地域福祉論と社会福祉援助技術
平野隆之先生と成田光江さんには大学院在学時はお世話になりました
-最終更新日:2010年8月29日(日)-
題名の通り、以前掲載した公的機関と専門領域の被害者に対する援助について考えを進めてみたいと思います。ただし、これらを扱う領域は広大であるために、一度の掲載ではすべてを論述できません。今回は、社会福祉学のなかでも「社会福祉援助技術」という領域で考察してみたいと思います。
社会福祉学を学んだことがない方は、「社会福祉援助技術」っていったい何だろう、と思われるかもしれません。端的にいえば、受験の科目のなかに「国語」があるのと同じように、人を援助する仕事の資格試験の受験科目のひとつです。例えば、社会福祉士や介護福祉士などです。
内容はといえば、文字通り、「社会福祉学の観点で人を援助する専門技術」ということになります。ただし、社会福祉学固有の内容というわけではなく、人を助けるさまざまな学術領域と範疇がかさなります。例をあげるなら、教育学、精神医学、心理学、看護学などです。何が違うのかといえば、人を助けることにおいて何を重視するかです。例えば心理学は、人の心の働きにおいて困難を抱えている人を助ける学術モデルです。一方で社会福祉学は、社会と人のかかわりを重視します。社会の中でどのように自立して充実した生活を送れるかなどを追求します。だからといって、それぞれの学術領域がお互いのことを排除しあうのではありません。どの領域でも人を助けるためにはさまざまな方法が用いられます。腕のいい心療内科が、薬物療法だけでなく生活のアドバイスや心理カウンセリングなどさまざまな方法でクライアントを回復させようとするのと同じです。社会福祉学では、人を助けるにあたっては、「ジェネラリスト・アプローチ」と呼ばれるように、狭い専門性に閉じこもるのではなく、さまざまなアプローチを駆使して人を援助する専門家がよいとされます。
ここでは、その人と社会の関係を重視する学術領域である「社会福祉援助技術」において、この問題を抱えた被害者に対して何ができるかを考察してみたいと思います。
高齢者介護における地域包括支援センターの取り組み
「地域包括支援センター」という言葉は、この記事をご覧のみなさんも聞いたことがあるかもしれません。高齢者の方を介護されているご家庭ならなおさらでしょう。この高齢者介護を例に考えてみたいと思います。
私の家庭には、この「地域包括支援センター」のお世話になっている祖母がいます。具体的には、月に一度程度「地域包括支援センター」のスタッフの方が来られて、父と祖母を交えて話をします。祖母は要介護認定です。これは、通常の社会生活を自分ひとりで送ることが困難であるために、国から支援を受けているということです。
高齢者の方は、円滑な社会生活を行うための身体能力などが失われてしまっているケースが多い現状があります。その程度は人それぞれで、元気な高齢者もいれば、歩くことが困難な高齢者もいます。一人で社会生活が行うことが困難で、しかも一人暮らしの高齢者は、重点的なケアが必要です。このように、暮らしにくさを抱えた程度によって、どのように支援するかを「地域包括支援センター」のソーシャルワーカーがヒアリングしながら決定して、ケアスタッフがチームになって必要なサービスを提供します。
この「地域包括支援センター」は、前身は「在宅介護支援センター」です。2005年2月に制度が施行されました。高齢者が自立して生活できないことによる病気の悪化を防ぐための、「予防介護」という考え方に基づいたものです。これは、以前に申し上げた遠隔予防医療と同じで、社会保障費や医療費を削減するといった目的のものです。
例えば、私の家の祖母は、父が健康で十分介護することができているので、行政による介入の必要はあまりありません。それでも、孤独になりがちであることや、歩行が困難であることなどから、月に数回デイケアに行っています。どの程度利用する必要があるかは人それぞれです。
では、必要なサービスはどのように決定されるのでしょうか。話が長くなりましたが、ここで「社会福祉援助技術」という考え方を持ち出してみたいと思います。
これらの援助は、単純にワーカーの恣意によって決定されるわけではありません。根本的な理念として、高齢者が自立(自律)した生活が行われること、人間らしい生活ができることなどがまず中心に存在します。そして、そのためには何が必要かを計画的に考えます。クライアントの社会環境を調査するアセスメントから始まり、具体的な介入が計画的に行われます。長期にわたるものも存在します。
以下は、架空の事例ですが、ワーカーが当事者をアセスメントして作成するエコマップと呼ばれるものです。

【エコマップ(社会福祉援助技術の教科書から作成)】
このように、家族関係の調査から、当事者だけでなく家族の誰に支援が必要か、またどのインフラが利用できるかをマッピングして、援助計画を作成します。支援に効果があるものはあらゆるものを利用するのが社会福祉援助技術の基本です。援助の方法論は、伝統的に、①ケースワーク、②グループワーク、③コミュニティワークという区分がされますが、これらをすべて駆使するということです。
このエコマップにもある「地域包括支援センター」は、現在では高齢者だけでなく、DV問題を抱えた家庭に対する介入なども行っています。地域の福祉の総合拠点のという位置づけです。
このように、社会福祉学を学んだことのない方はなかなか知らない世界ですが、アセスメントを行って援助計画を立てるだけでも、経験がかなり必要な高度な作業です。この方法論が、このブログで扱っている問題の被害者にも応用できないかというのが、今回の記事のねらいです。
この問題の架空の事例から考察
では、この問題の被害者の架空の事例を作ってみます。自分の被害の経験から作成するという要素が強いですが、このようなものだと思ってください。
太郎さん(仮名) 37歳・男性
【加害の状況】
数年前から、人による付きまといやほのめかしが始まった。当初にたたみ掛けるように行われたせいで、強い心的外傷を受ける。以後、外出時に必ず加害行為が行われることから、外出が困難になる。
そのような中でも何とか正社員として働いてきたが、職場での加害行為も含めたストレスの過多のために3ヵ月後に退職。閉じこもりがちな生活になる。
このままではいけないと思い、精神的に持ち直したあとに就職活動を再開。しかし、就職妨害を受け、どの面接も通過しない。何とか日雇いの仕事に就いている。年収は100万円程度。家族を養っていける状態ではないため、結婚を諦めている。
加害行為が始まってから数年後、テクノロジーによる加害行為が被害の中心になる。ここで再び精神的な危機が訪れる。これを境に、身体的な不調も顕著になってきた。しかし、現段階では加害行為をやめさせる法的手段が存在しないため、状況の改善はありえないと考え、ほとんど外出することもなく暮らしている。
【家族の状況】
自宅での家族構成は、父(62)、母(64)、祖母(83)である。親戚が近隣に住んでいるが、この件では相談したことがない。両親には何度も説明したが、ようやく少し理解されるまで1年を要した。その間、父親には、就業が無理な状態で何とか働きに出ろと急かされる。理解がないため、誤解が生じて、家庭内が不和となる。自分以外の家族は加害行為をほとんど受けていない。
【加害までの生育暦】
少年時代、青年時代は何のトラブルもなく平凡にすごしてきた。周囲と協調的な性格という評判で、成績も上位であった。何の苦もなく私立上位大学に合格。エンジニアを志して、企業研究職に内定。企業での働きぶりも周囲に評されるほどであった。
ところが、何の前触れもなく加害行為が発生。その後、企業での成績は大きく落ち込む。周囲には誤解されてはならないために相談していない。むしろ、企業のなかのだれが加害者であるか猜疑心におちいる。それまで親しかった同僚が加害行為に及んだためである。結果、精神的に破綻を来たしたために退職を余儀なくされる。
これはあくまで架空の事例です。(自分のケースでもありません)被害者によっては子どもの頃から被害を受けていたり、高齢者になって受けたり、さまざまです。また、人による嫌がらせが中心であるか、テクノロジーによる加害が中心であるかも個人差があるようです。
これを、この問題の専門援助職がアセスメントをしたと仮定します。その結果、下記のような社会生活上の困難が抽出されたとしましょう。
カテゴライズされた被害者の社会生活上の困難(あくまで架空の事例です)
【身体的影響】
1-1 睡眠妨害による不眠
1-2 身体への痛みの送信など、苦痛と不快感
1-3 数年にわたる電磁波の集中的な照射で右ひざが弱体化
1-4 常時の電磁波の照射で、知的能力や記憶力が低下
1-5 皮膚に赤い斑点や小さな傷が発生
【心理的影響】
2-1 外出時に強いストレスがかかるために外出が困難
2-2 携帯を向けてくる人間に恐怖感を感じる
2-3 クラクションが鳴ったら恐怖感を感じる
2-4 ぞろ目のナンバーの車を見ると恐怖感を感じる
2-5 誰が加害者かわからないことによる人間不信
2-6 他の人には聞こえない音が聞こえても、平静を装わなければならないつらさ
【仕事に対する妨害】
3-1 意識への介入で仕事に対するやりがいが失われる
3-2 PCに対する介入で作業妨害
3-3 PCに対する介入でデータを失う
3-4 仕事中に外部からの罵声で妨害される
【人間関係の操作】
4-1 親しかった人が急に疎遠になる
4-2 旧友からの手紙が届かなくなった
4-3 近所の目がなぜかすべて自分に対する不審者扱いへと変化
4-4 数少ない友人と会話しているときに威圧的な妨害がある
【社会資源のアクセシビリティからの疎外】
5-1 就職妨害による就業困難 それによる経済的困窮
5-2 図書館での加害行為が激しいため、行けない
5-3 公共交通機関は逃れ場所がないので乗れない
5-4 加害行為をたたみ掛けられたときの避難場所がない
【差別などの社会的抑圧】
6-1 同級生の和からの疎外
6-2 公的機関が被害についてまともに聞いてくれないどころか、加害行為を行ってくる
6-3 両親以外の理解者がまったくない
【家族への影響】
7-1 両親の精神的負荷の増大
7-2 家族内の不和
7-3 兄弟の結婚に悪影響が生じる
7-4 両親の社会的地位の低下
7-5 母親の鬱
思いつくままに羅列してみました。被害者の置かれた状況がこのようなものであると考えると、相当の苦痛のなかで社会生活を行っていることが想像していただけると思います。この上に、加害行為がエスカレートしたときは、主観的に拷問を受けているかのような感覚におちいります。このような被害事例に、専門領域や公的機関は何ができるのでしょうか。
上記の介護高齢者に対するエコマップを見てください。医師、看護師、リハビリを担当するPT、ケア・マネジャー、訪問介護員、近隣の住民、セルフヘルプグループの当事者たちが、一人の高齢者のために支援を提供しています。ここで、ソーシャルワーカーがこれらの総合的なバランスをコーディネートする役割を担います。あらゆる方法を駆使してというのはこういうことです。注)
このブログの問題も同様です。必要なのは、被害者一人に対してさまざまな立場の人が支援を行わなければ、解決も社会生活への復帰もありえません。ここで、表にしてどのような対処が可能かを考えてみます。

これはあくまでも自分が試しに作ってみたものにしか過ぎません。当事者や専門家の協働によって、さらによい被害者の救済のための計画が作成される時代が来ることを願ってやみません。
注) PTとは理学療法士(Physical Therapist)。また、OTと呼ばれる作業療法士(Occupational Therapist)も高齢者の社会生活上の機能維持のために欠かせません。
また、セルフヘルプグループ(self-help group)とは、「自助グループ」のことです。例をあげると、難病を抱えた子どもの親の会、アルコール依存症当事者の会、などが挙げられます。当事者が専門家にたよらず、自分たちで社会生活の改善を行うために(self-help:自ら助ける)と呼ばれています。
(今回は社会福祉学をベースに考えてみましたが、今後さまざまな学術フィールドで、自分のできる範囲で集団ストーカー問題を考えてみたいと思います。長期掲載の予定です。)
寄り添って
-最終更新日:2010年10月27日(水)-
この書籍をとりあげたのは、大学院生時代にお世話になった方の著書だからです。大学院生といっても、通信制で、それも社会人が中心の講座でした。まずはなぜ自分がこのキャリアを選んだかをご説明します。
私の大学在学時からの研究テーマは「セルフヘルプグループ」であることは前に申し上げました。なぜそのようになったかというと、学生時代に心理的に何らかの困難をきたしている学生同士の会話の場を設ける活動をしたからです。その形態が自助グループ、つまりセルフヘルプグループの形をとっていました。
とは言っても、しょせん学生が作ったものですから、運営形態もあまりよくありませんでしたし、人もあまり集まりませんでした。ただし、本当に心の闇を抱えて参加している方もおり、その型にとっては重要な一部を占めていたようです。その時には、今は教授になっておられる京都大学カウンセリングセンターの杉原保史先生にかなりお世話になりました。将来の自分を決定づけるいい体験をさせていただき、感謝の言葉もありません。
自分がなぜこのような活動をしたかというと、私の家も闇に包まれた家だったからです。私自身も学生生活を円滑に進めない何かを抱えていました。これは、社会人になっても続きます。そこで、私は福祉専門学校の教員を目指すことにしました。学校教職員として働く傍ら、社会人大学院で修士論文を書いて講師になろうとしたのです。
その時出会ったのが、「寄り添って」の成田光江さんでした。この方は、40代になって同大学の通信制大学を終了しています。そこでの成績が優秀だったために通信制大学院に進学することになりました。自分と同じ平野隆之先生に指導を仰ぐことになり、さまざまなインフォーマルな助言をいただきました。もちろん、自分がこのような家族の闇を抱えていることを動機として社会人大学院という進路を選んだということも含めてです。
この通信制大学院、相当レベルが高かったのを覚えています。私が教職員をしている隣の学校の副校長も、講師の資格要件を満たすために通っていましたし、現役の家庭裁判所調査官の方も受講されていました。かなりハードな日程の講義を組んであり、論文は通学生と同等のものを求めていました。結果、成田さんは卒業後、すぐにこの大学の実習教員として就任されています。
私はというと、結局この大学院を中退しました。教職員として勤めていた学校で、極めて理不尽な辞めさせられ方をしたからです。今でも、この理不尽が無ければ、福祉の分野あるいは学術の分野を志していたと思います。
その後、私はプログラマの派遣の後に、企業人事の正社員として実家に帰ります。やるせない思いで全く別の進路を目指すことになります。それでも大学院を続けようと思えば続けられたと思います。しかし、大学院で家族の闇がほぼ解消されて脱力感に包まれていました。続ける理由が見つからなくなったのです。
その理不尽な辞めさせられ方が今ようやく認められようとしていますが、これなどまさにハリソンフォードがDr.キンブルを演じた「逃亡者」になった気分です。正しいことはいつか認められる。早く民主主義がきちんと機能する社会になってほしいとしか言いようがありません。
自分のルーツをご説明しましたが、本題のこのブログの問題に戻ります。私の場合は教職員をやめたあたりから加害者に目をつけられて「集団ストーカー」の被害を受けることになりました。被害者の多くは、同様に職を転々とせざるを得ない社会生活を強要されます。場合によっては就業すら困難で、経済難と加害行為による苦しみで命を絶たれた方も少なくないと推察します。
一刻も早くこの問題に光が当てられ、被害者が救済されることを願って本日の最後とさせていただきたいと思います。
-最終更新日:2010年8月29日(日)-
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題名の通り、以前掲載した公的機関と専門領域の被害者に対する援助について考えを進めてみたいと思います。ただし、これらを扱う領域は広大であるために、一度の掲載ではすべてを論述できません。今回は、社会福祉学のなかでも「社会福祉援助技術」という領域で考察してみたいと思います。
社会福祉学を学んだことがない方は、「社会福祉援助技術」っていったい何だろう、と思われるかもしれません。端的にいえば、受験の科目のなかに「国語」があるのと同じように、人を援助する仕事の資格試験の受験科目のひとつです。例えば、社会福祉士や介護福祉士などです。
内容はといえば、文字通り、「社会福祉学の観点で人を援助する専門技術」ということになります。ただし、社会福祉学固有の内容というわけではなく、人を助けるさまざまな学術領域と範疇がかさなります。例をあげるなら、教育学、精神医学、心理学、看護学などです。何が違うのかといえば、人を助けることにおいて何を重視するかです。例えば心理学は、人の心の働きにおいて困難を抱えている人を助ける学術モデルです。一方で社会福祉学は、社会と人のかかわりを重視します。社会の中でどのように自立して充実した生活を送れるかなどを追求します。だからといって、それぞれの学術領域がお互いのことを排除しあうのではありません。どの領域でも人を助けるためにはさまざまな方法が用いられます。腕のいい心療内科が、薬物療法だけでなく生活のアドバイスや心理カウンセリングなどさまざまな方法でクライアントを回復させようとするのと同じです。社会福祉学では、人を助けるにあたっては、「ジェネラリスト・アプローチ」と呼ばれるように、狭い専門性に閉じこもるのではなく、さまざまなアプローチを駆使して人を援助する専門家がよいとされます。
ここでは、その人と社会の関係を重視する学術領域である「社会福祉援助技術」において、この問題を抱えた被害者に対して何ができるかを考察してみたいと思います。
高齢者介護における地域包括支援センターの取り組み
「地域包括支援センター」という言葉は、この記事をご覧のみなさんも聞いたことがあるかもしれません。高齢者の方を介護されているご家庭ならなおさらでしょう。この高齢者介護を例に考えてみたいと思います。
私の家庭には、この「地域包括支援センター」のお世話になっている祖母がいます。具体的には、月に一度程度「地域包括支援センター」のスタッフの方が来られて、父と祖母を交えて話をします。祖母は要介護認定です。これは、通常の社会生活を自分ひとりで送ることが困難であるために、国から支援を受けているということです。
高齢者の方は、円滑な社会生活を行うための身体能力などが失われてしまっているケースが多い現状があります。その程度は人それぞれで、元気な高齢者もいれば、歩くことが困難な高齢者もいます。一人で社会生活が行うことが困難で、しかも一人暮らしの高齢者は、重点的なケアが必要です。このように、暮らしにくさを抱えた程度によって、どのように支援するかを「地域包括支援センター」のソーシャルワーカーがヒアリングしながら決定して、ケアスタッフがチームになって必要なサービスを提供します。
この「地域包括支援センター」は、前身は「在宅介護支援センター」です。2005年2月に制度が施行されました。高齢者が自立して生活できないことによる病気の悪化を防ぐための、「予防介護」という考え方に基づいたものです。これは、以前に申し上げた遠隔予防医療と同じで、社会保障費や医療費を削減するといった目的のものです。
例えば、私の家の祖母は、父が健康で十分介護することができているので、行政による介入の必要はあまりありません。それでも、孤独になりがちであることや、歩行が困難であることなどから、月に数回デイケアに行っています。どの程度利用する必要があるかは人それぞれです。
では、必要なサービスはどのように決定されるのでしょうか。話が長くなりましたが、ここで「社会福祉援助技術」という考え方を持ち出してみたいと思います。
これらの援助は、単純にワーカーの恣意によって決定されるわけではありません。根本的な理念として、高齢者が自立(自律)した生活が行われること、人間らしい生活ができることなどがまず中心に存在します。そして、そのためには何が必要かを計画的に考えます。クライアントの社会環境を調査するアセスメントから始まり、具体的な介入が計画的に行われます。長期にわたるものも存在します。
以下は、架空の事例ですが、ワーカーが当事者をアセスメントして作成するエコマップと呼ばれるものです。

【エコマップ(社会福祉援助技術の教科書から作成)】
このように、家族関係の調査から、当事者だけでなく家族の誰に支援が必要か、またどのインフラが利用できるかをマッピングして、援助計画を作成します。支援に効果があるものはあらゆるものを利用するのが社会福祉援助技術の基本です。援助の方法論は、伝統的に、①ケースワーク、②グループワーク、③コミュニティワークという区分がされますが、これらをすべて駆使するということです。
このエコマップにもある「地域包括支援センター」は、現在では高齢者だけでなく、DV問題を抱えた家庭に対する介入なども行っています。地域の福祉の総合拠点のという位置づけです。
このように、社会福祉学を学んだことのない方はなかなか知らない世界ですが、アセスメントを行って援助計画を立てるだけでも、経験がかなり必要な高度な作業です。この方法論が、このブログで扱っている問題の被害者にも応用できないかというのが、今回の記事のねらいです。
この問題の架空の事例から考察
では、この問題の被害者の架空の事例を作ってみます。自分の被害の経験から作成するという要素が強いですが、このようなものだと思ってください。
太郎さん(仮名) 37歳・男性
【加害の状況】
数年前から、人による付きまといやほのめかしが始まった。当初にたたみ掛けるように行われたせいで、強い心的外傷を受ける。以後、外出時に必ず加害行為が行われることから、外出が困難になる。
そのような中でも何とか正社員として働いてきたが、職場での加害行為も含めたストレスの過多のために3ヵ月後に退職。閉じこもりがちな生活になる。
このままではいけないと思い、精神的に持ち直したあとに就職活動を再開。しかし、就職妨害を受け、どの面接も通過しない。何とか日雇いの仕事に就いている。年収は100万円程度。家族を養っていける状態ではないため、結婚を諦めている。
加害行為が始まってから数年後、テクノロジーによる加害行為が被害の中心になる。ここで再び精神的な危機が訪れる。これを境に、身体的な不調も顕著になってきた。しかし、現段階では加害行為をやめさせる法的手段が存在しないため、状況の改善はありえないと考え、ほとんど外出することもなく暮らしている。
【家族の状況】
自宅での家族構成は、父(62)、母(64)、祖母(83)である。親戚が近隣に住んでいるが、この件では相談したことがない。両親には何度も説明したが、ようやく少し理解されるまで1年を要した。その間、父親には、就業が無理な状態で何とか働きに出ろと急かされる。理解がないため、誤解が生じて、家庭内が不和となる。自分以外の家族は加害行為をほとんど受けていない。
【加害までの生育暦】
少年時代、青年時代は何のトラブルもなく平凡にすごしてきた。周囲と協調的な性格という評判で、成績も上位であった。何の苦もなく私立上位大学に合格。エンジニアを志して、企業研究職に内定。企業での働きぶりも周囲に評されるほどであった。
ところが、何の前触れもなく加害行為が発生。その後、企業での成績は大きく落ち込む。周囲には誤解されてはならないために相談していない。むしろ、企業のなかのだれが加害者であるか猜疑心におちいる。それまで親しかった同僚が加害行為に及んだためである。結果、精神的に破綻を来たしたために退職を余儀なくされる。
これはあくまで架空の事例です。(自分のケースでもありません)被害者によっては子どもの頃から被害を受けていたり、高齢者になって受けたり、さまざまです。また、人による嫌がらせが中心であるか、テクノロジーによる加害が中心であるかも個人差があるようです。
これを、この問題の専門援助職がアセスメントをしたと仮定します。その結果、下記のような社会生活上の困難が抽出されたとしましょう。
カテゴライズされた被害者の社会生活上の困難(あくまで架空の事例です)
【身体的影響】
1-1 睡眠妨害による不眠
1-2 身体への痛みの送信など、苦痛と不快感
1-3 数年にわたる電磁波の集中的な照射で右ひざが弱体化
1-4 常時の電磁波の照射で、知的能力や記憶力が低下
1-5 皮膚に赤い斑点や小さな傷が発生
【心理的影響】
2-1 外出時に強いストレスがかかるために外出が困難
2-2 携帯を向けてくる人間に恐怖感を感じる
2-3 クラクションが鳴ったら恐怖感を感じる
2-4 ぞろ目のナンバーの車を見ると恐怖感を感じる
2-5 誰が加害者かわからないことによる人間不信
2-6 他の人には聞こえない音が聞こえても、平静を装わなければならないつらさ
【仕事に対する妨害】
3-1 意識への介入で仕事に対するやりがいが失われる
3-2 PCに対する介入で作業妨害
3-3 PCに対する介入でデータを失う
3-4 仕事中に外部からの罵声で妨害される
【人間関係の操作】
4-1 親しかった人が急に疎遠になる
4-2 旧友からの手紙が届かなくなった
4-3 近所の目がなぜかすべて自分に対する不審者扱いへと変化
4-4 数少ない友人と会話しているときに威圧的な妨害がある
【社会資源のアクセシビリティからの疎外】
5-1 就職妨害による就業困難 それによる経済的困窮
5-2 図書館での加害行為が激しいため、行けない
5-3 公共交通機関は逃れ場所がないので乗れない
5-4 加害行為をたたみ掛けられたときの避難場所がない
【差別などの社会的抑圧】
6-1 同級生の和からの疎外
6-2 公的機関が被害についてまともに聞いてくれないどころか、加害行為を行ってくる
6-3 両親以外の理解者がまったくない
【家族への影響】
7-1 両親の精神的負荷の増大
7-2 家族内の不和
7-3 兄弟の結婚に悪影響が生じる
7-4 両親の社会的地位の低下
7-5 母親の鬱
思いつくままに羅列してみました。被害者の置かれた状況がこのようなものであると考えると、相当の苦痛のなかで社会生活を行っていることが想像していただけると思います。この上に、加害行為がエスカレートしたときは、主観的に拷問を受けているかのような感覚におちいります。このような被害事例に、専門領域や公的機関は何ができるのでしょうか。
上記の介護高齢者に対するエコマップを見てください。医師、看護師、リハビリを担当するPT、ケア・マネジャー、訪問介護員、近隣の住民、セルフヘルプグループの当事者たちが、一人の高齢者のために支援を提供しています。ここで、ソーシャルワーカーがこれらの総合的なバランスをコーディネートする役割を担います。あらゆる方法を駆使してというのはこういうことです。注)
このブログの問題も同様です。必要なのは、被害者一人に対してさまざまな立場の人が支援を行わなければ、解決も社会生活への復帰もありえません。ここで、表にしてどのような対処が可能かを考えてみます。

これはあくまでも自分が試しに作ってみたものにしか過ぎません。当事者や専門家の協働によって、さらによい被害者の救済のための計画が作成される時代が来ることを願ってやみません。
注) PTとは理学療法士(Physical Therapist)。また、OTと呼ばれる作業療法士(Occupational Therapist)も高齢者の社会生活上の機能維持のために欠かせません。
また、セルフヘルプグループ(self-help group)とは、「自助グループ」のことです。例をあげると、難病を抱えた子どもの親の会、アルコール依存症当事者の会、などが挙げられます。当事者が専門家にたよらず、自分たちで社会生活の改善を行うために(self-help:自ら助ける)と呼ばれています。
(今回は社会福祉学をベースに考えてみましたが、今後さまざまな学術フィールドで、自分のできる範囲で集団ストーカー問題を考えてみたいと思います。長期掲載の予定です。)
寄り添って
-最終更新日:2010年10月27日(水)-
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この書籍をとりあげたのは、大学院生時代にお世話になった方の著書だからです。大学院生といっても、通信制で、それも社会人が中心の講座でした。まずはなぜ自分がこのキャリアを選んだかをご説明します。
私の大学在学時からの研究テーマは「セルフヘルプグループ」であることは前に申し上げました。なぜそのようになったかというと、学生時代に心理的に何らかの困難をきたしている学生同士の会話の場を設ける活動をしたからです。その形態が自助グループ、つまりセルフヘルプグループの形をとっていました。
とは言っても、しょせん学生が作ったものですから、運営形態もあまりよくありませんでしたし、人もあまり集まりませんでした。ただし、本当に心の闇を抱えて参加している方もおり、その型にとっては重要な一部を占めていたようです。その時には、今は教授になっておられる京都大学カウンセリングセンターの杉原保史先生にかなりお世話になりました。将来の自分を決定づけるいい体験をさせていただき、感謝の言葉もありません。
自分がなぜこのような活動をしたかというと、私の家も闇に包まれた家だったからです。私自身も学生生活を円滑に進めない何かを抱えていました。これは、社会人になっても続きます。そこで、私は福祉専門学校の教員を目指すことにしました。学校教職員として働く傍ら、社会人大学院で修士論文を書いて講師になろうとしたのです。
その時出会ったのが、「寄り添って」の成田光江さんでした。この方は、40代になって同大学の通信制大学を終了しています。そこでの成績が優秀だったために通信制大学院に進学することになりました。自分と同じ平野隆之先生に指導を仰ぐことになり、さまざまなインフォーマルな助言をいただきました。もちろん、自分がこのような家族の闇を抱えていることを動機として社会人大学院という進路を選んだということも含めてです。
この通信制大学院、相当レベルが高かったのを覚えています。私が教職員をしている隣の学校の副校長も、講師の資格要件を満たすために通っていましたし、現役の家庭裁判所調査官の方も受講されていました。かなりハードな日程の講義を組んであり、論文は通学生と同等のものを求めていました。結果、成田さんは卒業後、すぐにこの大学の実習教員として就任されています。
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私はというと、結局この大学院を中退しました。教職員として勤めていた学校で、極めて理不尽な辞めさせられ方をしたからです。今でも、この理不尽が無ければ、福祉の分野あるいは学術の分野を志していたと思います。
その後、私はプログラマの派遣の後に、企業人事の正社員として実家に帰ります。やるせない思いで全く別の進路を目指すことになります。それでも大学院を続けようと思えば続けられたと思います。しかし、大学院で家族の闇がほぼ解消されて脱力感に包まれていました。続ける理由が見つからなくなったのです。
その理不尽な辞めさせられ方が今ようやく認められようとしていますが、これなどまさにハリソンフォードがDr.キンブルを演じた「逃亡者」になった気分です。正しいことはいつか認められる。早く民主主義がきちんと機能する社会になってほしいとしか言いようがありません。
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自分のルーツをご説明しましたが、本題のこのブログの問題に戻ります。私の場合は教職員をやめたあたりから加害者に目をつけられて「集団ストーカー」の被害を受けることになりました。被害者の多くは、同様に職を転々とせざるを得ない社会生活を強要されます。場合によっては就業すら困難で、経済難と加害行為による苦しみで命を絶たれた方も少なくないと推察します。
一刻も早くこの問題に光が当てられ、被害者が救済されることを願って本日の最後とさせていただきたいと思います。
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