私が京都大学で集団ストーカー犯罪を受けた起源
~支援者の皆様のおかげで卒業できました~
-最終更新日: 2017年2月20日 (月) -

新たな情報が入りましたので、ご報告させていただきます。これは、私が民進党から立候補を模索している段階にあり、彼らが私の過去を調査して判明したことです。
結論から申し上げて、私は京都大学入学後、1回生のかなり早期から集団ストーカー行為を受けていたようです。受けるようになった経緯はこうです。
私は、入学直後、新興宗教団体のサークルにつかまってしまいました。社会的に未熟な私は、親切をよそおう彼らに騙されて、しばらくそのサークルに所属していました。このサークルが巧妙なもので、入った当初は「人生の目的を探求するサークル」と名乗っていました。訪問者に親切にし、会員を取り込んでいました。
そこが新興宗教団体であるとわかったのは、入学して数か月後のことです。彼らは、しばらくは自分たちの素性を表しませんでした。大学のレポートを手伝ってあげるとか、先輩のレポートを見せてあげるなどの親切を見せて人間関係が構築されてしばらくして、ある仏教系の新興宗教団体であることを名乗りました。
私はその直後、完全にその団体と縁を切りました。私は自分が新興宗教団体の勧誘にひっかかったことを悔いました。ショックは大きかったです。彼らから復縁の手紙などを何度も受けましたが、私は一切断りました。どうやら、これが私が集団ストーカーを受けるきっかけとなったようです。
私は、大学卒業に8年かかりました。当初の1回生から4回生までで取得できた単位はたった6単位でした。なぜかというと、毎年、必ず秋口に心身の不調を訴えて引きこもっていたからです。当時は、なぜかまったく分かりませんでした。精神的な不調と思い、学生相談室の杉原保史先生のカウンセリングを受け、学内の神経科に通っていました。この時期は、特に杉原保史先生の支援がなければ、私は自殺していた可能性があります。実際、私はリストカットを試みていました。
これが、実は集団ストーカーによるものだったのです。現在は加害行為をやめて被害者の支援を行っている在日・同和の方が、その新興宗教団体が自分たちに依頼してきたと告白しました。当時、集団ストーカーに関する情報はネット上にも全くない状態でした。助かる被害ではありませんでした。誰に相談しても解決しなかったでしょう。当時は、集団ストーカーによる攻撃を受けて訴えた人物は、精神疾患として認定されるしか道はなかったと思います。杉原先生には困難を押し付けてしまったことになります。私の非常識さ、併せて誠に申し訳ございません。
なお、私が卒業できたのは、杉原先生と、現在では名誉教授になられた担当教官である岡田敬司先生、高橋三郎先生、新宮一成先生、高橋由典先生、小山静子先生、吉田純先生、山梨正明先生、河﨑靖先生と研究室の皆さんのおかげです。私は、5回生から8回生までにこの被害を受けながら卒業することを真剣に考えました。しかし、毎年秋口になると、集団ストーカーによる迫害を受けて精神不調を訴えていました。この間、励ましていただいたのは岡田先生です。どんな困難に当たっても、あきらめず、最後には卒業させていただきました。感謝の言葉もありません。私が人生で一番楽しかったと呼べる時期がこの時期でした。岡田先生や現九州大学教授の藤田雄飛先輩などに囲まれて、自由な哲学の思索ができました。今でも懐かしい思いです。
人生は奇なるもので、杉原先生にお世話になったときに立ち上げた自助グループが岡田先生のもとで自分の研究テーマとなり、現在は被害者自助グループの広島リーダーを行っています。お二方の先生には、私の生きる目標をいただいたことになります。また、共同通信社に就職した友人、カウンセラーを目指していた女性、京都大学新聞社・映画サークルの先輩、後輩、仲間のサポートのおかげで5回生以降、孤独を感じることなく学生生活を歩めました。併せて感謝申し上げます。
なお、私が不運なのが、人生のあらゆる局面で集団ストーカーを受けてしまったことです。常石造船に就職したときも、入社してこの被害を短期で受けてしまいました。依頼したのは加害特定新興宗教団体の影響の強い人物とのことですが、すでに私は重点的なターゲットになる素養があったということです。彼らは、ほのめかしで私が過去何度も加害行為を受けていたことが重点的なターゲットになった原因だと述べていました。川本隆夫社長には声を張り上げて加害行為をやめるよう動いていただいたのを覚えています。また、ご紹介いただいた元学校校長、当時の総務部長、調達部長、グループ会社役員の方、人事課長、IBM系の非常に優秀なコンサルタント2名の方、情報部門社員の皆さん、同僚の皆さん、外国人社員の皆さん、グループ会社の皆さんに非常にお世話になりました。会社として彼らに正式に依頼したものではないことも含め、私のケースにおいてはツネイシにはほとんど責任はないということになります。この点も現段階で訂正しておきます。
追記ですが、ツネイシの前に勤めていたシステム会社ですが、こちらでもすでに集団ストーカー行為を受けていました。精神不調を訴え、職務に支障をきたしていました。紹介していただいた塾長、社長、日本ヒューレット・パッカードの社員の方々にはご迷惑をおかけしてしまいました。あの時の御恩がなければ、その後のキャリアはありませんでした。いつか必ずお礼を申し上げさせていただきます。
さらに、その前に努めていた福祉専門学校に関しても謝罪しなければなりません。職務を放棄して飛び出してすいませんでした。福祉専門学校の副理事長、理事長、校長、施設長、事務長、学校員の方々、ドライビングスクールの設置者の方、元フジテレビの局員の女性、元宝塚女優の女性と日本福祉大学の児玉善郎学長、平野隆之教授、畠山護三先生、成田光江さんには大変お世話になっておりました。続けられなくて申し訳ございません。さかのぼれば、当時から加害行為を受けていました。
3社につきましても、いずれもすでに集団ストーカーのターゲットになっていましたから、人生の重要な局面で集中攻撃を受ける可能性が高く、めぼしい活躍は継続的にできなかったでしょう。集団ストーカーという難問を抱えた私を雇っていただいて誠にありがとうございました。
今現在は、石橋輝勝理事長はじめNPOテクノロジー犯罪被害ネットワークでお会いした方々、QAnonの皆さん、Eriさん、クレーン会社の社員の方、難病の友人、過去私塾でお世話になった学者の方、金光学園・南小学校・堀江小学校・ママの森幼稚園の先生方・同級生の皆さま、元港湾会社社員の方、韓国料理店ご夫妻、イタリアン専門店、お惣菜店、日本料理店の皆さま、父、母、祖母、キヤノン社員の兄弟、親戚の方々、同級生の皆さんに現在進行形でお世話になっております。これからもよろしくお願い致します。
集団ストーカー・テクノロジー犯罪は、陰湿極まりない犯罪で、受けたら自殺するまで行われます。被害を認識してNPOに来て被害のことを学習したら、かなり過去にさかのぼって被害を受けていたことが分かるケースがほとんどです。また、親が受けていた被害が子供に引き継がれるケースもあります。戦後、最大の世界の闇です。この犯罪の抑止は極めて早期に行われなければなりません。引き続き、ブログ活動を頑張ってまいりたいと思います。
ぜひこの記事は私が京都大学に在籍していたころに関係した方に見ていただければ幸いです。何卒よろしくお願いいたします。
-最終更新日: 2017年2月20日 (月) -

新たな情報が入りましたので、ご報告させていただきます。これは、私が民進党から立候補を模索している段階にあり、彼らが私の過去を調査して判明したことです。
結論から申し上げて、私は京都大学入学後、1回生のかなり早期から集団ストーカー行為を受けていたようです。受けるようになった経緯はこうです。
私は、入学直後、新興宗教団体のサークルにつかまってしまいました。社会的に未熟な私は、親切をよそおう彼らに騙されて、しばらくそのサークルに所属していました。このサークルが巧妙なもので、入った当初は「人生の目的を探求するサークル」と名乗っていました。訪問者に親切にし、会員を取り込んでいました。
そこが新興宗教団体であるとわかったのは、入学して数か月後のことです。彼らは、しばらくは自分たちの素性を表しませんでした。大学のレポートを手伝ってあげるとか、先輩のレポートを見せてあげるなどの親切を見せて人間関係が構築されてしばらくして、ある仏教系の新興宗教団体であることを名乗りました。
私はその直後、完全にその団体と縁を切りました。私は自分が新興宗教団体の勧誘にひっかかったことを悔いました。ショックは大きかったです。彼らから復縁の手紙などを何度も受けましたが、私は一切断りました。どうやら、これが私が集団ストーカーを受けるきっかけとなったようです。
私は、大学卒業に8年かかりました。当初の1回生から4回生までで取得できた単位はたった6単位でした。なぜかというと、毎年、必ず秋口に心身の不調を訴えて引きこもっていたからです。当時は、なぜかまったく分かりませんでした。精神的な不調と思い、学生相談室の杉原保史先生のカウンセリングを受け、学内の神経科に通っていました。この時期は、特に杉原保史先生の支援がなければ、私は自殺していた可能性があります。実際、私はリストカットを試みていました。
これが、実は集団ストーカーによるものだったのです。現在は加害行為をやめて被害者の支援を行っている在日・同和の方が、その新興宗教団体が自分たちに依頼してきたと告白しました。当時、集団ストーカーに関する情報はネット上にも全くない状態でした。助かる被害ではありませんでした。誰に相談しても解決しなかったでしょう。当時は、集団ストーカーによる攻撃を受けて訴えた人物は、精神疾患として認定されるしか道はなかったと思います。杉原先生には困難を押し付けてしまったことになります。私の非常識さ、併せて誠に申し訳ございません。
なお、私が卒業できたのは、杉原先生と、現在では名誉教授になられた担当教官である岡田敬司先生、高橋三郎先生、新宮一成先生、高橋由典先生、小山静子先生、吉田純先生、山梨正明先生、河﨑靖先生と研究室の皆さんのおかげです。私は、5回生から8回生までにこの被害を受けながら卒業することを真剣に考えました。しかし、毎年秋口になると、集団ストーカーによる迫害を受けて精神不調を訴えていました。この間、励ましていただいたのは岡田先生です。どんな困難に当たっても、あきらめず、最後には卒業させていただきました。感謝の言葉もありません。私が人生で一番楽しかったと呼べる時期がこの時期でした。岡田先生や現九州大学教授の藤田雄飛先輩などに囲まれて、自由な哲学の思索ができました。今でも懐かしい思いです。
人生は奇なるもので、杉原先生にお世話になったときに立ち上げた自助グループが岡田先生のもとで自分の研究テーマとなり、現在は被害者自助グループの広島リーダーを行っています。お二方の先生には、私の生きる目標をいただいたことになります。また、共同通信社に就職した友人、カウンセラーを目指していた女性、京都大学新聞社・映画サークルの先輩、後輩、仲間のサポートのおかげで5回生以降、孤独を感じることなく学生生活を歩めました。併せて感謝申し上げます。
なお、私が不運なのが、人生のあらゆる局面で集団ストーカーを受けてしまったことです。常石造船に就職したときも、入社してこの被害を短期で受けてしまいました。依頼したのは加害特定新興宗教団体の影響の強い人物とのことですが、すでに私は重点的なターゲットになる素養があったということです。彼らは、ほのめかしで私が過去何度も加害行為を受けていたことが重点的なターゲットになった原因だと述べていました。川本隆夫社長には声を張り上げて加害行為をやめるよう動いていただいたのを覚えています。また、ご紹介いただいた元学校校長、当時の総務部長、調達部長、グループ会社役員の方、人事課長、IBM系の非常に優秀なコンサルタント2名の方、情報部門社員の皆さん、同僚の皆さん、外国人社員の皆さん、グループ会社の皆さんに非常にお世話になりました。会社として彼らに正式に依頼したものではないことも含め、私のケースにおいてはツネイシにはほとんど責任はないということになります。この点も現段階で訂正しておきます。
追記ですが、ツネイシの前に勤めていたシステム会社ですが、こちらでもすでに集団ストーカー行為を受けていました。精神不調を訴え、職務に支障をきたしていました。紹介していただいた塾長、社長、日本ヒューレット・パッカードの社員の方々にはご迷惑をおかけしてしまいました。あの時の御恩がなければ、その後のキャリアはありませんでした。いつか必ずお礼を申し上げさせていただきます。
さらに、その前に努めていた福祉専門学校に関しても謝罪しなければなりません。職務を放棄して飛び出してすいませんでした。福祉専門学校の副理事長、理事長、校長、施設長、事務長、学校員の方々、ドライビングスクールの設置者の方、元フジテレビの局員の女性、元宝塚女優の女性と日本福祉大学の児玉善郎学長、平野隆之教授、畠山護三先生、成田光江さんには大変お世話になっておりました。続けられなくて申し訳ございません。さかのぼれば、当時から加害行為を受けていました。
3社につきましても、いずれもすでに集団ストーカーのターゲットになっていましたから、人生の重要な局面で集中攻撃を受ける可能性が高く、めぼしい活躍は継続的にできなかったでしょう。集団ストーカーという難問を抱えた私を雇っていただいて誠にありがとうございました。
今現在は、石橋輝勝理事長はじめNPOテクノロジー犯罪被害ネットワークでお会いした方々、QAnonの皆さん、Eriさん、クレーン会社の社員の方、難病の友人、過去私塾でお世話になった学者の方、金光学園・南小学校・堀江小学校・ママの森幼稚園の先生方・同級生の皆さま、元港湾会社社員の方、韓国料理店ご夫妻、イタリアン専門店、お惣菜店、日本料理店の皆さま、父、母、祖母、キヤノン社員の兄弟、親戚の方々、同級生の皆さんに現在進行形でお世話になっております。これからもよろしくお願い致します。
集団ストーカー・テクノロジー犯罪は、陰湿極まりない犯罪で、受けたら自殺するまで行われます。被害を認識してNPOに来て被害のことを学習したら、かなり過去にさかのぼって被害を受けていたことが分かるケースがほとんどです。また、親が受けていた被害が子供に引き継がれるケースもあります。戦後、最大の世界の闇です。この犯罪の抑止は極めて早期に行われなければなりません。引き続き、ブログ活動を頑張ってまいりたいと思います。
ぜひこの記事は私が京都大学に在籍していたころに関係した方に見ていただければ幸いです。何卒よろしくお願いいたします。
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