日本の歴代首相の顔が入った湯呑である。2年前からこの湯呑に民主党から輩出した首相の顔も入るようになった。それもこれまでで3人である。
私は現在は民主党支持者でもなく自民党支持者でもないが、この首相交代劇は庶民の目からどうも納得がいかない点がある。継続的な政策の実行のために先進国では数年首相を務めるケースがほとんどであるが、日本の場合は首相がすぐに変わることから国際的にマイナスの評価がされがちだからである。ほかにも、例えば菅前首相の就任から改造までの12月の間の法案成立率は過去10年間で最悪の37.8%にとどまった。不毛な戦いを繰りひろげる国会に対して辟易している方も多いのではないかと思う。
これが日本が政治は3流と呼ばれるゆえんであり、なかなか解消されそうにない。不満を述べるばかりだと進展はないので、個人的にその理由を考えてみることにする。
結論から言えば、最大の原因は二大政党制としての文化が成育しておらず、政治を円滑に進めるための慣例が作られていないことにあると個人的に考えている。例えばアメリカでは、年金という民主党・共和党に普遍的な政治命題に関しては言い争いをせず、円滑に議論のテーブルに乗せるという慣例がる。政権交代が行われても恒常的に年金制度を機能させるためである。しかし、日本にはそれがない。あらゆる法案に対して与野党が敵対的になり、議論どころではないこともある。
海外の場合、このような普遍的な政治命題に対して敵対的になるほど二大政党の感情的な軋轢がない。しかし、日本はまず自民党と民主党の感情的な対立が存在するのである。これは、政権交代前のねじれ国会において民主党が政権交代マシーンとなってあらゆる法案に反対してきたことに端を発している。現在、民主党から歩み寄っても当時の前例があるために自民党は民主党を感情的に受け付けないのである。
ねじれ国会の現状において、民主党はこれに対して頭を下げるしかない。重要法案については国益を損ねることなく通過するように、平身低頭を貫くしかないだろう。それでもそう簡単にはいかないかもしれないが、国益の方が優先である。これを機に、このようなケースにおいては与野党が協働するという前例を作れればしめたものである。積み重ねられれば二大政党制としての慣例が形成されるからである。
現在、人類の最先端の政治形態は二大政党制を採用している民主主義政治である。他の先進諸国は数十年の伝統がある。日本はやみくもに政治について消耗するのではなく、まずこれを早期に目指すべきである。このような慣例が作られたとき、日本は政治レベルが向上し、他の先進国に並んだということができるのではないだろうか。
-最終更新日: 2011年10月30日 (日) -
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本日は変わった商品を冒頭にもってきた。日本の歴代首相の顔が入った湯呑である。2年前からこの湯呑に民主党から輩出した首相の顔も入るようになった。それもこれまでで3人である。
私は現在は民主党支持者でもなく自民党支持者でもないが、この首相交代劇は庶民の目からどうも納得がいかない点がある。継続的な政策の実行のために先進国では数年首相を務めるケースがほとんどであるが、日本の場合は首相がすぐに変わることから国際的にマイナスの評価がされがちだからである。ほかにも、例えば菅前首相の就任から改造までの12月の間の法案成立率は過去10年間で最悪の37.8%にとどまった。不毛な戦いを繰りひろげる国会に対して辟易している方も多いのではないかと思う。
これが日本が政治は3流と呼ばれるゆえんであり、なかなか解消されそうにない。不満を述べるばかりだと進展はないので、個人的にその理由を考えてみることにする。
結論から言えば、最大の原因は二大政党制としての文化が成育しておらず、政治を円滑に進めるための慣例が作られていないことにあると個人的に考えている。例えばアメリカでは、年金という民主党・共和党に普遍的な政治命題に関しては言い争いをせず、円滑に議論のテーブルに乗せるという慣例がる。政権交代が行われても恒常的に年金制度を機能させるためである。しかし、日本にはそれがない。あらゆる法案に対して与野党が敵対的になり、議論どころではないこともある。
海外の場合、このような普遍的な政治命題に対して敵対的になるほど二大政党の感情的な軋轢がない。しかし、日本はまず自民党と民主党の感情的な対立が存在するのである。これは、政権交代前のねじれ国会において民主党が政権交代マシーンとなってあらゆる法案に反対してきたことに端を発している。現在、民主党から歩み寄っても当時の前例があるために自民党は民主党を感情的に受け付けないのである。
ねじれ国会の現状において、民主党はこれに対して頭を下げるしかない。重要法案については国益を損ねることなく通過するように、平身低頭を貫くしかないだろう。それでもそう簡単にはいかないかもしれないが、国益の方が優先である。これを機に、このようなケースにおいては与野党が協働するという前例を作れればしめたものである。積み重ねられれば二大政党制としての慣例が形成されるからである。
現在、人類の最先端の政治形態は二大政党制を採用している民主主義政治である。他の先進諸国は数十年の伝統がある。日本はやみくもに政治について消耗するのではなく、まずこれを早期に目指すべきである。このような慣例が作られたとき、日本は政治レベルが向上し、他の先進国に並んだということができるのではないだろうか。
復興増税の償還期間について
~二大政党制の緊張感により政治レベルを高めなければならない日本~
-最終更新日: 2011年10月23日 (日) -
現在、日曜討論が放送されている。日曜討論はあらゆる政治討論番組の中でもその中立性が群を抜いている。各政党の政策を正しくビジュアルで知るには絶好の番組である。司会者、島田氏の手腕も高い。
本日の冒頭に放送されているのは復興増税の償還期間について。この問題ひとつをとっても様々な議論があるのである。まず、民主党が償還期間を現役世代で償還可能な15年~20年程度を見ている。しかし、野党がそれに難色を示している。これについて皆さんはどのように思われるだろうか。
政治にはこのような側面がある。増税をすれば民衆の心が離れる。したがって増税を唱えることができない。これが自民党が財政赤字を膨らました最大の原因であり、一方で政権交代が行われた後も民主党はさほど財政圧縮に成功していない。これでは永遠に財政再建が行われないことになってしまう。
最近でこそ、自民党が党の公約に消費税増税をうたい、民主党も税と社会保障の一体改革で2010年代半ばまでに10%への引き上げることを明示した。そして、民主党は次期衆議院選挙で消費税増税の是非を問うこととしている。ここに来て、財政再建は待ったなしの問題として共通認識が得られている。一般市民のほうも賢いもので、消費税増税をうたったからといって安易に支持率を下げる傾向はひかえている。これこそが日本の政治のレベルアップと呼べるものである。
では、復興増税の償還はどのようにするのがもっとも正しいだろうか。私としては、前回TPPについて説明したときに申し上げたように、持続可能な財政再建が行われる中での償還でなければならない。その中でも、やはり将来世代に負担を残さない範囲が望ましいと考えている。しかし、償還不可能なまで経済成長が落ち込んでの財政破綻が、現在問題になっているギリシャ発端の金融危機である。民主党がかなり切り詰めた償還期間を考えている中で、自民党の意見もかなり耳を傾けなければならない部分があるのではないだろうか。
政治の質は民衆の政治参加の質に比例すると言われている。政権交代まで民衆は自民党一党主義に頼りすぎてこういった関心が低かったといわざるを得ない。しかし、政権交代後に混迷する政局を見てようやく政治参加の質を高めようとしている。これからの党運営は自民党も民主党も一筋縄ではいかないだろう。この政治的緊張感の中で庶民に選ばれる現実的な政策を打ち上げることができるかが両党の命運にかかってくる。そして、これこそが健全な二大政党制に他ならない。
私は、これからの日本に期待している。民衆の政治的関心、政治参加のレベルアップの傾向があちこちに見られるようになっているからだ。そして、二大政党制の文化と慣例をいち早く作ることが日本の政治レベルの向上に繋がると考えている。ブログ読者の皆さんも、政治を観察するにあたってこの点に注目していてほしい。
-最終更新日: 2011年10月23日 (日) -
現在、日曜討論が放送されている。日曜討論はあらゆる政治討論番組の中でもその中立性が群を抜いている。各政党の政策を正しくビジュアルで知るには絶好の番組である。司会者、島田氏の手腕も高い。
本日の冒頭に放送されているのは復興増税の償還期間について。この問題ひとつをとっても様々な議論があるのである。まず、民主党が償還期間を現役世代で償還可能な15年~20年程度を見ている。しかし、野党がそれに難色を示している。これについて皆さんはどのように思われるだろうか。
政治にはこのような側面がある。増税をすれば民衆の心が離れる。したがって増税を唱えることができない。これが自民党が財政赤字を膨らました最大の原因であり、一方で政権交代が行われた後も民主党はさほど財政圧縮に成功していない。これでは永遠に財政再建が行われないことになってしまう。
最近でこそ、自民党が党の公約に消費税増税をうたい、民主党も税と社会保障の一体改革で2010年代半ばまでに10%への引き上げることを明示した。そして、民主党は次期衆議院選挙で消費税増税の是非を問うこととしている。ここに来て、財政再建は待ったなしの問題として共通認識が得られている。一般市民のほうも賢いもので、消費税増税をうたったからといって安易に支持率を下げる傾向はひかえている。これこそが日本の政治のレベルアップと呼べるものである。
では、復興増税の償還はどのようにするのがもっとも正しいだろうか。私としては、前回TPPについて説明したときに申し上げたように、持続可能な財政再建が行われる中での償還でなければならない。その中でも、やはり将来世代に負担を残さない範囲が望ましいと考えている。しかし、償還不可能なまで経済成長が落ち込んでの財政破綻が、現在問題になっているギリシャ発端の金融危機である。民主党がかなり切り詰めた償還期間を考えている中で、自民党の意見もかなり耳を傾けなければならない部分があるのではないだろうか。
政治の質は民衆の政治参加の質に比例すると言われている。政権交代まで民衆は自民党一党主義に頼りすぎてこういった関心が低かったといわざるを得ない。しかし、政権交代後に混迷する政局を見てようやく政治参加の質を高めようとしている。これからの党運営は自民党も民主党も一筋縄ではいかないだろう。この政治的緊張感の中で庶民に選ばれる現実的な政策を打ち上げることができるかが両党の命運にかかってくる。そして、これこそが健全な二大政党制に他ならない。
私は、これからの日本に期待している。民衆の政治的関心、政治参加のレベルアップの傾向があちこちに見られるようになっているからだ。そして、二大政党制の文化と慣例をいち早く作ることが日本の政治レベルの向上に繋がると考えている。ブログ読者の皆さんも、政治を観察するにあたってこの点に注目していてほしい。
TPP参加の是非について
~財政再建を考慮した場合の日本のとるべき道~
-最終更新日: 2011年10月16日 (日) -
これを書いているとき、日曜討論が放送されている。出演は枝野幸男経済産業相。通常は与野党の議員をそろえるのに対して枝野議員単独とは珍しい。しかし、政権与党におけるキーマンということで政策を問うには十分の放送内容だということだろう。上記の書籍は枝野議員の昔の著書があったので掲載してみた。
まず議論になっているのがTPP。おさらいだがTrance Pacific Partnership(環太平洋パートナーシップ)の略である。環太平洋の国々で統一的な自由貿易協定を結ぼうというものである。
これを皆さんはどのように思われるだろうか。どの国でも自国内産業、とりわけ農業にダメージがあるということで慎重な意見も多い。しかし、隣の韓国ではアメリカとのFTA協定がアメリカ上下院で可決された。これにより、例えば自動車では日本よりも低い関税率で取引される。日本の製造業からすれば危機である。
前回の記事で、財政再建が必要な状況下でいかに民主主義を衰退させないかという命題が政治に突きつけられていると述べた。TPP参加はこれに深くかかわる。経済至上主義を押し進めた結果、民主主義が衰退したというグローバリズム時代を日本が経験しているからである。
これに対してなぜTPP参加を急がなければならないかについて以下の3つの理由が答えられる。
①財政再建のためには経済成長を前提としなければならない
②日本は資源産出国でないために、知識産業で栄えなければならない
③TPP参加交渉に出遅れてはならない
このような理由から、私はTPP参加は日本にとって必然であると考えている。問題は、TPPを押し進めた結果、どのように民主主義を担保するかである。拡大した低所得層を抱えていては、日本の民主主義の回復はありえない。前回にも述べたとおり、中間層の厚みが必要なのである。これこそがこれからの政治に突きつけられた矛盾する難題である。
これに対しては、「持続可能な自由主義社会」を目指すべきだと私は考える。経済至上主義を押し進めた結果、格差が拡大して社会が疲弊したのがこれまでのグローバリズムである。これからは、いったん失敗したり落ち込んだりしても、努力によって元の社会的地位に回復できる弾力性のある社会が形成されなければならない。したがって、社会の一定の部分は社会民主主義的な制度によって運営されなければならない。しかし、一方で高度な能力を持つ人材は不平を覚えるだろうから、新自由主義的な制度によって運営される部分もなければならない。このバランスが重要なのである。以前に述べたIBMの2:6:2の法則に通ずるものがあるだろう。
今回は私の政治スタンスについて概要を述べた。しかし、個別の政策について言及しなければ説得力はない。この「日本の政治を考える」ではTPP以外にも様々な各論において日本がどうあるべきかを追求していきたい。
-最終更新日: 2011年10月16日 (日) -
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これを書いているとき、日曜討論が放送されている。出演は枝野幸男経済産業相。通常は与野党の議員をそろえるのに対して枝野議員単独とは珍しい。しかし、政権与党におけるキーマンということで政策を問うには十分の放送内容だということだろう。上記の書籍は枝野議員の昔の著書があったので掲載してみた。
まず議論になっているのがTPP。おさらいだがTrance Pacific Partnership(環太平洋パートナーシップ)の略である。環太平洋の国々で統一的な自由貿易協定を結ぼうというものである。
これを皆さんはどのように思われるだろうか。どの国でも自国内産業、とりわけ農業にダメージがあるということで慎重な意見も多い。しかし、隣の韓国ではアメリカとのFTA協定がアメリカ上下院で可決された。これにより、例えば自動車では日本よりも低い関税率で取引される。日本の製造業からすれば危機である。
前回の記事で、財政再建が必要な状況下でいかに民主主義を衰退させないかという命題が政治に突きつけられていると述べた。TPP参加はこれに深くかかわる。経済至上主義を押し進めた結果、民主主義が衰退したというグローバリズム時代を日本が経験しているからである。
これに対してなぜTPP参加を急がなければならないかについて以下の3つの理由が答えられる。
①財政再建のためには経済成長を前提としなければならない
②日本は資源産出国でないために、知識産業で栄えなければならない
③TPP参加交渉に出遅れてはならない
このような理由から、私はTPP参加は日本にとって必然であると考えている。問題は、TPPを押し進めた結果、どのように民主主義を担保するかである。拡大した低所得層を抱えていては、日本の民主主義の回復はありえない。前回にも述べたとおり、中間層の厚みが必要なのである。これこそがこれからの政治に突きつけられた矛盾する難題である。
これに対しては、「持続可能な自由主義社会」を目指すべきだと私は考える。経済至上主義を押し進めた結果、格差が拡大して社会が疲弊したのがこれまでのグローバリズムである。これからは、いったん失敗したり落ち込んだりしても、努力によって元の社会的地位に回復できる弾力性のある社会が形成されなければならない。したがって、社会の一定の部分は社会民主主義的な制度によって運営されなければならない。しかし、一方で高度な能力を持つ人材は不平を覚えるだろうから、新自由主義的な制度によって運営される部分もなければならない。このバランスが重要なのである。以前に述べたIBMの2:6:2の法則に通ずるものがあるだろう。
今回は私の政治スタンスについて概要を述べた。しかし、個別の政策について言及しなければ説得力はない。この「日本の政治を考える」ではTPP以外にも様々な各論において日本がどうあるべきかを追求していきたい。
ポストグローバリズムにおける政治目標について
-最終更新日: 2011年10月13日 (木) -
私はこのブログで民主主義について口を酸っぱくして述べている。通常の人なら何の問題もなく今の日本社会で民主主義を謳歌しているはずだ。しかし、集団ストーカーの被害に遭っている人からすれば、そこはもう民主主義が適用されない社会を経験しているようなものである。このような身になると民主主義の必要性が痛感される。あたかも独裁国家にいる人間が民主主義国家を憧憬のまなざしで見つめるような思いで。
このブログでは私の現代思想的な考えを展開してきたが、一貫性がなく流れが把握できていない方も多いのではないかと思う。今回はこの流れをおさらいしてみる。
まず、冷戦。この時は西側諸国と東側諸国の対立という明確な構造を持っていた。人間社会が理想の社会形態について結論を見いだせない中で壮大な社会実験を行ってきたとも言える。結果は民主主義と資本主義の勝利。これで市場主義が何の問題もなく進展すると考えられていた。
ところが、ポスト冷戦後の一つのパラダイムであるグローバリズムは、深刻な状況を民主主義社会にもたらした。最終的な結末がリーマンショックという一種の恐慌というだけでなく、多くの先進諸国が民主主義の衰退を経験した。私はこのグローバリズムを推し進める社会体制は一種の戦時体制のようなものだったと考えている。民主主義を変形させてまで国際的な経済競争という一種の戦争を勝ち抜くための社会を作り上げたのだ。これは先進諸国すべてに共通することだろう。
そして、現在はそのポストグローバリズムという段階にある。多くの資源産出国でない先進国は、財政再建と国の浮揚のためにある程度市場原理主義を推し進めなければならない。しかし、グローバリズムの時のように疲弊の果てに破綻してはならない。この苦しい国家財政の中でいかに成長を維持し、民主主義を発展させるかという難題を両立させることが次のパラダイムとなる。私はこのように考えている。
その方策については今回は一つのヒントを述べるにとどめる。上記の書籍は私の在学時代の教官の著書である。日本最初の民主主義の萌芽について小山氏は講義でこのように述べていた。大正デモクラシーにおける中間層の厚みが日本に最初の民主主義の原型をもたらした。農村部から都市部に人口流出してきた層が核家族を形成し、高度に教育された層を生み出した。彼らを新中間層と呼び、民主主義を担保する原動力となった。うろ覚えだが、このようなものだったと思う。
しかし、現在の高度経済成長でもない財政的にひっ迫している状況でこれを実現するのは難しい。これらのことについては、折に触れて様々な方面から記事にしてみたい。今回はその冒頭の素描である。
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私はこのブログで民主主義について口を酸っぱくして述べている。通常の人なら何の問題もなく今の日本社会で民主主義を謳歌しているはずだ。しかし、集団ストーカーの被害に遭っている人からすれば、そこはもう民主主義が適用されない社会を経験しているようなものである。このような身になると民主主義の必要性が痛感される。あたかも独裁国家にいる人間が民主主義国家を憧憬のまなざしで見つめるような思いで。
このブログでは私の現代思想的な考えを展開してきたが、一貫性がなく流れが把握できていない方も多いのではないかと思う。今回はこの流れをおさらいしてみる。
まず、冷戦。この時は西側諸国と東側諸国の対立という明確な構造を持っていた。人間社会が理想の社会形態について結論を見いだせない中で壮大な社会実験を行ってきたとも言える。結果は民主主義と資本主義の勝利。これで市場主義が何の問題もなく進展すると考えられていた。
ところが、ポスト冷戦後の一つのパラダイムであるグローバリズムは、深刻な状況を民主主義社会にもたらした。最終的な結末がリーマンショックという一種の恐慌というだけでなく、多くの先進諸国が民主主義の衰退を経験した。私はこのグローバリズムを推し進める社会体制は一種の戦時体制のようなものだったと考えている。民主主義を変形させてまで国際的な経済競争という一種の戦争を勝ち抜くための社会を作り上げたのだ。これは先進諸国すべてに共通することだろう。
そして、現在はそのポストグローバリズムという段階にある。多くの資源産出国でない先進国は、財政再建と国の浮揚のためにある程度市場原理主義を推し進めなければならない。しかし、グローバリズムの時のように疲弊の果てに破綻してはならない。この苦しい国家財政の中でいかに成長を維持し、民主主義を発展させるかという難題を両立させることが次のパラダイムとなる。私はこのように考えている。
その方策については今回は一つのヒントを述べるにとどめる。上記の書籍は私の在学時代の教官の著書である。日本最初の民主主義の萌芽について小山氏は講義でこのように述べていた。大正デモクラシーにおける中間層の厚みが日本に最初の民主主義の原型をもたらした。農村部から都市部に人口流出してきた層が核家族を形成し、高度に教育された層を生み出した。彼らを新中間層と呼び、民主主義を担保する原動力となった。うろ覚えだが、このようなものだったと思う。
しかし、現在の高度経済成長でもない財政的にひっ迫している状況でこれを実現するのは難しい。これらのことについては、折に触れて様々な方面から記事にしてみたい。今回はその冒頭の素描である。
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