この問題への公的機関と専門領域の対処とは (2)
~精神医療と集団ストーカー問題について~
-最終更新日:2010年9月9日(水)-
荷は重いですが、この問題がさまざまな学術分野で考察されなければならないと言った手前、たとえ専門知識が希薄だとしても、示唆を与える部分だけでもアウトプットしなければならないと思います。今回は精神医療の観点から考察してみたいと思います。
精神科医は医師です。さまざまな病気を扱います。代表的なものが統合失調症です。意識と行動が乖離してしまうこともある、現在ではドーパミンの過剰分泌が主要な原因であるとされる病気の一群です。古典的には、破瓜型、妄想型、緊張型という分類がなされます。これらは、一切偏見が行われるべきでない歴然とした病気であり、医療行為による適切な治療が必要です。トーパミン遮断剤だけで驚くほど症状が軽くなるからです。
その次に代表的なものは、うつ病です。昔は大うつ病といって、非常に症状が深刻でした。寝たきり状態になるものまでありました。現在は、トランキライザーの進歩や社会的認知が広まりもあり、症状の軽症化が進んでいます。だからといって罹患する患者数が減っているというわけではなく、全体のうつ病患者は増えているといわれています。自殺との強い因果関係も指摘される時代となりました。また、時代によって症状が異なるのか、現在は抑うつ状態にありながらも外向性が強くなって暴力をふるうケースが増えているなど、症状の多様化が進んでいると言われています。精神医療は命がけの仕事なのです。
しかし、精神疾患には病気とされないものもあります。ボーダーラインと呼ばれる有名な境界性人格障害をはじめとする、人格障害とよばれるものです。(厳密に病気とされないものはアスペルガー症候群などたくさんあります。)
これについては、精神医学に基づいた治療はなかなか効を奏しません。一般には病気とされないからです。「障害」という名前が指し示すように、社会生活を円滑に営むための何かが欠落しているという観点で見られます。例えば、アスペルガー症候群は、情緒的な能力の欠損が著しいものとされます。ただし、知的能力、特に論理的思考に関しては通常の人より高いIQを示すと言われています。
このような病気とされないながらも精神医療の分野で扱われる障害は、完全に「治療」することが難しいとされます。ただし、精神医療の中に組み込まれているということは、この分野で取り組むということです。そのためには、前回の高齢者に対する包括支援センターの取り組みのように、この人格障害においてもさまざまな専門家の支援が提供されなければなりません。一般的には、精神科医をトップとした支援チームが組まれます。精神科医以外では、臨床心理士や看護師、PSW(精神医療ソーシャルワーカー)と呼ばれる人たちです。(資格試験で、「社会福祉士」と「精神保健福祉士」が別々になっていることについて、この分野の方はお詳しいはずです。)
さて、ここでなぜ人格障害をピックアップしたかです。自分の経験から、この問題をかかえるとまさに被害者が人格障害のような様相を示すからです。これは他の被害者の方を冒涜したものではありません。自分が、人格障害になったのと同じような様相を示したということです。例えばアルコールをあびるほど飲む自傷行為に及んだり、相手に対して極度に敵意を向けたり、家族に対して激しい口論を仕掛けたりするようになります。常に拷問のような苦痛を浴びている状態のうえ、加害行為による社会生活の制限によって強い抑圧感情に支配されます。このようなとき、人間は異常なまでにイラついた状態になります。以前、いじめっ子は別次元でいじめを受けているという説を紹介しました。これと同じように、自分のケースでは家族にイラつきの矛先が向けられました。自分の家族は被害を受けていませんが、このような被害を受けている家族の構成員がいなければもっと幸せになっていたでしょう。この数年間、家族に大きな迷惑をかけつづけています。(あくまで私のケースです。他の被害者の方には当てはまらないかもしれません。もしそうでしたら、申し訳ありません。)
人格障害は、社会生活にうまく適合できない意味において人格が欠損しているケースをいいます。これは病気でなく、その人のせいでもありません。先天的なものが大部分を占めているといわれているからです。ですから、本人に責任はありません。したがって、精神医療やその援助の対象となります。世の中になかなか受け入れられない障害ですが、社会生活の円滑化には、このような方の援助が欠かせません。治療の方法論は、精神医療の分野で歴史的に研究が積み重ねられてきています。
なぜ「集団ストーカー」の被害者が人格障害と似たような症状を示すのかというと、上記のように、ただ社会生活を抑圧されて行動が制限されているだけではありません。他の人との人間関係を円滑に推進させたりする意味において、情緒的に非常に困難を伴う心的機制が形成されてしまっているからです。これらは、単純にイラつくという単純なものばかりでなく、不安、自傷、社会生活からの隠遁、猜疑心の高揚などさまざまです。また、被害者によっては、加害行為の客観性が保てず、加害者が吹き込んだ間違った情報によりパニック状況におかれている方もおられます。これまで述べてきたように、加害行為には強いマインドコントロール性があるからです。これでは、人間関係の構築ができません。まだ自分は加害行為は終わっていませんが、終わっても社会生活に齟齬をきたす症状が残るでしょう。既存の精神疾患や障害とは別の観点で、被害者の心の破綻のメカニズムが研究されなければなりません。そうでなければ、本当の意味での被害者の救済はありえないでしょう。また、これらの治療には時間とお金がかかります。社会コストが膨大にかかるということです。この問題を解決して民主主義を正常化させるということには、そのほかの取り組みも含めて公的に膨大なコストがかかるのです。被害者の方々の負担も馬鹿にはならないでしょう。はっきりいって許せません。加害者に負担してほしいくらいです。
最後に、身体と自己が引き裂かれる統合失調症も、社会的認知と差別の撤廃には長い年月がかかりました。しかし、人口の1%が罹患する、重に遺伝的な疾患としての認知が広まり、患者さんは社会で非常に暮らしやすくなってきました。前回述べた当事者の会であるセルフヘルプグループも、重要な役割を果たしてきました。この「集団ストーカー」問題に関しても、被害者の受けている加害行為に対する正しい知識が広まって、社会の中に受け入れられることを望んでやみません。
統合失調症が精神分裂病(スキゾフレニア)と呼ばれている時代、その認知のためには様々な手段が工夫されました。ルイス・ブニュエルの「エル」という映画がありますが、当時の精神分裂病にかかった人の妄想や幻聴などの症状がうまく映像表現されているものとして、鏡像段階論で有名なフランスのジャック・ラカンが講義に取り入れました。同じく精神医療の認知を進めた映画に、アンジェリーナ・ジョリーさんが助演女優賞を獲得した「17歳のカルテ」があります。この問題でも同じように、テクノロジー被害を疑似体験する仕組みの構築を進めている被害者の方もおられるようです。ただし、加害行為に使われている機器を使用できませんので、非常に困難が伴うものと推察いたします。
今日も、自分は起きた瞬間に外でクラクションがなりました。目が覚めて無防備な瞬間に、他人の意識が自分の意識として感じられる「意識への介入」が始まりました。「意識への介入」によって罵倒を浴びせられたり、生活行為にいちいちでたらめな指示やいちゃもんが送りつけられる毎日です。また、時には針で刺したような痛みを感じる「痛みの送信」もあります。BMI技術が放送されたりなど、そろそろ認知が社会で広まっていくと思いますが、偏見がないように社会で受け入れられてほしいというのが被害者一同の願いです。
【記事に参考図書を追記 2010年10月8日(木)】
筆者の専攻の指導教官の新宮一成氏の一番有名な著書。自己と他者の割合(ラシオー)をフィボナッチの数列や黄金数に求めているあたりがまさに天才である。学生時代に読みふけった著書である。
「この問題への公的機関と専門領域の対処とは」では(1-○)は社会福祉学、(2-○)は精神医療分野です。(3-○)、(4-○)と教育学や社会学など、広範に考える努力をしてみる予定です。とはいってもこれらの分野から離れてかなり時間がかかってますので、何とか勉強しなおして書いていきたいと思います。本当なら心理学の力も必要なんですが、専攻として勉強してないので、論述能力に欠けると思います。ただ、先日述べたダブルバインド(二重拘束)説や、カール・ロジャースの傾聴論など、心理学の分野にまたがる書籍などもちょっとですが勉強してますので、必ず考え方を取り入れたいと思います。
-最終更新日:2010年9月9日(水)-
荷は重いですが、この問題がさまざまな学術分野で考察されなければならないと言った手前、たとえ専門知識が希薄だとしても、示唆を与える部分だけでもアウトプットしなければならないと思います。今回は精神医療の観点から考察してみたいと思います。
精神科医は医師です。さまざまな病気を扱います。代表的なものが統合失調症です。意識と行動が乖離してしまうこともある、現在ではドーパミンの過剰分泌が主要な原因であるとされる病気の一群です。古典的には、破瓜型、妄想型、緊張型という分類がなされます。これらは、一切偏見が行われるべきでない歴然とした病気であり、医療行為による適切な治療が必要です。トーパミン遮断剤だけで驚くほど症状が軽くなるからです。
その次に代表的なものは、うつ病です。昔は大うつ病といって、非常に症状が深刻でした。寝たきり状態になるものまでありました。現在は、トランキライザーの進歩や社会的認知が広まりもあり、症状の軽症化が進んでいます。だからといって罹患する患者数が減っているというわけではなく、全体のうつ病患者は増えているといわれています。自殺との強い因果関係も指摘される時代となりました。また、時代によって症状が異なるのか、現在は抑うつ状態にありながらも外向性が強くなって暴力をふるうケースが増えているなど、症状の多様化が進んでいると言われています。精神医療は命がけの仕事なのです。
しかし、精神疾患には病気とされないものもあります。ボーダーラインと呼ばれる有名な境界性人格障害をはじめとする、人格障害とよばれるものです。(厳密に病気とされないものはアスペルガー症候群などたくさんあります。)
これについては、精神医学に基づいた治療はなかなか効を奏しません。一般には病気とされないからです。「障害」という名前が指し示すように、社会生活を円滑に営むための何かが欠落しているという観点で見られます。例えば、アスペルガー症候群は、情緒的な能力の欠損が著しいものとされます。ただし、知的能力、特に論理的思考に関しては通常の人より高いIQを示すと言われています。
このような病気とされないながらも精神医療の分野で扱われる障害は、完全に「治療」することが難しいとされます。ただし、精神医療の中に組み込まれているということは、この分野で取り組むということです。そのためには、前回の高齢者に対する包括支援センターの取り組みのように、この人格障害においてもさまざまな専門家の支援が提供されなければなりません。一般的には、精神科医をトップとした支援チームが組まれます。精神科医以外では、臨床心理士や看護師、PSW(精神医療ソーシャルワーカー)と呼ばれる人たちです。(資格試験で、「社会福祉士」と「精神保健福祉士」が別々になっていることについて、この分野の方はお詳しいはずです。)
さて、ここでなぜ人格障害をピックアップしたかです。自分の経験から、この問題をかかえるとまさに被害者が人格障害のような様相を示すからです。これは他の被害者の方を冒涜したものではありません。自分が、人格障害になったのと同じような様相を示したということです。例えばアルコールをあびるほど飲む自傷行為に及んだり、相手に対して極度に敵意を向けたり、家族に対して激しい口論を仕掛けたりするようになります。常に拷問のような苦痛を浴びている状態のうえ、加害行為による社会生活の制限によって強い抑圧感情に支配されます。このようなとき、人間は異常なまでにイラついた状態になります。以前、いじめっ子は別次元でいじめを受けているという説を紹介しました。これと同じように、自分のケースでは家族にイラつきの矛先が向けられました。自分の家族は被害を受けていませんが、このような被害を受けている家族の構成員がいなければもっと幸せになっていたでしょう。この数年間、家族に大きな迷惑をかけつづけています。(あくまで私のケースです。他の被害者の方には当てはまらないかもしれません。もしそうでしたら、申し訳ありません。)
人格障害は、社会生活にうまく適合できない意味において人格が欠損しているケースをいいます。これは病気でなく、その人のせいでもありません。先天的なものが大部分を占めているといわれているからです。ですから、本人に責任はありません。したがって、精神医療やその援助の対象となります。世の中になかなか受け入れられない障害ですが、社会生活の円滑化には、このような方の援助が欠かせません。治療の方法論は、精神医療の分野で歴史的に研究が積み重ねられてきています。
なぜ「集団ストーカー」の被害者が人格障害と似たような症状を示すのかというと、上記のように、ただ社会生活を抑圧されて行動が制限されているだけではありません。他の人との人間関係を円滑に推進させたりする意味において、情緒的に非常に困難を伴う心的機制が形成されてしまっているからです。これらは、単純にイラつくという単純なものばかりでなく、不安、自傷、社会生活からの隠遁、猜疑心の高揚などさまざまです。また、被害者によっては、加害行為の客観性が保てず、加害者が吹き込んだ間違った情報によりパニック状況におかれている方もおられます。これまで述べてきたように、加害行為には強いマインドコントロール性があるからです。これでは、人間関係の構築ができません。まだ自分は加害行為は終わっていませんが、終わっても社会生活に齟齬をきたす症状が残るでしょう。既存の精神疾患や障害とは別の観点で、被害者の心の破綻のメカニズムが研究されなければなりません。そうでなければ、本当の意味での被害者の救済はありえないでしょう。また、これらの治療には時間とお金がかかります。社会コストが膨大にかかるということです。この問題を解決して民主主義を正常化させるということには、そのほかの取り組みも含めて公的に膨大なコストがかかるのです。被害者の方々の負担も馬鹿にはならないでしょう。はっきりいって許せません。加害者に負担してほしいくらいです。
最後に、身体と自己が引き裂かれる統合失調症も、社会的認知と差別の撤廃には長い年月がかかりました。しかし、人口の1%が罹患する、重に遺伝的な疾患としての認知が広まり、患者さんは社会で非常に暮らしやすくなってきました。前回述べた当事者の会であるセルフヘルプグループも、重要な役割を果たしてきました。この「集団ストーカー」問題に関しても、被害者の受けている加害行為に対する正しい知識が広まって、社会の中に受け入れられることを望んでやみません。
統合失調症が精神分裂病(スキゾフレニア)と呼ばれている時代、その認知のためには様々な手段が工夫されました。ルイス・ブニュエルの「エル」という映画がありますが、当時の精神分裂病にかかった人の妄想や幻聴などの症状がうまく映像表現されているものとして、鏡像段階論で有名なフランスのジャック・ラカンが講義に取り入れました。同じく精神医療の認知を進めた映画に、アンジェリーナ・ジョリーさんが助演女優賞を獲得した「17歳のカルテ」があります。この問題でも同じように、テクノロジー被害を疑似体験する仕組みの構築を進めている被害者の方もおられるようです。ただし、加害行為に使われている機器を使用できませんので、非常に困難が伴うものと推察いたします。
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今日も、自分は起きた瞬間に外でクラクションがなりました。目が覚めて無防備な瞬間に、他人の意識が自分の意識として感じられる「意識への介入」が始まりました。「意識への介入」によって罵倒を浴びせられたり、生活行為にいちいちでたらめな指示やいちゃもんが送りつけられる毎日です。また、時には針で刺したような痛みを感じる「痛みの送信」もあります。BMI技術が放送されたりなど、そろそろ認知が社会で広まっていくと思いますが、偏見がないように社会で受け入れられてほしいというのが被害者一同の願いです。
【記事に参考図書を追記 2010年10月8日(木)】
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筆者の専攻の指導教官の新宮一成氏の一番有名な著書。自己と他者の割合(ラシオー)をフィボナッチの数列や黄金数に求めているあたりがまさに天才である。学生時代に読みふけった著書である。
「この問題への公的機関と専門領域の対処とは」では(1-○)は社会福祉学、(2-○)は精神医療分野です。(3-○)、(4-○)と教育学や社会学など、広範に考える努力をしてみる予定です。とはいってもこれらの分野から離れてかなり時間がかかってますので、何とか勉強しなおして書いていきたいと思います。本当なら心理学の力も必要なんですが、専攻として勉強してないので、論述能力に欠けると思います。ただ、先日述べたダブルバインド(二重拘束)説や、カール・ロジャースの傾聴論など、心理学の分野にまたがる書籍などもちょっとですが勉強してますので、必ず考え方を取り入れたいと思います。
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