この問題を乗り越えるに当たって「家族」とは何か
~つらくても打ち明けられない社会をどのように克服するか~
-最終更新日:2010年9月7日(火)-
9月7日(火)の読売新聞朝刊の18・19面をご覧ください。自死遺族の特集が組まれています。
前回にも申し上げましたように、年間自殺者数が30,000人を超えて10年以上が経過する日本社会。なぜこのようなおかしな国になってしまったのでしょうか。原因のひとつに、自死遺族へのサポートのなさがあげられます。この観点から、本日の読売新聞は、2面にわたって特集を組んでいます。
もう少し掘り下げてみましょう。このサポートのなさについてです。自殺してしまいかねない人や、自殺してしまった人を抱える家族を、だれがケアすべきかです。ここで、ケアする能力があるものを羅列してみましょう。まず、第一に家族です。社会が何もしてくれないときは、家族が自身でケアをしなければなりません。その次に地域です。周囲の人が心配してあげたり、差し入れをしてあげたり、相談に乗ってあげたり、いろんなことができます。次に公的なセクションです。専門家が相談に乗るのは効果があります。また、公的に自死遺族が話し合う場を提供することもできます。概ね、自死遺族を支えるものはこの3つといえるでしょう。
自死遺族を支えるもの
① 家族
② 地域
③ 公的セクション
ここで、時代によっては②の地域や③の公的セクションが極めて希薄な社会となってしまうことがあります。そうすると、この重い問題を①だけ、つまり家族だけで背負わなければなりません。これは相当に負担が必要なことです。この3つが合わさってようやく重い問題を乗り越えることができるのに、①の家族だけだと重すぎて潰れてしまうのです。
これは、このブログにて取り上げている問題も同じです。一人の人間、ないしはその家族が背負うにはあまりにも重過ぎる問題なのです。人間社会は、リスクを高度に分散することによって成立しています。つまり、支えあいです。そのための民主主義の法制度です。特定の家族や個人に重荷が課せられて潰れる社会は、ローカルに極度なリスクがある社会として、成長を萎縮させてしまうことになりかねません。この問題は、社会の構成員に解決のしようがないという非常に強い恐怖感をもたらしています。また、自殺で救われない社会も同様です。むしろ、この二つの問題は相関しあっているのかもしれません。
昭和の時代には、「家族共同体」「地域共同体」「学校共同体」「企業共同体」というものが、個人が逸脱して落ちぶれたりすることを防ぐ装置として働いていました。この十数年で、これらが機能不全となりました。本日の朝日新聞の13面、オピニオンのコーナーでは渥美清さんの「男はつらいよ」で有名な山田洋二監督が今の社会とりわけ家族についてこのように述べています。
「……寅さんの映画は『家族や地域からはみ出してしまった人間にも愛情を寄せたい』という観客の思いがあったから支持されたわけです。今の若者は、そういう感情自体を理解できなくなっているのかもしれない」
若者がこうであるということは、長い間そのような社会を経験して育ってしまったということです。その結果、逸脱して落ちぶれる人間が放置されることがあたりまえの社会になってしまいました。これは、100歳以上の高齢者が死んでもなお戸籍に残り続けた昨今の問題に重なります。親族ですら身内の状況を把握することを放棄した絆の薄い社会になってしまったのです。NHKはこれを「無縁社会」の特集で強くとりあげています。
私がこのブログで、人間社会のリスク分散に欠かせないさまざまなつながりの制度の復権を求めているのはこのようなことです。持続的な社会の形成のためには「社会システムと個人の中間で機能する人間性の回復のためのさまざまな装置」が不可欠です。つまり、上記の学校、企業、地域、家族において、かつて昭和の時代に温かみをもって存在していたように、人間同士の絆が取り戻されなければならないということです。
「もう、辛い思いをしても誰も気付いてくれない社会はごめんだ。」それは今の日本国民すべての願いではないでしょうか。
(参考)
これまで、私は自殺してしまった人を抱える家族を「自殺遺族」と申し上げました。しかし、本日の読売新聞では、この言葉自体が家族を抑圧しているとして、少しでも穏やかな「自死遺族」という表現を提案しています。「殺」という表現が突き刺さるというのです。自分もこの考えに賛同しますので、以後、このブログでは「自死遺族」という表現を使いたいと思います。また、この読売新聞の記事には、以前とりあげた「NPO法人ライフリンク」の自死遺族500名の聞き取り調査なども記事に含まれています。
【記事に参考図書を追記 2010年10月8日(木)】
アダルトチルドレンの概念を日本に輸入した第一人者である斎藤学氏のもっともメジャーな著書。アダルトチルドレンは幼少時の親のダブルバインド(二重拘束)を起因とする学説で有名である。アメリカでは、クリントン元大統領が幼少期の体験から自らがアダルトチルドレンだと告白されている。相当の勇気が必要だったものと推察される。同じ問題を抱える人からすれば、先駆的な存在なのだろう。敬意を表したいと思います。
-最終更新日:2010年9月7日(火)-
9月7日(火)の読売新聞朝刊の18・19面をご覧ください。自死遺族の特集が組まれています。
前回にも申し上げましたように、年間自殺者数が30,000人を超えて10年以上が経過する日本社会。なぜこのようなおかしな国になってしまったのでしょうか。原因のひとつに、自死遺族へのサポートのなさがあげられます。この観点から、本日の読売新聞は、2面にわたって特集を組んでいます。
もう少し掘り下げてみましょう。このサポートのなさについてです。自殺してしまいかねない人や、自殺してしまった人を抱える家族を、だれがケアすべきかです。ここで、ケアする能力があるものを羅列してみましょう。まず、第一に家族です。社会が何もしてくれないときは、家族が自身でケアをしなければなりません。その次に地域です。周囲の人が心配してあげたり、差し入れをしてあげたり、相談に乗ってあげたり、いろんなことができます。次に公的なセクションです。専門家が相談に乗るのは効果があります。また、公的に自死遺族が話し合う場を提供することもできます。概ね、自死遺族を支えるものはこの3つといえるでしょう。
自死遺族を支えるもの
① 家族
② 地域
③ 公的セクション
ここで、時代によっては②の地域や③の公的セクションが極めて希薄な社会となってしまうことがあります。そうすると、この重い問題を①だけ、つまり家族だけで背負わなければなりません。これは相当に負担が必要なことです。この3つが合わさってようやく重い問題を乗り越えることができるのに、①の家族だけだと重すぎて潰れてしまうのです。
これは、このブログにて取り上げている問題も同じです。一人の人間、ないしはその家族が背負うにはあまりにも重過ぎる問題なのです。人間社会は、リスクを高度に分散することによって成立しています。つまり、支えあいです。そのための民主主義の法制度です。特定の家族や個人に重荷が課せられて潰れる社会は、ローカルに極度なリスクがある社会として、成長を萎縮させてしまうことになりかねません。この問題は、社会の構成員に解決のしようがないという非常に強い恐怖感をもたらしています。また、自殺で救われない社会も同様です。むしろ、この二つの問題は相関しあっているのかもしれません。
昭和の時代には、「家族共同体」「地域共同体」「学校共同体」「企業共同体」というものが、個人が逸脱して落ちぶれたりすることを防ぐ装置として働いていました。この十数年で、これらが機能不全となりました。本日の朝日新聞の13面、オピニオンのコーナーでは渥美清さんの「男はつらいよ」で有名な山田洋二監督が今の社会とりわけ家族についてこのように述べています。
「……寅さんの映画は『家族や地域からはみ出してしまった人間にも愛情を寄せたい』という観客の思いがあったから支持されたわけです。今の若者は、そういう感情自体を理解できなくなっているのかもしれない」
若者がこうであるということは、長い間そのような社会を経験して育ってしまったということです。その結果、逸脱して落ちぶれる人間が放置されることがあたりまえの社会になってしまいました。これは、100歳以上の高齢者が死んでもなお戸籍に残り続けた昨今の問題に重なります。親族ですら身内の状況を把握することを放棄した絆の薄い社会になってしまったのです。NHKはこれを「無縁社会」の特集で強くとりあげています。
私がこのブログで、人間社会のリスク分散に欠かせないさまざまなつながりの制度の復権を求めているのはこのようなことです。持続的な社会の形成のためには「社会システムと個人の中間で機能する人間性の回復のためのさまざまな装置」が不可欠です。つまり、上記の学校、企業、地域、家族において、かつて昭和の時代に温かみをもって存在していたように、人間同士の絆が取り戻されなければならないということです。
「もう、辛い思いをしても誰も気付いてくれない社会はごめんだ。」それは今の日本国民すべての願いではないでしょうか。
(参考)
これまで、私は自殺してしまった人を抱える家族を「自殺遺族」と申し上げました。しかし、本日の読売新聞では、この言葉自体が家族を抑圧しているとして、少しでも穏やかな「自死遺族」という表現を提案しています。「殺」という表現が突き刺さるというのです。自分もこの考えに賛同しますので、以後、このブログでは「自死遺族」という表現を使いたいと思います。また、この読売新聞の記事には、以前とりあげた「NPO法人ライフリンク」の自死遺族500名の聞き取り調査なども記事に含まれています。
【記事に参考図書を追記 2010年10月8日(木)】
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アダルトチルドレンの概念を日本に輸入した第一人者である斎藤学氏のもっともメジャーな著書。アダルトチルドレンは幼少時の親のダブルバインド(二重拘束)を起因とする学説で有名である。アメリカでは、クリントン元大統領が幼少期の体験から自らがアダルトチルドレンだと告白されている。相当の勇気が必要だったものと推察される。同じ問題を抱える人からすれば、先駆的な存在なのだろう。敬意を表したいと思います。
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