時代は束縛を弱める緩やかな社会へと変化
~最小不幸社会というのは本当にいい考え方かもしれません~
-最終更新日: 2022年7月24日 (日)-

統一教会の多額の献金によって家庭崩壊となったことを契機に引き起こされた安倍元首相の暗殺。Yahooニュースのコメント欄で面白い記事を見かけました。
「社会は、束縛や拘束を前提とするしがらみのある組織・団体から個人が離れる傾向にある」
これを見て、なるほどなと思いました。確かに、公明党に投票する比例票が90万票も減ったと言われていますし、かたや立憲民主党を支える労組票もかなり減少傾向にあるという記事が掲載されました。構成員の束縛によって高投票率を維持してきたあらゆる組織が衰退傾向にあるのです。
確かに、我々集団ストーカー被害を受けている元凶の創価学会も、構成員の高齢化が叫ばれています。宗教二世と呼ばれる若い世代は、加害行為にも参加せず、投票もいやいや行って、積極的に団体の行事には参加しないと言われています。
これが今の日本の現状です。これは、なぜでしょうか。
一つには、もともと加害団体を行っていたカルト宗教団体群は、対共産思想に対する暴力装置として機能していたのが、その必要性がなくなったからだと思われいます。統一教会も、もともとはアメリカの指示によって韓国の統一教会が日本の共産化を防ぐために政治とのつながりを強めたことに日本で勢力を伸ばす原因がありました。
創価学会も同様で、共産主義に対する暴力装置として機能してきた向きがあります。私が見るに、1970年代ごろまでは、創価学会は組織的な集団暴力を共産主義思想を持っていた人物に対して行っていたと思われます。それが、ここ30年代は国際金融資本と結託して、ロスチャイルド家のグローバリズムの敷衍のために利用されてきたというのが私の見立てです。
その他、父母世代の理不尽を目の当たりにしてきたとか、個人主義思想の円熟という他の要素も多分にあるでしょう。世界が、多元化していますので、どれか一つの組織が極めて伸長するといったことも現在は見られなくなっています。
そこで、菅直人氏が昔総理になったときに述べていた言葉が印象に残っています。
「最小不幸社会」です。
あらゆる組織は個人の権利を侵犯することなく、むしろ個人の権利を増進するために存在し、その過程で理不尽が取り除かれる。国家は、個人の不幸を増進する芽を規制するために存在する。本来、社会はこうあるべきじゃないかと思います。
これだけ見れば私が急進左派のように見えますが、私は右左の枠組みで私が捉えられることはあまり好きではありません。必要なのは、右派vs左派、資本主義vs共産主義、民族主義vs多元主義、保護主義vsグローバリズムなどのイデオロギー対立の調停だと思っています。
どちらか一方に振れ過ぎては不幸が極大になります。中庸というか、その双方が入り混じって極度の対立を防いでいる状態が望ましいと思っています。イデオロギーの傾倒によって、様々な戦争や虐殺、不幸がもたらされてきたことを考慮しての結果です。
話が抽象的ですいません。理想論は理想論で、しがらみの多い現代では上手く理想の通りに行きません。結局は個々人の行う仕事の積み重ねです。私は、集団ストーカー・テクノロジー犯罪という局所的な暴力・不幸に特化して解決の提案をもたらせる存在でありたいです。
被害者の皆さまの一刻も早い心の安息が訪れることを願ってやみません。頑張っていきましょう ^^)
-最終更新日: 2022年7月24日 (日)-

統一教会の多額の献金によって家庭崩壊となったことを契機に引き起こされた安倍元首相の暗殺。Yahooニュースのコメント欄で面白い記事を見かけました。
「社会は、束縛や拘束を前提とするしがらみのある組織・団体から個人が離れる傾向にある」
これを見て、なるほどなと思いました。確かに、公明党に投票する比例票が90万票も減ったと言われていますし、かたや立憲民主党を支える労組票もかなり減少傾向にあるという記事が掲載されました。構成員の束縛によって高投票率を維持してきたあらゆる組織が衰退傾向にあるのです。
確かに、我々集団ストーカー被害を受けている元凶の創価学会も、構成員の高齢化が叫ばれています。宗教二世と呼ばれる若い世代は、加害行為にも参加せず、投票もいやいや行って、積極的に団体の行事には参加しないと言われています。
これが今の日本の現状です。これは、なぜでしょうか。
一つには、もともと加害団体を行っていたカルト宗教団体群は、対共産思想に対する暴力装置として機能していたのが、その必要性がなくなったからだと思われいます。統一教会も、もともとはアメリカの指示によって韓国の統一教会が日本の共産化を防ぐために政治とのつながりを強めたことに日本で勢力を伸ばす原因がありました。
創価学会も同様で、共産主義に対する暴力装置として機能してきた向きがあります。私が見るに、1970年代ごろまでは、創価学会は組織的な集団暴力を共産主義思想を持っていた人物に対して行っていたと思われます。それが、ここ30年代は国際金融資本と結託して、ロスチャイルド家のグローバリズムの敷衍のために利用されてきたというのが私の見立てです。
その他、父母世代の理不尽を目の当たりにしてきたとか、個人主義思想の円熟という他の要素も多分にあるでしょう。世界が、多元化していますので、どれか一つの組織が極めて伸長するといったことも現在は見られなくなっています。
そこで、菅直人氏が昔総理になったときに述べていた言葉が印象に残っています。
「最小不幸社会」です。
あらゆる組織は個人の権利を侵犯することなく、むしろ個人の権利を増進するために存在し、その過程で理不尽が取り除かれる。国家は、個人の不幸を増進する芽を規制するために存在する。本来、社会はこうあるべきじゃないかと思います。
これだけ見れば私が急進左派のように見えますが、私は右左の枠組みで私が捉えられることはあまり好きではありません。必要なのは、右派vs左派、資本主義vs共産主義、民族主義vs多元主義、保護主義vsグローバリズムなどのイデオロギー対立の調停だと思っています。
どちらか一方に振れ過ぎては不幸が極大になります。中庸というか、その双方が入り混じって極度の対立を防いでいる状態が望ましいと思っています。イデオロギーの傾倒によって、様々な戦争や虐殺、不幸がもたらされてきたことを考慮しての結果です。
話が抽象的ですいません。理想論は理想論で、しがらみの多い現代では上手く理想の通りに行きません。結局は個々人の行う仕事の積み重ねです。私は、集団ストーカー・テクノロジー犯罪という局所的な暴力・不幸に特化して解決の提案をもたらせる存在でありたいです。
被害者の皆さまの一刻も早い心の安息が訪れることを願ってやみません。頑張っていきましょう ^^)
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