私の本音
~今の状況を後悔しています~
-最終更新日: 2022年6月5日 (日)-

今日は、私の本音を正直に書き残しておこうと思います。
私は、13年前に枝野幸男氏、菅直人氏に国会議員にするということで解決行動を行ってきて、現在まで実現していません。
この間、マフィア団体と呼ぶべき加害団体と真っ向から対峙して告発活動を行ってきました。ブログコンテンツの内容量は多くの被害者の中でも屈指のものだと思っています。
当然、加害団体は極めて辛辣な加害行為を行ってきます。私の感想として、受けた当初の数年間はこの拷問に耐えて解決活動を行うものの、人間、張り詰めた状態はそう長く続きません。5年を過ぎた頃からもう耐えがたくなってきて、それでも加害行為が激化した状態がいま14年続いています。
中国共産党の支配下の中国で、民主活動家も同じような状況に置かれます。有形無形の生活妨害や弾圧を受け、30代で白髪交じりとなり、あまりの辛さに発狂する人もいると言われています。その時になって、体制側にたてついたことを後悔します。
私は、32歳の時点で、到底解決できない枝野幸男氏や菅直人氏には、穏便に元いた会社に戻してくれていればと現在は考えるに至っています。彼らは、私を立候補させようとしたことにより、私を集中砲火の対象としました。13年間、真っ当な報酬もなく、結婚もできていません。それどころか、彼らは現状では政治的に認められないと私と直接コミュニケーションをとることを拒否しています。私が彼らにどのような感情を抱いているか想像につくと思います。
私は、元いた会社では大切にされていました。将来の幹部候補生として、先輩方や上司の手厚い見守りを受けていました。被害を受けた時も、当時の社長が身を挺して守ってくれていました。若い私には、内部告発して生きるということ、マフィア団体を相手に被害を訴えて生きることの意味が分かりませんでした。枝野幸男氏や菅直人氏は、私を政治的に利用しようとしただけなのかとも思いました。年長者がいれば、地域の輪の中で大切にされているなら、和を壊さず同じ環境で仕事を続けることを助言していたでしょう。
ここで取り急ぎ訂正しておきますが、私は当時の民主党、現在の立憲民主党系に手厚い保護を受けています。かなり早期から、加害者がいる場所に支持者が立って目撃するなどの防御活動の庇護下にいました。また、私の所有している物件の契約を多少行ってくれたり、困窮している私の懇意にしているサービス業者を支援してくれていました。これは、枝野幸男氏や菅直人氏のお詫びと見てとることができます。現在は支持率の低迷している立憲民主党が、人員的にも財政的にも私を厚く支援してくれています。
私は複雑な思いです。44歳にもなって、結婚して子供もおらず、孤独な生活をしております。枝野幸男氏や菅直人氏には一時期凄まじい憎しみの感情を抱いていました。ただ、彼らは身を削って私を守ってくれています。父が、諭すように人生順風満帆の人は誰もいない。皆苦しんで生きていると私に言います。当時いた会社に戻っていればと思うが、今を受け入れて生きるしかないと言います。
答えは出ません。もう、人生ギリギリの段階に来ています。32歳の時点では、まだまだ私には結婚して子供を持つチャンスがあると思っていました。長い拷問の期間が、これほど続くとは思っていませんでした。44歳になり、人生に手詰まり感が出てきて、人格が崩壊するようになってきました。今でも、加害行為が容赦なく断続的に行われています。もう耐えることが継続できなくなった私は、浴びるようにお酒を飲んでいます。寿命は短いかもしれません。社会問題化する前に、命を落とすかもしれません。
なお、私の近しい人には一つお詫びを言っておきます。私は、この間コミュニケーションを避け、拒否することもありました。親族の方には、法事も出席しないことがありました。これは、すべて加害行為が激化した状況では外出もままならなかったからです。また、私の親族の方々には、この被害を話して親切にしていただいただけで加害行為を受けさせる可能性がありました。年賀状は毎年3、4通でした。これが私の置かれた状況でした。これからも、私を避けていただいて構いません。私と懇意にするだけで加害行為を受けさせてしまう可能性があります。私からお離れください。
これから、どれだけ生きることができるか分かりません。お酒の暴飲は確実に私の寿命を縮めています。年々、葛藤が大きくなり、もう健全な社会性を発揮できなくなる時も現れるようになりました。被害者の皆さま、ごめんなさい。私はもう潰れてしまっています。枝野幸男氏には数多くの暴言を吐いています。
被害者の皆さまがどうにか心の安息をもって過ごされることをお祈りしております。どうか皆様長生きしてください。多くの被害者の皆さまとコミュニケーションをとってここまでやってこれました。感謝この上ない思いでおります。頑張ってください。
もうブログを更新する気力もありません。しばらく休ませてください。何卒宜しくお願い致します。
-最終更新日: 2022年6月5日 (日)-

今日は、私の本音を正直に書き残しておこうと思います。
私は、13年前に枝野幸男氏、菅直人氏に国会議員にするということで解決行動を行ってきて、現在まで実現していません。
この間、マフィア団体と呼ぶべき加害団体と真っ向から対峙して告発活動を行ってきました。ブログコンテンツの内容量は多くの被害者の中でも屈指のものだと思っています。
当然、加害団体は極めて辛辣な加害行為を行ってきます。私の感想として、受けた当初の数年間はこの拷問に耐えて解決活動を行うものの、人間、張り詰めた状態はそう長く続きません。5年を過ぎた頃からもう耐えがたくなってきて、それでも加害行為が激化した状態がいま14年続いています。
中国共産党の支配下の中国で、民主活動家も同じような状況に置かれます。有形無形の生活妨害や弾圧を受け、30代で白髪交じりとなり、あまりの辛さに発狂する人もいると言われています。その時になって、体制側にたてついたことを後悔します。
私は、32歳の時点で、到底解決できない枝野幸男氏や菅直人氏には、穏便に元いた会社に戻してくれていればと現在は考えるに至っています。彼らは、私を立候補させようとしたことにより、私を集中砲火の対象としました。13年間、真っ当な報酬もなく、結婚もできていません。それどころか、彼らは現状では政治的に認められないと私と直接コミュニケーションをとることを拒否しています。私が彼らにどのような感情を抱いているか想像につくと思います。
私は、元いた会社では大切にされていました。将来の幹部候補生として、先輩方や上司の手厚い見守りを受けていました。被害を受けた時も、当時の社長が身を挺して守ってくれていました。若い私には、内部告発して生きるということ、マフィア団体を相手に被害を訴えて生きることの意味が分かりませんでした。枝野幸男氏や菅直人氏は、私を政治的に利用しようとしただけなのかとも思いました。年長者がいれば、地域の輪の中で大切にされているなら、和を壊さず同じ環境で仕事を続けることを助言していたでしょう。
ここで取り急ぎ訂正しておきますが、私は当時の民主党、現在の立憲民主党系に手厚い保護を受けています。かなり早期から、加害者がいる場所に支持者が立って目撃するなどの防御活動の庇護下にいました。また、私の所有している物件の契約を多少行ってくれたり、困窮している私の懇意にしているサービス業者を支援してくれていました。これは、枝野幸男氏や菅直人氏のお詫びと見てとることができます。現在は支持率の低迷している立憲民主党が、人員的にも財政的にも私を厚く支援してくれています。
私は複雑な思いです。44歳にもなって、結婚して子供もおらず、孤独な生活をしております。枝野幸男氏や菅直人氏には一時期凄まじい憎しみの感情を抱いていました。ただ、彼らは身を削って私を守ってくれています。父が、諭すように人生順風満帆の人は誰もいない。皆苦しんで生きていると私に言います。当時いた会社に戻っていればと思うが、今を受け入れて生きるしかないと言います。
答えは出ません。もう、人生ギリギリの段階に来ています。32歳の時点では、まだまだ私には結婚して子供を持つチャンスがあると思っていました。長い拷問の期間が、これほど続くとは思っていませんでした。44歳になり、人生に手詰まり感が出てきて、人格が崩壊するようになってきました。今でも、加害行為が容赦なく断続的に行われています。もう耐えることが継続できなくなった私は、浴びるようにお酒を飲んでいます。寿命は短いかもしれません。社会問題化する前に、命を落とすかもしれません。
なお、私の近しい人には一つお詫びを言っておきます。私は、この間コミュニケーションを避け、拒否することもありました。親族の方には、法事も出席しないことがありました。これは、すべて加害行為が激化した状況では外出もままならなかったからです。また、私の親族の方々には、この被害を話して親切にしていただいただけで加害行為を受けさせる可能性がありました。年賀状は毎年3、4通でした。これが私の置かれた状況でした。これからも、私を避けていただいて構いません。私と懇意にするだけで加害行為を受けさせてしまう可能性があります。私からお離れください。
これから、どれだけ生きることができるか分かりません。お酒の暴飲は確実に私の寿命を縮めています。年々、葛藤が大きくなり、もう健全な社会性を発揮できなくなる時も現れるようになりました。被害者の皆さま、ごめんなさい。私はもう潰れてしまっています。枝野幸男氏には数多くの暴言を吐いています。
被害者の皆さまがどうにか心の安息をもって過ごされることをお祈りしております。どうか皆様長生きしてください。多くの被害者の皆さまとコミュニケーションをとってここまでやってこれました。感謝この上ない思いでおります。頑張ってください。
もうブログを更新する気力もありません。しばらく休ませてください。何卒宜しくお願い致します。
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