この問題に対して防犯活動は何ができるか
-最終更新日:2010年8月7日(土)-
この問題は、防犯活動がしっかりしていたら防ぐことができると誰でも考えるでしょう。今回はこのことについて考えてみたいと思います。
防犯活動という言葉では堅苦しいかもしれません。「街の見守り活動」や「地域ネットワークでの問題解決」という言葉のほうが表現として適切でしょう。
そのときに問題になるのが、以前に少し触れたこともある、日本社会の「地域の絆」の衰退です。この「地域の絆」は近代化された社会だけにあるわけではなく、昔から人間が社会として存続するのに必要不可欠なものでした。下記の画像をご覧ください。江戸時代の防災活動の様子です。出初式という粋な儀式が「祭」として当時から脈々と続いていたことがうかがえます。このような活動が地域住民を活性化させ、経済活動も支えていました。
ところが、現代は主に都市化の影響で「地域の絆」を形成するのに難しくなった社会です。このような地域活動を維持するのには自発的な住民の参加が必要ですが、現代は必ずしもそれが必要ではない社会になったからです。全く参加しようとしない人も多い社会になりました。昔はこのような地域活動に参加しなければ生きていけませんでした。また、地方の場合は、過疎化というもっと重い現実にさらされている点も否めません。
このように、「地域の絆」の希薄化や、地域社会を支える担い手の減少がなぜこのような加害行為を横行させることにつながるかを考えてみたいと思います。
人間社会というのは、複雑なコミュニケーション様式、文化様式によって構成されています。もちろんこれだけではなく様々な要素があります。これらの充実は社会を円滑に推進させます。「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」という呼ばれ方をすることもあります。
定義を見ると、「人と人とのつながりや支え合い、さらにそこから生み出される他者に対する信頼、規範、互酬性のことである」とあります。このような人とのつながりを充実化させることによって、街の見守り活動は実効性を帯びてきます。これが充実した社会は様々な問題に対処できるとされています。
しかし、現在は「古き良き昭和の時代」にあった人のつながりがもう戻らないといわれています。「地域のつながり」「学校のつながり」「企業のつながり」という日本人を支えてきたつながりが失われた時代に突入したと多くの人が述べて久しいです。困っても誰も助けてくれない社会になったということです。
このようなつながりの希薄化によって、社会はどうなるでしょうか。少なくとも「街の見守り」という観点では、犯罪の未然防止能力の低下につながります。それだけでなく、そのほかの様々な住民トラブルが多発し、解決できない社会になってしまいます。防犯・防災は地域住民の主体的な参加によって解決できる側面が強いのです。
一方で、防犯活動が、地域のコミュニケーションを促進させるように町全体で行われるとき、このような問題に対処する能力が高まるといえるでしょう。現在は、過疎化している地方で特に担い手が減少しているといわれています。下記の防災・防犯フェスティバルのように、広く一般の方が防災・防犯に触れ合う機会が重要になってくると思います。
少し前、父が昔ながらに拍子木を打って地域の夜回りに参加しました。自分の幼い頃には町のいたるところで聞こえていたこの町内会の行事も、現在ではあまり行われなくなりました。この問題は、むしろ様々な方が正しい防犯・防災のあり方を考えて主体的・積極的に参加すること。これが解決の道につながると思います。
以前、伝統行事でこの件を申し上げましたが、同じことです。人々のつながりを高めることを厭っては、このような問題を横行させるだけです。現在の社会では、一人ひとりがあえて時間を作ってこのような地域社会に積極的に参加すること。これは、他の様々な社会問題に対する解決能力も高めることになります。
最後に、参考として「消防防災博物館」のHPをご紹介します。現在の消防・防災活動だけでなく、江戸の火消などの伝統的な消防文化について広く触れられています。このブログの記事を読んでいただいた方の参考になればと思います。
この問題は、防犯活動がしっかりしていたら防ぐことができると誰でも考えるでしょう。今回はこのことについて考えてみたいと思います。
防犯活動という言葉では堅苦しいかもしれません。「街の見守り活動」や「地域ネットワークでの問題解決」という言葉のほうが表現として適切でしょう。
そのときに問題になるのが、以前に少し触れたこともある、日本社会の「地域の絆」の衰退です。この「地域の絆」は近代化された社会だけにあるわけではなく、昔から人間が社会として存続するのに必要不可欠なものでした。下記の画像をご覧ください。江戸時代の防災活動の様子です。出初式という粋な儀式が「祭」として当時から脈々と続いていたことがうかがえます。このような活動が地域住民を活性化させ、経済活動も支えていました。
ところが、現代は主に都市化の影響で「地域の絆」を形成するのに難しくなった社会です。このような地域活動を維持するのには自発的な住民の参加が必要ですが、現代は必ずしもそれが必要ではない社会になったからです。全く参加しようとしない人も多い社会になりました。昔はこのような地域活動に参加しなければ生きていけませんでした。また、地方の場合は、過疎化というもっと重い現実にさらされている点も否めません。
このように、「地域の絆」の希薄化や、地域社会を支える担い手の減少がなぜこのような加害行為を横行させることにつながるかを考えてみたいと思います。
人間社会というのは、複雑なコミュニケーション様式、文化様式によって構成されています。もちろんこれだけではなく様々な要素があります。これらの充実は社会を円滑に推進させます。「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」という呼ばれ方をすることもあります。
定義を見ると、「人と人とのつながりや支え合い、さらにそこから生み出される他者に対する信頼、規範、互酬性のことである」とあります。このような人とのつながりを充実化させることによって、街の見守り活動は実効性を帯びてきます。これが充実した社会は様々な問題に対処できるとされています。
しかし、現在は「古き良き昭和の時代」にあった人のつながりがもう戻らないといわれています。「地域のつながり」「学校のつながり」「企業のつながり」という日本人を支えてきたつながりが失われた時代に突入したと多くの人が述べて久しいです。困っても誰も助けてくれない社会になったということです。
このようなつながりの希薄化によって、社会はどうなるでしょうか。少なくとも「街の見守り」という観点では、犯罪の未然防止能力の低下につながります。それだけでなく、そのほかの様々な住民トラブルが多発し、解決できない社会になってしまいます。防犯・防災は地域住民の主体的な参加によって解決できる側面が強いのです。
一方で、防犯活動が、地域のコミュニケーションを促進させるように町全体で行われるとき、このような問題に対処する能力が高まるといえるでしょう。現在は、過疎化している地方で特に担い手が減少しているといわれています。下記の防災・防犯フェスティバルのように、広く一般の方が防災・防犯に触れ合う機会が重要になってくると思います。
少し前、父が昔ながらに拍子木を打って地域の夜回りに参加しました。自分の幼い頃には町のいたるところで聞こえていたこの町内会の行事も、現在ではあまり行われなくなりました。この問題は、むしろ様々な方が正しい防犯・防災のあり方を考えて主体的・積極的に参加すること。これが解決の道につながると思います。
以前、伝統行事でこの件を申し上げましたが、同じことです。人々のつながりを高めることを厭っては、このような問題を横行させるだけです。現在の社会では、一人ひとりがあえて時間を作ってこのような地域社会に積極的に参加すること。これは、他の様々な社会問題に対する解決能力も高めることになります。
最後に、参考として「消防防災博物館」のHPをご紹介します。現在の消防・防災活動だけでなく、江戸の火消などの伝統的な消防文化について広く触れられています。このブログの記事を読んでいただいた方の参考になればと思います。
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