フランソワ・トリュフォー監督「華氏451」
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:オスカー・ウェルナー ジュリー・クリスティ (1966年 英国)
-最終更新日:2010年9月26日(日)-
最初にこのコーナーの説明ですが、カテゴリを複数設けて、世界の映画を紹介していきます。世界の映画文化を万遍なくとりあげることが目標になると思います。文章は短めの予定です。
一番最初に紹介するのが、フランスの映画監督、フランソワ・トリュフォーの「華氏451」です。1966年に英国で撮影されました。トリュフォー氏の映画としては唯一イギリスで撮影されたものです。一般的に言われるストーリーとしては「国家によって焚書が行われる恐怖社会」を描いたものです。本を所持した人間はそれだけで密告され、罪とされてしまう社会です。その怖さを昨日の朝日新聞、天声人語が指摘しています。
この映画にはもう一つ意味合いがあります。このような焚書という言論弾圧が行われる社会では、テレビやラジオなど、感覚的な文化だけが栄えることになります。そのため、国民が衝動的なものに走り、記憶力や思考力が欠如して民主主義を担保する能力が低減してしまいます。結果、短絡な相互監視社会が形成されるといった内容を含んでいます。従って、原作「華氏451」の原作者であるレイ・ブラッドベリは、「国家の検閲」ではなく、「テレビによる文化の破壊」と述べています。
どちらの意味合いもありますが、怖い社会です。
人間は「言語」を話して他の人間とコミュニケーションをとり、書いて記録を残す存在です。従って、「記憶」という概念には人間しかありません。動物は高度な「言語」を駆使できず、時系列で物事を考える術を持たない存在です。子どもも大人も本を読まなければ知能が衰退します。当時はテレビの勃興による批判だったのでしょうが、現代社会でも同じようなことがいえそうです。現代人は、本を読むのが面倒な分、短絡で衝動的な動画像に走りがちだからです。
話を昨日の天声人語に戻すと、「多様性の内にこそ、私たちの明日は宿る」。とあります。本を禁じる社会も、人間の一つの生き方を奪うものです。しかも、本にはさまざまな情報を埋め込むことができます。相互に対立する考えを含んだ本などいくらでもありますし、二項対立を「論理的」に調和させることができるのは文章がもっとも優れています。現代人は、時間をかけてじっくり理論を構築する能力を鍛える必要がありそうです。
読者の方はどのように考えられますでしょうか。このコーナーでは、広く現代社会に示唆を与えるようなとりあげ方をしていきたいと思います。
次回はアメリカの映画から記事を書こうと思っています。「祭り」だけでなく、こちらのコーナーもご期待いただけますと幸いです。
【2010年10月1日追記】
筆者は大学でフランス語を学びましたが、今はほとんど覚えていません。しかし、フランス語は独特で、特に鼻母音が日本人に発生できません。その代り、フランス人は無音のアッシュといって、逆にハ行の"h"が発音できません。従って"hero"(ヒーロー)は、「エロ」と発声します。筆者はフランスに強い思い入れがあります。
出演:オスカー・ウェルナー ジュリー・クリスティ (1966年 英国)
-最終更新日:2010年9月26日(日)-
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最初にこのコーナーの説明ですが、カテゴリを複数設けて、世界の映画を紹介していきます。世界の映画文化を万遍なくとりあげることが目標になると思います。文章は短めの予定です。
一番最初に紹介するのが、フランスの映画監督、フランソワ・トリュフォーの「華氏451」です。1966年に英国で撮影されました。トリュフォー氏の映画としては唯一イギリスで撮影されたものです。一般的に言われるストーリーとしては「国家によって焚書が行われる恐怖社会」を描いたものです。本を所持した人間はそれだけで密告され、罪とされてしまう社会です。その怖さを昨日の朝日新聞、天声人語が指摘しています。
この映画にはもう一つ意味合いがあります。このような焚書という言論弾圧が行われる社会では、テレビやラジオなど、感覚的な文化だけが栄えることになります。そのため、国民が衝動的なものに走り、記憶力や思考力が欠如して民主主義を担保する能力が低減してしまいます。結果、短絡な相互監視社会が形成されるといった内容を含んでいます。従って、原作「華氏451」の原作者であるレイ・ブラッドベリは、「国家の検閲」ではなく、「テレビによる文化の破壊」と述べています。
どちらの意味合いもありますが、怖い社会です。
人間は「言語」を話して他の人間とコミュニケーションをとり、書いて記録を残す存在です。従って、「記憶」という概念には人間しかありません。動物は高度な「言語」を駆使できず、時系列で物事を考える術を持たない存在です。子どもも大人も本を読まなければ知能が衰退します。当時はテレビの勃興による批判だったのでしょうが、現代社会でも同じようなことがいえそうです。現代人は、本を読むのが面倒な分、短絡で衝動的な動画像に走りがちだからです。
話を昨日の天声人語に戻すと、「多様性の内にこそ、私たちの明日は宿る」。とあります。本を禁じる社会も、人間の一つの生き方を奪うものです。しかも、本にはさまざまな情報を埋め込むことができます。相互に対立する考えを含んだ本などいくらでもありますし、二項対立を「論理的」に調和させることができるのは文章がもっとも優れています。現代人は、時間をかけてじっくり理論を構築する能力を鍛える必要がありそうです。
読者の方はどのように考えられますでしょうか。このコーナーでは、広く現代社会に示唆を与えるようなとりあげ方をしていきたいと思います。
次回はアメリカの映画から記事を書こうと思っています。「祭り」だけでなく、こちらのコーナーもご期待いただけますと幸いです。
【2010年10月1日追記】
筆者は大学でフランス語を学びましたが、今はほとんど覚えていません。しかし、フランス語は独特で、特に鼻母音が日本人に発生できません。その代り、フランス人は無音のアッシュといって、逆にハ行の"h"が発音できません。従って"hero"(ヒーロー)は、「エロ」と発声します。筆者はフランスに強い思い入れがあります。
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