高橋由典先生の社会学を紐解きます
TI被害者への集合的攻撃によって結束する宗教団体
-最終更新日: 2023年8月6日 (日)-

私は、京都大学在学時、教育哲学を専攻して岡田敬司先生に師事していたのですが、同一専攻内に高橋由典先生という社会学が専門の教授がおられました。先生の社会学の理論も集団ストーカー・テクノロジー犯罪被害を理解するうえで役立つので、理論をご紹介させて頂こうと思います。
M.ウェーバー
まずM.ウェーバー。社会学の古典です。彼の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、合理性を追及した勤勉な宗教理念が資本主義経済を推し進めたというものです。これは、新自由主義思想を支えた新興宗教団体にもそのまま当てはまります。彼らの禁欲を元にした教義からくる勤勉さが、他の思想を駆逐するまでに国境を越えた自由主義経済の拡張を支えました。やはり自由主義経済の政党と新興宗教団体は相性がいいようです。
E.デュルケム、R.ジラール
次に、E.デュルケム。彼の聖と俗の理論ですが、社会は日常と祭りの非日常によって、離散と集合的沸騰を繰り返しながら存続するというものです。これは、R.ジラールのスケープゴート論にも結び付くのですが、社会は、身代わりになる個人や一群衆を選んで、この方々に対する暴力や排除を通じて社会や組織は結束するという理論が展開されています。
集団ストーカー・テクノロジー犯罪被害者は、まさに身代わりの一個人であり、TI被害者に対する宗教理念に基づいた集合的な攻撃が宗教団体を結束させています。この攻撃は、TI被害者を供儀としてみなし、時には死に至らしめることも厭いません。加害宗教団体は、攻撃によってTI被害者が亡くなったら「バチが当たった」と声を掛けあい組織的に共有します。
G.バタイユの「跳躍」、高橋由典教授の「体験選択」
人間の進化はバタイユ的な跳躍によって諸段階を飛躍するという理論があります。高橋由典教授の理論で言えば、オウムや薬物といったような若者の利害関係を越えての死も厭わない跳躍的な行動には、社会への安全な帰還を前提としない何らかの動機付けにおける論理的飛躍があります。これを体験選択と高橋教授は表現されています。
我々の被害で言えば、新興宗教団体への安全な生活を省みない高額の寄付など、蕩尽行為もこれに当てはまるでしょう。TI被害者への攻撃の結果に致死が予定されていることも論理的に説明がつきません。先ほどのスケープゴート論などの集合理論とともに、個人に内在する行動の結末に対する合理性を越えた論理的跳躍が存在します。
私は、これは、新興宗教団体が集団ストーカー・テクノロジー犯罪などの暴力装置を持ち、組織のルールに逸脱する外部・内部の個人をスケープゴートとして過度な制裁・リンチを加え、場合によっては死に至らしめる組織の引き締め効果によって可能になっていたと考えています。
国家、政党、圧力団体、企業、巨大資本家の庇護による体験選択
私は、45歳になるまで、15年間ほぼ無賃金で、結婚もできていません。国会議員になるなどといった個人的な栄誉の達成のために、人生を捨てて被害を受けながら解決行動をとっています。これは、人生の安全な帰還が予定されていないということで、体験選択のような社会的経験をしていると思われがちですが、ロスチャイルド家に権力を付与してもらって全能感を感じて行っています。一見、無敵の人のような言論ができているのは、巨大資本家に守ってもらっているという絶対的な安心感があるからです。
私は、社会的に無視できないカリスマになったら、その方々に、例外なく国家や政党、圧力団体、企業、巨大資本家がスポンサーにつくと思っています。彼らの庇護と支援を受けて、安全を度外視した活動ができるようになると思っています。社会学では、群衆が彼らをカリスマとみなしてボトムアップ式に崇めるという論は多く見られますが、超越的他者、超越的システムの庇護下・管理下に置かれるという論はあまり見かけません。もちろん、彼らに計画的にスケープゴートにされて社会的破滅を迎える方もおられますが、個人が、安全な帰還を度外視して体験選択のような跳躍的な行動できるのは、このようなトップダウンの擁護形態が存在するのではないかと思います。
恐らく、ボトムアップの要請によってカリスマが形成され、それを超越システムが承認して社会的な馴致が行われるのが人間の歴史ではないかと思います。
我流の論の展開で申し訳ございません。大学の学部生のレポート並みの品質ですが、しっかりとこの年になっても記憶しているので、論の展開をさせていただきました。特に、新興宗教団体の宗教教義とTI被害者への攻撃による組織的糾合は社会学が最も訴求力があるのではないかと思っています。どなたか、論をお深めになっていただければ幸いです。よろしくお願い致します。
引用・参考文献
「社会学講義 -感情論の視点」 高橋由典 世界思想社 1999
【2023年8月6日のサブリミナルメッセージ】
"you need a lot of different brains working on it." 京都大学の先輩と恩師の皆さま、過去塾でお世話になった方、誠にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。5:48。
https://www.facebook.com/nobelprize/posts/pfbid02EGFhNthgPvL4icWfmr8QinWyuasE5wPAeU79U8qJ6ZFGu9Lb7Q61wqw3mCnDNiX4l
【2023年8月26日のサブリミナルメッセージ】
「素晴らしいですね」Qアノン支持だった無名の歌手、オリヴァー・アンソニーさんの曲「リッチ・メン・ノース・オブ・リッチもモンド」を1位にしたのは、国際金融資本家がQアノン支持者の包摂を始めたことの証左。誠にありがとうございます。TBS。2:35。
-最終更新日: 2023年8月6日 (日)-

私は、京都大学在学時、教育哲学を専攻して岡田敬司先生に師事していたのですが、同一専攻内に高橋由典先生という社会学が専門の教授がおられました。先生の社会学の理論も集団ストーカー・テクノロジー犯罪被害を理解するうえで役立つので、理論をご紹介させて頂こうと思います。
M.ウェーバー
まずM.ウェーバー。社会学の古典です。彼の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」は、合理性を追及した勤勉な宗教理念が資本主義経済を推し進めたというものです。これは、新自由主義思想を支えた新興宗教団体にもそのまま当てはまります。彼らの禁欲を元にした教義からくる勤勉さが、他の思想を駆逐するまでに国境を越えた自由主義経済の拡張を支えました。やはり自由主義経済の政党と新興宗教団体は相性がいいようです。
E.デュルケム、R.ジラール
次に、E.デュルケム。彼の聖と俗の理論ですが、社会は日常と祭りの非日常によって、離散と集合的沸騰を繰り返しながら存続するというものです。これは、R.ジラールのスケープゴート論にも結び付くのですが、社会は、身代わりになる個人や一群衆を選んで、この方々に対する暴力や排除を通じて社会や組織は結束するという理論が展開されています。
集団ストーカー・テクノロジー犯罪被害者は、まさに身代わりの一個人であり、TI被害者に対する宗教理念に基づいた集合的な攻撃が宗教団体を結束させています。この攻撃は、TI被害者を供儀としてみなし、時には死に至らしめることも厭いません。加害宗教団体は、攻撃によってTI被害者が亡くなったら「バチが当たった」と声を掛けあい組織的に共有します。
G.バタイユの「跳躍」、高橋由典教授の「体験選択」
人間の進化はバタイユ的な跳躍によって諸段階を飛躍するという理論があります。高橋由典教授の理論で言えば、オウムや薬物といったような若者の利害関係を越えての死も厭わない跳躍的な行動には、社会への安全な帰還を前提としない何らかの動機付けにおける論理的飛躍があります。これを体験選択と高橋教授は表現されています。
我々の被害で言えば、新興宗教団体への安全な生活を省みない高額の寄付など、蕩尽行為もこれに当てはまるでしょう。TI被害者への攻撃の結果に致死が予定されていることも論理的に説明がつきません。先ほどのスケープゴート論などの集合理論とともに、個人に内在する行動の結末に対する合理性を越えた論理的跳躍が存在します。
私は、これは、新興宗教団体が集団ストーカー・テクノロジー犯罪などの暴力装置を持ち、組織のルールに逸脱する外部・内部の個人をスケープゴートとして過度な制裁・リンチを加え、場合によっては死に至らしめる組織の引き締め効果によって可能になっていたと考えています。
国家、政党、圧力団体、企業、巨大資本家の庇護による体験選択
私は、45歳になるまで、15年間ほぼ無賃金で、結婚もできていません。国会議員になるなどといった個人的な栄誉の達成のために、人生を捨てて被害を受けながら解決行動をとっています。これは、人生の安全な帰還が予定されていないということで、体験選択のような社会的経験をしていると思われがちですが、ロスチャイルド家に権力を付与してもらって全能感を感じて行っています。一見、無敵の人のような言論ができているのは、巨大資本家に守ってもらっているという絶対的な安心感があるからです。
私は、社会的に無視できないカリスマになったら、その方々に、例外なく国家や政党、圧力団体、企業、巨大資本家がスポンサーにつくと思っています。彼らの庇護と支援を受けて、安全を度外視した活動ができるようになると思っています。社会学では、群衆が彼らをカリスマとみなしてボトムアップ式に崇めるという論は多く見られますが、超越的他者、超越的システムの庇護下・管理下に置かれるという論はあまり見かけません。もちろん、彼らに計画的にスケープゴートにされて社会的破滅を迎える方もおられますが、個人が、安全な帰還を度外視して体験選択のような跳躍的な行動できるのは、このようなトップダウンの擁護形態が存在するのではないかと思います。
恐らく、ボトムアップの要請によってカリスマが形成され、それを超越システムが承認して社会的な馴致が行われるのが人間の歴史ではないかと思います。
我流の論の展開で申し訳ございません。大学の学部生のレポート並みの品質ですが、しっかりとこの年になっても記憶しているので、論の展開をさせていただきました。特に、新興宗教団体の宗教教義とTI被害者への攻撃による組織的糾合は社会学が最も訴求力があるのではないかと思っています。どなたか、論をお深めになっていただければ幸いです。よろしくお願い致します。
引用・参考文献
「社会学講義 -感情論の視点」 高橋由典 世界思想社 1999
![]() | 社会学講義―感情論の視点 (1999/09) 高橋 由典 商品詳細を見る |
![]() | Charisma (1993/11) Charles Lindholm 商品詳細を見る |
【2023年8月6日のサブリミナルメッセージ】
"you need a lot of different brains working on it." 京都大学の先輩と恩師の皆さま、過去塾でお世話になった方、誠にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い致します。5:48。
https://www.facebook.com/nobelprize/posts/pfbid02EGFhNthgPvL4icWfmr8QinWyuasE5wPAeU79U8qJ6ZFGu9Lb7Q61wqw3mCnDNiX4l
【2023年8月26日のサブリミナルメッセージ】
「素晴らしいですね」Qアノン支持だった無名の歌手、オリヴァー・アンソニーさんの曲「リッチ・メン・ノース・オブ・リッチもモンド」を1位にしたのは、国際金融資本家がQアノン支持者の包摂を始めたことの証左。誠にありがとうございます。TBS。2:35。
- 関連記事