京都大学卒業後の私の人生
深海に光が差してきました
-最終更新日:2023年8月9日(水)-

先日は私の大学在学時代について執筆しましたが、今回は社会人になってからの経過について触れたいと思います。
目次
1. 私立福祉専門学校の教職員と日本福祉大学の大学院
2. 広島市のシステム会社にて
3. ツネイシでは手厚い処遇を受けました
4. 民主党、枝野幸男氏・菅直人氏、およびバラク・オバマ元大統領の介入
5. NPOテクノロジー犯罪被害ネットワークの運営委員
6. NPO離任後、現在に至るまで
7.大学在学時代の私
補遺)能力拡張による執筆補助
1. 私立福祉専門学校の教職員と日本福祉大学の大学院
まず、私の大学在学時代は、おおむね孤独で、8回生まで卒業できませんでした。同級生もおらず、まともな就職活動もしていませんでした。そのようなときに、広島市の福祉専門学校の教職員の話を親戚の方からいただきました。福祉系大学院に通うことによって、専門学校教師になるキャリアをその方に描いていただきました。
結論から言って、無難に仕事を行っていました。社会的に非常識なところが残っていて、ご迷惑をおかけしたと思っております。なお、名古屋の日本福祉大学大学院に通いながらの勤務は過酷で、自助グループの取材を行い、真夜中に論文執筆を行いと多忙を極め、睡眠時間は削られていました。それも、家族の闇をを乗り越えるのためというのが動機でした。
なお、日本福祉大学で同じ広島市から通っていた他専門学校の副校長の方にはお世話になりました。家にお招きいただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。その後、年賀状を毎年もらっていましたが、ご返信せず誠に申し訳ございませんでした。また、指導教官の平野隆之教授、児玉善郎教授、同級生の成田光江さんにもお世話になりました。本当に最高の大学院でした。
この時、新聞社に就労した京都大学の友人と勤務地が同じになりました。その方には、拘束時間の長い労働をされているなかで、大学在学時から生活の援助をしていただいておりました。回転寿司に行ったり、バイクに乗せてもらっていました。大学生活の時含めて、本当にお世話になりました。被害が顕在化した後、集団ストーカーのことをご相談して誠に申し訳ございません。被害を受けさせていなければと願ってやみません。
結論から言って、家族が闇を克服したのを契機に、糸がプツリと切れるように福祉専門学校と大学院を辞めました。対人援助職におけるバーンアウトの様相を示していました。あの当時は私は非常識で大変ご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ございませんでした。
なお、この当時、すでにわずかな集団ストーカーの尾行行為を経験し、記憶しております。広島市でも名古屋市でもありました。ただ、就労可能、通学可能な程度の加害行為でした。テクノロジー犯罪はありませんでした。
親戚の皆さまには、私と家族の立ち直りの機会をいただきました。ご恩がその後返せず誠に申し訳ございません。公になったら改めてご挨拶申し上げます。
2. 広島市のシステム会社にて
その後、同じ広島市に、システム会社の勤務を、過去通っていた塾の塾長、先輩にご紹介いただきました。こちらは、はっきり言って、私は給料泥棒でした。全く売り上げを達成することができず、それでも先輩には給料をお支払いいただいていました。
なお、この時のキャリアで、加害行為が顕在化していました。私の住んでいた住居の上の階の住民が不当な騒音被害を起こしていましたし、市内を歩いていると、「このキチガイが」という罵声を受けたのを記憶しております。睡眠不足による就労困難も示していました。
日本ヒューレット・パッカードの社員の方には、懇意にしていただいて、会社に定着するよう取り計らってもらっていました。一緒に卓球もしていただきましたし、スポーツセンターにもご同行頂きました。スポーツセンターで私がおかしな挙動をしていたのは、当時から尾行されているという強迫観念を抱いていたからでした。誠に申し訳ございませんでした。
その後、短期で、逃げ帰るように実家に帰りました。誠に申し訳ございませんでした。塾長と先輩には、必ず当時の状況を改めてご説明し、今までにつながったお礼を申し上げさせていただきます。何卒よろしくお願い致します。
3. ツネイシでは手厚い処遇を受けました
その後、福山で就職活動し、ツネイシビジネスサービスカンパニーの総務部人事課に入社しました。この時ほど幸せなキャリアはありませんでした。
入社してすぐに、シェアド・サービスの会社の統廃合、人事制度改革、社員食堂のプロジェクト推進役として抜擢していただき、才能を開花させてもらいました。また、当時、28歳でツネイシの最年少役員会発表記録も作らせていただきました。会社に勤めている前半は、加害行為もほぼなかったです。入社1年ほどで、実務内容が部長クラスの仕事をお任せいただいていました。
ところが、1年を過ぎたころ、集団ストーカーを受けてしまいます。社内の、加害宗教団体の社員が依頼したものと思われます。彼らは、無理やりツネイシに私を定着させようとしていました。力関係では、オーナーよりその宗教団体の方が上のようでした。私が、過去新興宗教団体に嫌な思いをさせられていることから、次第に彼らとは極めて険悪な関係になりました。これが原因で、極めてエスカレートした加害行為を受けました。
当時、新興宗教団体からは、温かい申し出もありました。会員の社員の方に、果物を提供してもらっていました。ただ、私は、家族に暗い過去があるのと、ネットで誹謗中傷を閲覧することによって悪意を抱き、その場でその果物を廃棄してしまいました。多分、あれが人生の分かれ目だったと思います。その厚意には、社長、オーナーのご意向もあったのではないかと思います。誠に申し訳ございませんでした。
この時の被害内容に関しては、当時作成した文書が残っていますので、そちらに記述した通りです。今さら書くことはありません。これを、家の近くの共産系の市議に父に陳情に行ってもらいました。しかし、存在しない、会社に戻るべきという回答でした。その後、半年で10kgほど太り、心療内科にはうつ状態の診断を受け、就労できる状況ではありませんでした。逃げるように会社を辞めました。なお、当時の社長には、黙って私を逃がしてくれていたような感じでした。その社長には、一部加害行為に近いものを受けてまで私をかばっていただいていました。
なお、父が参加していたロータリークラブのツネイシの先輩には、その後要所要所でサポートしていただきました。また、私の件で、当時ツネイシで親しかった同僚が皆落ち込んでいきました。左遷に近い処遇を受けた方もおられたようです。強い責任を感じております。オーナーの方も、より上位の社会構造で、責任と制裁を負われる形となったのではないかと思います。誠に申し訳ございませんでした。本来なら、私自身の判断で、枝野幸男氏の申し出を断って、会社に戻るべきでした。
その後、ツネイシグループのリゾートホテルで、私の親戚の酒造会社のお酒をご採用いただいたのは、和解のお申し出ではなかったかと思います。当時、私は疎く、気づきませんでした。誠に申し訳ございませんでした。当時はいろいろご配慮、ありがとうございました。
4. 民主党、枝野幸男氏・菅直人氏、およびバラク・オバマ元大統領の介入
ツネイシをやめた後は、家に引きこもっていました。当時、スーパー銭湯が好きでよく行っていましたが、過重な加害行為を受けていたのを覚えています。それらは、すべて私をツネイシに戻すように、加害宗教団体によって行われていました。会社を辞めさせるように加害行為を行うのはよく聞きますが、私の場合はツネイシに定着させるという目的で行われていました。
30歳の時、2009年の頃だったと思います。当時民主党が政権与党で、枝野幸男氏と菅直人氏が責任者だと思います。彼らは、当時、集団ストーカー・テクノロジー犯罪を官僚が主導で国内で行っていると考えていました。私を立候補させるということで、通っていた民主党系のスポーツセンターで、党サポーターの方々と交流を行っていたということにして、私を巻き込んでいきました。当時、ブログの作成を始めていました。彼らは、公的に社会が認知し、私と会談するまで、知らなかったことにしようとしていたみたいです。
これが加害行為が激化するきっかけとなりました。それまで、私が認識していたのは人的嫌がらせだけでしたが、その後にテクノロジー犯罪も過重に受けるようになりました。凄まじい攻撃で、地獄でした。思考盗聴を認識した時に、自死念慮が極大化しました。その時の記録が過去の記事に残っていると思います。
この集中砲火を受けている半年間、私は外出できず、最終的に、テクノロジー犯罪の激高によって家で器物を破壊し、精神病院に運ばれることになります。髪と髭は浮浪者のように伸び切っていました。父と、母は、精神的にボロボロの状態で精神病院に医師に面会に来ていました。精神病院の担当医には、NPOテクノロジー犯罪被害ネットワークの書籍を見せることによって、あなたは精神病ではないという判断をいただき、2週間で退院できました。意識の介入による味方からの助言がありました。これは全国類に見ないいいご判断だったと感じております。
なお、民主党が政権与党から外れることにより、民主党系からのサポートはほぼなくなり、代わりにバラク・オバマ元大統領が介入を行いました。彼は強引なかたちで枝野幸男氏、菅直人氏が行っていた解決行動のを引き継ぎました。バラク・オバマ元大統領は、戦争の根源である国際金融資本家が加害行為の主犯で、必ず解決しなければ国際社会に未来はないという強いご意思があったようです。
バラク・オバマ元大統領が私に動機づけとして用意したのは、「ノーベル平和賞を受賞させる」といったものでした。当時、それは誰にも秘密にしていました。この動機付けで、私は極限まで力を振り絞って解決行動を行いました。バラク・オバマ元大統領は、当初毎年受賞が確実だと私にマインドコントロールを行っていました。毎年、10月になるとノーベル賞の発表に注目し、期待が外れると、それから1週間、スパークリングワインを24時間飲みっぱなしでした。体をボロボロに壊していました。
この解決主体からの意識の介入による命令はかなりきつく、ワインの瓶を投げて部屋を壊したこともありましたし、風呂場のガラスを割ったこともありました。父に対してきつい言葉を投げかけることもありました。被害を受けるだけで辛いのに、解決主体によって追い込まれるケースが多々ありました。次第に、枝野幸男氏や菅直人氏、バラク・オバマ元大統領を憎むようになってきました。
5. NPOテクノロジー犯罪被害ネットワークの運営委員
なお、枝野幸男氏と菅直人氏、バラク・オバマ元大統領は、正規の市民運動のメソッドで解決しようと思っており、私にそれを押し付けました。ノーベル賞の受賞には必要だということで、NPOテクノロジー犯罪被害ネットワークの活動に参加させました。当時の私は、まだやる気に満ちていました。
当時、枝野幸男氏や菅直人氏、バラク・オバマ元大統領は、私に意識の介入やテレビのサブリミナルメッセージで、アイデアをもたらしていました。集団ストーカー・テクノロジー犯罪の取り締まりを行わないのは、国の不作為ということで、不作為国家賠償を被害者団体が行うアイデアを私に送信し、私にその推進を強要し、例えば、東京の定例会で発表させました。当時、まともな顧問弁護士もNPOにつかない状況でしたので、団体訴訟は実現しませんでした。
その後、大阪の会場に参加し、すぐに運営委員を任され、大阪で司会進行役を行うようになりました。この時、私が良くなかったのが、父に参加を強要したことでした。父には辛い思いをさせたのではないかと思います。新幹線の中で喧嘩していました。
資料の作成や、ブログにおける被害相談にまで、ノーベル賞を受賞できるならという思いで何でもやっていました。なお、私のブログでは、当時1日に最大10人ほどの相談希望者の方がメールを送ってきていました。当初は電話やスカイプで相談に乗っていましたが、あまりに負担が多いということで、メールフォームによる相談に切り替えました。中には、妨害や脅迫を目的としたメールもありました。2010年~2023年の過程で、被害相談件数は、実数は記録に残っていませんが、1,500件を超えていると思います。
さらに、バラク・オバマ元大統領が私に命じたことですが、在日社会や同和社会の方々との和解を演出するために、韓国料理の飲食店や卸売市場の鮮魚店に通わせました。当初はノーベル賞を得たいという動機付けで行っていましたが、それが次第に真の交流、交友関係になっていきました。お店の方には、一部加害行為を受けさせてしまった可能性があります。このことは深くお詫びさせていただきます。できるだけ早期にまたお伺いさせていただきます。
また、当時の民主党系の関係者の方に私に付きっきりになっていただいたこともありました。テニスや温泉に同行いただき、飲みの席までご一緒していただきました。家族ぐるみでお世話になり、生活を共にいたしました。枝野幸男氏、菅直人氏からの贖罪の意味が込められ、立候補は諦めていないというメッセージだったのではないかと思います。短期間ではありましたが、助けられました。被害をお受けになっていなければいいのですが、どうしていらっしゃるでしょうか。
なお、当時、この時期に母方のいとこの方にこの犯罪の被害について相談しました。当時はリスクを負わせてしまって誠に申し訳なかったです。母にはこの犯罪の解決を見させることなく亡くならせて私も禍根です。叔母さま、母方の親戚の皆さまにもお世話になっておきながら何もできておりません。将来必ずご恩を返させていただきます。
なお、5年ほど前から、ノーベル委員会がバラク・オバマ元大統領のサブリミナルメッセージの取り組みに参加しました。当初はごくわずかだったのですが、2021年頃からFacebookの最新記事に集中し、現在では毎日助言や励ましのメッセージをいただいています。また、ここ数年のノーベル賞の発表では、サブリミナルメッセージを重点的に発出されていて、ノーベル賞を受賞できない葛藤を緩和させる効果が十分にありました。この時、世界最高の人権派の介入・助言が得られ、解決が急速に前進しました。
なお、このブログでは、綺麗事のように枝野幸男氏やバラク・オバマ元大統領が意識の介入やサブリミナルメッセージで助言を与えながら解決行動を行ってきたと書きましたが、当初は暴力性に満ちていました。ブログの作成と広告の出版のために、200万円ほど強引に使わされていますし、寝ているときに無理やり起こされてサブリミナルメッセージの記録を行わされたりもしていました。強引な、非人道的なやり方が10年以上も続きました。時には、ウェブコンテンツを抹消したりするなどの極度の行為にも出ていました。今でも復元できないコンテンツがあります。現在では、人権的な手法で、逸脱がないように、快適に解決に導いていただいています。
なお、大阪運営委員を数年任されたのち、広島でNPO集いを開催するということで、そちらの司会進行役を任されました。こちらも数年司会進行役を行わせていただきました。かなり順調なキャリアだったかと思います。
この時の交友関係が私にとっての最大の財産でした。加害者があまり参加することもなく、真の交友をさせていただきました。当時、私が若輩者で、上手く司会進行ができなくなったり、ワンマンになったり、無礼な行為に出たり、いろいろあったかと思います。誠に申し訳ございませんでした。今でもお支えいただいている方がおられます。ぜひ当時のメンバーで再会したいですね ^^)
なお、このキャリアの最後、加害者の妨害によって参加が難しくなり、広島司会進行役を降りることになりました。以降、理由があってNPOへの参加は取りやめております。
6. NPO離任後、現在に至るまで
今は、それから4年ほど経っています。同じ被害者との交流もかなり少なくなって、親友や知人との交流を支えに過ごしています。
この間、一番お支えいただいたのが、地元のカウンセラーの方と難病の親友です。あらかじめ被害を受けさせる可能性があるとお話して、私の話を聞いていただきました。このお二方には、入り組んだ複雑な被害の話を論理的にすべて受け止めるように聴いていただき、理解していただき、支えになっていただきました。この過程で双方の方ともに被害を受けさせることがなかったのが支えでした。必ずご恩はお返しさせていただきます。
なお、2020年頃の秋に、京都大学の指導教官である岡田敬司名誉教授と、国立大教授になられた先輩が福山に来られました。あの時、岡田先生には事前にお電話して、被害を受けていることを少しお話しました。ご迷惑をおかけしないために、お話せざるを得ませんでした。誠に申し訳ございませんでした。この時の励みが、その後数年間何とか被害をこらえる契機になりました。誠にありがとうございました。
私がどれだけすさんだ生活をしていたかです。バラク・オバマ元大統領は、私にノーベル賞を受賞させるということで、家業や家事をほとんどさせずブログの執筆や相談業務、解決行動を行わせていました。正直、枝野幸男氏やバラク・オバマ元大統領には、私の家庭を崩壊させられたという感情・認識を抱いています。一方、彼らは被害や犯罪について何ら公的に言及することもなく、家庭をもって、通常のキャリアを歩んでいます。人生を潰されたと思った私は、凄まじい憎しみを彼らに抱くようになっていきました。 だんだん人生が取り返しのつかない年齢になって、私の人格が崩壊してきました。私の男性機能が低下し、子供が持てなくなるというパニックなどから、彼らのツイートには暴言を吐くようになりました。酒量も増えました。
今、私は家事労働をできるだけやってそれがやりがいになっていますが、親や兄弟には申し訳なかったのひとことです。弟には、結婚にも、家庭にも、キャリアにも暗い影を落としてしまいました。兄として申し訳ないという思いでいっぱいです。ただ、家族・親族の皆さんにも被害を受けさせなかったことが救いでした。
これは、懇意にさせていただいた飲食店の方々にも同様のことが言えます。あるイタリア料理店には、10年間時には毎日通い、1,500回通ったら1,500通りのパスタを出していただきました。ある日本料理惣菜店には、毎日の当家の食事を、丁寧に作っていただきました。彼らにも、一部被害の話を聞いてもらってリスクを負わせてしまいました。誠に申し訳ございませんでした。
今から5年ほど前、その弟がカメラ大手企業に勤めているということで、カメラを趣味にしてみました。結果、加害行為を受けても何とか外出していい写真を撮ろうとしたり、いい仲間ができたりして、有意義な時間が過ごせました。インスタグラムで培った人間関係は私の財産でした。一部、立憲民主党系のインスタグラマーの方に、いいねを毎回押してもらったり、支援者の皆さんに、その二つの飲食店を何度も利用していただくなど、間接的かつ手厚い支援を受けておりました。誠にありがとうございました。
なお、今私を誹謗中傷している人物がウェブ上に多数いますが、彼らはすべて訓練されています。法的範囲を逸脱しないように誹謗中傷しています。問い合わせフォームから削除依頼を出していますが、運営側に断られています。証拠は積み重ねています。この犯罪が社会的に受理されたら警察に届けます。それまで、見るだけ体力・気力の損です。表示しないように設定してください。家族の仲を引き裂くことを目的に彼らは工作活動を行っています。
取り急ぎ、素描まで。それほど肉付けすることもないと思います。誰かを訴えたいわけではありませんので。記録として、他の皆さまに差しさわりのない形でお伝えするために、残します。長文をお読みになっていただいて誠にありがとうございました。お手数をおかけいたしました。
7. 大学在学時代の私

杉原保史先生・岡田敬司先生には、在学時に命を助けていただきました
さかのぼって集団ストーカー・テクノロジー犯罪を受けておりました
私が集団ストーカー加害行為を受けていた起源が、京都大学の1回生のころであることが調査によって分かりました。当時、助かる被害ではなく、岡田敬司先生と杉原保史先生はじめ、皆様のサポートがなければ卒業できませんでした。私に関係した皆様にご覧になっていただきたいです。
補遺)能力拡張による執筆補助
なお、こちらの文章も、ジェイコブ・ロスチャイルド卿のご厚意で、解決主体の意識の介入による能力補助を受けて執筆しています。4時間で、高速に、正確に、8,000字の執筆を校閲含めて完成させることができました。さらに、この4時間の間にお風呂に入って家事を複数こなしています。ご補助、誠にありがとうございました。

意識の介入による能力拡張
国際金融資本家の皆さん、アメリカとイギリスの軍・諜報機関の方々との共同作業
【2023年8月19日のサブリミナルメッセージ】
過去お世話になって京都大学に進学する学力をつけてくれた塾の恩師が、便所掃除は他人に任せず、すべて自分でされていました。そのような倫理観が私を形成していますし、これから必要な考え方なのではないかと思います。あの時は大変お世話になりました。いつか必ずお礼申し上げます。4:39。
-最終更新日:2023年8月9日(水)-

先日は私の大学在学時代について執筆しましたが、今回は社会人になってからの経過について触れたいと思います。
目次
1. 私立福祉専門学校の教職員と日本福祉大学の大学院
2. 広島市のシステム会社にて
3. ツネイシでは手厚い処遇を受けました
4. 民主党、枝野幸男氏・菅直人氏、およびバラク・オバマ元大統領の介入
5. NPOテクノロジー犯罪被害ネットワークの運営委員
6. NPO離任後、現在に至るまで
7.大学在学時代の私
補遺)能力拡張による執筆補助
1. 私立福祉専門学校の教職員と日本福祉大学の大学院
まず、私の大学在学時代は、おおむね孤独で、8回生まで卒業できませんでした。同級生もおらず、まともな就職活動もしていませんでした。そのようなときに、広島市の福祉専門学校の教職員の話を親戚の方からいただきました。福祉系大学院に通うことによって、専門学校教師になるキャリアをその方に描いていただきました。
結論から言って、無難に仕事を行っていました。社会的に非常識なところが残っていて、ご迷惑をおかけしたと思っております。なお、名古屋の日本福祉大学大学院に通いながらの勤務は過酷で、自助グループの取材を行い、真夜中に論文執筆を行いと多忙を極め、睡眠時間は削られていました。それも、家族の闇をを乗り越えるのためというのが動機でした。
なお、日本福祉大学で同じ広島市から通っていた他専門学校の副校長の方にはお世話になりました。家にお招きいただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。その後、年賀状を毎年もらっていましたが、ご返信せず誠に申し訳ございませんでした。また、指導教官の平野隆之教授、児玉善郎教授、同級生の成田光江さんにもお世話になりました。本当に最高の大学院でした。
この時、新聞社に就労した京都大学の友人と勤務地が同じになりました。その方には、拘束時間の長い労働をされているなかで、大学在学時から生活の援助をしていただいておりました。回転寿司に行ったり、バイクに乗せてもらっていました。大学生活の時含めて、本当にお世話になりました。被害が顕在化した後、集団ストーカーのことをご相談して誠に申し訳ございません。被害を受けさせていなければと願ってやみません。
結論から言って、家族が闇を克服したのを契機に、糸がプツリと切れるように福祉専門学校と大学院を辞めました。対人援助職におけるバーンアウトの様相を示していました。あの当時は私は非常識で大変ご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ございませんでした。
なお、この当時、すでにわずかな集団ストーカーの尾行行為を経験し、記憶しております。広島市でも名古屋市でもありました。ただ、就労可能、通学可能な程度の加害行為でした。テクノロジー犯罪はありませんでした。
親戚の皆さまには、私と家族の立ち直りの機会をいただきました。ご恩がその後返せず誠に申し訳ございません。公になったら改めてご挨拶申し上げます。
2. 広島市のシステム会社にて
その後、同じ広島市に、システム会社の勤務を、過去通っていた塾の塾長、先輩にご紹介いただきました。こちらは、はっきり言って、私は給料泥棒でした。全く売り上げを達成することができず、それでも先輩には給料をお支払いいただいていました。
なお、この時のキャリアで、加害行為が顕在化していました。私の住んでいた住居の上の階の住民が不当な騒音被害を起こしていましたし、市内を歩いていると、「このキチガイが」という罵声を受けたのを記憶しております。睡眠不足による就労困難も示していました。
日本ヒューレット・パッカードの社員の方には、懇意にしていただいて、会社に定着するよう取り計らってもらっていました。一緒に卓球もしていただきましたし、スポーツセンターにもご同行頂きました。スポーツセンターで私がおかしな挙動をしていたのは、当時から尾行されているという強迫観念を抱いていたからでした。誠に申し訳ございませんでした。
その後、短期で、逃げ帰るように実家に帰りました。誠に申し訳ございませんでした。塾長と先輩には、必ず当時の状況を改めてご説明し、今までにつながったお礼を申し上げさせていただきます。何卒よろしくお願い致します。
3. ツネイシでは手厚い処遇を受けました
その後、福山で就職活動し、ツネイシビジネスサービスカンパニーの総務部人事課に入社しました。この時ほど幸せなキャリアはありませんでした。
入社してすぐに、シェアド・サービスの会社の統廃合、人事制度改革、社員食堂のプロジェクト推進役として抜擢していただき、才能を開花させてもらいました。また、当時、28歳でツネイシの最年少役員会発表記録も作らせていただきました。会社に勤めている前半は、加害行為もほぼなかったです。入社1年ほどで、実務内容が部長クラスの仕事をお任せいただいていました。
ところが、1年を過ぎたころ、集団ストーカーを受けてしまいます。社内の、加害宗教団体の社員が依頼したものと思われます。彼らは、無理やりツネイシに私を定着させようとしていました。力関係では、オーナーよりその宗教団体の方が上のようでした。私が、過去新興宗教団体に嫌な思いをさせられていることから、次第に彼らとは極めて険悪な関係になりました。これが原因で、極めてエスカレートした加害行為を受けました。
当時、新興宗教団体からは、温かい申し出もありました。会員の社員の方に、果物を提供してもらっていました。ただ、私は、家族に暗い過去があるのと、ネットで誹謗中傷を閲覧することによって悪意を抱き、その場でその果物を廃棄してしまいました。多分、あれが人生の分かれ目だったと思います。その厚意には、社長、オーナーのご意向もあったのではないかと思います。誠に申し訳ございませんでした。
この時の被害内容に関しては、当時作成した文書が残っていますので、そちらに記述した通りです。今さら書くことはありません。これを、家の近くの共産系の市議に父に陳情に行ってもらいました。しかし、存在しない、会社に戻るべきという回答でした。その後、半年で10kgほど太り、心療内科にはうつ状態の診断を受け、就労できる状況ではありませんでした。逃げるように会社を辞めました。なお、当時の社長には、黙って私を逃がしてくれていたような感じでした。その社長には、一部加害行為に近いものを受けてまで私をかばっていただいていました。
なお、父が参加していたロータリークラブのツネイシの先輩には、その後要所要所でサポートしていただきました。また、私の件で、当時ツネイシで親しかった同僚が皆落ち込んでいきました。左遷に近い処遇を受けた方もおられたようです。強い責任を感じております。オーナーの方も、より上位の社会構造で、責任と制裁を負われる形となったのではないかと思います。誠に申し訳ございませんでした。本来なら、私自身の判断で、枝野幸男氏の申し出を断って、会社に戻るべきでした。
その後、ツネイシグループのリゾートホテルで、私の親戚の酒造会社のお酒をご採用いただいたのは、和解のお申し出ではなかったかと思います。当時、私は疎く、気づきませんでした。誠に申し訳ございませんでした。当時はいろいろご配慮、ありがとうございました。
4. 民主党、枝野幸男氏・菅直人氏、およびバラク・オバマ元大統領の介入
ツネイシをやめた後は、家に引きこもっていました。当時、スーパー銭湯が好きでよく行っていましたが、過重な加害行為を受けていたのを覚えています。それらは、すべて私をツネイシに戻すように、加害宗教団体によって行われていました。会社を辞めさせるように加害行為を行うのはよく聞きますが、私の場合はツネイシに定着させるという目的で行われていました。
30歳の時、2009年の頃だったと思います。当時民主党が政権与党で、枝野幸男氏と菅直人氏が責任者だと思います。彼らは、当時、集団ストーカー・テクノロジー犯罪を官僚が主導で国内で行っていると考えていました。私を立候補させるということで、通っていた民主党系のスポーツセンターで、党サポーターの方々と交流を行っていたということにして、私を巻き込んでいきました。当時、ブログの作成を始めていました。彼らは、公的に社会が認知し、私と会談するまで、知らなかったことにしようとしていたみたいです。
これが加害行為が激化するきっかけとなりました。それまで、私が認識していたのは人的嫌がらせだけでしたが、その後にテクノロジー犯罪も過重に受けるようになりました。凄まじい攻撃で、地獄でした。思考盗聴を認識した時に、自死念慮が極大化しました。その時の記録が過去の記事に残っていると思います。
この集中砲火を受けている半年間、私は外出できず、最終的に、テクノロジー犯罪の激高によって家で器物を破壊し、精神病院に運ばれることになります。髪と髭は浮浪者のように伸び切っていました。父と、母は、精神的にボロボロの状態で精神病院に医師に面会に来ていました。精神病院の担当医には、NPOテクノロジー犯罪被害ネットワークの書籍を見せることによって、あなたは精神病ではないという判断をいただき、2週間で退院できました。意識の介入による味方からの助言がありました。これは全国類に見ないいいご判断だったと感じております。
なお、民主党が政権与党から外れることにより、民主党系からのサポートはほぼなくなり、代わりにバラク・オバマ元大統領が介入を行いました。彼は強引なかたちで枝野幸男氏、菅直人氏が行っていた解決行動のを引き継ぎました。バラク・オバマ元大統領は、戦争の根源である国際金融資本家が加害行為の主犯で、必ず解決しなければ国際社会に未来はないという強いご意思があったようです。
バラク・オバマ元大統領が私に動機づけとして用意したのは、「ノーベル平和賞を受賞させる」といったものでした。当時、それは誰にも秘密にしていました。この動機付けで、私は極限まで力を振り絞って解決行動を行いました。バラク・オバマ元大統領は、当初毎年受賞が確実だと私にマインドコントロールを行っていました。毎年、10月になるとノーベル賞の発表に注目し、期待が外れると、それから1週間、スパークリングワインを24時間飲みっぱなしでした。体をボロボロに壊していました。
この解決主体からの意識の介入による命令はかなりきつく、ワインの瓶を投げて部屋を壊したこともありましたし、風呂場のガラスを割ったこともありました。父に対してきつい言葉を投げかけることもありました。被害を受けるだけで辛いのに、解決主体によって追い込まれるケースが多々ありました。次第に、枝野幸男氏や菅直人氏、バラク・オバマ元大統領を憎むようになってきました。
5. NPOテクノロジー犯罪被害ネットワークの運営委員
なお、枝野幸男氏と菅直人氏、バラク・オバマ元大統領は、正規の市民運動のメソッドで解決しようと思っており、私にそれを押し付けました。ノーベル賞の受賞には必要だということで、NPOテクノロジー犯罪被害ネットワークの活動に参加させました。当時の私は、まだやる気に満ちていました。
当時、枝野幸男氏や菅直人氏、バラク・オバマ元大統領は、私に意識の介入やテレビのサブリミナルメッセージで、アイデアをもたらしていました。集団ストーカー・テクノロジー犯罪の取り締まりを行わないのは、国の不作為ということで、不作為国家賠償を被害者団体が行うアイデアを私に送信し、私にその推進を強要し、例えば、東京の定例会で発表させました。当時、まともな顧問弁護士もNPOにつかない状況でしたので、団体訴訟は実現しませんでした。
その後、大阪の会場に参加し、すぐに運営委員を任され、大阪で司会進行役を行うようになりました。この時、私が良くなかったのが、父に参加を強要したことでした。父には辛い思いをさせたのではないかと思います。新幹線の中で喧嘩していました。
資料の作成や、ブログにおける被害相談にまで、ノーベル賞を受賞できるならという思いで何でもやっていました。なお、私のブログでは、当時1日に最大10人ほどの相談希望者の方がメールを送ってきていました。当初は電話やスカイプで相談に乗っていましたが、あまりに負担が多いということで、メールフォームによる相談に切り替えました。中には、妨害や脅迫を目的としたメールもありました。2010年~2023年の過程で、被害相談件数は、実数は記録に残っていませんが、1,500件を超えていると思います。
さらに、バラク・オバマ元大統領が私に命じたことですが、在日社会や同和社会の方々との和解を演出するために、韓国料理の飲食店や卸売市場の鮮魚店に通わせました。当初はノーベル賞を得たいという動機付けで行っていましたが、それが次第に真の交流、交友関係になっていきました。お店の方には、一部加害行為を受けさせてしまった可能性があります。このことは深くお詫びさせていただきます。できるだけ早期にまたお伺いさせていただきます。
また、当時の民主党系の関係者の方に私に付きっきりになっていただいたこともありました。テニスや温泉に同行いただき、飲みの席までご一緒していただきました。家族ぐるみでお世話になり、生活を共にいたしました。枝野幸男氏、菅直人氏からの贖罪の意味が込められ、立候補は諦めていないというメッセージだったのではないかと思います。短期間ではありましたが、助けられました。被害をお受けになっていなければいいのですが、どうしていらっしゃるでしょうか。
なお、当時、この時期に母方のいとこの方にこの犯罪の被害について相談しました。当時はリスクを負わせてしまって誠に申し訳なかったです。母にはこの犯罪の解決を見させることなく亡くならせて私も禍根です。叔母さま、母方の親戚の皆さまにもお世話になっておきながら何もできておりません。将来必ずご恩を返させていただきます。
なお、5年ほど前から、ノーベル委員会がバラク・オバマ元大統領のサブリミナルメッセージの取り組みに参加しました。当初はごくわずかだったのですが、2021年頃からFacebookの最新記事に集中し、現在では毎日助言や励ましのメッセージをいただいています。また、ここ数年のノーベル賞の発表では、サブリミナルメッセージを重点的に発出されていて、ノーベル賞を受賞できない葛藤を緩和させる効果が十分にありました。この時、世界最高の人権派の介入・助言が得られ、解決が急速に前進しました。
なお、このブログでは、綺麗事のように枝野幸男氏やバラク・オバマ元大統領が意識の介入やサブリミナルメッセージで助言を与えながら解決行動を行ってきたと書きましたが、当初は暴力性に満ちていました。ブログの作成と広告の出版のために、200万円ほど強引に使わされていますし、寝ているときに無理やり起こされてサブリミナルメッセージの記録を行わされたりもしていました。強引な、非人道的なやり方が10年以上も続きました。時には、ウェブコンテンツを抹消したりするなどの極度の行為にも出ていました。今でも復元できないコンテンツがあります。現在では、人権的な手法で、逸脱がないように、快適に解決に導いていただいています。
なお、大阪運営委員を数年任されたのち、広島でNPO集いを開催するということで、そちらの司会進行役を任されました。こちらも数年司会進行役を行わせていただきました。かなり順調なキャリアだったかと思います。
この時の交友関係が私にとっての最大の財産でした。加害者があまり参加することもなく、真の交友をさせていただきました。当時、私が若輩者で、上手く司会進行ができなくなったり、ワンマンになったり、無礼な行為に出たり、いろいろあったかと思います。誠に申し訳ございませんでした。今でもお支えいただいている方がおられます。ぜひ当時のメンバーで再会したいですね ^^)
なお、このキャリアの最後、加害者の妨害によって参加が難しくなり、広島司会進行役を降りることになりました。以降、理由があってNPOへの参加は取りやめております。
6. NPO離任後、現在に至るまで
今は、それから4年ほど経っています。同じ被害者との交流もかなり少なくなって、親友や知人との交流を支えに過ごしています。
この間、一番お支えいただいたのが、地元のカウンセラーの方と難病の親友です。あらかじめ被害を受けさせる可能性があるとお話して、私の話を聞いていただきました。このお二方には、入り組んだ複雑な被害の話を論理的にすべて受け止めるように聴いていただき、理解していただき、支えになっていただきました。この過程で双方の方ともに被害を受けさせることがなかったのが支えでした。必ずご恩はお返しさせていただきます。
なお、2020年頃の秋に、京都大学の指導教官である岡田敬司名誉教授と、国立大教授になられた先輩が福山に来られました。あの時、岡田先生には事前にお電話して、被害を受けていることを少しお話しました。ご迷惑をおかけしないために、お話せざるを得ませんでした。誠に申し訳ございませんでした。この時の励みが、その後数年間何とか被害をこらえる契機になりました。誠にありがとうございました。
私がどれだけすさんだ生活をしていたかです。バラク・オバマ元大統領は、私にノーベル賞を受賞させるということで、家業や家事をほとんどさせずブログの執筆や相談業務、解決行動を行わせていました。正直、枝野幸男氏やバラク・オバマ元大統領には、私の家庭を崩壊させられたという感情・認識を抱いています。一方、彼らは被害や犯罪について何ら公的に言及することもなく、家庭をもって、通常のキャリアを歩んでいます。人生を潰されたと思った私は、凄まじい憎しみを彼らに抱くようになっていきました。 だんだん人生が取り返しのつかない年齢になって、私の人格が崩壊してきました。私の男性機能が低下し、子供が持てなくなるというパニックなどから、彼らのツイートには暴言を吐くようになりました。酒量も増えました。
今、私は家事労働をできるだけやってそれがやりがいになっていますが、親や兄弟には申し訳なかったのひとことです。弟には、結婚にも、家庭にも、キャリアにも暗い影を落としてしまいました。兄として申し訳ないという思いでいっぱいです。ただ、家族・親族の皆さんにも被害を受けさせなかったことが救いでした。
これは、懇意にさせていただいた飲食店の方々にも同様のことが言えます。あるイタリア料理店には、10年間時には毎日通い、1,500回通ったら1,500通りのパスタを出していただきました。ある日本料理惣菜店には、毎日の当家の食事を、丁寧に作っていただきました。彼らにも、一部被害の話を聞いてもらってリスクを負わせてしまいました。誠に申し訳ございませんでした。
今から5年ほど前、その弟がカメラ大手企業に勤めているということで、カメラを趣味にしてみました。結果、加害行為を受けても何とか外出していい写真を撮ろうとしたり、いい仲間ができたりして、有意義な時間が過ごせました。インスタグラムで培った人間関係は私の財産でした。一部、立憲民主党系のインスタグラマーの方に、いいねを毎回押してもらったり、支援者の皆さんに、その二つの飲食店を何度も利用していただくなど、間接的かつ手厚い支援を受けておりました。誠にありがとうございました。
なお、今私を誹謗中傷している人物がウェブ上に多数いますが、彼らはすべて訓練されています。法的範囲を逸脱しないように誹謗中傷しています。問い合わせフォームから削除依頼を出していますが、運営側に断られています。証拠は積み重ねています。この犯罪が社会的に受理されたら警察に届けます。それまで、見るだけ体力・気力の損です。表示しないように設定してください。家族の仲を引き裂くことを目的に彼らは工作活動を行っています。
取り急ぎ、素描まで。それほど肉付けすることもないと思います。誰かを訴えたいわけではありませんので。記録として、他の皆さまに差しさわりのない形でお伝えするために、残します。長文をお読みになっていただいて誠にありがとうございました。お手数をおかけいたしました。
7. 大学在学時代の私

杉原保史先生・岡田敬司先生には、在学時に命を助けていただきました
さかのぼって集団ストーカー・テクノロジー犯罪を受けておりました
私が集団ストーカー加害行為を受けていた起源が、京都大学の1回生のころであることが調査によって分かりました。当時、助かる被害ではなく、岡田敬司先生と杉原保史先生はじめ、皆様のサポートがなければ卒業できませんでした。私に関係した皆様にご覧になっていただきたいです。
補遺)能力拡張による執筆補助
なお、こちらの文章も、ジェイコブ・ロスチャイルド卿のご厚意で、解決主体の意識の介入による能力補助を受けて執筆しています。4時間で、高速に、正確に、8,000字の執筆を校閲含めて完成させることができました。さらに、この4時間の間にお風呂に入って家事を複数こなしています。ご補助、誠にありがとうございました。

意識の介入による能力拡張
国際金融資本家の皆さん、アメリカとイギリスの軍・諜報機関の方々との共同作業
【2023年8月19日のサブリミナルメッセージ】
過去お世話になって京都大学に進学する学力をつけてくれた塾の恩師が、便所掃除は他人に任せず、すべて自分でされていました。そのような倫理観が私を形成していますし、これから必要な考え方なのではないかと思います。あの時は大変お世話になりました。いつか必ずお礼申し上げます。4:39。
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