ツネイシで何があったか
~私の事例を申し上げます~
-最終更新日: 2013年4月3日 (金) -

【内海大橋と常石造船】
今回は私が被害を受けた経緯を掲載しようと思います。その前に、私がツネイシで何を経験したかを述べたいと思います。
私がこの会社を志した経緯は、地元有力会社に努めたいという動機でした。就職した当初は他の従業員と何ら変わらず業務を行っていました。ところが、入社して間もなく非常に重いプロジェクト案件を任されるようになりました。常石造船史上最年少で役員会で発表を任されたこともあって、周囲の注目を一心に集めました。私も名誉なものと思っており、このような業務を任せていただくことに対して上役には感謝の言葉もありませんでした。
しかし、社内には一定数の加害勢力が影響力を保持しており、私は彼らと次第に敵対関係を強めていきました。その結果受けたのが集団ストーカー行為です。

【自民党に提出した当時の記録】
これは当時私が重い業務を行う中で集団ストーカー行為を受け、心身に失調を期して休職した際に市議に提出したものです。これは、現在自民党に対する陳情書として自民党本部に送付しています。
事の顛末は熾烈なものでした。仕組みはこうです。私が彼らの団体に迷惑行為を行ったことにさせ、企業に監視・威迫行為を行うことを正当化させ、会社から金を提供させる。同時に私を排除し、人事のポストに加害勢力の人物を備え付けようというのです。当時の隣の部署の課長が、「この団体はこのようにして企業を乗っ取るのか」と呟いていたのを覚えています。
上司、役員の中には加害勢力に迎合的な人物が存在し、彼らはこの集団ストーカー行為を行うことを助長させていました。加害団体の持っているタブー性と合わせて、彼らは当時絶大な権力を持っていました。
自民党も複雑な立場だったに違いないでしょう。恐らく、当時は加害勢力には自民党も逆らうことができなかったでしょう。自民党党員の方の被害者も報告されているくらいです。彼らは絶対的なタブー性を当時保っていたものと思われます。
私は潰れる寸前に実家に逃げ込んで休職しました。その際には、ツイートでも述べたように理解ある上役の誘導があったものと推察しています。そうでなければ、私は命を落としていたかもしれません。当時の川本社長には声を張り上げて私を守っていただいたのを覚えています。
肝心なのは、これが会社のコントロールを超えて行われたということです。マフィアと呼ぶべき加害勢力の属性に対し、企業は時には無力です。ターゲットにされてしまった社員は切り離さなければならないのが当時の日本の暗黙のルールでした。多くの人が職を失ってケースによっては自殺に追い込まれてきたものと思われます。その中で、恐らく全国で一番理解してもらっていた状態にあったと思っています。
この問題が公になると同時に、ツネイシには全国に先駆けて問題の所在を認め、社内調査を行い、ほかの被害者と同時に私のケースを認知し、全国に先駆けになるようお願いしたいところです。
-最終更新日: 2013年4月3日 (金) -

【内海大橋と常石造船】
今回は私が被害を受けた経緯を掲載しようと思います。その前に、私がツネイシで何を経験したかを述べたいと思います。
私がこの会社を志した経緯は、地元有力会社に努めたいという動機でした。就職した当初は他の従業員と何ら変わらず業務を行っていました。ところが、入社して間もなく非常に重いプロジェクト案件を任されるようになりました。常石造船史上最年少で役員会で発表を任されたこともあって、周囲の注目を一心に集めました。私も名誉なものと思っており、このような業務を任せていただくことに対して上役には感謝の言葉もありませんでした。
しかし、社内には一定数の加害勢力が影響力を保持しており、私は彼らと次第に敵対関係を強めていきました。その結果受けたのが集団ストーカー行為です。

【自民党に提出した当時の記録】
これは当時私が重い業務を行う中で集団ストーカー行為を受け、心身に失調を期して休職した際に市議に提出したものです。これは、現在自民党に対する陳情書として自民党本部に送付しています。
事の顛末は熾烈なものでした。仕組みはこうです。私が彼らの団体に迷惑行為を行ったことにさせ、企業に監視・威迫行為を行うことを正当化させ、会社から金を提供させる。同時に私を排除し、人事のポストに加害勢力の人物を備え付けようというのです。当時の隣の部署の課長が、「この団体はこのようにして企業を乗っ取るのか」と呟いていたのを覚えています。
上司、役員の中には加害勢力に迎合的な人物が存在し、彼らはこの集団ストーカー行為を行うことを助長させていました。加害団体の持っているタブー性と合わせて、彼らは当時絶大な権力を持っていました。
自民党も複雑な立場だったに違いないでしょう。恐らく、当時は加害勢力には自民党も逆らうことができなかったでしょう。自民党党員の方の被害者も報告されているくらいです。彼らは絶対的なタブー性を当時保っていたものと思われます。
私は潰れる寸前に実家に逃げ込んで休職しました。その際には、ツイートでも述べたように理解ある上役の誘導があったものと推察しています。そうでなければ、私は命を落としていたかもしれません。当時の川本社長には声を張り上げて私を守っていただいたのを覚えています。
肝心なのは、これが会社のコントロールを超えて行われたということです。マフィアと呼ぶべき加害勢力の属性に対し、企業は時には無力です。ターゲットにされてしまった社員は切り離さなければならないのが当時の日本の暗黙のルールでした。多くの人が職を失ってケースによっては自殺に追い込まれてきたものと思われます。その中で、恐らく全国で一番理解してもらっていた状態にあったと思っています。
この問題が公になると同時に、ツネイシには全国に先駆けて問題の所在を認め、社内調査を行い、ほかの被害者と同時に私のケースを認知し、全国に先駆けになるようお願いしたいところです。
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