岡田敬司先生、お疲れ様でした
~もうすぐご退任されます~
-最終更新日: 2018月1月6日 (土) -

本年も岡田敬司先生から年賀状をいただきました。ちなみに、この8年間、元旦に年賀状が来るのは二人だけでした。岡田先生と高校時代の旧友だけです。
岡田敬司先生には、私が当時原因不明の精神不調を訴える中、何とか卒業ができるよう取り計らっていただきました。岡田先生のお力がなければ、卒業できず、その後は暗い人生を歩んでいたことでしょう。
今だから分かっているのですが、私が大学1回生の時に不本意ながら引き込まれてしまった破壊的カルトを強制離脱したために、当時から集団ストーカー・テクノロジー犯罪を受けていたようです。毎年秋になったら必ず彼らの攻撃を受け、引きこもりになっていました。岡田先生には重い問題を押し付けてしまっていたことになります。
その後の私の人生でもわかるように、創価学会の集団ストーカーの重点的なターゲットになってしまいました。もう、私は人生を諦めるしかない状態に追い込まれていました。そのような中でも、岡田先生からいただけるお正月の年賀状は私の精神的な支柱でした。他の友人はほとんど私のもとから去っていきました。
岡田先生には大学院進学なども勧めていただきましたが、恐らく人生の要所要所で集団ストーカー・テクノロジー犯罪を受け、学者として私は大成しなかったでしょう。高い確率で修士を卒業することを妨害されていたはずです。また、社会人の時、何度も先生と再びお会いしてお話がしたかったのですが、先生のキャリアを巻き込むわけにはいかず、ただじっと黙って耐える生活を10年続けてきました。これは他の友人も同様です。私から去っていく友人・親戚を引き留めることはしませんでした。私がかかわっていたら、創価学会の報復を受ける可能性があったからです。
私は、大学時代、京都大学カウンセリングセンターの杉原保史先生のお導きもあって、自助グループを研究課題としました。これを岡田先生に取り上げていただき、私を研究グループの一員に加えていただくことによって、私の人生は蘇りました。当時、お二方の先生には私の相談を何度も懇意に受けていただいて感謝この上ない思いでおります。
岡田先生は京都光華女子大学を本年退任されるとお伺いしております。最終的には京都大学の名誉教授になられ、多大な教育学における業績を残されました。先生の教えを受けることができて改めて光栄な思いを抱いております。
どうか末永く長生きされ、教え子の父親のような存在でいてください。
-最終更新日: 2018月1月6日 (土) -

本年も岡田敬司先生から年賀状をいただきました。ちなみに、この8年間、元旦に年賀状が来るのは二人だけでした。岡田先生と高校時代の旧友だけです。
岡田敬司先生には、私が当時原因不明の精神不調を訴える中、何とか卒業ができるよう取り計らっていただきました。岡田先生のお力がなければ、卒業できず、その後は暗い人生を歩んでいたことでしょう。
今だから分かっているのですが、私が大学1回生の時に不本意ながら引き込まれてしまった破壊的カルトを強制離脱したために、当時から集団ストーカー・テクノロジー犯罪を受けていたようです。毎年秋になったら必ず彼らの攻撃を受け、引きこもりになっていました。岡田先生には重い問題を押し付けてしまっていたことになります。
その後の私の人生でもわかるように、創価学会の集団ストーカーの重点的なターゲットになってしまいました。もう、私は人生を諦めるしかない状態に追い込まれていました。そのような中でも、岡田先生からいただけるお正月の年賀状は私の精神的な支柱でした。他の友人はほとんど私のもとから去っていきました。
岡田先生には大学院進学なども勧めていただきましたが、恐らく人生の要所要所で集団ストーカー・テクノロジー犯罪を受け、学者として私は大成しなかったでしょう。高い確率で修士を卒業することを妨害されていたはずです。また、社会人の時、何度も先生と再びお会いしてお話がしたかったのですが、先生のキャリアを巻き込むわけにはいかず、ただじっと黙って耐える生活を10年続けてきました。これは他の友人も同様です。私から去っていく友人・親戚を引き留めることはしませんでした。私がかかわっていたら、創価学会の報復を受ける可能性があったからです。
私は、大学時代、京都大学カウンセリングセンターの杉原保史先生のお導きもあって、自助グループを研究課題としました。これを岡田先生に取り上げていただき、私を研究グループの一員に加えていただくことによって、私の人生は蘇りました。当時、お二方の先生には私の相談を何度も懇意に受けていただいて感謝この上ない思いでおります。
岡田先生は京都光華女子大学を本年退任されるとお伺いしております。最終的には京都大学の名誉教授になられ、多大な教育学における業績を残されました。先生の教えを受けることができて改めて光栄な思いを抱いております。
どうか末永く長生きされ、教え子の父親のような存在でいてください。
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