マーラー交響曲第6番 悲劇的 ②
苦難の時期を共にしたテンシュテット版のSACD
-最終更新日: 2013年2月12日 (火) -
最近はサブリミナル・メッセージの記録ばかり残していてほかの記事は書いていない。ブログのコンテンツも充実し、今は問題解決の動きだけを見ているからだ。しかし、最近テンシュテットのマーラー6番、シングルレイヤーSACDの発売を耳にした。通常なら高価なCDは買わないのだが、この曲だけは別。最近CDにコストをかけていなかったこともあって勇気を出して買ってみた。
マーラー6番のテンシュテット版は以前の記事でご紹介したとおりである。しかし、今回のSACDシングルレイヤー版は同じジャケットでも演奏年月が異なっている。以前紹介したのは1991年ライブ盤。テンシュテットが癌だということが分かったうえでの鬼気迫るライブ録音だ。こちらのSACDは下に紹介している全集に収録されている1983年のスタジオ収録版。以前から、録音の素晴らしさにはこちらに定評があった。それが今回SACD化されたのである。
聞いてみると、現在の世の中で一般の人が聞ける最高音質の演奏だということが分かる。また、1991年ライブ盤とほぼ解釈も同一であり、同じように楽しむことができる。そして、最新の録音技術で雑音などが消去されている。おそらく、現段階でマーラー交響曲第6番で最高のCDなのではないかと思う。
このCD私にとって別格の存在だ。集団ストーカーを受けている間、恐らく数百回聞いている。悲壮感極まる苦難の曲をなぜ私がこうもこの曲を好むのか。それは、この曲が抗いがたい運命と全力をもって闘争する曲だからだ。そこには少しも妥協はない。最後には3回の運命の打撃とともに、英雄は闘争に敗れる。本来なら悲劇的な結末なのだが、私には戦い抜いた大往生に聞こえる。この曲を最後まで聞いたときに、憎しみの感情が昇華されるのだ。この曲がなければ、私の憎しみの矛先はどちらを向いていたか分からない。
あまりこれ以上の言葉が思いつかない。皆さんも人生の苦難の際に何らかの芸術作品に触れることもあろうかと思う。たまたま私はこの曲だったに過ぎない。それでもかけがえのないものをこの曲からもらっている。忘れられない演奏である。
-最終更新日: 2013年2月12日 (火) -
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マーラー6番のテンシュテット版は以前の記事でご紹介したとおりである。しかし、今回のSACDシングルレイヤー版は同じジャケットでも演奏年月が異なっている。以前紹介したのは1991年ライブ盤。テンシュテットが癌だということが分かったうえでの鬼気迫るライブ録音だ。こちらのSACDは下に紹介している全集に収録されている1983年のスタジオ収録版。以前から、録音の素晴らしさにはこちらに定評があった。それが今回SACD化されたのである。
聞いてみると、現在の世の中で一般の人が聞ける最高音質の演奏だということが分かる。また、1991年ライブ盤とほぼ解釈も同一であり、同じように楽しむことができる。そして、最新の録音技術で雑音などが消去されている。おそらく、現段階でマーラー交響曲第6番で最高のCDなのではないかと思う。
このCD私にとって別格の存在だ。集団ストーカーを受けている間、恐らく数百回聞いている。悲壮感極まる苦難の曲をなぜ私がこうもこの曲を好むのか。それは、この曲が抗いがたい運命と全力をもって闘争する曲だからだ。そこには少しも妥協はない。最後には3回の運命の打撃とともに、英雄は闘争に敗れる。本来なら悲劇的な結末なのだが、私には戦い抜いた大往生に聞こえる。この曲を最後まで聞いたときに、憎しみの感情が昇華されるのだ。この曲がなければ、私の憎しみの矛先はどちらを向いていたか分からない。
あまりこれ以上の言葉が思いつかない。皆さんも人生の苦難の際に何らかの芸術作品に触れることもあろうかと思う。たまたま私はこの曲だったに過ぎない。それでもかけがえのないものをこの曲からもらっている。忘れられない演奏である。
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