みだれ髪
~日本における女性の社会進出の先駆者、与謝野晶子~
-最終更新日:2010年12月5日(日)-
今回は趣向を変えて文学歌集に注目する。与謝野晶子の「みだれ髪」である。
与謝野晶子は夫である与謝野鉄幹とともに戦前文学の文壇の先駆者であり、中学校や高校の国語では必ず文学史に登場する。その業績は計り知れないものであり、日本の女性史に残した影響は極めて大きい。
この「みだれ髪」も与謝野晶子の出世作であり、当時としては珍しい女性の官能を表現した作品である。当時、戦争体制を維持するために、国歌は女性に「良妻賢母という規範」を押し付けていた。それゆえ、この書籍の出版は文部省に危険思想保持者とされかねない危ういものであった。
筆者が京都大学で教育学を勉強したときの指導教官の一人である小山静子氏の著書、「良妻賢母の規範」である。氏は江戸時代から戦後にかけての教育史をジェンダー論の観点から解きほどく研究をされている。
ジェンダー論とは「社会的・文化的な性の役割」であり、今でこそその差はほとんどないが、戦前は男女の役割が厳しく分けられていた。そのようななかで、女性には戦争のために健康な子どもを産み育てる「良妻賢母の役割」を押し付けられていたという。与謝野晶子もこの良妻賢母思想に強く反対する歌人であり、これは戦時体制の国家に反対するという意味を内包していた。「君死にたまふことなかれ」という弟への詩集に込められた悲痛な戦争反対のメッセージからも与謝野晶子という人物を想像していただけるだろう。
最後に、世界的な名著であるスマイルズの「自助論」を取りあげる。なぜかというと、この書籍は産業革命時にに自分の努力によって経済的豊かさを勝ち取ろうという資本主義における個人の在り方を示したものであり、与謝野晶子の「女性の自立論」に極めて近いものがあるからだ。当時、国歌が女性に押し付けた良妻賢母という概念は、戦時体制・男性社会への隷属を強いるものであり、女性には参政権すら付与されていなかった。この点においても、与謝野晶子は日本の女性史に先駆的な役割を果たしている。日本最初の男女共学の学校「文化学院」を夫である与謝野鉄幹とともに設立するなど、与謝野晶子の活動は多岐にわたっていた。
この「みだれ髪」は1973年に孫にあたる与謝野馨氏が復刊させている。氏がはじめて衆議院議員に落選したときの話だが、どのような思いだったのだろうか。偉大な歌人である祖母に対する畏敬の念が強かったに違いない。
-最終更新日:2010年12月5日(日)-
![]() | みだれ髪 (新潮文庫) (1999/12) 与謝野 晶子 商品詳細を見る |
今回は趣向を変えて文学歌集に注目する。与謝野晶子の「みだれ髪」である。
与謝野晶子は夫である与謝野鉄幹とともに戦前文学の文壇の先駆者であり、中学校や高校の国語では必ず文学史に登場する。その業績は計り知れないものであり、日本の女性史に残した影響は極めて大きい。
この「みだれ髪」も与謝野晶子の出世作であり、当時としては珍しい女性の官能を表現した作品である。当時、戦争体制を維持するために、国歌は女性に「良妻賢母という規範」を押し付けていた。それゆえ、この書籍の出版は文部省に危険思想保持者とされかねない危ういものであった。
![]() | 良妻賢母という規範 (1991/10) 小山 静子 商品詳細を見る |
筆者が京都大学で教育学を勉強したときの指導教官の一人である小山静子氏の著書、「良妻賢母の規範」である。氏は江戸時代から戦後にかけての教育史をジェンダー論の観点から解きほどく研究をされている。
ジェンダー論とは「社会的・文化的な性の役割」であり、今でこそその差はほとんどないが、戦前は男女の役割が厳しく分けられていた。そのようななかで、女性には戦争のために健康な子どもを産み育てる「良妻賢母の役割」を押し付けられていたという。与謝野晶子もこの良妻賢母思想に強く反対する歌人であり、これは戦時体制の国家に反対するという意味を内包していた。「君死にたまふことなかれ」という弟への詩集に込められた悲痛な戦争反対のメッセージからも与謝野晶子という人物を想像していただけるだろう。
![]() | スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫 (2002/03) サミュエル スマイルズ 商品詳細を見る |
最後に、世界的な名著であるスマイルズの「自助論」を取りあげる。なぜかというと、この書籍は産業革命時にに自分の努力によって経済的豊かさを勝ち取ろうという資本主義における個人の在り方を示したものであり、与謝野晶子の「女性の自立論」に極めて近いものがあるからだ。当時、国歌が女性に押し付けた良妻賢母という概念は、戦時体制・男性社会への隷属を強いるものであり、女性には参政権すら付与されていなかった。この点においても、与謝野晶子は日本の女性史に先駆的な役割を果たしている。日本最初の男女共学の学校「文化学院」を夫である与謝野鉄幹とともに設立するなど、与謝野晶子の活動は多岐にわたっていた。
この「みだれ髪」は1973年に孫にあたる与謝野馨氏が復刊させている。氏がはじめて衆議院議員に落選したときの話だが、どのような思いだったのだろうか。偉大な歌人である祖母に対する畏敬の念が強かったに違いない。
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