当事者の連帯によって問題解決をはかるセルフヘルプグループについて
-最終更新日:2010年8月30日(月)-
ひとつ前の記事で、この問題を日本社会が本気で解決しようと思ったら、公的機関や専門家が早急に広範な領域で取り組まなければならないということを述べました。このような取り組みが全くされてこなかったことによって、被害者は長い間、差別と抑圧の中に閉じ込められていました。
それでも、すべてが述べきれたわけではありません。考察するにあたって、人に対する援助を全体的にコーディネートして実践するという社会福祉学がとっつきやすかっただけです。
今回は、題名の通り、前回で少し触れた「セルフヘルプグループ」という観点から述べようと思います。専門用語で申し訳ありませんが、「難病の子どもの親の会」や「アルコール依存症当事者の会」など、当事者の集まりの会だと思ってください。
例えば、私が、厚生労働省が「難病」と指定する病気にかかったとします。筋萎縮性側索硬化症やベーチェット病など、130の疾患にわたります。もしその病気にかかってしまったら、患者やその家族は、思い精神的負担と経済的負担を強いられます。
このような難病にかかったとき、一番辛いのは、同じ難病を克服する仲間が近くにいないことです。患者数が多くて患者会が全国にある難病もありますが、患者数が数百人以下の難病は仲間を見つけることに困難を伴います。基本的に、難病を治療するのは医師です。しかし、患者同士が当事者としての生の声を共有することによって、精神的な負担の軽減を大きくはかることができます。お互いを励ましながら乗り越えるというのは、どの世界でも同じです。近年では、インターネットの技術などによって遠隔通信が成功している事例もあるようです。
ここで、以前取り上げた自殺問題を取り上げます。厚生労働省が調査した日本の自殺の原因は、「健康問題」がトップで、「生活経済問題」が2位です。この二つで90%以上を占めます。それ以降は、「家庭問題」、「勤務問題」、「男女問題」、「学校問題」と続きます。トップの「健康問題」とは病苦のことです。社会の表には出てきませんが、病苦による、経済難を伴った自殺は多いものと思われます。自殺というものは、このように、複合的にさまざまな原因が重なって選択されるケースがほとんどです。単一の困難では、人間はなかなか死に至りません。それだけ、自殺の危険性がある個人やその周辺の家族は、貧困などさまざまな生活的な困難に瀕しています。
話がそれましたが、人間が社会の中においてたったひとりで抱え込むには重すぎる問題は、当事者同士の語り合いがなければ乗り越えられません。阪神大震災でも、現地の人が協力し合って困難を乗り越えました。今でも1月17日には、神戸では追悼式典が開かれます。これは、人間が生きるにあたってごく自然な現象ではないでしょうか。
もう少し、このセルフヘルプグループについて掘り下げてみたいと思います。前回お話した、地域包括支援センターの取り組みのなかで、ひとりの高齢者をさまざまな立場の人が支援する図式を載せました。このなかで、医師、看護師、ソーシャルワーカー、ケアマネジャー、訪問介護員は、いわゆる「専門家」です。病気は医師や看護師でないと医療行為はできませんし、介護のケアプランは法律的にケアマネジャーでしか作成できません。彼らは、給料をもらう代わりに、身につけた専門知識で人助けをします。失敗は許されないなかで、強い緊張感をもって仕事に望んでいます。
しかし、人助けのプロだけでは、治療効果が十分に発揮できないケースもあります。上記の難病の場合、患者数が少ないことによる孤独感は想像を絶するものがあるでしょう。
それだけではありません。例えば、社会生活の中で病気固有の困難さがあるとします。被害者は自分の生活上の知恵で、これらの上手な克服法を編み出します。専門家が顔負けするほど自分で工夫する方もいらっしゃいます。しかし、患者一人ひとりが孤独な状況だと、せっかくのその知恵も共有されません。難しい病気の患者同士はつながってはじめていきいきと暮らすことができるのです。ソーシャルワーキングの世界でも、この「わかちあい」の効果が認められ、援助計画に積極的に導入される時代となりました。
このセルフヘルプグループは、さまざまな学術領域に示唆を与えています。例えば教育学の言葉をかりてみましょう。教育学の命題のひとつである「他からの支配や制約などを受けずに、自らの規範や道徳心に従って行動する人間形成を目指すという観点」から、このセルフヘルプグループへの参与は、問題の深刻さによって自律性を失ってしまった人たちの回復をもたらす効果があるということができるはずです。つまり、セルフヘルプグループのなかでのさまざまな助け合いの経験が、社会のなかで再び生き直すきっかけになるということです。
これは、以前に取り上げたDV問題からだと分かりやすいと思います。被虐待の家族構成員は、ただ暴力に耐えて苦しみながら生きているわけではありません。そこには虐待する側への決して報われない献身が含まれます。これは、親に暴力を振るわれながら、多くの子どもがまじめに勉強しようとすることから分かっていただけると思います。子どもが食事を作ったり家事をするケースも多いかもしれません。このような状態をダブルバインド(二重拘束)といいます。親が暴力を振るいながら子どもを必要としているからです。肯定と否定のメタメッセージを同時に送りつけているということに他なりません。
この状態は、虐待を受けている側にとって、健全とは全くいえない状態です。命に危険があるかもしれませんし、情緒的な成長にも非常に悪影響を及ぼすといわれています。したがって、このようなときにはその関係を引き離す必要があります。被虐待の家族は、毎日を極度に張り詰めた状態で生活を送らざるを得なくなっています。そのような中では、自分で物事を判断して主体的に生きるという生活ができる筈がありません。失ってしまった自分を、同質性の問題を抱えた人との協働や連帯によって回復させる必要があります。ここに、セルフヘルプグループの役割の重要性があります。ただ単純にグループの維持や存続ために人が集まっているのではありません。参加者がお互いの回復を探る上で、グループのなかで良好な連帯関係が成立しているからです。
このように特定の目的のために人為的に形成された組織を、社会学ではアソシエーション(Association)といいます。所与の組織の場合をコミュニティ(Community)といいます。地域共同体のなかでの包括的な福祉の援助技術をコミュニティワークというのはそのためです。どの地域にもある社会福祉協議会などがこれらの地域福祉計画を推進させています。
話がわき道にそれましたが、あらゆる解決が困難な問題において、歴史的に当事者の会であるセルフヘルプグループは重要な役割を果たしてきました。この問題においても例外はないでしょう。利益ばかりを追求するような極めて悪質な組織への参加は学術的に何の価値もありません。しかし、このような危機に立たされた人間が倫理的なつながりにおいて手を取り合う組織への参加というのは、極めて学術的に真正な人間関係が行われているものとして大きくピックアップされます。それゆえ、多くの学術領域が、近年、セルフヘルプグループに注目しているのです。
【この記事の参考図書を追記 2010年10月7日(木)】
ひとつ前の記事で、この問題を日本社会が本気で解決しようと思ったら、公的機関や専門家が早急に広範な領域で取り組まなければならないということを述べました。このような取り組みが全くされてこなかったことによって、被害者は長い間、差別と抑圧の中に閉じ込められていました。
それでも、すべてが述べきれたわけではありません。考察するにあたって、人に対する援助を全体的にコーディネートして実践するという社会福祉学がとっつきやすかっただけです。
今回は、題名の通り、前回で少し触れた「セルフヘルプグループ」という観点から述べようと思います。専門用語で申し訳ありませんが、「難病の子どもの親の会」や「アルコール依存症当事者の会」など、当事者の集まりの会だと思ってください。
例えば、私が、厚生労働省が「難病」と指定する病気にかかったとします。筋萎縮性側索硬化症やベーチェット病など、130の疾患にわたります。もしその病気にかかってしまったら、患者やその家族は、思い精神的負担と経済的負担を強いられます。
このような難病にかかったとき、一番辛いのは、同じ難病を克服する仲間が近くにいないことです。患者数が多くて患者会が全国にある難病もありますが、患者数が数百人以下の難病は仲間を見つけることに困難を伴います。基本的に、難病を治療するのは医師です。しかし、患者同士が当事者としての生の声を共有することによって、精神的な負担の軽減を大きくはかることができます。お互いを励ましながら乗り越えるというのは、どの世界でも同じです。近年では、インターネットの技術などによって遠隔通信が成功している事例もあるようです。
ここで、以前取り上げた自殺問題を取り上げます。厚生労働省が調査した日本の自殺の原因は、「健康問題」がトップで、「生活経済問題」が2位です。この二つで90%以上を占めます。それ以降は、「家庭問題」、「勤務問題」、「男女問題」、「学校問題」と続きます。トップの「健康問題」とは病苦のことです。社会の表には出てきませんが、病苦による、経済難を伴った自殺は多いものと思われます。自殺というものは、このように、複合的にさまざまな原因が重なって選択されるケースがほとんどです。単一の困難では、人間はなかなか死に至りません。それだけ、自殺の危険性がある個人やその周辺の家族は、貧困などさまざまな生活的な困難に瀕しています。
話がそれましたが、人間が社会の中においてたったひとりで抱え込むには重すぎる問題は、当事者同士の語り合いがなければ乗り越えられません。阪神大震災でも、現地の人が協力し合って困難を乗り越えました。今でも1月17日には、神戸では追悼式典が開かれます。これは、人間が生きるにあたってごく自然な現象ではないでしょうか。
もう少し、このセルフヘルプグループについて掘り下げてみたいと思います。前回お話した、地域包括支援センターの取り組みのなかで、ひとりの高齢者をさまざまな立場の人が支援する図式を載せました。このなかで、医師、看護師、ソーシャルワーカー、ケアマネジャー、訪問介護員は、いわゆる「専門家」です。病気は医師や看護師でないと医療行為はできませんし、介護のケアプランは法律的にケアマネジャーでしか作成できません。彼らは、給料をもらう代わりに、身につけた専門知識で人助けをします。失敗は許されないなかで、強い緊張感をもって仕事に望んでいます。
しかし、人助けのプロだけでは、治療効果が十分に発揮できないケースもあります。上記の難病の場合、患者数が少ないことによる孤独感は想像を絶するものがあるでしょう。
それだけではありません。例えば、社会生活の中で病気固有の困難さがあるとします。被害者は自分の生活上の知恵で、これらの上手な克服法を編み出します。専門家が顔負けするほど自分で工夫する方もいらっしゃいます。しかし、患者一人ひとりが孤独な状況だと、せっかくのその知恵も共有されません。難しい病気の患者同士はつながってはじめていきいきと暮らすことができるのです。ソーシャルワーキングの世界でも、この「わかちあい」の効果が認められ、援助計画に積極的に導入される時代となりました。
このセルフヘルプグループは、さまざまな学術領域に示唆を与えています。例えば教育学の言葉をかりてみましょう。教育学の命題のひとつである「他からの支配や制約などを受けずに、自らの規範や道徳心に従って行動する人間形成を目指すという観点」から、このセルフヘルプグループへの参与は、問題の深刻さによって自律性を失ってしまった人たちの回復をもたらす効果があるということができるはずです。つまり、セルフヘルプグループのなかでのさまざまな助け合いの経験が、社会のなかで再び生き直すきっかけになるということです。
これは、以前に取り上げたDV問題からだと分かりやすいと思います。被虐待の家族構成員は、ただ暴力に耐えて苦しみながら生きているわけではありません。そこには虐待する側への決して報われない献身が含まれます。これは、親に暴力を振るわれながら、多くの子どもがまじめに勉強しようとすることから分かっていただけると思います。子どもが食事を作ったり家事をするケースも多いかもしれません。このような状態をダブルバインド(二重拘束)といいます。親が暴力を振るいながら子どもを必要としているからです。肯定と否定のメタメッセージを同時に送りつけているということに他なりません。
この状態は、虐待を受けている側にとって、健全とは全くいえない状態です。命に危険があるかもしれませんし、情緒的な成長にも非常に悪影響を及ぼすといわれています。したがって、このようなときにはその関係を引き離す必要があります。被虐待の家族は、毎日を極度に張り詰めた状態で生活を送らざるを得なくなっています。そのような中では、自分で物事を判断して主体的に生きるという生活ができる筈がありません。失ってしまった自分を、同質性の問題を抱えた人との協働や連帯によって回復させる必要があります。ここに、セルフヘルプグループの役割の重要性があります。ただ単純にグループの維持や存続ために人が集まっているのではありません。参加者がお互いの回復を探る上で、グループのなかで良好な連帯関係が成立しているからです。
このように特定の目的のために人為的に形成された組織を、社会学ではアソシエーション(Association)といいます。所与の組織の場合をコミュニティ(Community)といいます。地域共同体のなかでの包括的な福祉の援助技術をコミュニティワークというのはそのためです。どの地域にもある社会福祉協議会などがこれらの地域福祉計画を推進させています。
話がわき道にそれましたが、あらゆる解決が困難な問題において、歴史的に当事者の会であるセルフヘルプグループは重要な役割を果たしてきました。この問題においても例外はないでしょう。利益ばかりを追求するような極めて悪質な組織への参加は学術的に何の価値もありません。しかし、このような危機に立たされた人間が倫理的なつながりにおいて手を取り合う組織への参加というのは、極めて学術的に真正な人間関係が行われているものとして大きくピックアップされます。それゆえ、多くの学術領域が、近年、セルフヘルプグループに注目しているのです。
【この記事の参考図書を追記 2010年10月7日(木)】
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