TPPに関する再考
~反対派の視点から考える~
-最終更新日: 2011年11月6日 (日) -
本日は前回賛成派の立場から書いたTPPについてを、反対派の視点から書いてみたい。昨今、TPP反対の運動が広まっており、これは看過できないものである。一体日本はどうすればいいのか、TPPがこれまでのグローバリズムの延長線上であってはならないいくつかの論点を取り上げる。
まずは、農業と医療の自由化による同産業の疲弊である。農業の従事者は高齢であり、農業改革を行った場合の従事者の負担は想像を絶するものがある。海外の安い農産物に対する競争力がなくなり、収入が得られず自殺者が多発するという意見もある。さらに、医療のほうも同様のことが言える。日本が誇る国民皆保険が破綻しかねないのだ。どうやらTPPはこれが前提に組み込まれており、やはり看過できない。
これに対し、農業は高度集約化や企業化を目指すべきだという論点があるが、これも容易ではない。日本はもともと国土が狭い上、農業従事者が高齢であるという難点がある。これらの改革はこれまでのグローバリズム同様ただ農業を疲弊させるだけになる可能性があるとも述べられている。
私は長期的に見れば日本のTPP参加は国益になると考えているが、韓国のように弱者が切り捨てられては国内が荒廃するだけである。ここでは、TPP参加に当たってこのようになってはならないという点をいくつか述べてみたい。
まず、格差の拡大である。TPPとは環太平洋の自由貿易協定であり、グローバリズムと同様の問題をはらんでいる。ただ自由貿易主義を推し進めては格差の拡大は目に見えている。これをいかに所得再分配するか。貿易に関しては自由であっても国内政策でこの矛盾を解消しなければならないだろう。
そして、人々の分断である。私もグローバリズムにおける新自由主義はこの時代を生きる個人主体にとって厳しい思想だったと考えている。人々の共同性が失われ、人々はお互いを助けるにあたって寄る辺がない時代が続いた。自己責任を暴力的に要請される時代でもあり、私はこの時代の自立・自律とは孤独であったと考えている。
これがあるためにTPP参加が忌避されている側面が強くあることを述べなければならない。温和な時代に機能している国内融和が再び暴力的な形で駆逐されはしないかという懸念を庶民は強めているのだ。これに対して、推進派は明確にNOを突きつけなければならない。TPPによって自由貿易を国益のために推し進めても、必ず人々の生活の安心は保たれる、またそのような政策を必ず実行することを政府は打ち上げなければならない。農業従事者には例えば海外へのブランド輸出のための高度集約化を持続可能な形で補助しなければならないだろう。
ここに来て、TPPがイエスかノーかの二元論に戻ってしまっているが、この相反する属性を解消してどのように日本を盛り上げるかが本来の論点のはずだ。日本を分断することなく、健全な議論を期待したい。
-最終更新日: 2011年11月6日 (日) -
本日は前回賛成派の立場から書いたTPPについてを、反対派の視点から書いてみたい。昨今、TPP反対の運動が広まっており、これは看過できないものである。一体日本はどうすればいいのか、TPPがこれまでのグローバリズムの延長線上であってはならないいくつかの論点を取り上げる。
まずは、農業と医療の自由化による同産業の疲弊である。農業の従事者は高齢であり、農業改革を行った場合の従事者の負担は想像を絶するものがある。海外の安い農産物に対する競争力がなくなり、収入が得られず自殺者が多発するという意見もある。さらに、医療のほうも同様のことが言える。日本が誇る国民皆保険が破綻しかねないのだ。どうやらTPPはこれが前提に組み込まれており、やはり看過できない。
これに対し、農業は高度集約化や企業化を目指すべきだという論点があるが、これも容易ではない。日本はもともと国土が狭い上、農業従事者が高齢であるという難点がある。これらの改革はこれまでのグローバリズム同様ただ農業を疲弊させるだけになる可能性があるとも述べられている。
私は長期的に見れば日本のTPP参加は国益になると考えているが、韓国のように弱者が切り捨てられては国内が荒廃するだけである。ここでは、TPP参加に当たってこのようになってはならないという点をいくつか述べてみたい。
まず、格差の拡大である。TPPとは環太平洋の自由貿易協定であり、グローバリズムと同様の問題をはらんでいる。ただ自由貿易主義を推し進めては格差の拡大は目に見えている。これをいかに所得再分配するか。貿易に関しては自由であっても国内政策でこの矛盾を解消しなければならないだろう。
そして、人々の分断である。私もグローバリズムにおける新自由主義はこの時代を生きる個人主体にとって厳しい思想だったと考えている。人々の共同性が失われ、人々はお互いを助けるにあたって寄る辺がない時代が続いた。自己責任を暴力的に要請される時代でもあり、私はこの時代の自立・自律とは孤独であったと考えている。
これがあるためにTPP参加が忌避されている側面が強くあることを述べなければならない。温和な時代に機能している国内融和が再び暴力的な形で駆逐されはしないかという懸念を庶民は強めているのだ。これに対して、推進派は明確にNOを突きつけなければならない。TPPによって自由貿易を国益のために推し進めても、必ず人々の生活の安心は保たれる、またそのような政策を必ず実行することを政府は打ち上げなければならない。農業従事者には例えば海外へのブランド輸出のための高度集約化を持続可能な形で補助しなければならないだろう。
ここに来て、TPPがイエスかノーかの二元論に戻ってしまっているが、この相反する属性を解消してどのように日本を盛り上げるかが本来の論点のはずだ。日本を分断することなく、健全な議論を期待したい。
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