桑田佳祐さん・紅白歌合戦出演 !!
食道がんからの復活を記念して
-最終更新日:2010年12月31日(金)-
この記事をもっと早く書こうと思っていたのだが、直前になってしまって申し訳ない。筆者がファンクラブに入会しているサザンオールスターズの桑田佳祐さんが食堂がんの手術後初めて復活ライブを行うことが決定したのだ。それも本日大みそかの紅白歌合戦においてである。時間帯は23時前後ということで、ファンにはたまらないライブを一年の締めくくりに見ることができるのである。
筆者は昔は洋楽のほうが好きで、高校生時代にはビートルズやカーペンターズを聞きながら英語の勉強をするというませた青年だった。日本の歌手には歌唱力がないだとか、音楽性はアメリカにかなわないとか、ずっと思っていた。その評価が変わったのが大学時代の山崎まさよしへののめり込みである。馬鹿の一つ覚えのように「名前のない鳥」をギターで弾いて悦に浸っていた。
最近は筆者もおっさんの領域に足を突っ込んだのか、日本人らしい曲を落ち着いて聞きたいという衝動に駆られることが多くなった。山崎まさよしはいい加減若者向けだし、年相応のJPOPに立ち戻ってみたいという感覚だ。となると、大学時代によく聞いた曲が参考になる。筆者の所属していたサークルで多くの人が歌っていたサザンオールスターズの曲を聞いてみることにした。
聞いてみると、やはり思い出深い。大学入学のころに「愛の言霊」がちょうどヒットした時期で、ある先輩がよく歌っていたのを思い出す。サザンや桑田さんの曲は歌いやすいと思ったらそれは大間違い。多分桑田さんにしかうまく歌えないように作られている。分かりやすく見えるようで、歌うのが難しい。それが氏の作り上げたバラード音楽の領域だろう。
筆者は音楽というものはライブが何にもまして楽しいと思っている。クラシックでもポップスでもそれは関係ない。前回取りあげたカリスマを中心とする集合的な沸騰を体験できるからだ。聴衆が熱狂の突きつけをステージに対して向けるとそれに呼応するように歌い手はボルテージをあげる。この双方向性こそがライブの醍醐味であり、それはこれから先も変わることはないだろう。筆者も桑田佳祐さんにハマってくると、やはりライブのDVDを購入したのである。
山崎まさよしもライブの人といわれるが、桑田佳祐氏も同様である。ライブのほうが楽しいのである。見せ方や組み立て方が上手いといったらいいだろうか。このDVDもそのライブの迫力が伝わってくる。この被害を受けていてライブに参加できるかどうかわからないが、ライブでは曲を覚えていかないと楽しくない。今少しずつ曲名を覚えていっている最中である。学生時代の時のように真夏の炎天下のライブをもう一回経験したいのである。騒ぎまくったのを覚えている。
何にせよ、小澤征爾さんと同じ食道がんという歌手には大敵の病気と闘って復帰されるのだから、体調には十分気を付けて頂きたい。それがファンの願いである。桑田さんやサザンオールスターズは、大文字のJPOPといっていいほど、日本人が最大公約数的に楽しむことができる楽曲を提供する。それは「TOP OF THE POPS」というアルバム名を見ればわかるだろう。もう間もない桑田佳祐さんの復活紅白出演、日本人なら見逃す手はないだろう。
ボクシング長谷川穂積選手、粟生隆寛選手の活躍
本日の読売新聞の11面に長谷川選手のインタビューが掲載されている。低迷する日本ボクシング界にあって長谷川選手と粟生選手の二階級制覇に勇気づけられた人も多いはずだ。
記事によると、長谷川選手は今年4月のWBCバンタム級王座防衛戦でTKO負けした後、7月に少年たちが社会復帰を目指す浪速少年院を訪れて院生たちを励ました。
必ずベルトを持ってここへ帰ってくる。だから、君たちも夢に向かって踏み出してほしい
その後11月のWBCフェザー級王座決定戦でファンカルロス・ブルゴスに見事勝利した長谷川選手は、この約束の少年院に来訪。どのように迎えられたかは想像に難くないだろう。
スポーツ選手が社会に果たす役割が問われている今の時代において、ただ勝負で勝つだけでなく子どもたちに夢を与える存在である同氏のような選手に多くのスポーツ選手がなってほしいと願って一年の締めくくりとさせていただきます。来年もブログ更新を頑張っていきますので、応援何卒よろしくお願い致します。ブログ読者の皆様もよいお年を。
-最終更新日:2010年12月31日(金)-
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この記事をもっと早く書こうと思っていたのだが、直前になってしまって申し訳ない。筆者がファンクラブに入会しているサザンオールスターズの桑田佳祐さんが食堂がんの手術後初めて復活ライブを行うことが決定したのだ。それも本日大みそかの紅白歌合戦においてである。時間帯は23時前後ということで、ファンにはたまらないライブを一年の締めくくりに見ることができるのである。
筆者は昔は洋楽のほうが好きで、高校生時代にはビートルズやカーペンターズを聞きながら英語の勉強をするというませた青年だった。日本の歌手には歌唱力がないだとか、音楽性はアメリカにかなわないとか、ずっと思っていた。その評価が変わったのが大学時代の山崎まさよしへののめり込みである。馬鹿の一つ覚えのように「名前のない鳥」をギターで弾いて悦に浸っていた。
最近は筆者もおっさんの領域に足を突っ込んだのか、日本人らしい曲を落ち着いて聞きたいという衝動に駆られることが多くなった。山崎まさよしはいい加減若者向けだし、年相応のJPOPに立ち戻ってみたいという感覚だ。となると、大学時代によく聞いた曲が参考になる。筆者の所属していたサークルで多くの人が歌っていたサザンオールスターズの曲を聞いてみることにした。
聞いてみると、やはり思い出深い。大学入学のころに「愛の言霊」がちょうどヒットした時期で、ある先輩がよく歌っていたのを思い出す。サザンや桑田さんの曲は歌いやすいと思ったらそれは大間違い。多分桑田さんにしかうまく歌えないように作られている。分かりやすく見えるようで、歌うのが難しい。それが氏の作り上げたバラード音楽の領域だろう。
桑田さんのお仕事 07/08 ~魅惑のAVマリアージュ~(初回限定盤) (2008/03/12) 桑田佳祐 商品詳細を見る |
筆者は音楽というものはライブが何にもまして楽しいと思っている。クラシックでもポップスでもそれは関係ない。前回取りあげたカリスマを中心とする集合的な沸騰を体験できるからだ。聴衆が熱狂の突きつけをステージに対して向けるとそれに呼応するように歌い手はボルテージをあげる。この双方向性こそがライブの醍醐味であり、それはこれから先も変わることはないだろう。筆者も桑田佳祐さんにハマってくると、やはりライブのDVDを購入したのである。
山崎まさよしもライブの人といわれるが、桑田佳祐氏も同様である。ライブのほうが楽しいのである。見せ方や組み立て方が上手いといったらいいだろうか。このDVDもそのライブの迫力が伝わってくる。この被害を受けていてライブに参加できるかどうかわからないが、ライブでは曲を覚えていかないと楽しくない。今少しずつ曲名を覚えていっている最中である。学生時代の時のように真夏の炎天下のライブをもう一回経験したいのである。騒ぎまくったのを覚えている。
何にせよ、小澤征爾さんと同じ食道がんという歌手には大敵の病気と闘って復帰されるのだから、体調には十分気を付けて頂きたい。それがファンの願いである。桑田さんやサザンオールスターズは、大文字のJPOPといっていいほど、日本人が最大公約数的に楽しむことができる楽曲を提供する。それは「TOP OF THE POPS」というアルバム名を見ればわかるだろう。もう間もない桑田佳祐さんの復活紅白出演、日本人なら見逃す手はないだろう。
ボクシング長谷川穂積選手、粟生隆寛選手の活躍
本日の読売新聞の11面に長谷川選手のインタビューが掲載されている。低迷する日本ボクシング界にあって長谷川選手と粟生選手の二階級制覇に勇気づけられた人も多いはずだ。
記事によると、長谷川選手は今年4月のWBCバンタム級王座防衛戦でTKO負けした後、7月に少年たちが社会復帰を目指す浪速少年院を訪れて院生たちを励ました。
必ずベルトを持ってここへ帰ってくる。だから、君たちも夢に向かって踏み出してほしい
その後11月のWBCフェザー級王座決定戦でファンカルロス・ブルゴスに見事勝利した長谷川選手は、この約束の少年院に来訪。どのように迎えられたかは想像に難くないだろう。
スポーツ選手が社会に果たす役割が問われている今の時代において、ただ勝負で勝つだけでなく子どもたちに夢を与える存在である同氏のような選手に多くのスポーツ選手がなってほしいと願って一年の締めくくりとさせていただきます。来年もブログ更新を頑張っていきますので、応援何卒よろしくお願い致します。ブログ読者の皆様もよいお年を。
書評・参考図書の紹介(15)
イチロー・インタヴューズ
~10年連続200本安打を達成した裏舞台~
-最終更新日:2010年12月28日(火)-
このブログでイチロー選手に触れることが多かったが、ここで筆者のイチロー選手に対する考えというものをまとめてみたい。イチロー選手にとって節目となった前人未到の10年連続200本安打達成を記念するという意味合いも込めて。
イチロー選手といえば記録男の名の通り日米でさまざまな記録を残している。日本で年間210安打を達成したのを皮切りに、列挙にいとまがない。その中でも飛びぬけているのがメジャー当初のMVPやシーズン最多262安打の達成、そして上記の10年連続200本安打などだろう。
しかし、その表の輝かしい記録とは裏腹に、陰で凄まじい努力をしている。怪我をしないためスロープのある場所では階段を使わない。朝は栄養バランスの観点から奥さんの作ったカレーに限定して食べる(現在は必ずしもそうでないとコメントしている)。打席前に入念に行うストレッチ。桑田投手が「どうやったらそれだけの成績を残せるのか」ではなく「なぜ怪我をしないのか?」とイチロー選手に尋ねたように、誰に言われるわけでもなく怪我をせずにタフなシーズンでフル出場できる体作りをしているのだ。多くのメディアがそのようなイチロー選手のことをこのように表現している。「努力の天才」と。
それだけではない、イチローがよく使う表現に「プレッシャー」という言葉がある。輝かしい舞台に立っている状態を我々は見て楽しむだけだが、記録がかかった時は我々が想像つかないくらいの重圧がかかる。2009ワールド・ベースボール・クラシックの優勝決定戦がいい例だろう。イチローは極めて強い精神性で何も問題ないように克服しているかに見えるがそれは違う。その度ごとに「吐き気がするような」気持ちになっているのだという。アメリカでイチローの告白本が出版されたときに「イチローも人間だった」と評されたことが記憶に新しい。まさに、生身の人間がさまざまな困難を克服する過程を我々は目の当たりにしているのである。
そのイチロー選手、今日のニュースウオッチ9でインタビューが放送された。「嫌なものを感じた」とイチロー選手が表現した先に待ち受けていた不調。それを乗り越えたのは強い精神力ではなかった。「技術」である。より重い記録を達成するときは安易に生まれない。辛い苦労の果てに生まれるものだと表現したイチロー選手。多くの日本人の憧憬となってきた選手は、努力の天才として今日も歩み続けている。
読者の皆さんもイチロー選手には熱い思いがあるに違いない。日本人なら例外なくそうだろう。筆者も人生の師のように尊敬しているのである。
記事や祭りの画像が気に入ったらぜひ押してください。アクセスアップに繋がります。この問題の認知と解決のためにご協力をお願い致します。
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~10年連続200本安打を達成した裏舞台~
-最終更新日:2010年12月28日(火)-
イチロー・インタヴューズ (文春新書) (2010/04) 石田 雄太 商品詳細を見る |
このブログでイチロー選手に触れることが多かったが、ここで筆者のイチロー選手に対する考えというものをまとめてみたい。イチロー選手にとって節目となった前人未到の10年連続200本安打達成を記念するという意味合いも込めて。
イチロー選手といえば記録男の名の通り日米でさまざまな記録を残している。日本で年間210安打を達成したのを皮切りに、列挙にいとまがない。その中でも飛びぬけているのがメジャー当初のMVPやシーズン最多262安打の達成、そして上記の10年連続200本安打などだろう。
しかし、その表の輝かしい記録とは裏腹に、陰で凄まじい努力をしている。怪我をしないためスロープのある場所では階段を使わない。朝は栄養バランスの観点から奥さんの作ったカレーに限定して食べる(現在は必ずしもそうでないとコメントしている)。打席前に入念に行うストレッチ。桑田投手が「どうやったらそれだけの成績を残せるのか」ではなく「なぜ怪我をしないのか?」とイチロー選手に尋ねたように、誰に言われるわけでもなく怪我をせずにタフなシーズンでフル出場できる体作りをしているのだ。多くのメディアがそのようなイチロー選手のことをこのように表現している。「努力の天才」と。
それだけではない、イチローがよく使う表現に「プレッシャー」という言葉がある。輝かしい舞台に立っている状態を我々は見て楽しむだけだが、記録がかかった時は我々が想像つかないくらいの重圧がかかる。2009ワールド・ベースボール・クラシックの優勝決定戦がいい例だろう。イチローは極めて強い精神性で何も問題ないように克服しているかに見えるがそれは違う。その度ごとに「吐き気がするような」気持ちになっているのだという。アメリカでイチローの告白本が出版されたときに「イチローも人間だった」と評されたことが記憶に新しい。まさに、生身の人間がさまざまな困難を克服する過程を我々は目の当たりにしているのである。
そのイチロー選手、今日のニュースウオッチ9でインタビューが放送された。「嫌なものを感じた」とイチロー選手が表現した先に待ち受けていた不調。それを乗り越えたのは強い精神力ではなかった。「技術」である。より重い記録を達成するときは安易に生まれない。辛い苦労の果てに生まれるものだと表現したイチロー選手。多くの日本人の憧憬となってきた選手は、努力の天才として今日も歩み続けている。
読者の皆さんもイチロー選手には熱い思いがあるに違いない。日本人なら例外なくそうだろう。筆者も人生の師のように尊敬しているのである。
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マイケル・アプテッド監督「ROME」
出演:ケヴィン・マクキッド レイ・スティーブンソン ほか
(2005年・2007年 米・英)
-最終更新日:2010年12月27日(月)-
今回とりあげるのは、アメリカのHBOとイギリスのBBCが共同制作したドラマ「ROME」である。映画のコーナーであるが、広く映像作品をということでこちらで紹介することにした。製作費は200億円以上という並みの映画を超える破格の額である。
この「ROME」、筆者は被害を受けているときに見たが、一気に最後まで借りて観てしまった。同じように最後まで飽きさせない海外ドラマには有名な「24」があるが、同様に面白い作品である。ストーリーを軽く説明しよう。
前編と後編に分かれており、前編はユリウス・カエサルがブルートゥスに暗殺されるまで、後編はカエサルの甥っ子であるオクタヴィアヌスがアウグストゥス(尊厳者)となるまでを描いている。ドラマであり史実とはかなり異なる点が多い。たとえば、カエサルの姪であるアティアは歴史的にはオクタヴィアヌスの賢母として記録に残っているが、このドラマでは性的欲求が強く陰謀を駆使する悪女として描かれている。また、後編に出てくる世界三大美女のクレオパトラの息子カエサリオンは、史実ではカエサルとの子であり、オクタヴィアヌスがエジプトを統一した際に殺害される。しかし、このドラマでは別の人物との子に設定されており、最後にはうまく生き残ってしまう。誰の子であるかは実際に見て確かめてほしい。(現在制作されている映画版にどのように登場するのかが気になるところである。)
このドラマは元老院による議会民主制と帝政の間で揺れ動く時代をよく表現している。当時は元老院による政治の停滞と腐敗がカエサルによる帝政を生みだし、オクタヴィアヌスに受け継がれる。オクタヴィアヌスがとった政治形態は民主制であるが、それは擬似的なものであって、自身を頂点にした帝政であった。当時は内乱や外敵の排除という観点において民主制よりも帝政が優れた政治形態とされることが多かった。議会でいちいち議決しては戦争に敗れてしまうからである。
現代において、強いリーダーシップをもった僭主を必要とする民主主義国家は不幸とされている。そこにおいては民主制は傀儡的なものでしかないからだ。民衆における自由という概念が発達して民主主義の統治形態が生まれるには産業革命のころまで待たなければならなかった。それも、フランスのモンテスキューやイギリスのジョン・ロックなどが自由の概念を掘り下げて数世紀が経ってからである。この産業革命のころに政治が独裁者を必要とするファシズムが横行したが、初めて「自由を放棄」した民衆の責任とされるようになった。甘美な独裁者の言葉に民衆が騙されて、挙句のはては大きな戦争責任だけを残したからである。このような意味で「自由からの逃走」をもう一度掲載する。このブログの問題に非常に深くかかわるテーマだからだ。
話がそれて申し訳ない。ついあらゆる作品をこの問題に結びつけてしまう癖が筆者にある。現代も、このような問題が発生していること自体が民主主義国家における不幸である。すでに国家のコントロールを超えて加害者が暴走しているからだ。この事態、読者の皆さんもほかの誰でもない同じ国民が被害を受けていることを忘れないでほしい。そして、他人事と思わないで真剣に考えてほしい。
安藤美姫選手、6季ぶりのV
昨日のフィギュアスケート日本選手権を視聴された読者の方も多いのではないだろうか。実は、今日「ROME」の記事を持ってきたのは安藤美姫選手が優勝したからである。なぜかというと、「ROME」のメインテーマを安藤選手は2009-2010シリーズに使用しているからだ。
この「ROME」のメインテーマ曲を使用したときの安藤選手の演技を見て「ふしぎの海のナディア」に似ていると思ってしまった。自分の感覚がおかしいのかと思って今Yahooで検索してみると、他にもこの時に同じように思った人がいると知って驚いた。個人的に庵野監督にはもう一度NHKでアニメを作成してほしいと思っている昨今である。当時は庵野監督がNHKをだましたんじゃないかと言われた「ふしぎの海のナディア」、間違いなくアニメ史上に残る作品となったからである。
筆者は小さいころから家族でフィギュアスケートを家族で見ることが多く、その多様な演技に見入ってきた。伊藤みどり選手が懐かしいと感じる昨今である。その時代からスケートも4回転ジャンプが必要とされるなど、より難易度が増してきた。そのような中で不調に苦しんでいた安藤選手だが、今年に入って国際大会を含めて3度金メダルを獲得している。これに喜ばれた方も多いのではないだろうか。確実に演技力を増しての復活である。
(2005年・2007年 米・英)
-最終更新日:2010年12月27日(月)-
ROME [ローマ] 〈前編〉 [DVD] (2009/08/12) ケヴィン・マクキッド レイ・スティーブンソン 商品詳細を見る |
ROME [ローマ] 〈後編〉 [DVD] (2009/08/12) ケヴィン・マクキッド レイ・スティーブンソン 商品詳細を見る |
今回とりあげるのは、アメリカのHBOとイギリスのBBCが共同制作したドラマ「ROME」である。映画のコーナーであるが、広く映像作品をということでこちらで紹介することにした。製作費は200億円以上という並みの映画を超える破格の額である。
この「ROME」、筆者は被害を受けているときに見たが、一気に最後まで借りて観てしまった。同じように最後まで飽きさせない海外ドラマには有名な「24」があるが、同様に面白い作品である。ストーリーを軽く説明しよう。
前編と後編に分かれており、前編はユリウス・カエサルがブルートゥスに暗殺されるまで、後編はカエサルの甥っ子であるオクタヴィアヌスがアウグストゥス(尊厳者)となるまでを描いている。ドラマであり史実とはかなり異なる点が多い。たとえば、カエサルの姪であるアティアは歴史的にはオクタヴィアヌスの賢母として記録に残っているが、このドラマでは性的欲求が強く陰謀を駆使する悪女として描かれている。また、後編に出てくる世界三大美女のクレオパトラの息子カエサリオンは、史実ではカエサルとの子であり、オクタヴィアヌスがエジプトを統一した際に殺害される。しかし、このドラマでは別の人物との子に設定されており、最後にはうまく生き残ってしまう。誰の子であるかは実際に見て確かめてほしい。(現在制作されている映画版にどのように登場するのかが気になるところである。)
このドラマは元老院による議会民主制と帝政の間で揺れ動く時代をよく表現している。当時は元老院による政治の停滞と腐敗がカエサルによる帝政を生みだし、オクタヴィアヌスに受け継がれる。オクタヴィアヌスがとった政治形態は民主制であるが、それは擬似的なものであって、自身を頂点にした帝政であった。当時は内乱や外敵の排除という観点において民主制よりも帝政が優れた政治形態とされることが多かった。議会でいちいち議決しては戦争に敗れてしまうからである。
自由からの逃走 新版 (1965/12) エーリッヒ・フロム 日高 六郎 商品詳細を見る |
現代において、強いリーダーシップをもった僭主を必要とする民主主義国家は不幸とされている。そこにおいては民主制は傀儡的なものでしかないからだ。民衆における自由という概念が発達して民主主義の統治形態が生まれるには産業革命のころまで待たなければならなかった。それも、フランスのモンテスキューやイギリスのジョン・ロックなどが自由の概念を掘り下げて数世紀が経ってからである。この産業革命のころに政治が独裁者を必要とするファシズムが横行したが、初めて「自由を放棄」した民衆の責任とされるようになった。甘美な独裁者の言葉に民衆が騙されて、挙句のはては大きな戦争責任だけを残したからである。このような意味で「自由からの逃走」をもう一度掲載する。このブログの問題に非常に深くかかわるテーマだからだ。
話がそれて申し訳ない。ついあらゆる作品をこの問題に結びつけてしまう癖が筆者にある。現代も、このような問題が発生していること自体が民主主義国家における不幸である。すでに国家のコントロールを超えて加害者が暴走しているからだ。この事態、読者の皆さんもほかの誰でもない同じ国民が被害を受けていることを忘れないでほしい。そして、他人事と思わないで真剣に考えてほしい。
安藤美姫選手、6季ぶりのV
空に向かって (2010/02/17) 安藤 美姫 商品詳細を見る |
昨日のフィギュアスケート日本選手権を視聴された読者の方も多いのではないだろうか。実は、今日「ROME」の記事を持ってきたのは安藤美姫選手が優勝したからである。なぜかというと、「ROME」のメインテーマを安藤選手は2009-2010シリーズに使用しているからだ。
ふしぎの海のナディア DVD-BOX I (2007/06/01) 鷹森淑乃、日高のり子 他 商品詳細を見る |
この「ROME」のメインテーマ曲を使用したときの安藤選手の演技を見て「ふしぎの海のナディア」に似ていると思ってしまった。自分の感覚がおかしいのかと思って今Yahooで検索してみると、他にもこの時に同じように思った人がいると知って驚いた。個人的に庵野監督にはもう一度NHKでアニメを作成してほしいと思っている昨今である。当時は庵野監督がNHKをだましたんじゃないかと言われた「ふしぎの海のナディア」、間違いなくアニメ史上に残る作品となったからである。
筆者は小さいころから家族でフィギュアスケートを家族で見ることが多く、その多様な演技に見入ってきた。伊藤みどり選手が懐かしいと感じる昨今である。その時代からスケートも4回転ジャンプが必要とされるなど、より難易度が増してきた。そのような中で不調に苦しんでいた安藤選手だが、今年に入って国際大会を含めて3度金メダルを獲得している。これに喜ばれた方も多いのではないだろうか。確実に演技力を増しての復活である。
武器としての電波の悪用を糾弾する
~NPO法人テクノロジー犯罪被害ネットワークの原点となった石橋輝勝氏の著書~
-最終更新日:2010年12月22日(水)-
この書籍を見ていただきたい。発行年数が1997年である。テクノロジー犯罪被害ネットワークを運営している石橋理事長が10年以上前に発行した書籍である。当時の発行部数は800部程度。それでも読まれた方が集まって前身となる被害団体を作り上げた。現在では700名を超える被害者を受け入れ、大所帯となっているこのNPO法人だが、歴史はそれだけ古いのである。
今となっては手に入りにくいかと思ったらAmazonにわずかの冊数が残されていた。購入して読んでみたが、ほぼ現在行われているテクノロジー犯罪に重なる。現在ではもっと高度化されて陰湿化しているが、当時もこれだけのことが可能だったのかと思い知らされる。
石橋氏はテクノロジーによる人体操作などを下記のカテゴリに分けて説明している。被害者からすれば一目瞭然なのだが、被害を受けたことがない方はどのような被害か類推してほしい。
①人に対する悪用
1)脳への介入
意思を覗く、映像・意思を送る、夢操作、忘却・想起など
2)本能操作
食欲操作、性欲操作、睡眠欲操作
3)感情操作
憎しみの増幅および緩和、衝動操作など
4)身体諸機能の操作
排泄操作、疲労操作、体調不良、金縛りなど
②機器に対する悪用
電話の操作、ワープロの操作、テレビ・ビデオの操作など
③自然環境への悪用
植物成長の異常化など
恐らく被害を受けたことがない方からすれば書籍の内容は本当に統合失調症の患者が述べたものと誤認されるだろう。しかし、前述の33名の被害報告書をご覧になっていただければ、この33名の方がこれらとほぼ同じ被害を受けていることが統計的に示されている。
筆者も、外出するとさまざまな加害団体の人間に取り囲まれる「人による嫌がらせ(集団ストーキング)」と家の中にいながら拷問を遠隔的に可能にする「見えないテクノロジーによる嫌がらせ」の両方を受けている。後者は、筆者がこのブログを作成していると頻繁に送りつけてくる「痛みの送信」や、感情を操作してケースによっては激昂状態を作り上げる「意識への介入」などが中心だ。現在はたたみかけられている状態ではないが、不意を突いて加害行為は行われており、予断は許さない。
ターゲット選出の恣意性と、あらゆる国家の人々の認知の必要性
もはやこの被害について世の中は知らないでは済まされない。すでにある国の主要メディアで報道され、様々な媒体により表面化しつつある。それも世界各国でだ。この流れに伴い、被害者の間では加害者が隠蔽を始めたとのうわさも流れた。12月に入って被害が激化した方も多いと思われるが、加害者は自殺への追い込みによって加害行為を無かったことにしようとしているのである。
加害者は恣意的にターゲットを選ぶ性質があり、世界の民主主義国家のすべての人がターゲットになってしまう可能性がある。筆者も勤務先だったある企業がこの行為を従業員に対して悪用しており、いわれのない暴力的制裁として行われたのがエスカレートした原因である。そしてそれは社会的失墜が完遂してもやむことはない。
これらの「人による嫌がらせ」と「見えないテクノロジーによる嫌がらせ」両方による複合的な加害行為は、民主主義の制度の盲点を突いた特定個人を追い落とす極めて効果的なノウハウであり、あらゆる国で蔓延している現状がある。そして、これは民主主義の現制度下では防ぐことが困難である。一種の社会を腐らす病理のようなものであり、これを乗り越えるには民主主義の不断の努力が必要である。ブログ名を集団ストーカー問題を克服する"Endure the Organized Stalking"としたのは、社会全体の絶え間ない忍耐と努力が必要だと感じたからである。
このブログの読者の方々も、他人事と思われずにこの問題を直視していただきたい。それが被害者すべての願いである。
(下の▼続きを読む▼は被害を受けたことがない方にどのような被害かわかっていただくために掲載するものです。8月のもっとも加害行為がひどかった時の被害メモです。)
-最終更新日:2010年12月22日(水)-
武器としての電波の悪用を糾弾する! (1997/7/10) 石橋輝勝 商品詳細を見る |
この書籍を見ていただきたい。発行年数が1997年である。テクノロジー犯罪被害ネットワークを運営している石橋理事長が10年以上前に発行した書籍である。当時の発行部数は800部程度。それでも読まれた方が集まって前身となる被害団体を作り上げた。現在では700名を超える被害者を受け入れ、大所帯となっているこのNPO法人だが、歴史はそれだけ古いのである。
今となっては手に入りにくいかと思ったらAmazonにわずかの冊数が残されていた。購入して読んでみたが、ほぼ現在行われているテクノロジー犯罪に重なる。現在ではもっと高度化されて陰湿化しているが、当時もこれだけのことが可能だったのかと思い知らされる。
石橋氏はテクノロジーによる人体操作などを下記のカテゴリに分けて説明している。被害者からすれば一目瞭然なのだが、被害を受けたことがない方はどのような被害か類推してほしい。
①人に対する悪用
1)脳への介入
意思を覗く、映像・意思を送る、夢操作、忘却・想起など
2)本能操作
食欲操作、性欲操作、睡眠欲操作
3)感情操作
憎しみの増幅および緩和、衝動操作など
4)身体諸機能の操作
排泄操作、疲労操作、体調不良、金縛りなど
②機器に対する悪用
電話の操作、ワープロの操作、テレビ・ビデオの操作など
③自然環境への悪用
植物成長の異常化など
恐らく被害を受けたことがない方からすれば書籍の内容は本当に統合失調症の患者が述べたものと誤認されるだろう。しかし、前述の33名の被害報告書をご覧になっていただければ、この33名の方がこれらとほぼ同じ被害を受けていることが統計的に示されている。
筆者も、外出するとさまざまな加害団体の人間に取り囲まれる「人による嫌がらせ(集団ストーキング)」と家の中にいながら拷問を遠隔的に可能にする「見えないテクノロジーによる嫌がらせ」の両方を受けている。後者は、筆者がこのブログを作成していると頻繁に送りつけてくる「痛みの送信」や、感情を操作してケースによっては激昂状態を作り上げる「意識への介入」などが中心だ。現在はたたみかけられている状態ではないが、不意を突いて加害行為は行われており、予断は許さない。
ターゲット選出の恣意性と、あらゆる国家の人々の認知の必要性
もはやこの被害について世の中は知らないでは済まされない。すでにある国の主要メディアで報道され、様々な媒体により表面化しつつある。それも世界各国でだ。この流れに伴い、被害者の間では加害者が隠蔽を始めたとのうわさも流れた。12月に入って被害が激化した方も多いと思われるが、加害者は自殺への追い込みによって加害行為を無かったことにしようとしているのである。
加害者は恣意的にターゲットを選ぶ性質があり、世界の民主主義国家のすべての人がターゲットになってしまう可能性がある。筆者も勤務先だったある企業がこの行為を従業員に対して悪用しており、いわれのない暴力的制裁として行われたのがエスカレートした原因である。そしてそれは社会的失墜が完遂してもやむことはない。
これらの「人による嫌がらせ」と「見えないテクノロジーによる嫌がらせ」両方による複合的な加害行為は、民主主義の制度の盲点を突いた特定個人を追い落とす極めて効果的なノウハウであり、あらゆる国で蔓延している現状がある。そして、これは民主主義の現制度下では防ぐことが困難である。一種の社会を腐らす病理のようなものであり、これを乗り越えるには民主主義の不断の努力が必要である。ブログ名を集団ストーカー問題を克服する"Endure the Organized Stalking"としたのは、社会全体の絶え間ない忍耐と努力が必要だと感じたからである。
このブログの読者の方々も、他人事と思われずにこの問題を直視していただきたい。それが被害者すべての願いである。
(下の▼続きを読む▼は被害を受けたことがない方にどのような被害かわかっていただくために掲載するものです。8月のもっとも加害行為がひどかった時の被害メモです。)
マーラー・コンプリート
生誕150周年を記念して
-最終更新日:2010年12月21日(火)-
このコーナーでは原則として曲目を一つ選んで多彩な指揮者のCDを取りあげるといった方式なのだが、これだけは別格として紹介したい。今年はマーラー生誕150周年という節目に当たり、安価でコンプリートアルバムが発売されているのだ。
マニュアルが英語であることを除けば、上記のグラモフォンのアルバムはCD18枚で定価6,500円、下のEMIのアルバムはCD16枚で定価5,660円である。これはもう超破格としか言いようがないのである。これをAmazonやHMVで購入したら実売価格はさらに下回る。やはり筆者超お勧めのCDである。
時代によって異なるヒット作曲家
音楽史からいうと、バロック時代のバッハ、ロマン派時代のベートーヴェンやモーツァルトは誰にでもなじみの深い音楽を作曲している。もうすぐ年末に流れるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」は誰でも聞いたことがあるだろうし、ウィーンフィルが毎年1月1日に行うニューイヤーコンサートのポルカも子供が大好きだ。
しかし、マーラーは違う。分裂気質の前衛音楽を聞いているかのような交響曲7番「夜の歌」や葬送のシーンを思わせるファンファーレから始まる5番、抗い難い人生における運命を描いた6番「悲劇的」など、恐らくクラシックを始めたばかりの人が最初に聞いたら理解しにくいだろう。一般的に難解で、そして厭世的だと言われている。一方で、イエス・キリストの復活を描いた2番「復活」、強烈な人間肯定の意味付与がされている8番「千人の交響曲」が対照的であり、死と戦って作曲した9番はあらゆる芸術作品を凌駕する。
マーラーの解説が長くなったが、クラシックには時代によって売れる作曲家が異なる。第二次世界大戦の直後、日本で一番売れたクラシックのCDはベートーヴェンである。日本社会が戦争という悲劇を乗り越えるには、苦悩を表現しながらも暗から明へと必ず展開するベートーヴェンが最もふさわしかったのだ。その後、高度経済成長期に一番売れたのがモーツァルトである。ともすれば怠惰になりがちな民主主義の黄金期において苦しみを表現した音楽は誰も聞きたくない。それゆえ軽快で多幸感にあふれた音調モーツァルトが一番売れたのである。そして、バブル期以降の現在。この混迷期にマーラーの売り上げが世界的に伸びている。もはや伸びしろがない社会の閉塞感を、のた打ち回るような音調のマーラーが聴き手にカタルシスをもたらすのだ。
コンプリートアルバムの特色を簡単に
この二つのマーラー・コンプリートであるが、多くの歴史的な名演が含まれている。
まずは上のグラモフォン盤。目玉はメータ氏の2番「復活」、バーンスタインの5番、ショルティの8番「千人の交響曲」、カラヤンの9番である。これらはいずれも同演奏の世界的な名盤である。グラモフォンがすごいのは同じ演奏家のばかりもってくるのではなく、名指揮者の様々な演奏を多様に配置したこと。これで飽きない構成となっている。筆者もすべてをまだ聞けていないが、聞くたびに新しい発見がある。小澤征爾さんの「花の章」が入っているのも我々日本人には嬉しいことである。
そして下記のEMIの目玉は、テンシュテットの5番・8番、クレンペラーの2番・大地の歌、バルビローリの6番「悲劇的」、そしてサイモン・ラトルの音源が多く含まれていることである。歴史的な名演という観点ではグラモフォンが勝るかもしれないが、それでも多くの名演が含まれている。個人的に聞いて意外性があったのはバルビローリの6番。恐らくこの演奏で最もゆったりテンポの曲だろう。それが逆説的に重厚感を出している好例だと感じたのである。
このように、今年が終わってしまわないうちにマーラー生誕150周年を書くことができてよかった。今後恐らくマーラーの個別の交響曲ごとに名演を取りあげていくだろう。その時には詳細に触れたいと思っている。お楽しみに。
-最終更新日:2010年12月21日(火)-
Gustav Mahler: Complete Edition (2010/06/21) Various Artists 商品詳細を見る |
Mahler: the Complete Works (2010/05/24) Various 商品詳細を見る |
このコーナーでは原則として曲目を一つ選んで多彩な指揮者のCDを取りあげるといった方式なのだが、これだけは別格として紹介したい。今年はマーラー生誕150周年という節目に当たり、安価でコンプリートアルバムが発売されているのだ。
マニュアルが英語であることを除けば、上記のグラモフォンのアルバムはCD18枚で定価6,500円、下のEMIのアルバムはCD16枚で定価5,660円である。これはもう超破格としか言いようがないのである。これをAmazonやHMVで購入したら実売価格はさらに下回る。やはり筆者超お勧めのCDである。
時代によって異なるヒット作曲家
音楽史からいうと、バロック時代のバッハ、ロマン派時代のベートーヴェンやモーツァルトは誰にでもなじみの深い音楽を作曲している。もうすぐ年末に流れるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」は誰でも聞いたことがあるだろうし、ウィーンフィルが毎年1月1日に行うニューイヤーコンサートのポルカも子供が大好きだ。
しかし、マーラーは違う。分裂気質の前衛音楽を聞いているかのような交響曲7番「夜の歌」や葬送のシーンを思わせるファンファーレから始まる5番、抗い難い人生における運命を描いた6番「悲劇的」など、恐らくクラシックを始めたばかりの人が最初に聞いたら理解しにくいだろう。一般的に難解で、そして厭世的だと言われている。一方で、イエス・キリストの復活を描いた2番「復活」、強烈な人間肯定の意味付与がされている8番「千人の交響曲」が対照的であり、死と戦って作曲した9番はあらゆる芸術作品を凌駕する。
マーラーの解説が長くなったが、クラシックには時代によって売れる作曲家が異なる。第二次世界大戦の直後、日本で一番売れたクラシックのCDはベートーヴェンである。日本社会が戦争という悲劇を乗り越えるには、苦悩を表現しながらも暗から明へと必ず展開するベートーヴェンが最もふさわしかったのだ。その後、高度経済成長期に一番売れたのがモーツァルトである。ともすれば怠惰になりがちな民主主義の黄金期において苦しみを表現した音楽は誰も聞きたくない。それゆえ軽快で多幸感にあふれた音調モーツァルトが一番売れたのである。そして、バブル期以降の現在。この混迷期にマーラーの売り上げが世界的に伸びている。もはや伸びしろがない社会の閉塞感を、のた打ち回るような音調のマーラーが聴き手にカタルシスをもたらすのだ。
コンプリートアルバムの特色を簡単に
この二つのマーラー・コンプリートであるが、多くの歴史的な名演が含まれている。
まずは上のグラモフォン盤。目玉はメータ氏の2番「復活」、バーンスタインの5番、ショルティの8番「千人の交響曲」、カラヤンの9番である。これらはいずれも同演奏の世界的な名盤である。グラモフォンがすごいのは同じ演奏家のばかりもってくるのではなく、名指揮者の様々な演奏を多様に配置したこと。これで飽きない構成となっている。筆者もすべてをまだ聞けていないが、聞くたびに新しい発見がある。小澤征爾さんの「花の章」が入っているのも我々日本人には嬉しいことである。
そして下記のEMIの目玉は、テンシュテットの5番・8番、クレンペラーの2番・大地の歌、バルビローリの6番「悲劇的」、そしてサイモン・ラトルの音源が多く含まれていることである。歴史的な名演という観点ではグラモフォンが勝るかもしれないが、それでも多くの名演が含まれている。個人的に聞いて意外性があったのはバルビローリの6番。恐らくこの演奏で最もゆったりテンポの曲だろう。それが逆説的に重厚感を出している好例だと感じたのである。
このように、今年が終わってしまわないうちにマーラー生誕150周年を書くことができてよかった。今後恐らくマーラーの個別の交響曲ごとに名演を取りあげていくだろう。その時には詳細に触れたいと思っている。お楽しみに。
社会問題をビジネスのノウハウで解決する
~グラミン銀行総裁とムハマド・ユヌス氏の取り組みから~
-最終更新日:2010年12月20日(月)-
今回はバングラデシュのグラミン銀行、ムハマド・ユヌス氏の貧困ビジネスについて考察する。あまりにも有名であるが、グラミン銀行とユヌス氏は慈善的な銀行経営と反貧困の社会活動などによって2006年にノーベル平和賞を受賞している。この度の記事は、つい先日12月15日(水)にクローズアップ現代でドキュメンタリーが報道されたことに触発されて書くものである。
クローズアップ現代によると、現在バングラデシュは貧困に対するビジネスの実験場になっているという。貧困ビジネスというと日本でも報道された生活保護世帯に対する悪徳ビジネスの印象が強いがここでは違う。BOP(Base ofthe Economic Pyramid)層という発展途上国の最貧困層を社会的に助けるといった意味合いである。国内市場が低迷を続けるなか、少しでも儲けることができるならばということで発展途上国に市場が注目しているのである。しかし、巨大市場になりつつあるインドでの自動車販売といった利益目的のビジネスではない。バングラデシュのようなもっとも貧困にあえぐ国家の貧困層を対象にしたビジネスである。具体的には、低栄養児に対する低コストの栄養食給付であったりとか、貯水池の泥水を飲料水にする浄化剤を利益度外視で販売するといったものである。
これをバングラデシュ国内で強く推し進めているのが上記のグラミン銀行とムハマド・ユヌス氏である。氏が海外の企業と提携して国内の貧困問題に向き合う合弁会社を設立するときのハードルは高い。その最たるものが、ビジネスで得られた利益を海外に持ち出してはならないというものである。
ここに氏の思想が凝縮している。通常なら資本主義のルールで覆われた世界において、資本の移動が自由ならば、貧困国の資源や労働力を目当てとして先進国がビジネスの戦略を立てる。それと引き換えに先進国のマネーが流入して貧困国が潤うといった構図が自然に形成される。しかし、これが行き過ぎると植民地化であったり戦争が発生したりというのが人間社会の歴史である。このようなことは二度と起きてはならないが、ビジネスの世界では同様の事態が発生する可能性がある。ここに厳しい制約を課したのである。すなわち、いかなることがあっても利益を海外に持ち出せないという制約である。後進国が通常言葉にしてはならないこの先進国に対する戒めをずっと主張してきたことにノーベル賞受賞の秘訣があるのだろう。この約束は徹底しており、先進国でも余裕のない中小企業が安易に手を出したら悲鳴を上げることになる。
番組でも紹介されたが、これは「大企業向けのビジネスパッケージ」である。経営体力のある大企業にしか手が出せないからだ。また、氏が思想の柱としている「ソーシャル・ビジネス」は、特定の社会問題を解決する目的で行われ、その間にかかった費用をすべて回収して利益を残さないといったことを定義としている。利益を生み出さないプロジェクトへのマージンとは重に、
1) 社会問題に貢献したという達成感
2) 企業イメージの向上
3) 通常のビジネスでは作成できない商品の開発
4) 社員の人間教育
といったところだろうか。これは企業の中で利益を得なくてよいというセクションをあらかじめ作って、社員がキャリアの中で一時的に経験するものだと割り切らないと成立しない。すなわち大規模で業績が上向きの企業に限られるのである。
しかし、これが日本の中小企業に向いているとユヌス氏は指摘するから驚きである。日本のような高度に発達した大企業の形態よりも、中小企業の組織形態のほうが後進国であるバングラデシュに受け入れられやすく、その技術力は十分にバングラデシュの欲するところだというのである。ところが中小企業には利益を度外視して慈善事業を行う余裕などない。グラミン銀行とムハマド・ユヌス氏の社会運動が定着化するのもあと一歩だが、最後にここにハードルがあるというのだ。確かに中小企業にはなかなか難しいことであり、既存のモデルでは太刀打ちできない。筆者の考える方法をいくらか挙げてみる。
①国が中小企業向けに資金援助を行う
これは筆者なりの当てつけなのだが、日本政府がODA(政府開発援助)で資金援助するくらいなら、優秀な慈善事業を行うことができる中小企業に優先的に援助してしまえというものである。ODAとは具体的な労働力や技術を提供するものではなくお金を払うだけなのだから、優秀な中小企業が付加価値をつけてボランティアを行えばその効果ははるかに上回るのである。実現可能性に乏しいが、海外に対してばら撒き志向が強かった日本のODAへの警鐘を込めてここに取り入れた。
②NPO法人が人員を募って援助
これも以前クローズアップ現代で放送されたボランティア形態だが、さまざまなその分野の一流の人をNPO法人で募集してプロジェクトチームを形成し、慈善事業を行うというものである。これはNPO法人がもともと利益を考慮しない運営形態であることから実現可能性があるかに見える。しかし、企業側が技術力を提供することにハードルがあり、開発なども行われにくい。既存の技術やビジネスモデルによる社会問題を解決する場合に限られるだろう。
③大企業からの出向受け入れによる慈善事業体の形成
最後にもっとも実現可能性があるモデルである。前述のように、大企業においてのみ安定的に遂行が可能だと述べた。中小企業にはその体力がないのである。上記のNPO法人とよく似ているが、ある事業体を形成し、そこにさまざまな会社が出向受け入れを行ってプロジェクトチームを作成、慈善事業に当たるのである。この場合、技術力の提供や開発などもビジネスの観点で出向元会社と契約を行うことができる。場合によっては、人材の有効なシャッフルの場にもなりえ、企業交流に欠かせない事業体に成長する可能性があるのである。
このように、3つのケースについて述べてきたが、皆さんはどう思われるだろうか。ムハマド・ユヌス氏は資本主義における効用最大化という一つの指標だけが人間社会の目指すところではないとして、多元的な人間存在による別の次元でのビジネスのあり方を主張している。この多元性にもとづいたバランスのとれた社会は、あらゆる困難に打ち勝つ可能性を秘めている。筆者もこのような視点に立ち、さまざまなスタンスの社会的な取り組みをここで紹介していきたいと思っている。今後の記事にもご期待を。
日本の反貧困と自殺問題を現場の第一人者から考察する
ムハマド・ユヌス氏の貧困ビジネスの取り組みを紹介したので、日本のこの周縁の問題の第一人者を紹介する。
まずは派遣村でおなじみの湯浅誠氏である。氏は東京大学で勉学に励むかたわら、ホームレスを支援する「自立生活サポートセンター・もやい」を設立し事務局長に就任している。この事務局長、無給であり、大学院生時代は一か月数万円で暮らしていたという。その後、鳩山内閣において内閣府参与・緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長に就任している。国の内部にいたら思うような活動ができないということで一度辞任しているあたりが草の根の湯浅氏らしい。筆者の尊敬する人物の一人である。
次に自殺問題に取り組まれている清水康之氏である。氏の主要著書の詳しい内容は下のリンクの記事をご覧になっていただきたい
旧ブログ掲載分(1) 日本における自殺問題の深刻さと自殺に向き合う専門労働家たち
氏も内閣府参与として自殺問題に携わってきたが、氏のブログによると2010年6月に辞任されたようだ。現場の人は得てしてポストに執着しないというか、現場魂があるといえば適切だろうか。クローズアップ現代で自殺問題に関して取材したのをきっかけに、自殺遺児を中心とした自殺問題に取り組まれている。
このように、日本にも貧困や自殺が誰にとっても無縁とは言えない時代に突入して久しいが、このような問題と向き合う専門家たちは命を削ってすれすれの中で取り組んでいる。読者の皆さんも、今回取りあげた人物の取り組みを考えていただければ幸いである。
-最終更新日:2010年12月20日(月)-
貧困のない世界を創る (2008/10/24) ムハマド・ユヌス 商品詳細を見る |
今回はバングラデシュのグラミン銀行、ムハマド・ユヌス氏の貧困ビジネスについて考察する。あまりにも有名であるが、グラミン銀行とユヌス氏は慈善的な銀行経営と反貧困の社会活動などによって2006年にノーベル平和賞を受賞している。この度の記事は、つい先日12月15日(水)にクローズアップ現代でドキュメンタリーが報道されたことに触発されて書くものである。
クローズアップ現代によると、現在バングラデシュは貧困に対するビジネスの実験場になっているという。貧困ビジネスというと日本でも報道された生活保護世帯に対する悪徳ビジネスの印象が強いがここでは違う。BOP(Base ofthe Economic Pyramid)層という発展途上国の最貧困層を社会的に助けるといった意味合いである。国内市場が低迷を続けるなか、少しでも儲けることができるならばということで発展途上国に市場が注目しているのである。しかし、巨大市場になりつつあるインドでの自動車販売といった利益目的のビジネスではない。バングラデシュのようなもっとも貧困にあえぐ国家の貧困層を対象にしたビジネスである。具体的には、低栄養児に対する低コストの栄養食給付であったりとか、貯水池の泥水を飲料水にする浄化剤を利益度外視で販売するといったものである。
これをバングラデシュ国内で強く推し進めているのが上記のグラミン銀行とムハマド・ユヌス氏である。氏が海外の企業と提携して国内の貧困問題に向き合う合弁会社を設立するときのハードルは高い。その最たるものが、ビジネスで得られた利益を海外に持ち出してはならないというものである。
ここに氏の思想が凝縮している。通常なら資本主義のルールで覆われた世界において、資本の移動が自由ならば、貧困国の資源や労働力を目当てとして先進国がビジネスの戦略を立てる。それと引き換えに先進国のマネーが流入して貧困国が潤うといった構図が自然に形成される。しかし、これが行き過ぎると植民地化であったり戦争が発生したりというのが人間社会の歴史である。このようなことは二度と起きてはならないが、ビジネスの世界では同様の事態が発生する可能性がある。ここに厳しい制約を課したのである。すなわち、いかなることがあっても利益を海外に持ち出せないという制約である。後進国が通常言葉にしてはならないこの先進国に対する戒めをずっと主張してきたことにノーベル賞受賞の秘訣があるのだろう。この約束は徹底しており、先進国でも余裕のない中小企業が安易に手を出したら悲鳴を上げることになる。
番組でも紹介されたが、これは「大企業向けのビジネスパッケージ」である。経営体力のある大企業にしか手が出せないからだ。また、氏が思想の柱としている「ソーシャル・ビジネス」は、特定の社会問題を解決する目的で行われ、その間にかかった費用をすべて回収して利益を残さないといったことを定義としている。利益を生み出さないプロジェクトへのマージンとは重に、
1) 社会問題に貢献したという達成感
2) 企業イメージの向上
3) 通常のビジネスでは作成できない商品の開発
4) 社員の人間教育
といったところだろうか。これは企業の中で利益を得なくてよいというセクションをあらかじめ作って、社員がキャリアの中で一時的に経験するものだと割り切らないと成立しない。すなわち大規模で業績が上向きの企業に限られるのである。
しかし、これが日本の中小企業に向いているとユヌス氏は指摘するから驚きである。日本のような高度に発達した大企業の形態よりも、中小企業の組織形態のほうが後進国であるバングラデシュに受け入れられやすく、その技術力は十分にバングラデシュの欲するところだというのである。ところが中小企業には利益を度外視して慈善事業を行う余裕などない。グラミン銀行とムハマド・ユヌス氏の社会運動が定着化するのもあと一歩だが、最後にここにハードルがあるというのだ。確かに中小企業にはなかなか難しいことであり、既存のモデルでは太刀打ちできない。筆者の考える方法をいくらか挙げてみる。
①国が中小企業向けに資金援助を行う
これは筆者なりの当てつけなのだが、日本政府がODA(政府開発援助)で資金援助するくらいなら、優秀な慈善事業を行うことができる中小企業に優先的に援助してしまえというものである。ODAとは具体的な労働力や技術を提供するものではなくお金を払うだけなのだから、優秀な中小企業が付加価値をつけてボランティアを行えばその効果ははるかに上回るのである。実現可能性に乏しいが、海外に対してばら撒き志向が強かった日本のODAへの警鐘を込めてここに取り入れた。
②NPO法人が人員を募って援助
これも以前クローズアップ現代で放送されたボランティア形態だが、さまざまなその分野の一流の人をNPO法人で募集してプロジェクトチームを形成し、慈善事業を行うというものである。これはNPO法人がもともと利益を考慮しない運営形態であることから実現可能性があるかに見える。しかし、企業側が技術力を提供することにハードルがあり、開発なども行われにくい。既存の技術やビジネスモデルによる社会問題を解決する場合に限られるだろう。
③大企業からの出向受け入れによる慈善事業体の形成
最後にもっとも実現可能性があるモデルである。前述のように、大企業においてのみ安定的に遂行が可能だと述べた。中小企業にはその体力がないのである。上記のNPO法人とよく似ているが、ある事業体を形成し、そこにさまざまな会社が出向受け入れを行ってプロジェクトチームを作成、慈善事業に当たるのである。この場合、技術力の提供や開発などもビジネスの観点で出向元会社と契約を行うことができる。場合によっては、人材の有効なシャッフルの場にもなりえ、企業交流に欠かせない事業体に成長する可能性があるのである。
このように、3つのケースについて述べてきたが、皆さんはどう思われるだろうか。ムハマド・ユヌス氏は資本主義における効用最大化という一つの指標だけが人間社会の目指すところではないとして、多元的な人間存在による別の次元でのビジネスのあり方を主張している。この多元性にもとづいたバランスのとれた社会は、あらゆる困難に打ち勝つ可能性を秘めている。筆者もこのような視点に立ち、さまざまなスタンスの社会的な取り組みをここで紹介していきたいと思っている。今後の記事にもご期待を。
日本の反貧困と自殺問題を現場の第一人者から考察する
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書) (2008/04/22) 湯浅 誠 商品詳細を見る |
闇の中に光を見いだす―貧困・自殺の現場から (岩波ブックレット NO. 780) (2010/03/11) 清水 康之、湯浅 誠 他 商品詳細を見る |
ムハマド・ユヌス氏の貧困ビジネスの取り組みを紹介したので、日本のこの周縁の問題の第一人者を紹介する。
まずは派遣村でおなじみの湯浅誠氏である。氏は東京大学で勉学に励むかたわら、ホームレスを支援する「自立生活サポートセンター・もやい」を設立し事務局長に就任している。この事務局長、無給であり、大学院生時代は一か月数万円で暮らしていたという。その後、鳩山内閣において内閣府参与・緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長に就任している。国の内部にいたら思うような活動ができないということで一度辞任しているあたりが草の根の湯浅氏らしい。筆者の尊敬する人物の一人である。
次に自殺問題に取り組まれている清水康之氏である。氏の主要著書の詳しい内容は下のリンクの記事をご覧になっていただきたい
旧ブログ掲載分(1) 日本における自殺問題の深刻さと自殺に向き合う専門労働家たち
氏も内閣府参与として自殺問題に携わってきたが、氏のブログによると2010年6月に辞任されたようだ。現場の人は得てしてポストに執着しないというか、現場魂があるといえば適切だろうか。クローズアップ現代で自殺問題に関して取材したのをきっかけに、自殺遺児を中心とした自殺問題に取り組まれている。
このように、日本にも貧困や自殺が誰にとっても無縁とは言えない時代に突入して久しいが、このような問題と向き合う専門家たちは命を削ってすれすれの中で取り組んでいる。読者の皆さんも、今回取りあげた人物の取り組みを考えていただければ幸いである。
ジョン・ウー監督「レッドクリフ」
監督:ジョン・ウー
出演:トニー・レオン 金城武 チャン・フォンイー
ほか(2008年・2009年 中国)
-最終更新日:2010年12月17日(金)-
最近、グローバリズムへの回帰を筆者のスタンスとして明確化しています。以前ほどの過熱はないにしろ、最も競争が激しく高度なセクションとして各国に残るでしょう。この意味も含めて、中国の多国籍合作映画である「レッドクリフ」をピックアップします。過去記事ですが、映画のカテゴリに含めます。
三国志といえば、とにかく長大深遠な物語を連想させる。登場する武将の数も半端ではない。また戦に出る兵士の数も膨大である。その上に、様々な個性を持った武将や栄枯衰勢の急な流れは、多くの人をひきつける。そのため、かなりワールドワイドで読まれている。
例えば、三国志で一番好きな武将は、アメリカが曹操、中国が関羽、日本が諸葛亮と言われている。曹操は実質的にあらゆる知略と武力でこの時代に勢力拡大に最も成功した将軍であるがゆえアメリカ人の気性に合うのだろう。中国が関羽だといのは、中国で神格化されているからだという。各地で廟に祭られていて、関羽廟と呼ばれている。福岡にもあるらしい。日本の諸葛亮というのは、劉備に仕えた忠義の人というイメージと、三国志最高の知略家というイメージだろうか。このようなアンケートに、国民性が現れている。
このようなエピソードがある中で、上記の「レッドクリフ PartⅠ&Ⅱ」は三国志最大のクライマックスの一つである赤璧の戦いを映画化したものだ。なんと「中国・日本・韓国・香港・台湾」五カ国の合作だというから驚きだ。しかも、前に述べたグローバリズムの影響でハリウッド資本が中国に進出しての映画なので、制作費は膨大。素晴らしい映像美で、スケールの非常に大きい映画である。
実は、三国志は過去にも中国で映画化されてきた。子どものときに見たのだが、それから10年余りでこれだけ中国の映画技術が進歩するのかと感嘆するくらいだったのを覚えている。しかも、これだけの国の合作であり様々な国の一流のものが合わさってできたこの映画は、まさにグローバリズムの象徴といえるのではないだろうか。
【万里の長城に行きかう大勢の観光客たち】
以前、万里の長城の写真を掲載したが、筆者の町に「長城」という中華料理店が存在する。早い・安い・旨いの三拍子であり、昼には駐車場に車を停めることができないほどの盛況である。個人的によく店員さんに話しかけるが気さくな方ばかりである。それでいて、本場中国の四川料理を中心に美味しいもの揃いである。中国とは近い隣国であるため、互いの国のニーズに合った環境や資源などの積極的な交流が行われる関係であってほしい。この「レッドクリフ」同様、グローバリズムの文脈での付き合いが主になるだろうからだ。その意味を込めてこの映画を掲載した。読者の皆さんもお考えになって頂きたい。
出演:トニー・レオン 金城武 チャン・フォンイー
ほか(2008年・2009年 中国)
-最終更新日:2010年12月17日(金)-
最近、グローバリズムへの回帰を筆者のスタンスとして明確化しています。以前ほどの過熱はないにしろ、最も競争が激しく高度なセクションとして各国に残るでしょう。この意味も含めて、中国の多国籍合作映画である「レッドクリフ」をピックアップします。過去記事ですが、映画のカテゴリに含めます。
レッドクリフ Part I & II ブルーレイ ツインパック [Blu-ray] (2009/08/05) トニー・レオン、金城 武 他 商品詳細を見る |
三国志といえば、とにかく長大深遠な物語を連想させる。登場する武将の数も半端ではない。また戦に出る兵士の数も膨大である。その上に、様々な個性を持った武将や栄枯衰勢の急な流れは、多くの人をひきつける。そのため、かなりワールドワイドで読まれている。
例えば、三国志で一番好きな武将は、アメリカが曹操、中国が関羽、日本が諸葛亮と言われている。曹操は実質的にあらゆる知略と武力でこの時代に勢力拡大に最も成功した将軍であるがゆえアメリカ人の気性に合うのだろう。中国が関羽だといのは、中国で神格化されているからだという。各地で廟に祭られていて、関羽廟と呼ばれている。福岡にもあるらしい。日本の諸葛亮というのは、劉備に仕えた忠義の人というイメージと、三国志最高の知略家というイメージだろうか。このようなアンケートに、国民性が現れている。
このようなエピソードがある中で、上記の「レッドクリフ PartⅠ&Ⅱ」は三国志最大のクライマックスの一つである赤璧の戦いを映画化したものだ。なんと「中国・日本・韓国・香港・台湾」五カ国の合作だというから驚きだ。しかも、前に述べたグローバリズムの影響でハリウッド資本が中国に進出しての映画なので、制作費は膨大。素晴らしい映像美で、スケールの非常に大きい映画である。
実は、三国志は過去にも中国で映画化されてきた。子どものときに見たのだが、それから10年余りでこれだけ中国の映画技術が進歩するのかと感嘆するくらいだったのを覚えている。しかも、これだけの国の合作であり様々な国の一流のものが合わさってできたこの映画は、まさにグローバリズムの象徴といえるのではないだろうか。
【万里の長城に行きかう大勢の観光客たち】
以前、万里の長城の写真を掲載したが、筆者の町に「長城」という中華料理店が存在する。早い・安い・旨いの三拍子であり、昼には駐車場に車を停めることができないほどの盛況である。個人的によく店員さんに話しかけるが気さくな方ばかりである。それでいて、本場中国の四川料理を中心に美味しいもの揃いである。中国とは近い隣国であるため、互いの国のニーズに合った環境や資源などの積極的な交流が行われる関係であってほしい。この「レッドクリフ」同様、グローバリズムの文脈での付き合いが主になるだろうからだ。その意味を込めてこの映画を掲載した。読者の皆さんもお考えになって頂きたい。
小泉進次郎の話す力
年齢で期待されるもの以上を背負う若者たち②
-最終更新日:2010年12月16日(木)-
同じ若者として年齢以上に正解で期待されているのが自民党の小泉進次郎氏である。麻生太郎元首相は進次郎氏をこのように評している。
「お父さんと違って普通の人」「政界の石川遼。爽やかであいさつもきちんとしている。出来すぎ」
このような評価がなされると父親である純一郎氏がどのように普通の人ではないのかが気になるのだが、昨年の衆議院選挙から大車輪の活躍をしているのが小泉進次郎氏である。一見華やかで表参道をまっしぐらに進んでおり、時には嫉妬を買ってしまいそうな氏だが、筆者は実際はこうだと思っている。「小泉家において一家の浮沈を一身に受けることになってしまった若者」である。
政治の世界はそれほど甘くない。進次郎氏も、世の中にアウトプットするきれいな情報とは違う場所でもがいているはずである。父親が華やかな首相として一世を風靡して以降、退陣すればとたんに一家は苦しくなる。純一郎氏が自らのカリスマ性に限界を感じて引退を表明する中、政治家一家として体裁を保つには進次郎氏に一手に託すしかないのである。
その中でよくこれだけの働きができるなと筆者は思ってしまう。通常の若者なら逃げてしまう重責を軽々とこなしているようにも見える。実際はかなり辛い思いをしているに違いない。当初は親の七光りのようなフィルターを通じて見られた進次郎氏、私はここにきてかなりの能力を有していると感じた次第である。
その理由の一つに、行動の安定感。司会をやってもマスコミに対するコメントも一流。ブレることがない。その二に、その胆力。誰に対しても忌憚ない表情で接することである。そのさまに次第に評価を変えていった人も多いのではないだろうか。筆者は進次郎氏は小泉家ではいわゆる麒麟児と呼べる人物だと思っている。激動の乱世で、息子まで卓越した能力を持っていた中国三国志時代のの司馬懿仲達と司馬師・司馬昭親子を髣髴させるのである。
個人的に、進次郎氏はその学歴の高さから高度な政治主要著書を早めに執筆したらもっと箔がつくのではないかと考えている。恐らく、これからの日本の政治を担って変えていくであろう若者。父親の純一郎氏が「苦労をかけてすまない」という思いを抱いているだろうことを肌に感じながら今後の活躍に期待する。読者の皆さんはどう思われるだろうか。
-最終更新日:2010年12月16日(木)-
小泉進次郎の話す力 (2010/12/16) 佐藤綾子 商品詳細を見る |
同じ若者として年齢以上に正解で期待されているのが自民党の小泉進次郎氏である。麻生太郎元首相は進次郎氏をこのように評している。
「お父さんと違って普通の人」「政界の石川遼。爽やかであいさつもきちんとしている。出来すぎ」
このような評価がなされると父親である純一郎氏がどのように普通の人ではないのかが気になるのだが、昨年の衆議院選挙から大車輪の活躍をしているのが小泉進次郎氏である。一見華やかで表参道をまっしぐらに進んでおり、時には嫉妬を買ってしまいそうな氏だが、筆者は実際はこうだと思っている。「小泉家において一家の浮沈を一身に受けることになってしまった若者」である。
政治の世界はそれほど甘くない。進次郎氏も、世の中にアウトプットするきれいな情報とは違う場所でもがいているはずである。父親が華やかな首相として一世を風靡して以降、退陣すればとたんに一家は苦しくなる。純一郎氏が自らのカリスマ性に限界を感じて引退を表明する中、政治家一家として体裁を保つには進次郎氏に一手に託すしかないのである。
その中でよくこれだけの働きができるなと筆者は思ってしまう。通常の若者なら逃げてしまう重責を軽々とこなしているようにも見える。実際はかなり辛い思いをしているに違いない。当初は親の七光りのようなフィルターを通じて見られた進次郎氏、私はここにきてかなりの能力を有していると感じた次第である。
その理由の一つに、行動の安定感。司会をやってもマスコミに対するコメントも一流。ブレることがない。その二に、その胆力。誰に対しても忌憚ない表情で接することである。そのさまに次第に評価を変えていった人も多いのではないだろうか。筆者は進次郎氏は小泉家ではいわゆる麒麟児と呼べる人物だと思っている。激動の乱世で、息子まで卓越した能力を持っていた中国三国志時代のの司馬懿仲達と司馬師・司馬昭親子を髣髴させるのである。
個人的に、進次郎氏はその学歴の高さから高度な政治主要著書を早めに執筆したらもっと箔がつくのではないかと考えている。恐らく、これからの日本の政治を担って変えていくであろう若者。父親の純一郎氏が「苦労をかけてすまない」という思いを抱いているだろうことを肌に感じながら今後の活躍に期待する。読者の皆さんはどう思われるだろうか。
覚悟。
年齢で期待されるもの以上を背負う若者たち①
-最終更新日:2010年12月16日(木)-
今回は昨年の衆議院選挙で肝炎問題の原告でリーダーシップをとった福田衣里子さんの書籍を紹介する。
彼女は、長崎生まれで大学時代には私の実家のある広島県の大学に通っていた。その時医者に告げられる。「あなたはC型肝炎です」。それから彼女の闘病生活が始まった。筆者の指導教官の一人だった小山静子氏は学生生活に学生の「先生の20代はどうでしたか?」という質問にこう答えている。「(教授を目指したので)青春なんて一つもなかったわよ」。
福田衣里子さんも同じである。闘病生活ばかりで自宅から満足に外出もできずに毎日を過ごし、それが終わったら肝炎訴訟に身を投じたからである。彼女はC型肝炎のインターフェロン治療を開始した。それも治る確率は非常に低いものだった。このC型肝炎、幼いころの予防接種で注射器を使いまわしたことが原因であり、国に責任があることは明確である。彼女は幼いころから若くして発症することが決まっていたのだ。
彼女は奇跡的に2回にわたるインターフェロン治療で完治することになる。それが決意で政治家に立候補したという。彼女は政権交代のうねりを受けて同じ選挙区の強豪を打ち破って当選する。そして、議員生活が始まった。この闘病から議員生活で肝炎対策基本法が成立するまでの彼女の動きを彼女自身が執筆したのが本書である。
福田衣里子氏の立候補の裏を推察すると、恐らく闘病生活などで落ちた体力を回復するために相当無理をして運動を行ったはずである。また、彼女が立候補するということは、肝炎問題解決のプレッシャーを一手に背負うものである。その年齢で期待されるもの以上を背負う福田衣里子氏の心境はいかばかりだろう。1回生議員でなかなか表に出てくることはないが、今でもなお世間の温かい目が注がれるべき存在であると筆者は思うのである。どのような時代においても彼女のような理不尽な問題の被害者が救済されるべきだと思ったので今回は彼女の記事を書くことにした。読者の皆さんはどう思われるだろうか。真剣にお考えになってほしい。
-最終更新日:2010年12月16日(木)-
覚悟。 (2009/12/23) 福田衣里子 写真・初沢亜利 商品詳細を見る |
今回は昨年の衆議院選挙で肝炎問題の原告でリーダーシップをとった福田衣里子さんの書籍を紹介する。
彼女は、長崎生まれで大学時代には私の実家のある広島県の大学に通っていた。その時医者に告げられる。「あなたはC型肝炎です」。それから彼女の闘病生活が始まった。筆者の指導教官の一人だった小山静子氏は学生生活に学生の「先生の20代はどうでしたか?」という質問にこう答えている。「(教授を目指したので)青春なんて一つもなかったわよ」。
福田衣里子さんも同じである。闘病生活ばかりで自宅から満足に外出もできずに毎日を過ごし、それが終わったら肝炎訴訟に身を投じたからである。彼女はC型肝炎のインターフェロン治療を開始した。それも治る確率は非常に低いものだった。このC型肝炎、幼いころの予防接種で注射器を使いまわしたことが原因であり、国に責任があることは明確である。彼女は幼いころから若くして発症することが決まっていたのだ。
彼女は奇跡的に2回にわたるインターフェロン治療で完治することになる。それが決意で政治家に立候補したという。彼女は政権交代のうねりを受けて同じ選挙区の強豪を打ち破って当選する。そして、議員生活が始まった。この闘病から議員生活で肝炎対策基本法が成立するまでの彼女の動きを彼女自身が執筆したのが本書である。
福田衣里子氏の立候補の裏を推察すると、恐らく闘病生活などで落ちた体力を回復するために相当無理をして運動を行ったはずである。また、彼女が立候補するということは、肝炎問題解決のプレッシャーを一手に背負うものである。その年齢で期待されるもの以上を背負う福田衣里子氏の心境はいかばかりだろう。1回生議員でなかなか表に出てくることはないが、今でもなお世間の温かい目が注がれるべき存在であると筆者は思うのである。どのような時代においても彼女のような理不尽な問題の被害者が救済されるべきだと思ったので今回は彼女の記事を書くことにした。読者の皆さんはどう思われるだろうか。真剣にお考えになってほしい。
サッチャー レーガン フラット化する社会
~新自由主義の再考の手掛かりとして~
-最終更新日:2010年12月12日(日)-
下記は2010年7月に旧ブログに掲載した記事です。端的に申し上げると、この問題を考えるにあたって原因となる思潮を考察した際、新自由主義について再考したものです。読者の皆さんもこの考え方について歴史的にもう一度お考えになっていただけたら幸いです。
【グローバリズムの起爆剤となった「フラット化する世界」】
サッチャー政権における自由主義政策と小さな国家の成功
マーガレット・サッチャー氏は1925年、リンカンシャー州グランサムに生まれました。実家が質素倹約や自己責任・自助努力を旨とする風潮であり、その精神がサッチャー氏に受け継がれたといわれています。また、強い精神力で「鉄の女」と呼ばれ、サッチャー氏の代名詞となりました。
サッチャー氏は1979年に首相に就任し、財政再建が必要といわれたイギリスにおいて、小さな政府と自由主義経済政策で建て直しを図りました。そのときの主な政策として、電話会社・ガス会社など各種国有企業の民営化や規制緩和、法人税の引き下げなどが挙げられます。
この政治スタイルはサッチャリズムと呼ばれ、他の国で財政再建が必要な状態になったときに、行政コストを削減して国家を建てなおす手法として模倣されることになります。1980年に米大統領に就任したロナルド・レーガン氏や、1984年にカナダ大統領に就任したカナダのマルルーニー首相などがこれに続くことになります。日本においても、1982年に中曽根康弘氏が首相に就任した後に行政改革や国鉄分割民営化などが進められています。中曽根氏は、2003年まで86歳という最高齢まで議員を勤められています。
この「行政コストの削減」という課題は、財政再建が叫ばれている現在の日本に強く共通します。
グローバリズムにおける新自由主義と小泉首相
小泉純一郎氏は、横浜権横須賀市に1942に生まれです。慶応技術大学卒業後、福田赳夫氏の書生を経て1972年に衆議院議員として初当選し、以降は連続当選しています。小泉氏は、総理大臣就任までに三期厚生大臣を勤め、郵政大臣も勤めています。その後、小泉氏は2001年4月に総理大臣に就任しますが、1980日という在任期間は歴代3位であり、就任当初の86.4%という支持率は歴代最高となります。個人的には現在の選挙制度でこの支持率は超えられないのではないかと思っています。
このとき、世界はグローバリズムへと強く舵を切っていました。小泉首相の政治スタンスも新自由主義と呼ばれる自由主義経済を志向するもので、世界全体が同一の方向へと向かい、強い競争が行われることになります。
このときのグローバル化は、このような現象それ自体が人類始めての動きのようなもので、世界的に大きな変化が様々な分野で生じました。そのときの動きを大きく表した書籍として、トマス・フリードマンの「フラット化する世界」が挙げられます。この書籍によると、グローバリズムとは国境を越えて資本の流動が可塑的に行われる現象で、社会にも大きな変化をもたらします。例えば、このように財の流通が頻繁に行われることによって、国境の概念が希薄化します。また、そのために、国家が経済に果たす役割も小さくなります。したがって、この時代はもっとも国家という概念が小さいものとして国境がボーダレスになった時代といえます。
この書籍は、グローバル化を非常に理論的に表現した書籍として世界的に販売され、ニューヨークタイムズ紙でベストセラーとなりました。このグローバリズムと新自由主義は世界的な傾向であり、前にも申し上げましたが、これに遅れることは国際競争に負けることでもありました。言ってみれば、この流れは世界的なものであり、歴史の必然であったといえると思います。
このように、簡単に自由主義経済とは何かを追ってきましたが、現在の日本でも先進諸国としては群を抜いた赤字国債発行額となっており、財政再建が急務といわれています。そのためには、経済成長を前提とした財政再建計画が必要であり、そのためには経済の自由主義的な考え方が必須となります。前述しました社会基盤の回復と同時に、このような経済の発展を考慮してバランスをとることが、日本の未来にとって重要ではないでしょうか。
ロナルド・レーガン大統領主演の映画「勝利への潜航」
レーガン大統領が元映画俳優だと聞いて、検索してみたらいとも簡単にこのようなDVDが表示される時代が来たものです。前々から気になっていたのと安価なので思わず筆者も購入しています。それにしても、アメリカは映画俳優を大統領にしてしまうというなんというアメリカンドリームに満ちた国なのでしょうか。その大統領が歴代大統領としても小さな国家を目指して相当な業績をあげた大統領と愛されている訳で、アメリカの恰幅の良さが表れているDVDでしょう。
池田信夫氏による新自由主義の巨匠、ハイエクの入門書
マーガレット・サッチャーはじめ新自由主義の政治家の理論的支柱となっているハイエク。池田信夫氏のこの書籍は経済学入門として非常に読みやすかったのを覚えています。ケインズ主義が隆盛している中で、ハイエクが孤独に自由主義経済の理論を貫いて現代に認められる過程がわかりやすく記載されています。現在でもわかりやすい色褪せない入門書です。
(以上、2010/12/12追記分)
-最終更新日:2010年12月12日(日)-
下記は2010年7月に旧ブログに掲載した記事です。端的に申し上げると、この問題を考えるにあたって原因となる思潮を考察した際、新自由主義について再考したものです。読者の皆さんもこの考え方について歴史的にもう一度お考えになっていただけたら幸いです。
【グローバリズムの起爆剤となった「フラット化する世界」】
フラット化する世界 [増補改訂版] (上) (2008/01/19) トーマス フリードマン 商品詳細を見る |
フラット化する世界 [増補改訂版] (下) (2008/01/19) トーマス フリードマン 商品詳細を見る |
サッチャー政権における自由主義政策と小さな国家の成功
マーガレット・サッチャー氏は1925年、リンカンシャー州グランサムに生まれました。実家が質素倹約や自己責任・自助努力を旨とする風潮であり、その精神がサッチャー氏に受け継がれたといわれています。また、強い精神力で「鉄の女」と呼ばれ、サッチャー氏の代名詞となりました。
サッチャー氏は1979年に首相に就任し、財政再建が必要といわれたイギリスにおいて、小さな政府と自由主義経済政策で建て直しを図りました。そのときの主な政策として、電話会社・ガス会社など各種国有企業の民営化や規制緩和、法人税の引き下げなどが挙げられます。
この政治スタイルはサッチャリズムと呼ばれ、他の国で財政再建が必要な状態になったときに、行政コストを削減して国家を建てなおす手法として模倣されることになります。1980年に米大統領に就任したロナルド・レーガン氏や、1984年にカナダ大統領に就任したカナダのマルルーニー首相などがこれに続くことになります。日本においても、1982年に中曽根康弘氏が首相に就任した後に行政改革や国鉄分割民営化などが進められています。中曽根氏は、2003年まで86歳という最高齢まで議員を勤められています。
この「行政コストの削減」という課題は、財政再建が叫ばれている現在の日本に強く共通します。
グローバリズムにおける新自由主義と小泉首相
小泉純一郎氏は、横浜権横須賀市に1942に生まれです。慶応技術大学卒業後、福田赳夫氏の書生を経て1972年に衆議院議員として初当選し、以降は連続当選しています。小泉氏は、総理大臣就任までに三期厚生大臣を勤め、郵政大臣も勤めています。その後、小泉氏は2001年4月に総理大臣に就任しますが、1980日という在任期間は歴代3位であり、就任当初の86.4%という支持率は歴代最高となります。個人的には現在の選挙制度でこの支持率は超えられないのではないかと思っています。
このとき、世界はグローバリズムへと強く舵を切っていました。小泉首相の政治スタンスも新自由主義と呼ばれる自由主義経済を志向するもので、世界全体が同一の方向へと向かい、強い競争が行われることになります。
このときのグローバル化は、このような現象それ自体が人類始めての動きのようなもので、世界的に大きな変化が様々な分野で生じました。そのときの動きを大きく表した書籍として、トマス・フリードマンの「フラット化する世界」が挙げられます。この書籍によると、グローバリズムとは国境を越えて資本の流動が可塑的に行われる現象で、社会にも大きな変化をもたらします。例えば、このように財の流通が頻繁に行われることによって、国境の概念が希薄化します。また、そのために、国家が経済に果たす役割も小さくなります。したがって、この時代はもっとも国家という概念が小さいものとして国境がボーダレスになった時代といえます。
この書籍は、グローバル化を非常に理論的に表現した書籍として世界的に販売され、ニューヨークタイムズ紙でベストセラーとなりました。このグローバリズムと新自由主義は世界的な傾向であり、前にも申し上げましたが、これに遅れることは国際競争に負けることでもありました。言ってみれば、この流れは世界的なものであり、歴史の必然であったといえると思います。
このように、簡単に自由主義経済とは何かを追ってきましたが、現在の日本でも先進諸国としては群を抜いた赤字国債発行額となっており、財政再建が急務といわれています。そのためには、経済成長を前提とした財政再建計画が必要であり、そのためには経済の自由主義的な考え方が必須となります。前述しました社会基盤の回復と同時に、このような経済の発展を考慮してバランスをとることが、日本の未来にとって重要ではないでしょうか。
ロナルド・レーガン大統領主演の映画「勝利への潜航」
勝利への潜航 [DVD] (2010/07/28) ナンシー・デイヴィス、ロナルド・レーガン 他 商品詳細を見る |
レーガン大統領が元映画俳優だと聞いて、検索してみたらいとも簡単にこのようなDVDが表示される時代が来たものです。前々から気になっていたのと安価なので思わず筆者も購入しています。それにしても、アメリカは映画俳優を大統領にしてしまうというなんというアメリカンドリームに満ちた国なのでしょうか。その大統領が歴代大統領としても小さな国家を目指して相当な業績をあげた大統領と愛されている訳で、アメリカの恰幅の良さが表れているDVDでしょう。
池田信夫氏による新自由主義の巨匠、ハイエクの入門書
ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書) (2008/08/19) 池田 信夫 商品詳細を見る |
マーガレット・サッチャーはじめ新自由主義の政治家の理論的支柱となっているハイエク。池田信夫氏のこの書籍は経済学入門として非常に読みやすかったのを覚えています。ケインズ主義が隆盛している中で、ハイエクが孤独に自由主義経済の理論を貫いて現代に認められる過程がわかりやすく記載されています。現在でもわかりやすい色褪せない入門書です。
(以上、2010/12/12追記分)