いじめの政治学
~中井久夫 「アリアドネからの糸」より~
-最終更新日:2010年10月29日(金)-
この中井久夫氏の「アリアドネからの糸」に収録されている「いじめの政治学」もかなりいじめ現象に深く斬りこんだ名著です。あまりに生々しい「いじめ行為」の分析がされています。
氏は、いじめの過程を「孤立化」「無力化」「透明化」と三段階に分けて説明しています。
簡略に説明すると、まず、ターゲットは、グループ内で最も権威がある人間に巧妙かつ意図的に、お互い示し合わせて「孤立化」させられます。そして抵抗することができないように暴力を含めたあらゆる方法で「無力化」されます。これは初期に激化します。当初逆らえないようにしておけば、後は脅しだけで済むようになるわけです。そして「透明化」です。一度無力化されて逆らえないようになったら、それが当たり前の状態になります。この段階では、いじめがエスカレートしない日が「幸運な日だった」と感じてしまう息を殺した状態になってしまいます。
この「いじめの政治学」では、古今東西のあらゆる歴史における専制者の支配の事例などから考察が行われているところが凄いところです。
そもそも自由意志によって自発的に自由を完全に放棄することなどありえない。エーリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」の誘惑は隷属へのほんの入り口まで魅力的であるにすぎない。そこを過ぎれば「しまった、こんなはずではなかった」と後悔するがたいていは晩い。一部は加害者の手下になるが「こんなはずではなかった」と言いつづけるはずだ。(同著 p.14)
「いじめ」に安易に迎合してしまうことによって「主犯格」に自由をからめ取られてしまうパラドクスをこの文章は端的に表現しています。ヒトラーをドイツ社会が受け入れたとき、当初は甘美な言葉で魅力的だったでしょうが、その安易な迎合がホロコーストを生んだという訳です。
氏はまたこのように述べています。
外でのいじめられっこは時には内では暴君になる。しかし、最後の誇りとして家族の前では「いい子」でありつづけようとする場合も多い。最後の誇りが失われそうになった時に行われるのが自殺である。自殺による解放幻想はすでに「無力化」の段階からはぐくまれているが、自殺幻想は自殺を一時延期する効果もある。自分が自殺することによって加害者を告発するという幻想である。家族が初めてわかってくれ、級友や教師が「しまった」と思い「申しわけない」と言ってくれるという幻想もある。実際、自殺幻想が、極度に狭まった世界の唯一の「外」への通路ということがある。(同著 p.19)
これはいじめられっこの絶望的な心境をずばり言い当てています。告発する手段が未熟な子どもにとって、周囲が自殺をしたら気づいてくれるといった心境です。自分もいじめられていた当時、このような自殺念慮がありました。同じような心境の生徒が一体この国に何人いて、何人気づいてもらってないのでしょうか。本当に自殺をしてしまっては遅いのだという悲劇が、また新聞の一面を飾ることになりました。
最後に、自分の経験から、いじめられっこはどうすればいいかを真剣に書いてみたいと思います。いじめを受けている学生の方々も、自殺をするくらいならせめてこれだけのことをしてください。
①周囲にわめき散らす
筆者も経験していますが、長い間周囲は気づいてくれません。卒業とともに終わるとわかっていても、1年や2年という期間が永遠のように感じられます。ひとことで言えば、「いじめられっこ」は悪くないということです。グループの中ではいろいろな理由をつけて悪者にされて周囲に言えない環境を作り上げられます。ここはひとつ勇気をもって誰かに相談してください。自分の経験上、わかってくれる人は10人に1人もいません。誰彼かまわず相談してください。泣き寝入りするだけ損です。
②ネットの掲示板やブログで告発
今のいじめは筆者の学生時代よりさらに陰湿化しています。学校裏サイトなどが典型的なものです。インターネットを利用して一人の学生だけアクセスできないようにします。そして、そこでは次の日にどのようないじめをするかいじめっ子が裏取引しているようなケースもあります。残念ながら、世の中は自発的に気付いてくれるようにはなかなかできていません。筆者の時代にはなかった方法ですが、同じインターネットで訴えるという方法も効果的です。それで学校で問題になればしめたものです。自分も一回、インターネットの掲示板である学生さんがいじめを訴えており、それを他の人が相談に乗っているシチュエーションに出会いました。これからの時代はこのような手段も必要ではないかと思います。
③学校はやめてもいい。命にかえられない
上にもありますように、いじめられっこの皆さんは、いじめられているうえにさらに「よい子」を演じようとします。自分のケースもそうでした。自分も「親から見捨てられる」と感じて親に相談できない状態が2年続きました。自殺してしまうくらいなら、学校に行かなくていいのです。命にはかえられません。このようなときでも学校が悪いということになりますから安心してください。筆者の場合は教師が適切に対処してくれましたが、そうではないケースが多いと思います。それでも、高校を中退して大検で京都大学に合格した人も知っています。学校に行かなければならないという思いつめをやめてみてください。
④いじめられている人間関係を依存を含めて断ち切る
「いじめ」は、いったん受け入れるとその状態が続いてしまいます。人間関係など一旦固定していしまってはパターン化するだけだからです。たとえいじめがひどい状態でなくても、そのような人間関係は断ち切ってください。そして、できるだけいい人間関係を作り直してください。別のグループに移ったりすることもいいことでしょう。余裕ができてきたら、自由に友達をえらんで学生生活を楽しんでください。
これだけ書いても、失われた命は戻ってくるわけではありません。個人的に「いじめ撲滅」などということは歴史的にありえないわけで、いじめが発生した時にどれだけ早く介入して深刻化の芽を摘み取るかが先生方の役割だと思っています。自分の場合は本当に母校に感謝しています。できるだけ多くのいじめを受けている学生が同様に対処されるようお願い申し上げます。また一人の子が成長するには1000人の力が必要だと言われています。1000人にちなんで、ショルティのマーラー交響曲第8番「1000人の交響曲」を掲載して末尾とさせていただきたいと思います。
-最終更新日:2010年10月29日(金)-
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この中井久夫氏の「アリアドネからの糸」に収録されている「いじめの政治学」もかなりいじめ現象に深く斬りこんだ名著です。あまりに生々しい「いじめ行為」の分析がされています。
氏は、いじめの過程を「孤立化」「無力化」「透明化」と三段階に分けて説明しています。
簡略に説明すると、まず、ターゲットは、グループ内で最も権威がある人間に巧妙かつ意図的に、お互い示し合わせて「孤立化」させられます。そして抵抗することができないように暴力を含めたあらゆる方法で「無力化」されます。これは初期に激化します。当初逆らえないようにしておけば、後は脅しだけで済むようになるわけです。そして「透明化」です。一度無力化されて逆らえないようになったら、それが当たり前の状態になります。この段階では、いじめがエスカレートしない日が「幸運な日だった」と感じてしまう息を殺した状態になってしまいます。
この「いじめの政治学」では、古今東西のあらゆる歴史における専制者の支配の事例などから考察が行われているところが凄いところです。
そもそも自由意志によって自発的に自由を完全に放棄することなどありえない。エーリッヒ・フロムのいう「自由からの逃走」の誘惑は隷属へのほんの入り口まで魅力的であるにすぎない。そこを過ぎれば「しまった、こんなはずではなかった」と後悔するがたいていは晩い。一部は加害者の手下になるが「こんなはずではなかった」と言いつづけるはずだ。(同著 p.14)
「いじめ」に安易に迎合してしまうことによって「主犯格」に自由をからめ取られてしまうパラドクスをこの文章は端的に表現しています。ヒトラーをドイツ社会が受け入れたとき、当初は甘美な言葉で魅力的だったでしょうが、その安易な迎合がホロコーストを生んだという訳です。
氏はまたこのように述べています。
外でのいじめられっこは時には内では暴君になる。しかし、最後の誇りとして家族の前では「いい子」でありつづけようとする場合も多い。最後の誇りが失われそうになった時に行われるのが自殺である。自殺による解放幻想はすでに「無力化」の段階からはぐくまれているが、自殺幻想は自殺を一時延期する効果もある。自分が自殺することによって加害者を告発するという幻想である。家族が初めてわかってくれ、級友や教師が「しまった」と思い「申しわけない」と言ってくれるという幻想もある。実際、自殺幻想が、極度に狭まった世界の唯一の「外」への通路ということがある。(同著 p.19)
これはいじめられっこの絶望的な心境をずばり言い当てています。告発する手段が未熟な子どもにとって、周囲が自殺をしたら気づいてくれるといった心境です。自分もいじめられていた当時、このような自殺念慮がありました。同じような心境の生徒が一体この国に何人いて、何人気づいてもらってないのでしょうか。本当に自殺をしてしまっては遅いのだという悲劇が、また新聞の一面を飾ることになりました。
最後に、自分の経験から、いじめられっこはどうすればいいかを真剣に書いてみたいと思います。いじめを受けている学生の方々も、自殺をするくらいならせめてこれだけのことをしてください。
①周囲にわめき散らす
筆者も経験していますが、長い間周囲は気づいてくれません。卒業とともに終わるとわかっていても、1年や2年という期間が永遠のように感じられます。ひとことで言えば、「いじめられっこ」は悪くないということです。グループの中ではいろいろな理由をつけて悪者にされて周囲に言えない環境を作り上げられます。ここはひとつ勇気をもって誰かに相談してください。自分の経験上、わかってくれる人は10人に1人もいません。誰彼かまわず相談してください。泣き寝入りするだけ損です。
②ネットの掲示板やブログで告発
今のいじめは筆者の学生時代よりさらに陰湿化しています。学校裏サイトなどが典型的なものです。インターネットを利用して一人の学生だけアクセスできないようにします。そして、そこでは次の日にどのようないじめをするかいじめっ子が裏取引しているようなケースもあります。残念ながら、世の中は自発的に気付いてくれるようにはなかなかできていません。筆者の時代にはなかった方法ですが、同じインターネットで訴えるという方法も効果的です。それで学校で問題になればしめたものです。自分も一回、インターネットの掲示板である学生さんがいじめを訴えており、それを他の人が相談に乗っているシチュエーションに出会いました。これからの時代はこのような手段も必要ではないかと思います。
③学校はやめてもいい。命にかえられない
上にもありますように、いじめられっこの皆さんは、いじめられているうえにさらに「よい子」を演じようとします。自分のケースもそうでした。自分も「親から見捨てられる」と感じて親に相談できない状態が2年続きました。自殺してしまうくらいなら、学校に行かなくていいのです。命にはかえられません。このようなときでも学校が悪いということになりますから安心してください。筆者の場合は教師が適切に対処してくれましたが、そうではないケースが多いと思います。それでも、高校を中退して大検で京都大学に合格した人も知っています。学校に行かなければならないという思いつめをやめてみてください。
④いじめられている人間関係を依存を含めて断ち切る
「いじめ」は、いったん受け入れるとその状態が続いてしまいます。人間関係など一旦固定していしまってはパターン化するだけだからです。たとえいじめがひどい状態でなくても、そのような人間関係は断ち切ってください。そして、できるだけいい人間関係を作り直してください。別のグループに移ったりすることもいいことでしょう。余裕ができてきたら、自由に友達をえらんで学生生活を楽しんでください。
これだけ書いても、失われた命は戻ってくるわけではありません。個人的に「いじめ撲滅」などということは歴史的にありえないわけで、いじめが発生した時にどれだけ早く介入して深刻化の芽を摘み取るかが先生方の役割だと思っています。自分の場合は本当に母校に感謝しています。できるだけ多くのいじめを受けている学生が同様に対処されるようお願い申し上げます。また一人の子が成長するには1000人の力が必要だと言われています。1000人にちなんで、ショルティのマーラー交響曲第8番「1000人の交響曲」を掲載して末尾とさせていただきたいと思います。
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